今年のNHKスペシャルは
『データマップ 63億人の地図』らしい。昨年のヤツは『地球市場 富の攻防』というタイトルで、グローバリゼーションをいくつかの切り口から考えるモノでありました。
今度の日曜が第1回目らしいので見なくちゃであーるよ。
で、今年のこのシリーズはちょっと違う角度から世界の資源を再分配する必要性を感じさせてくれるんじゃないかな、と期待していまする。問題の対象となるのは、例えば、食料であったり、教育であったり、お金であったり、生きる権利そのものであったりするけれど、その本質はそれらが余りにも歪んだ配分だというコトに尽きる。
私は何を隠そう「世界はひとつです!」とか「人間はみんな平等です!」と言っちゃう人は嫌いである。(「死ぬ、死ぬ!」言いながらなかなか死なないヤツはもっと嫌いである。)第一、そういう意見は無神経過ぎるし、今ここにある現実とそうあって欲しい理想を混合するその姿勢はある意味罪だとさえ思う。尊敬するイダ氏の言葉を借りれば「アートが足りねー。」であーるよ。ブッシュさんも小泉さんも「アートが足りねー。」要するに、繊細さが足りない、っうコト。
事実、世界は歪んでおります。もしも平等と呼んでもよいモノがあるとすれば、それはセンの言う「潜在能力の平等」しかないと私は思う。そしてまた、歪んだ世界を正せるのは、自覚しているかどうかを問わず、グローバリゼーションを促進させている側、つまり、アメリカや日本の地域住人でありましょう。
世界の資源を適正に配分し直すコト。突き詰めれば、これがこれからの社会科学全般の課題なのかもしれませぬ。あぁ、アロケーションって個人から世界まで突き抜けるモノなんだって気づいた今日。
□■□■□■□■□■□■そのほかのほざき。□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
・社会学系のリンクを辿っていたら
http://www.socion.net/papers/column/007.phpを発見。読む。う〜ん、ほぼ9割同意見だけど、《彼女達に「男に伍して戦う」ことを要求するのは無茶というものだ。》という箇所は違うかなぁ。そりゃあ、そんなコト要求するのは無茶だけど、私の解釈では、現代的なフェミニズムって《彼女達》(=女性達)に対してではなく≪人≫に対して、≪戦う≫のではなく≪戦わない≫ことを要求するモノ、っうコトになってるんだけど実のところどうなんだろ?社会学じゃなく、ディープ・エコロジーでは私の解釈でOKな範疇なはずなんだけど、社会学ってホントわからない。。。