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   Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
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2003年11月05日(水)
「ことばを大切にする人が好き」と彼女はいう。

95439374.jpg「ことばに習熟している人が好き。」と彼女はいう。

ことば。コトバ。言葉。詞・・・。
そのシンプルかつ複雑な体系は、人を魅了し時には幻滅させる。


“彼女”とは、私が愛読しているサイトの管理人さん。いつも読ませて頂いているけれど、彼女が書く論理的かつ愛のある文章はホント素敵だ。あぁ、私もあんな風に書けたらなぁとしみじみ思いまする。。。


私も“ことば”に習熟している人が好きだし、何より“ことば”を大切にする人が好きだ。自分のことばに責任を持てる人が好きだ。要するに、自分に誠実な人が好きなのだ。


例を挙げよう。よく、女子には「誠実な人」と「浮気しない人」を同じ文脈で用い、「そういう人が好き。」で締めくくる人が多い。が、私が言ってる“誠実”はそういうのじゃないのであーる。この場合の女子達が言っているのは“誠実”ではなく“忠実”のことであるよ。


このとき、女子達の言う“誠実”には「僕は浮気はしませぬ。」と相手が言うであろう隠れた前提がある。が、ちょっと考えてみるとわかると思うが、相手が「僕は浮気しまする。」と言う可能性も十分あり得る。

一番マトモだと思われるのは「僕は浮気するかしないか解からん。」という確率でありましょう。(→男子の立場から見ると「浮気しないよーに。」といわれる確率が一番高いように思われる。80%以上の確率かもなぁ、あぁ、大変。)


95639725o.jpgまぁ、要するに、私がいう“誠実”とは、相手がどの“ことば”を発しようが、その自分のことばに誠実に行動する、ということであーるよ。

この例で言えば、浮気しないかするかはどうでもよい。相手が自分自身に誠実であってくれればよろしい。その方が私もまた“誠実”でいられるでありましょう。


正直、“ことば”の力に無自覚な人は苦手だ。そういう人と話すと「身勝手だなぁ。」と思わずにいられない。相手が私だったからよかったものの、「そうなんだよ。」と言われると「あぁ、そうなんだ。」と考えてしまうような素直な人が相手だったなら、そういう人の“ことば”は暴力以外の何者でもないのに。


人には“ことば”を発する自由がある。その“ことば”を向けるのに適する相手を、“ことば”にしてよい程度の確からしさを判断できる力を、自分の“ことば”と相手の“ことば”を分け尊重する優しさを、身につけている人が好きだ。


彼女のように、「ことばに習熟している人が好き。」と、今日から私も言おうと思う。
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