RSS配信β版
   Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
lll ホーム lll lll 本棚.org lll lll メモ帳 lll lll 未 来 lll lll 過 去 lll lll 目 次 lll


2003年10月24日(金)
コスト意識が欠如した国、日本。

phsora54.jpgMy登録させて頂いている方々の日記を読むこと1時間。様々な視点に触れることで存分に刺激を受けました。皆さんホントに素敵であります。

で、今日はその中でも特に印象に残った“ことば”の効力について、感情と認識という観点からゲーム理論を使って書こうかなぁ〜、と思っていたのだけれども、延期。。。

何だか意味不明な文になりそうな予感がするし、何よりもJMM(→村上龍氏編集のメルマガ)を読んでいたら、いつも「なんでなのさ〜?」と疑問に思っていたコトが明快に書かれていたので、そのコトについて書く。


今日配信されたJMMのNo.241 Friday Editionの『南からの声 ジンバブエ・レポート』(秋山寛氏執筆)では「援助としてのイラク復興支援」と題して、日本政府の戦費に関する“コスト意識の無さ”と“戦略的交渉力の無さ”を指摘する内容でありました。つまり、秋山氏は政府のマネジメント能力の無さを指摘しておるワケです。

このレポートは紙面の都合(?)などもあるのでしょう、戦費に限定して記述されていますが、私としては戦争関連コストだけでなく、日本政府の資金配分は全体的に考えても最適には程遠いと日々感じております。対外交渉力の欠如に関しては議論の余地もなく明白であろうと思います。


で、長くなると何なので、ココでは“コスト”についてだけ記すこととします。まず、“コストとは何なのか?その定義は?”という点だけれども、経営分野からの解釈としては、コスト=何らかの利益を得るために要する投下資本額、が一般的かなと思います。

つまり、何かしらの利益を得ることを目的とした資金で無い限り、さらに言えば、いくらの資金を投下してどれだけの価値が産まれるのかを将来発生するであろう不確実な事象別に計算し、トータルとしてどれだけのリスクとリターンがあるのかを予測した上での投下額でない限り、それは“コスト”とは呼べないのであります。そうでなければ、それはだだのムダ金であります。


phsora56.jpg日本国を会社にたとえるとする。と、財務部さんのお仕事はホントお粗末極まりないなぁと思う。返せもしない借入金ばかり増やしておる。アホ。

総理=社長の意思決定能力は低いし、外交=営業も弱い。アメリカ=主要取引先には頭が上がらない。この主要取引先さんは今のところ軍事力の独占外注先でもあるのだが、その“コスト”がリターンと見合っていない。

通常なら、見積書を何社かに提示して、一番マトモな会社と取引することになるのだが何で交渉しないんだ?あぁ、そもそも“交渉力が無い”んだよなぁ。っうコトで、全くアホな会社ででありまする。


中国政府の行動を観察していて思うに、あちらは日本とは異なり、どうやら政治をビジネスとして捉えているようだし、そもそも世界ではそっち考えの方がノーマルなのでありましょう。

総理はもちろん議員さんたちも、もっとビジネス的な政治を知らなくちゃならないのでしょう。東大法学部=エリート、って時代はもう終わったのであります。東大も良い大学なのだろうし、法律も大事な知識だけど、それだけじゃ国はおろか自分自身さえも経営できない時代でありまする。


っうか、どう締めて良いか分からなくなったので、今回の秋山寛氏の言葉を用いさせて頂きまする。以下引用。

《援助の基本は慈悲の心であり、政治や経済原則とは無縁のものだと思っている方が多いのですが、それだけですべてが解決するというのは、無責任な思考停止です。援助の大きな大きな部分を占めるのは、政治そのものであり、経済です、それを踏まえたうえで何が出来るか、どこまで出来るか、ではないでしょうか。》
←未来  目次  過去→

「たらこ」スキン:エンピツスキンニュース++

My追加
エンピツ