家庭教師なるものを始めてからというもの、やけに“教育”なるものについて考えてしまう近頃の私であります。で、何冊か本を読んだり、ウェブで色々な意見に触れてみたりもしたのだが、学校教育の現状はなんとなく理解できたものの、どうにも自分の考えがまとまらないという事態に・・・。
で、次に、自分の考えがまとまらない理由について考えてみた。で分かりましたよ、“客観的”な見解を出そうとし過ぎていたからまとまらなかったのであーる。正にアホなアプローチであった。反省であーる。
よって、今までの自分の経験(義務教育9年・高校3年・大学4年・院2年)をベースに、あくまで“主観的”に“教育”なる行為について考えてみました候。ここでの“主観的”という意味であるが、私は子供はいないので親ではありませぬ。よって、あくまで“生徒”という“主観”から思うコトを書くこととする。
で、過去を振り返って思うに、いわゆる学校の先生という人たちは低脳であったように感じてしまう(→もちろん例外あり。)のだが、そう思うのは私だけではないだろうと思われる。
で、一歩進めて「何故彼らは低脳なのか?」と考えてみた。
ということでありまする。もしくは反対解釈として「教師になると低脳になってしまう」とか「学校という職場は低脳の受け皿である」という考えもあり得ますが、マトモな教師の方々には大変失礼に当たりますので省略。
目の前でいじめが起きているのに見て見ぬふりをするアホ教師、存在自体が大迷惑なエロ教師、給料貰いながら“不登校”する税金ドロボー教師など、どうしようもない低脳なヤツらが教師という定職に就いてしまうという現状を考えますと、近所で子供たちが元気に遊んでいる姿を見ても、どうも心配になってしまうだよなぁ、私は・・・。
そんなことを考えていたら、道で子供(小学3年生・女)を発見!
「怪しいネーさんだと思われたら堪らんなぁ・・・。」と内心思ったので、十分気をつけてインタビューに挑みました候。
私「土曜日休みなんやろ?何してるの?」
子「何もしとらん、寝てる。」
私「(驚きつつも平静を装い)ふーん、そうなん。何で?」
子「友達は塾とか習い事行っているけど、私は行ってないし、やるコトないもん。」
私「何で行かないの、塾とかピアノとかあるやろ?」
子「う〜ん、よくわからんけど、家、お金ないんだと思うよ。お父さん仕事辞めたみたいで家にいるよ。呼んでくる?」
私「(焦る・・・)いやぁ、呼ばんでいい。で、家のことは置いといて、あんたは塾とか行きたいのか?」
子「う〜ん、行きたい・・・かもしれん。」
(以下長いので略)
っう感じで、学校の先生について聞くはずが、塾の勧誘に近いコトをやってしまいました候。「そういや無料ナンたら講座ってのがあったなぁ。」と思い出し、市で土曜日にやってる講座の情報を教えておきました候。どうやら興味を持ったらしく「電話してみる!」と言っておりました。良かった。
で、長々と書いてきたけれど、確かだと思えた事実は、現代の日本においては、両親の経済力と子供が受ける教育の質は相関してしまう、という以前から何度も言われ続けてきたコトであった。
さらに、この両親の経済力の格差はますます広がるばかりだというのもまた周知の事実であり、「オンナは結婚して子供を産め!」と政府のアホどもが得意の短絡思考で喚いているのもまた事実であります。
要するに、「義務養育を変えます!」とか何とか言っているクセに、自分の子供は私立に行かせているアホな官僚たちが考えたプランをベースに、アホな教育システムが誕生しており、またそのアホなシステムを基準にアホなことをやらかすアホな教師が大量発生している、という悪循環なのかもしれませぬ。
「私は学校に邪魔されずに教養を身につけた。」と言ったのはかのマーク・トウェインでありました。アホな人たちが作った学校というシステム。それに邪魔されるのはやはり子供たちなのであります。学校よ、邪魔するなかれ。