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Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
2003年06月06日(金)
ジェンダー・トラブルと世界の未来。
どうやら疲れたみたいで今日は一日中寝てしまった。。。理由は不明。。もしかして疲れやすくなってるのかなぁ。ストレッチサボってたツケか。。。
何となく専門書を読むような気分になれなかったので、『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(遥洋子著)を手に取る。この本、軽く見えるんだけど、実はかなり深いんだよねぇ。だから何回も読んでみたくなる。
この本を最初に読んだのは3年前。あの頃はフェミニズムなんて全然知らなかったし、そもそも私は「女の子なんだから*****しなさい」的な育てられ方をしていないので、実感が湧かなかった。
けど、大学4年の時の就職活動は、「これが男女差別ってものなのね」という大発見の連続だったよ。
「オンナには寮はありません。」だの、「オンナはあまり取りたくない、結婚するとやめるから。」だの、某社の役員面接では「なんだオンナか。」と言われたり。もちろん「見ての通りオンナでーす!」と答えたけどさ。
このことを上手く説明するにはこの一文がぴったりはまる。
「この社会では男は・・・自らの実力・能力によらず、制度によって上げ底の状態になっている。したがって、この勝負はフェアではない」(上野千鶴子)
つまり、オトコはオトコであるだけで労働市場ではオンナよりも上にランキングされているということ。そしてこれは所与のものなのだということ。
オンナはオトコの3割増しできて初めて評価される、というようなコトは聞いたことがあった。けれど、ホントにそうなんだと知ることができたのはあの時の就職活動のおかげである。
けど、反論!もしも「オンナはオトコの3割り増しできて同じ評価がされる」を真とするならば、オンナを雇った方が企業の利益獲得能力は改善されるという結論になる。だって、同じ賃金で30%も多く働いてくれるんでしょう?私が経営者なら全員オンナ社員にしたいものだねぇ。
説明すると、あるオトコの労働生産性を100とする。そして、あるオンナは3割増しなので130。で、これはオトコを基準にウェイト付けした数字である。次に、オンナの労働生産性を100として考えてみる。すると、オトコの労働生産性は70となる。簡単な計算なのに、結構新鮮な数字だわ。
つまり、同じ仕事をしていても、オトコはオンナよりも約30だけ何かしら楽をしているらしいという仮説が完成するのであーる。。。
そして、なぜ30だけ楽をして評価されるのか?、という点なんだけど、バカバカしい理由なのよね。
詰まるところ「オンナ&コドモを養うため」。
日本的雇用システムって、あー、アホ臭い。って言ってももうこのシステムは無くなったけどさ。(←ここにはまだあるぞ、という声が聞こえてきそうだなぁ。。。)
さらに「オンナ&コドモを養うため」に労働という作業があるとするならば、究極的には『一夫一婦制』なんてあり得ないでしょうに。。。
『一夫一婦制』って、労働生産性の高いオトコとそうでないオトコの差をカモフラージュしているシステムなのではないかと思えてくるよ。私は『多夫多婦制』が最も素晴らしいシステムだと思うのだが。。。
まとめると、ジェンダーの問題っていうのは、何を正当化するかということなのかもしれませぬ。。。。明らかなのは、お金を運んでくるだけのオトコは必要とされなくなっているという事実。同じく、家事をするだけのオンナも必要とされてはおりません。というよりも、そういった分業が成り立たない世界になっただけなんだけどさ。。。
こういうことを書くと「オトコをバカにしやがって・・・」と非難されるかもしれないけど、決してバカにしてる訳ではないのです。私は個人的にすごくオトコが好きである。ホント可愛らしい動物だと思うのだ。そもそもオトコがバカとかオンナがアホとかじゃなくて、小さく言えば日本の労働システム、大きく言えば資本主義システム事態が問題の根なのだから。
『これからどんな世界になるのか?』を考えてみる。これが結局労働市場、そして資本主義に勝つ方法なのだと思う。
人と同じように会社員するのもOK。フリーでやるのもOK。けど、何をしていても、どこに属していても、他人と同じことを考えていてはダメなのだ。それじゃマーケットに勝てないどころか投資先も選択できない。最近、自己責任って自己思考なのだと実感するなぁ。。。。
思考は常に自発的孤独(=solitude)にしておいた方がベターなのだ。
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