「雨の匂い 虹の匂い」無事、終了しました。 たくさんの方がきていただいて嬉しかったです。本当にありがとうございました。 また、会場はかなり暑かったのではないかと思います、その中で最後まで見てくださったことに、感謝いたします。
今回のイベントで、わたしはうつくしいものにたくさん触れました。うつくしい姿や、想いや、声や、言葉や、たくさんのたくさんのものに。 主催者の伊津野重美さんの志の高さや姿勢、出演者に向けられた思い遣りや尊重の心配りには、いつもいつも目を覚まされる思いがしました。 また、出演者の、本当に、寄りかかりあうのではなく、みんなひとりひとり立ちながら手をつないでこのイベントに取り組んでいこうという姿に、何度も励まされ、私自身の立つ力になりました。 幸運なことに、誰かの作品を読む、という機会に私は恵まれたのですが、そのときにも読むことを快諾してくれ、解釈や読み方を委ねてくれ、そこに流れる信頼と広さのようなものに打たれました。また、誰かとひとつの作品を読むときにも、常にお互いの意向をきいて朗読をつくっていくことができて、幸せでした。
そして、もう何度も朗読をきいていて、その人の朗読が私にとっては「いいもの」であることを知り尽くしている方たちが、今回のイベントでは、今までで一番力強いパフォーマンスをしていたように感じ、感動しました。 たぶん皆が本当に、真剣に取り組んで、そして、あの場に立てることの喜びをかみしめていたのだと思います。
それから、今回、あの場で読んでみて、私は、私の中に何があるのかを、何をしたいのかを、まだまだ知れていないのだと思いました。自分がどう立ちたいのかという確固たるものが欠けていて、それを良しとするか悪しとするかは別として、ただ、それに気づけたのは、私が、わからないならわからないなりに自分を外に開こうとした、そういう朗読があったからなのだと思いました。それは、ぎざぎざとして聞き苦しいものだったかもしれないと、今は思います。けれど、そういうわがままな開放が可能だったのは、あのイベントが、あそこにいた人たちが、あの劇場と外でしとしと降り始めていた雨が、それを許してくれたからなのだと、改めて実感して、それに本当に感謝したいです。
うつくしいものの破片が目にたくさんたくさん残っていて、だから、日常の生活をするのがちょっと痛くてまぶしいです。開いてしまったドアがちゃんと閉まってないのかもしれません。でも、このイベントに出られたことを糧として、もっともっと、行きたいほうへ、歩いていこうと思います。
伊津野さんをはじめ、出演者、スタッフの皆さん、おつかれさまでした。 そして、ご来場くださった方、これを最後まで読んでくださった方、本当に本当にありがとうございました。
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