そうやってうみは流れを失くし 気絶するまで続くうすむらさきのストローの 先を濡らして遊ばれていた 行きどまりでは きのうひからびた虫たちの羽が 気泡のなかで保たれていた 気泡だらけのみずうみ むかし群れだったものたちが あぶくに分かたれ眠っている 触角が誇らしげにしなるときも 波打つ天井はくずれずに ただやわらかに押し戻す 向こうの世界が透けている
もう冬は越さない一本の樹の 枝から落ちた果実から しぼりだされた一滴のあかが みずうみをほんのすこしだけ染めた けれどそのとき日が翳り 水面をすうと曇らせたので いろづくまえのいずみのいろを だれもがすっかり忘れてしまった
「はじめからあかいものの名前を いくついえるか競争しよう」
キトは遠くを睨んだままで 時計の針を押さえるように 両手を真横に広げていたので その申し出をきかなかった 伸ばしたひじの小刻みなふるえを 飲み込むことに忙しかった
あしたのあさには行ってしまうもの 日暮れを待たずに消えてしまうもの まばたきの間にしんでしまうもの キトはいつも足りないままで だから両手を下ろせない それでもストローの先ではしずくが 途切れることなくしたたり落ちて 波紋のなかでうまれたあぶくは きょうもなにかを閉じ込めてしまう
「はじめからずっとあかいものを それならきみは何と呼ぶかい」
汗がつたう しゃくとりむしのように 伸び縮みしながら這っていく たくましい足にはいくすじもの道が 塗り重ねられ見えなくなる キトは両手を広げつづけて とがった顎を上向かせて じっと遠くを睨んでいる たとえばうすむらさきのくだの 向こう側にかすんだ世界 閉じ込められた木々のみどりと 越すことのない冬のしろ それから
ひじがずっとふるえている 道はいくつも塗りつぶされ しゃくとりむしが這いつづけている キトは両手を広げている キトは両手を広げている
「きみならそれを何と呼ぶかい はじめからずっとあかい、 あかい」
水面がにわかに翳った
指の先からひとつぶのしずくが ただまっすぐに こぼれ落ちた
もうすぐ 日が暮れる
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