双子 エコー写真 で検索して来られる方が割りといらっしゃいますので、ご紹介します。(やっと見つけたの!)
2003年3月22日(6w1d) 初診の時です。胎嚢が確認でき、尿検査の結果「おめでたです。」との診断を受けました。心音が確認できなかったので、2週間後にまた来てとのこと。
2003年4月9日(8w5d) 心音が確認できる筈だったのですが、良い心音ではなかったようで、また来いと言われました。2人分と気付いていなかったので、わかりにくかったかな?
2003年4月28日(11w3d) つわりの苦しみに対する対応の誠意のなさにイヤケがさし、勝手に転院してみました。(既に何週間も仕事を休み続ける日々でした。) 「そうやねぇ、双子やとつわりもきついからねぇ」と言われたのが最初の双子宣告でした。 「へっ?」としか言わない私に、「ほれ、見てみぃな、二人並んでるがな。」と先生は画面をこちらに向けてくれました。 その後、持ち帰り用の写真を撮ろうとして下さったのですが、一人ずつしか写ってくれませんでした。 会社にいる旦那に「大事な話があります」とメールしたら、色々と心配しながら帰って来たようです。 「大事な話って?」と青い顔で聞く旦那に、「あのね、こっちが4.2cmで、こっちが4.1cmなの。」と双子宣告したのでした。
2003年5月5日(12w3d) 勝手に転院した病院で、「胎嚢が一つしかないから一卵性。胎盤が一つしかないタイプ(=一卵性)の双子はリスクが高く、うちでは取り扱わないので、NICUのある総合病院に転院して下さい。」と言われました。 2週間後ぐらいでいいよ、ということだったのですが、あまりのつわりのつらさに、かなり早めに出産した総合病院に行きました。 つわりがつらいと言うと検査をしてくれ、「ケトン体が下りているからかなりきつい筈。入院したら?」と言われ、そのまま入院しました。 24時間点滴に繋がれたのですが、血管がもろいようで、すぐに針がズレてしまい、毎日のように刺し直ししていました。 5日目にまた腕が腫れた時、「おしっこも大量に出ているし、週明けまで点滴なしじゃダメですか?」と相談したところ、当直の先生が、「一応診察しないと判断できないから、診察させて。」と言うことで診察を受けました。 エコーを見て、先生の第一声が、「か〜わい〜い〜〜」でした。(女の先生。) 「(看護婦さんに)ほら、見てみて、かわいいの。二人並んでるの。かわい〜い。写真とっとこ。」と撮って下さったのがこの写真です。 来る日も来る日も吐き気と倦怠感で仕事どころか完全に寝たきりで、飲める物も食べれる物も極端に少なく、ただ横になって、這うようにトイレに言っては吐く毎日。もう死んだ方がマシかもしれないとさえ思っていた私は、お腹の中に"かわいい"赤ちゃんが二人もいるということを実感して、泣きました。 その先生は病棟の分娩担当で、毎日分娩室から声が聞こえていた先生でした。(管理入院中のMFICUの個室は分娩室の前だった) この先生に、分娩台でも叱咤激励していただき、最終的に帝王切開手術を執刀していただきました。
「そうか。手ぇあげてんの。挨拶してんの。こんにちは〜って。かわいい〜〜」と言いながら撮影して下さいました。 この2枚の写真を、旦那に拡大コピーしてきてもらって、病室の枕元に置いて、眺めていました。
2003年6月25日(19w5d) 退院して、妊婦検診に通っていた時の写真です。 外来の担当医師は上記の先生ではなく、医長先生でした。 この先生は、持ち帰る用の写真は基本的に撮ってくれず、性別も聞かないと見てくれませんでした。正常に妊娠が進んでいるかどうかが重要であり、写真や性別は、正常な妊娠分娩にはあまり関係のないことのようでした。 「写真を下さい。」と言ったら、頭の輪切り写真をくれました。 (先生が毎回確認されるのは、頭蓋骨の直径と、大腿骨の長さでした。それを入力すると、推定体重が出るのです。下の写真のように、+マークのカーソルを、ココと、ココ、と置くと、「19w4dと表示されます。この日は19w5dですから、ほぼ週数通りの成長ができている、ということだそうです。ただ、うちの双子は頭が大きく、推定体重より1割くらい小さく生まれて来ました。)
2003年7月23日(23w5d) 6月の末から、お盆までは、一応仕事はしていました。ただし、妊娠勤務ということで毎日午後半日だけの勤務。おまけに週に1回は検診の為休んでいました。ずいぶん大きくなって、頭と胴体がいっぱいいっぱいに見えます。2枚目は背骨が鮮明に見えています。どっちがどっちだかわかりません。
2003年8月13日(26w5d) お盆明けから産前産後休暇に入ったので、最終勤務日の後だと思います。 何がどう写ってるのかよくわかりませんね。私もわかりません。 一人ずつ顔が映ってる? 3つの病院に行きましたが、出産した病院では3Dの写真や、ビデオを撮ってくれるサービスはありませんでした。 もうちょっと元気だったら、3Dを撮ってくれる病院に一度だけ行って、記念撮影してもらいたかったな。 お盆休みまで仕事、と決めたものの、既に体力は限界で、仕事の為だけに起き、仕事から帰ると即寝ていました。晩ご飯は母におかずを作ってもらって配達してもらってました。(それでも仕事には行ってたのよねー) つわりは出産の翌日ぐらいまで続きました。最後の最後まで、吐いて吐いての妊婦生活でした。
20070502記
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