自己チューな人 - 2002年10月09日(水) 約1か月のごぶさたスマソ(汗)。 世の中には、けっこう自己チューな人がいるものだが、僕の知っている中で一番ひどかったのは、某小売店(宝飾品関係)の店主だったな。 その男はオーナーのくせして、めんどうなことを出来るだけしたくないということで、「社長」の肩書を自分の女房になすりつけて自分は専務となり、 「なーんにもセンム」 などとくだらないギャグを飛ばすようなサムい男だった。 彼との出会いをあまり詳細に書くと、誰だか特定できてしまうので、そのへんははしょらせてもらうが、とにかく、彼とかかわった数年の間には、ろくな思い出がない。 彼の道楽はアルトサックスを吹くことで、それも「下手の横好き」の典型のような腕前。 学生時代には某私大のブラスバンドで吹いていたそうだが、そこから一歩も進歩していない(むしろ、年々退歩しているように見えた)。 そんな腕前のくせして、「自分のバックバンドが欲しい」などと考えたあたりが、そもそもの間違いの始まり。 彼はお店でのもうけを元に、副業としてこじんまりとしたジャズクラブを経営していたのだが、そこで弾いている(つまり彼に仕事をもらっている)ピアニストに声をかけた。 さすがに、表芸(ピアノ)でバッキングをしてくれというのは気がひけたので、そのピアニストが趣味としてやっているドラムスを叩いて欲しいとたのんだ。 当然、日頃仕事を与えてもらっている身分としては、ムゲに断れず、バンドに加入することになった。 ピアノのパートは、そのジャズクラブによく来る常連のお客に、ジャズピアノを弾くのが趣味というひとがいたので、そのひとを誘った。 彼はなかなか性格温厚なひとだったので、ふたつ返事で引き受けてくれたそうだ。 専務はさらに、いっちょ前にホーンでアンサンブルをやりたいと考えて(というか、ワン・ホーン・バンドとしてやっていく自信などなかったのだろう)、テナーサックスとトロンボーンも探した。 テナーは、ジャズクラブでウェイトレスのバイトをやっていた女の子のBFがなかなかの腕前だったので、彼を引きずりこんだ。 トロンボーンは、大学のブラスバンドの後輩を、これまた誘い込んだ。 さて、そこでバンドがスタートとなるはずだったが、ひとつの欠くべからざるパートが欠けていた。 それは「ベース」だった。 そのベースが決まらないがために、バンドは何ヶ月も「凍結状態」だった。 だが、たまたま僕がギターを弾けることを知った専務がある日、こう声をかけてきた。 「●●さん、ギター弾けるんでしょ」 「え、まあ、少しは」 「じゃあ、うちのバンドのベースやってよ、ボン、ボンって適当に合わせるだけでいいからさあ」 そんな感じだった。ほんと、テキトー(笑)。 要するに僕は、専務の「ダンナの道楽」のために、まんまと「つかまった」のであった。 ところがこのバンド、とにかくいいだしっぺの専務がまったく頼りにならない。 彼の吹けるのは、スイングジャズの、しかもメロディの簡単な曲ぐらいしかないのだ。 ちょっと難しい曲に挑戦しようとしても、専務の「これは難しいから吹けないなあ」という一言で、たいていはオジャン。 デイヴ・ブルーベックの「テイク・ファイヴ」のリフすら、満足に吹けないのである。 なんとも情けない。 しかも、専務はディレクター役を、ピアノのひとにまったくまかせっぱなし。 なぜなら、自分のプレイで手一杯状態だから。 まったくテメーの道楽のために始めたバンドなんだから、そのくらい自分でキチンとやったらどうなんだ!という感じだった。 自分のパートのことだけでアップアップ、的確なディレクションもできず。 そのくせ、ひとのプレイには適当な印象論で文句をいう。 もう、最低。 なんだかやっていくうちになさけなくなってきたが、とりあえず、発表の場があるというので、何回か練習をして、一回相乗りのライヴに登場した。 出来映え初お目見えということもあって、ひどいものだったが。 それはまあいい。 そのライヴ以後、どうも専務はあまり自分からバンドをやろうといわなくなった。 そしてしばらくすると、どうも彼は「このメンツじゃだめ」と考えているらしいことが、それとなく伝わってきた。 アホか!テメー!! ま、こちらとしても彼とお付き合いするのは願い下げではあったがね。 彼によらず、管楽器、特に主旋律を吹く管楽器をやるひとは、 「他のメンバーは、俺を伴奏するために存在している」 なんて考えている「自己チュー」な人間が多い。 それでも、本当にうまけりゃ、すべて許されるだろうが。 下手なくせに平気でひとをかき集め、うまくいかなけりゃ他人のせいにするようなヤツに付き合うことくらい、バカバカしいことはない。 そういうひとに、最初は親切心を持って対し、ひどく裏切られた経験って、貴方もありませんか? ...
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