星降る鍵を探して
目次前頁次頁

人気投票(連載終了まで受付中)


2003年08月18日(月) 星降る鍵を探して4-1-3

「おかげで助かりました。あのままあそこにいたら、捕まっちゃうところだった」
 悔しさを押し殺して、笑顔を浮かべて、流歌はそう言った。剛を傷つけたくないために、この悔しさを押し隠して笑顔を浮かべたわけではない。この笑顔は自分のためだ。ちっぽけな自分を、これ以上惨めにしないですむように、流歌は笑った。
 すると剛は、一瞬驚いたような顔をして。
 そして、笑った。先ほど見せてくれたのと同じ、「にかっ」としか表現しようのないような、辺りの重苦しさを一瞬で吹き消すような底抜けの笑顔。こういう顔が出来る人だったのだと、流歌はその笑顔に痛みすら感じながら考えた。今までは逃げてばかりだから、知らなかったのだ。本当に。
「いや何、俺は貴様を助けに来たのだからしてあるからして」
 周囲を吹き払うような口調で言われた言葉は語尾が少し変だった。たぶんストレートにお礼を言ったから照れたのだろう。その剛の健全な反応に、流歌は黙って微笑んだ。ひどく、複雑な気持ちだった。嬉しいような、辛いような、悔しいような。
 ――清水さんは、先生と違いすぎるから却って、先生を思い出してしまう。
 七年前、最後の日に。先生が最後に見せたあの表情が、剛の笑顔の後ろに見える気がして、流歌は身震いしそうになった。
 空虚な、あの、表情。
 人間にこんな表情が出来るのかと、愕然とするような。

   *

 彼女はその惨状を見回して軽いため息をついた。
 足下で高津が大の字に横たわったまま目を閉じている。事情は全てこの高津の口から聞き終えていたから、彼にこれ以上口を開かせるのは酷というものだろう。肋が数本は折れていて、話すのもつらいらしいから。いっそこのまま楽にしてやろうかと、ポケットの中の小型の拳銃を右手でなで回しながら、半ば本気でそう思った。そうしたら、少しは気が晴れるだろうか。
 ――ああ、わかっている。
 これは八つ当たりだ。
「玉乃、姐」
 高津が普段からは想像もつかないような、低い、呪わしげな口調で言った。こいつにも「悔しい」という感情があったのかと、軽い賛嘆と重い侮蔑を込めて彼女は思った。無能なくせに「悔しさ」を感じる感覚だけは人一倍だなんて、愚劣にもほどがある。どうしてあのひとの部下がこうまで無能なんだろう。
 高津の姿はこれ以上ないというくらい惨めだった。スーツは白い消火器の粉にまみれて、仰向けに倒れた姿は巨大な灰色のヒキガエルみたいだ。高津をこうまで傷つけたのは、素人の、しかも高津よりも若いような男だったのだという。若者? 若者か。今日は何だか若者にばかり縁がある。
 腕っ節だけが取り柄だと思っていたのに、それすらも若者にかなわなかったと言うわけ?
 この気位だけは一人前の男が、そう告白するためには、どんな覚悟が必要だったか――ということを、思い浮かべるくらいの想像力は玉乃も持ち合わせている。
 だが想像できただけで、同情には至らなかった。玉乃は自分のことだけで精一杯で、他の人間の苦悩まで理解してやれる余裕がなかった。やる気もなかった。義理もない。これ以上床の上に横たわる高津の姿を見ていたら、自分が何をするかわからないと思ったから、彼女は白衣をマントのように翻して、きびすを返した。
 ――あたしは八つ当たりでだって人を殺せる。
「玉乃、姐」
 高津が繰り返した。彼が何を期待しているのだろうと玉乃は少し考えた。慰めの言葉を? それとも叱咤を? それとも何か、軽い相づちのようなものでも期待しているのだろうか。まあ別に、高津が何を期待していようと構わなかった。そのどれだって、高津に与えてやる気は起こらなかったからだ。
「とにかく梨花さんは、青年と少女と一緒に逃げたのね」
 呟いてから、何もこんなところでまで「さん」づけする必要もないだろうに、と思うと少しおかしかった。
「……そう、です」
 足下から低い声が聞こえる。その声がどんな感情を含んでいるかなんて、玉乃にはもうどうでもよかった。そう、とだけ呟いて、彼女は歩き始めた。出口の方へ。こつこつとヒールの音が空虚な地下室に響く。
「――どちらへ」
 高津の声が後ろから追いかけてきた。軽くため息をついて、玉乃は呟くように言った。
「梶ヶ谷先生のところへね」
 先ほどから何度も呼び出しがかかっている。拳銃とは反対側のポケットに入れた携帯電話は何度も振動を繰り返している。その度ごとにポケットから出して液晶画面を確認し、その度ごとにそこに『梶ヶ谷』の文字を見つけて落胆する、その繰り返しが厭わしかった。そう、落胆している。液晶画面に浮かぶ文字が梶ヶ谷の名前でしかないことに、ひどく。
 ――誰の名前だったら満足するって言うのかしらね。
 実際その男から連絡が来たら、ひどく腹立たしい気分になるのは分かり切っているのに。
「……お気を、つけて」
 数瞬の沈黙の後、高津の間抜けな言葉が追いかけてくる。
 玉乃は残酷な衝動を抑えきれなかった。くす、と含み笑いのような呼気が漏れた。出入り口で振り返って、玉乃は呟くように答えた。
「あなたもね」
 これくらいの八つ当たりは、神様もきっと許してくれる。

----------------------------------------

再開しました。ずいぶん長らく放ったらかしておりまして、申し訳ありませんでした……!
引越しひと段落ですよ。あー長い戦いだった。
玉乃さんは大変書きやすいです。困ったときは玉乃さん(笑)。
しかし連載開始当初から密かに秘めてほくそえんで来た目論見が色々ぶち壊しになっていることに今気づいた(ダメ)。


相沢秋乃 目次前頁次頁【天上捜索】
人気投票(連載終了まで受付中)

My追加