星降る鍵を探して
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2003年06月20日(金) |
星降る鍵を探して3-1-2 |
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どどどどどど、と足音を響かせて剛は階段をかけ昇る。 階段には全く人影がなかった。あっと言う間に剛は数階分の階段を踏破した。一体どれくらいの高さがあるんだろう。昇っても昇っても、上に続く階段は尽きない。 「しっかりつかまっておれよ!」 マイキに声をかけたが、この羽のように軽い少女は答えを返さなかった。しかし丸刈りの頭にしがみつく細い腕が力を少し増したようである。それで安心して、剛はマイキを落とさぬために使っていた神経を走る方に回した。その巨体がいっそう速度を増した。走ることに専念した剛はマイキの存在を忘れた。人に見つかるかも知れないという思慮さえ忘れた。今彼の脳裏を占めているのは、流歌を見つけだすのだと言うただそのひとつだけである。 ――待っておれ、須藤流歌……! 走ることに専念した剛の顔は無表情になった。この厳つい顔立ちの男が無表情で走る様は見る人に恐怖を与えずにはいないのだが、今は誰も見ていない。踊り場で手すりに手をかけて身を翻したとき、ふと、肩の上が軽くなったような気がした。しかし走ることに全神経を使っている剛は、何故軽くなったのかなどということは考えもせず、ただ走りやすくなったと思っただけだった。
マイキの細い体が、剛の肩から離れて、落ちた。 幸運なことにちょうど踊り場を通過している時だったので、マイキは平らな床に落ちるだけで済んだ。床の上をごろごろと転がって壁にぶつかって止まる。マイキの目は虚空を見ていた。痛みも今は感じなかった。剛の頭から手を離してしまったために転がり落ちてしまったということ、そして落ちたことに剛が気づかずに走り去っていったことも、マイキの認識の外にあった。 彼女は今、自分の中に「降って」きた景色を見ていた。 もしここに他に誰かがいたら、マイキの顔から表情が抜け落ちていることに驚いただろう。普段から人形じみた顔つきのマイキだったが、今はすっかり人形そのものになってしまったように、生気というものを表に見せなくなっている。目は剛の走り去った階段の方に向けられていたが、階段を見ているわけではなかった。彼女の目は何も見ていなかった。ただ、脳裏一杯に広がったその景色を受け入れるためだけに、全身の神経を傾けていた。 マイキの脳裏には、夜が広がっていた。 湖だ。 広々とした湖が、夜を写して黒々と横たわっている。 マイキはそのほとりに立って、対岸にぽつぽつと浮かぶ色とりどりの明かりを見ていた。湖の中は本当に暗く、そこに湖があると感じられるのは、マイキの背後から照らしている明かりが水に反射してゆらゆらと揺れているからだ。見上げれば頭上には満天の星が広がっていた。特に正面に一際大きく輝く星は、燃え立つように真っ赤に見える。きれいだな、とマイキは思った。ものを見て「きれいだ」と感じることは、悪いことでもなんでもないのだ、と卓に教えられてからは、未来を「見」ている時にでもそう思えるようになっている。 と、マイキの見つめる視線の先で、一際大きなその星が揺らいだ。 正面に一際大きく見えていた星の輪郭がぼやけているのに気づいたときには、その星が次第に大きくなってきているのだ、ということも同時にわかった。マイキは愕然とした。満天の星のひとつに見えていたその巨大な星は、今まさに、マイキのいるこの場所に向けて、激しく燃え立ちながら降ってくるのだ。 ――すぐる……! マイキは悲鳴を上げようとした。しかしこの景色の中ではマイキは全くの無力だった。指一本動かすことは出来ない。声も出せない。逃げようとしても逃げられない。ただその景色を見つめ続けるマイキに向けて、今や車ほどの大きさになったその星は、ものすごい速さで落ちてくる。まっすぐに、マイキに向けて。 こんなことが起こりうるのだろうか。 マイキは流れ星も、隕石の存在もまだ知らない。星はいつも夜空に張り付いたように浮かんでいるもののはずで、その内のひとつが落ちてくることがあり得るなんて想像したこともなかった。今やその星が放つ熱気まで、肌で感じられるようになっている。視界一杯に広がる灼熱の固まりを見続けながら、マイキは思う。 これを呼んだのはあたしじゃない。……って、みんなが教えてくれた。あたしのせいで、この景色が起こるわけじゃないんだ、って。信じたい。すぐるの言うことなら、みんな。あたしが見たせいで起こるわけじゃないって、すぐるが言ってくれたから。信じたい。……けど。 本当に? それならどうして、この星はこんなにまっすぐにあたしに向けて降って来るんだろう。 どうしてこんなに破滅的な景色ばかり見なければならないのだろう。 マイキは投げ出された体勢のまま、虚空を見つめ続けていた。彼女の脳裏には、今まさに自分を飲み込もうとする、巨大な灼熱の固まりが映し出されていた。 やがて、剛の俊足に置き去りにされていた警備員たちが駆けつけて来、彼女の腕を掴んだ。その時は既にその景色は終わっていたが、今見たもののあまりの衝撃に、マイキは抵抗することも、警備員たちの質問に反応することすら出来なかった。
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