紫の生活

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義のために賭ける
2008年10月14日(火)

 自分では変化しているつもりが、実は退化していたということが、往々にしてある。しかも、痛い目を見るまで、それに気づかない。愚か者の悲劇だ。

 この連休も、私はまんまとしでかした。なかでも最悪だったのは、WINSにいかなかったことだ。ここ1年で、私は、競馬がなければ生きていけない人間になりつつある。

 競馬がなければ生きていけない人間がたくさんいるのは、WINSや競馬場に出向けば一目瞭然である。それぞれ事情はあるだろう。たしかブコウスキーのエッセイに、ギャンブルはマスターベーションだったか性的欲求だったかに心理学的に近いと書いてあった。私は、カネを賭けること自体は嫌いである。というか、怖い。必ず負けると考える。けれども、競馬新聞に目を通した瞬間に、恐怖はいきなり消え去る。あれはなんなのか。「義のために遊ぶ」と太宰治は書いたが、その心情が、このとき少しだけわかる気がする。




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