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2003年10月13日(月) その人がつづる言葉の魅力

昨日のつづき

彼からは帰宅後にメールがあって、
「温かくなったありがとう」というレスが届いた。


あぁ、うんありがとう。
そう思ってくれて、ありがとう。


でも、
何も期待していなかったので、
私からは特に返す言葉が思いつかなかった。


まったく
冷静に考えると、
レスを期待しないという手紙は、
一方通行みたいな感じな気がする。
手紙でつらつら自分の気持ちを書きつづって
勝手だよねー

いちおう昼間に書いた手紙だったので、
激しい手紙ではなかったと思うけど。


私はやっぱり恋人の前では少しわがままな人間で、
相手がどう考えるかは別として、
自分の感情のままに気持ちをつづった手紙を
渡したことで思いは満たされて、満足したらしい。


果たして彼はそんな私の心までお見通しなのかは、
甚だ疑問だけど。


少し話はずれるけど。


私はここ、最近、
そうだな、1,2年の間かな?


人に何かを伝えたい文章というものは、
自分らしい言葉や書き方があるはずだと
考えてる。

魅力的な文章とは、
きれいな流れるような文章だと答える人もいれば、
いや、簡潔でわかりやすい文章だと答える人もいると思う。

でも、私個人としては、
文章が上手、下手とは関係なく
なぜだか惹かれる文章というのは、
その人自身が伝わってくるような
言葉が詰まっている文章だと思ってる。


私は仕事もそうなんだけど、
書くことで表現するということが
とても多い。


たとえば通知票、
たとえば保護者への手紙、
たとえば研究関係の文書、

そしてプライベートではこの日記。


いつだったかまだ教師になりたての頃、
通知票の所見の下書きを母にみてもらったことがある。
高校教師だった母は、私が四苦八苦になりながら
書きつづった所見をざっと読んで、
一言私に伝えた。



「堅い文章ね〜」



ぐさぐさっときた。


そう。
私の文章は堅かった。
いや、
今でもそうなんだけどさ。
これでもずいぶん柔らかくなったほうなんだけどさ。


日記はずいぶんと書きたいようにかいてるはずなんだけど、
これでも堅い。


それじゃぁ、公文書は?



堅すぎに決まってんだろ
というぐらい、
私の文章は読む人に響かない、文章だったと思う。


自分があんまり好んで使わない表現
まわりくどい表現、
難しい言葉…
そういうものがあふれる、
文章だったんだよね。


言葉の中から
なかなか、私が見つけられない文章だったはず。


まったく何をやってたんだろうと思った。
誰かに何かを伝えたいから、
書いているというのにね。
一番伝えたいはずの自分の心を伝えにくくしてどうするの?
と思った。



自分が考えて、
一番その時の気持ちで使いたい言葉を選ばなくてどうする?

それは、決して上手な言い回しじゃなくてもいい。
それでいい。

だって、自分がもらってうれしい手紙も、
読んでいてもう一度読みたくなる本も、
誰かの日記も、
その人らしさであふれている、
心が伝わってくる
言葉を集めたものたちなんじゃない?


そういうわけで、
私の書く文章たちは、
私の分身で、
いつもおりこうじゃない。

通知票はとりあえずのルールは守るものの、
日記なんかは、
学校の先生のくせに、
「、」だって「。」だって
ルールに則ってはいない。
時々あーとかうーとか
擬態語が入りまくるし、
思考がちがちでへんな文もたくさん出てくる。


あぁ、でもそれでいいやと思う。
それが、自分の言葉だし、
それが、自分だから。




…とかいいつつも、
国語では、しっかり「、」とか「。」
や段落に小うるさい先生になるんだよねー
へへへ





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