人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2002年04月07日(日) 好きな人は神様に似ている

私は性に関する、だけでなく生命の危機と対峙したことがある。
中学生の頃、下校中に背後から二の腕を捕まれて雑木林に連れ込まれ、押し倒されるということがあった。暴れはしたが、声なんか出なかった。出せなかった。その経験は、何もことがなかったにせよ、私に深い痛手を追わせた。その後2年ほど、私は他人と肌を触れ合わすことが怖くて怖くて、夏でも長袖を着ていた。けれど、人に積極的に近づけなくても、誰かに特別な好意を持つことができていたことが、唯一の救いだったのかもしれない。

恐怖が薄れたのは、好きな相手と相思相愛になってからだ。高校時代に出会った彼のお蔭で、私は日常生活に不自由しなくなったといえる。半そでで外を歩くことも、誰かと肌が触れ合ってしまっても体が硬直するようなこともなくなった。彼とは結果的には最悪の形で別離をしたが、そういう意味では彼に感謝してやまない。

好きな人は神様に似ている。
特定の宗教を信仰していない私だが、もし誰かに「好きな人ってどんな存在?」と問われたら、その例えが一番相手に伝わりやすいのではないかと思われるので、あえて「神様」としておく。
好きな人がいるだけで心が強くなったり、悲しみが薄れたりもする。人生の支えになる。辛いとき、姿を思うだけで、名を呼ぶだけで。

好きな人に心かき乱されたり、腹を立たせられたり、悲しまされたりすることもある。けれど、トータルで見ると、幸せと生きる力をもらっている時間の方が長かったりもする。
だから、生涯、絶え間なく誰かに惚れていろとはいわないが、恋心を否定するようなことだけはして欲しくないというのは私のわがままなんだろうか。どんな恋であれ、人を好きになることはいいことだと思う。
だって、いやな過去を忘れさせてくれるのは時間だけでなく、好きな人の存在というのもあると思うから。

心を強くしてくれる、そんな存在。
やっぱり好きな人は、神様に似ている。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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