人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2002年03月29日(金) 「言葉の組み立て方」と「佐々木(仮)家の人々」

◎人間関係を波立たせない言葉の組み立て方
例えば、
「この野菜炒めはおいしいね。この魚の煮付けはいまいちだけど」と、
「この魚の煮付けはいまいちだけど、この野菜炒めはおいしいよ」だったら、
どちらが言われてよりムッとしないんだろ? 「いまいち」だのという言葉はどっちにしても要らない、というのは正論だけど、人間そうそう言わずにはいられない時って言うのがあると思う。だって、言葉を発するたびに、こう言ったらどういう反応を示すかなんてこと、考えてはいられないはずだから。
子どものテストだってそう。ついつい、我が子の結果が悪いと、言いがちな言い方。
「なんでこんなところで間違うの。こっちもこんなに間違えて」と、
「ああ、ここは間違えやすそうだね。でも、一回覚えれば大丈夫だよ。また、頑張ろうね」だったら、
自分が言われたいのはどっちなんだろ?どうしよう、私が子育てに関してそりゃいかんだろ、っていう方を選ばれたら・・・まあ、しかり方も誉め方も、個人の自由だからしょうがないけど。
いやいや、言葉って難しい。

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◎佐々木家の人々〜 親子の愛
ところで、うちの母は気が抜けていると失言女王で、外ではつつがなく過ごしているくせに、家庭内ではしょっちゅう爆弾を落とす。一昨日も一昨日で、家族団欒の場である夕食時に母自ら地雷を埋め、踏んでくれた。
ニュースを見ていたら関東より北の地域の桜の開花を放送していたので、「今年は本当早いよねえ」とみんなで頷きあっていた時の話だ。
佐々木家の近くには大学があり、その校門付近にはたくさんの桜が植えられている。佐々木家と最寄駅の中間にその学校はあり、電車で外出となるとその前を必ず通る。もう3月下旬にすでに満開で、「あれじゃあ、4月の入学式まではもたないね」と妹が言った。
そこで、母は何気なく言った。「サクラチル」

私、この3月中旬に大学を卒業し、4月1日からの職も一応決まっている。しかし、この「一応」が曲者で、2月下旬に受けた「国家試験」に受かってなきゃすべてがパアなのである。その国家試験とは保健師国家試験で、受かっていれば私は某市の保健師になる。地域住民の健康のサポートをするお仕事に従事する、はず。
そう、本当、受かっていればの話なのだけど。発表は今日、3月29日。
その前々日に、受験生には『禁句』とされている言葉を発する実の母。しかも、「お母さん、私も結果待ち受験生の一人なんだけど・・・」と受験生本人自らが告げたら、「あ!」と叫ぶ、痛い思いをして産んだはずのかわいい娘の状況さえも忘れている母。しかも私、自己採点では例年の状況と照らし合わせると、受かるか落ちるかの瀬戸際で、先週末当たりからかなり精神的に不安定になっていたのに。
「奎佐ちゃんごめんねえ、すっかり忘れてたわ」必死に謝られても、私の心に入ったヒビはすぐには修復不可能である。
この試験に落ちていたら、また職を探さなくてはならない。とはいっても、今ある資格ですぐに使えるのは看護婦だけ。私は夜勤がダメで看護婦になるのをやめたというのにだ。今年で25歳になるため、何が何でも就職しないと親に申し訳ない。というより、あんまり年が経ちすぎるとどこにも就職できなくなってしまう。
高校受験で落ちたときよりも、専攻科に落ちつづけたときよりも、ずっとずっと今回の試験はナーバス傾向だったのに、やっぱりあなたには気づいてもらえてなかったんだね、母よ。

私たち、家族でなかったらとっくに付き合ってないね。
けど、受かってたから、すべてを水に流すわ。
14時からネットで合格速報が出るということだったのに、アクセス殺到ですかね、繋がらないから日記かいてたんだけど、15時26分、やっと繋がった。私の受験番号、あったよ。
そういうわけで、私、4月より保健師になれるみたいです。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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