2003年03月25日(火) |
俺は 人殺しだ・・・伯父の戦争体験談 |
今日は中学、高校の終業式 見たくも無い通知表を持って帰ってきます
娘の方は 赤点さえなく進級さえしてくれればいい 息子の方は、絶対評価になってから初の5段階評価 *1,2学期は、ABC評価
はい 息子の通知表見させてもらいました まあ 妥当な評価だ思うけど ひとつだけ 担任マリオの数学の評価が納得できない
これは 絶対 絶対親子して嫌われてるなって確信したぞ
◇◆◇◆ ウチの両親も、太平洋戦争時にはまだ子供だった 空襲もあまり受けた事がないし 畑があったので 食糧難でもなく 戦争の悲惨な体験談は聞いた事が無い
唯一 身近な人の体験談を聞いたのは伯父からである
伯父は、個人タクシーの運転手をしており うちの駐車場に車を置いていたので 出勤前には良くお茶を飲んで話をしていった
戦争時、バスの運転手だった伯父にいつ赤紙が来たのかは良く知らない 軍人でない伯父は 2等兵として南方戦線に行った
一番下っぱの2等兵は、先輩のいじめやしごきで 味方の中にも たくさんの敵がいる状態 上官の言う事は たとえ間違っていても絶対服従だった
伯父は、戦車の運転を任されていた と言っても、前進する時は 後ろから上官が足で蹴って知らせる 「止まれ」は口で命令した
ある日、いつものように戦車に乗り 後ろから蹴られたので 迷うことなく前進したら 崖から落ちてしまったなんてこともあったそうだ
そんな伯父が、「俺は 人殺しだ」 ポツリと言った
どこかのジャングルを進行中 敵に遭遇 1対1で向き合ってしまった伯父と敵の若者
伯父は 何も考えられず ただ恐怖のままに 目をつぶったまま 銃剣を敵めがけて突き刺した
その後、自分が生き残る為に何人人を殺したかわからないと言った伯父 その顔は苦渋に満ちていた 戦後 何年たっても消えることのない苦しみ
今 テレビ映像の中で ゲームのようにミサイルのスイッチを押す兵士達 ミサイルが目標物に命中して歓喜している兵士達
彼らは1対1で戦った伯父のように 敵の人を殺していると言った感覚はないのだろう
昨日のアカデミー賞でも受賞者が口々に反戦をアピールした
一日も早い平和的解決を望みます
*2日間 ちょっと重いテーマで日記書きました 私のささやかな反戦です
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