2003年03月24日(月) |
戦争を知らない子供達 |
♪戦争が終わって僕らは生まれた〜♪
この歌のように私達世代は戦争を知らない子供達
しかし、ベトナム戦争の頃 まだ幼かった私の住んでいた町にはアメリカ軍の基地があった
基地との境界線には金網が張り巡らされ 基地への入り口には銃をもった兵隊が常に見張り そこは 日本の中の外国だった
年に一度 独立記念日の時に基地が解放され いつもは入れない基地の中に遊びに行く事ができた
そこは、初めて見る外国 車は右側を走り、英語が飛び交い 着色料たっぷり使った甘いケーキやハンバーガーが売っていた
余談だが、基地の楽しさについ惹かれて 友達二人が 金網の破れたところから基地内に侵入し パトカーに追いかけられ、空に向かって威嚇射撃までされた 小学生だったとはいえ、とってもきつ〜〜いお灸をすえられたのは言うまでも無い
ベトナム戦争の頃、今でもある横田基地には 毎日 ベトナムへ行ったり帰ってきたりする飛行機が 頻繁に飛来していた
行く時には爆弾を積み 戻ってくる時には 戦争で傷ついた兵士が乗せられてきていた
横田基地からわが町の基地まで 怪我人が救急車で運ばれてくる 日本の救急車と違うサイレンの音が 毎日のように鳴り響いていた
ある時、目の前をそんな救急車が通り過ぎていった 窓のカーテンが少し開けられていた 小学生の戦争など知らなかった私の目に入ってきたのは ぐるぐるに包帯を巻かれて その包帯から血がにじんでいた兵士の姿
世界のどこかで戦争が始まる度に 私は あの日の光景が思い出されてしまう
戦いや憎しみからは 何も生まれてこない
私や 私の家族にはずっと戦争を知らない子供達でいて欲しい
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