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2015年07月08日(水) なでしこW杯準優勝――女子にできて男子にできない、その理由は?

サッカー女子日本代表(なでしこジャパン)が決勝でアメリカに敗れ、カナダ大会準優勝に終わった。立派な成績である。恥じることはない。男子のW杯をみても、二連覇した国はイタリア(1934〜1938)及びブラジル(1958〜1962)の2か国のみであり、いずれも実力が伯仲するようになった近年のことではない。連覇はそれだけ、困難な事業ということだ。優勝、準優勝を成し遂げた国は、男子ではアルゼンチン(1986優勝、1990準優勝)のみ。王国ブラジル、ドイツ、スペインもなし得ていない。なでしこの偉業は世界のサッカー史に永遠に刻まれることになろう。

なでしこの実力はいうまでもないが、筆者がこのチームに好感を覚えるのは、マスメディアの取材に対する彼女たちの受け答えにある。筆者は直接彼女たち会ったことはないが、人格的に優れたアスリートの集合体だと感じる。まず奢るところがない。率直でありながら、論理的だ。“素晴らしい”の一語に尽きる。

なでしこに比べていまいましいのが、いまからおよそ一年前、W杯ブラジル大会で惨敗したザックジャパン(=男子日本代表)の選手たちのことだ。ブラジル大会前、主力選手の一人、本田圭佑は「自分たちは優勝する」と息巻いていたことを覚えている人は少ないかもしれない。結果はグループリーグ、0勝2敗1引分けの敗退だった。優勝どころか、グループリーグを抜けることすらできなかったのだ。

本田の発言だけではない。彼らは「自分たちのサッカーをすれば勝てる」という、およそ論理的に成立しない言説をことあるごとにメディアに発信し続けていた。彼らは、日本代表の、しかも海外組という日本でしか通用しないブランド力にものをいわせ、CM出演等で稼ぎまくっていた。日本サッカー協会(JFA)、大手広告代理店、スポンサー、マスメディアがつくりあげた「代表人気」に悪乗りし、自分を見失っていた。そして、代表選手にはその悪癖がいまだ抜けきれていない。嘆かわしいことだ。

もう一つ、なでしこに救われるのは、彼女たちの活躍が日本サッカーに係る、都市伝説めいた通説をも否定してくれるところにある。日本サッカーに係る伝説とは、“日本に決定力がないのは、日本人が農耕民族で遊牧民族ではないから”というもの。“肉食でなく草食だから”と言い換えられることもある。つまり、日本人はサッカーに本来的(あるいは民族的)に不向きだと。

確かに男子サッカー日本代表においては、長年、得点力不足、攻撃力不足が目に余る。毎試合、ボールキープ率は高いが、得点が取れない。しかも、大事な試合においてこの傾向は顕著だ。さてその要因は何だろうと考えても、だれも解答を示し得ない。そうなると、民族性に還元してしまえ、ということになる。もうしょうがないのだ、日本人は海外、とりわけ欧州人、南米人のような肉食、遊牧民のような攻撃性を本来持ちえていないのだから、サッカーで点が取れないのは仕方がないのだ、という解答で安心してしまう。

サッカー日本男子代表の得点力不足は、民族性ゆえではない。なでしこの世界的活躍が、そのことを証明している。日本人の男子と女子が同じ民族なのは否定しようがない。女子にできて男子にできない理由は何か。

日本男子サッカー代表選手は、メディア、サポーター等、つまり日本社会に甘やかされ、得点が取れなくても経済的にやっていけるから、攻撃力を身に着けられないだけなのだ。

なでしこたちの経済環境は厳しいという。そういえば、彼女たちがCMに出演するシーンをあまりみかけない。著作物が売れたという話も聞かない。実績では男子をはるかに上回りながら、社会的すなわち経済的には恵まれていない。そのような厳しさが彼女たちの人間性を高め、奢らない真摯な態度となって表れてくるのだ、と筆者は想像している。

男子代表は、なでしこのたたずまいを大いに見倣うべきであろう。メディア、スポンサー、サポーター(日本社会)は、実績が伴わない男子代表選手に対し、甘やかすことなく、厳しい目を向けてほしい。


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