トヨタプレゼンツ、クラブ・ワールド・カップ(CWC)は、マンチェスター・ユナイテッド(MU)がリガ・デ・キト(キト)を1−0でくだして優勝した。日本のG大阪は、パチューカを1−0でくだし3位に入った。
大陸別順位は、欧州、南米、アジア(=開催国)、北中米、アジア(=ACL準優勝国)、アフリカ、オセアニアとなったわけだが、本イベントで明らかになったのが、欧州と他地域との実力さの拡大化。そもそも、決勝戦前から、MUの優位はだれが見ても明らかなものだった。キトが勝つ確率は、MUにミスもしくはアクシデントが発生した場合だと考えられた。
決勝戦の展開を大筋で追ってみよう。前半、キトが守りに徹し、MUが決定機を外すというシーンが続出した。キトの流れ、MUとしてみれば、「いやな感じ」だ。
そして後半、MUに退場者が出た。焦りからの無意味な暴力行為だ。ここまでは、先に当コラムで筆者が論評したとおり、MUがG大阪戦でやってしまった(5−3)、粗っぽい戦いの反作用で説明できる。明らかに乱戦の後遺症だ。筆者は、MUに危ない風が吹いてきた、世紀の番狂わせが起こるかもしれない、と期待した。
キトがMUに勝つ可能性としては、0−0によるPK戦のみと言って言いすぎでない。リベルタドーレス決勝の第2レグ、キトは、フルミネンセのホームの試合をPK戦に持ち込み制した。キトはあの試合の再来をイメージしていたに違いない。
ところが、キトそして筆者の願いを打ち砕いたのがC・ロナウド、ルーニーの卓越した個人技だった。ひとり少なくなったMUだが、攻撃の手を緩めず、ロナウドからルーニーに絶妙のパスが渡る。そして、ルーニーがきっちり決めた。
粘ってきたキトの守備だったけれど、力及ばず。ひとり少なくなったMUだが、その影響はまったくといっていいほど見られなかった。もしかすると、11人対11人であっても、同じような結果で終わったかもしれない。実力差が点差に反映されるとは限らない。1−0であっても、 MUの辛勝とは言い難いし、キトが善戦したとも言えない。
筆者はCWCというイベントをまったく、評価していない。開催時期、開催場所、大陸代表、開催国出場、組合せ…と、その矛盾点を数え上げればきりがないし、前回の当コラムでそのことは言い尽くしたので、ここでは繰り返さない。
反対に、開催国であり、サッカー後進国である日本にとって、プラスとなった点を挙げておこう。
一つは、このイベントを通じて、日本人が世界のサッカーの今日的傾向を知リ得るという点だ。日本のスポーツマスコミは、これまで、南米サッカーといえば個人技、ラテンのリズムという、現実離れした形容詞で表現してきた。現実の南米サッカーは、もちろん、そんなものではない。
CWCにおいては、05年、リバプールを1−0でくだしたサンパウロ(ブラジル)しかり、06年、バルセロナを1−0でくだしたインテルナショナル(ブラジル)しかり、トヨタカップの時代にまで遡れば、0−0のPK戦の末、FCポルトに惜敗したオンセカルダス(コロンビア)しかりである。人材を欧州に放出した南米勢が欧州王者に勝つ条件とは、少なくとも90分間、相手に先制点をあげさせないことだ。南米サッカーはそれができる。
本イベントでは、テレビ解説者諸氏が、「南米といえば堅い守備ですね」と、わけしり顔で断言するようになった。昨日まで、南米といえばサンバ…と言ってきた彼らも、世界の現実を語るまでに成長したのだ。
日本のスポーツマスコミは、本イベントに出場する南米クラブ王者を見ることにより、世界のサッカートレンドを正確に表現できるようになった。トヨタカップ開催から数えて、どのくらいの年月を要したのかをしらない。とにかく、日本のスポーツマスコミが世界のサッカー潮流を正しく理解できようになったのは、本イベントの成果だと言える。
二つ目は、世界のクラブ運営のノウハウを知り得るという点だ。キトは南米の貧しい国の1つ、エクアドルのクラブだ。当該クラブの収支、運営状況等の詳細を筆者は知らないものの、欧州や日本のクラブより運営予算が小さく、かなりの困難な環境において、クラブ運営を行っているものと推定する。にもかかわらず、南米王者に輝き、本イベントにて、北中米王者を破り、金満の欧州王者を慌てさせるような試合ができる。
キトの選手構成としては、エクアドル代表を数人含むものの、南米の超一流選手とは言えない者が主力となっている。キトは自前の選手を育成しつつ、足りない部分は潜在能力を秘めた外国人選手を招聘し、組織力、すなわち、訓練と戦術の練磨により、南米王者に上り詰めることができることを証明している。
厳しい経済下、日本のプロサッカークラブの経営も難しくなっている。強化費用はのきなみ削減されるであろうから、代表クラスの外国人選手との契約も難しくなる。それでも、キトに比べれば、まだまだ恵まれているに違いない。選手及び指導者に係るスカウティング、リクルーティング、そして、自前の選手の強化・育成、組織力の醸成、戦略・戦術の研鑽…と、弱小といわれるクラブだからこそ、やることはいくらでもあるはずだ。キトは、日本のクラブ関係者に対し、もっともっと勉強し、努力を続けることを教えている。キトの存在は、金がないから弱い、という言い訳を封じている。
何度も繰り返すが、CWCというイベントは、筆者にとって、あまり好ましい存在ではない。けれど、学べる機会を与えてくれる存在であることも確か。日本開催でなくなれば、世界のクラブチームの趨勢も分からずじまいになるかもしれない。それはそれで寂しいしことだし、日本サッカーの発展を遅らせるかもしれない。日本サッカー界(スポーツマスコミ等を含む)がスター軍団・マンチェスターユナイテッドばかりに目を奪われているうちは、素人の域を脱せない。リガ・デ・キトの凄さ、偉大さに着目し、彼らから多くを学ぶことができれば、本イベントがまったく無駄だったとは言えなくなる。
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