Sports Enthusiast_1

2006年02月10日(金) 冬季五輪は、趣味にあらず

トリノ冬季五輪が開催だ。日本のマスコミはだいぶ盛り上がっている。大会の「華」は、フィギュア・スケートか。「世界」の関心も高いようだ、と言いたいところだが、ここでいう「世界」とは、その一部にすぎないと筆者は理解する。そもそも、冬に雪が降り、氷がはる地域は地球上のどれくらいの面積を占めるのか。地球人全員が参加しない五輪に筆者は興味を示せない。
冬季、ウインタースポーツが可能な地域は、世界の「北」の一部だ。冬季五輪参加の構図は、世界が抱える南北問題の縮図、象徴ではないか。北は南に比べ豊かで、ウインタースポーツ市場規模は北において、それなりに形成されている。
筆者は南北格差問題の解決に取り組む活動家ではないが、格差を是としたくない。「北」の五輪があるのなら、「南」の五輪があっていい。「南」の五輪種目といえば、ラクダのレース、象のレース、椰子の木上り・・・などが思い浮かぶが、北の住民の関心をひくことはあるまい。いわんや、スポーツ関連企業がその開催に協力することもない。
派手なロゴ入りのウエアを身に包んだ冬季のアスリートの姿を美しいと感じるか、南北格差と見るかは、個人の世界観の違いに属するが、筆者は後者に属する。
さて、筆者がフィギュアスケートについて、“スポーツ”としてよりも、身体論的見地から、好んでいないことは以前に当コラムに書いた。フィギュアスケートの美は、「北」の美的価値観に起因する。北が南に優越する表象ではないか。
筆者は、「美」を競う競技=種目を五輪から追放してほしいと思っている。その思いには、冬季も夏季も関係がない。換言すれば、「美」を競う客観性に筆者は、疑問をもっている。“スポーツは強く美しい”というスローガンは、公理のように聞こえるが、実はそれが矯正、監獄、隔離、差別の観念を大衆に強いている。スポーツが幻想の権力装置となって、人間が人間を選別する意識を醸成しているように思う。そんなわけで、筆者は、冬季五輪を見たくない。早く終わらないものか。


 < 過去  INDEX  未来 >


tram