| 2004年09月17日(金) |
スト決行、プロ野球の落日 |
プロ野球、史上初のスト決行――テレビ画面の上に短いテロップが流れた。プロ野球凋落の歴史がこの瞬間から始まったのだ。 私は日本のプロ野球を「プロレス野球」だと書いてきた。そのプロレスについて私の知る限りの歴史を書いておこう。もちろん字数の関係で、その全てを書くことは到底できないが。 日本が敗戦から立ち直りつつあった1950年代中葉、力道山を中心としたプロレスが日本中の人気をさらった。力道山がシャープ兄弟らの大型外国人レスラーを蹴散らして、毎日毎日「勝利」を上げ続けた。そのときの日本人は、プロレスをショーとは思わなかった。力道山が体力に勝るアメリカ人を空手チョップでKOしたと思ったのだ。プロレスが人々の敗戦体験を癒したのだ。 1960〜1970年代、覆面レスラーのミスター・アトミック、鉄人ルー・テーズ、噛みつき魔フレッド・ブラッシー、力道山亡き後、四の字固めのデストロイヤー、大巨人アンドレザジャイアントらが日本を「襲い」、日本人レスラーに「撃退」されてきた。 人は真実に突き動かされるのではない。信じたいものを信じるだけなのだ。それがたとえ嘘であろうと。だから、日本人はプロレスの「真実」を無視して、嘘でもいいから、そうありたいと思う幻想を信じたのだ。プロレスは、大衆の見たいものならば嘘でもいい、という無意識に支持されたのだ。 しかし、80年代以降、団体の乱立やスターレスラーの高齢化、力道山の後継者・G馬場の他界などに従い、このショーは次第に色あせ、人気を失って今日に至っている。その間、半世紀、エンターテインメントとしての寿命としては適当だろう。半世紀という時間は、人々がプロレスによる癒しを必要としなくなった時による癒しに等しい。 プロ野球の歴史は、それよりはいくぶんか長い。今年読売巨人軍が創設70年だそうだから、「プロレス野球」もその期間にほぼ等しく、70年以上の寿命を保ったことになる。そして、ついにストにより、人々は「巨人」の呪縛から解き放たれる。「プロレス野球」の終わりだ。人々は、「巨人」の勝利という癒しを必要としなくなったことを知る。 ストの効果を挙げてみよう。まず、「巨人」がストに参加することにより、「巨人」というチームがプロ野球の1球団にすぎないことが周知される。第二に、ストでプロ野球を見ないことにより、それを見なくてすむことが実感される。野球が好きな人はメジャー中継にチャンネルを合わせることもあり得るし、サッカーを見て、その面白さに覚醒することもあり得る。また、カラオケに行って、週末はカラオケと決める人がいるかもしれない。一般勤労者の野球ファンなら、テレビ中継で野球を最後まで見るのは、おそらく週末だけだろう。ウイークデイにナイター中継が見られるサラリーマンは少ないのだ。 第三に、空騒ぎのファンも、プロ野球選手会への支持をやめる。彼らのスト支持は、マスコミの加熱報道がもたらした一時的興味にすぎないからだ。ストという冷却期間をおけば、彼らの熱も冷める。いま騒いでいるファンは、野球よりも、ストの方が見たいだけなのだ。そして、ストが何事でもないことを知る。ストは何ももたらさないという意味で、ファンはストはもちろんのこと、プロ野球の存在すら、忘れるだろう。 そんなこんなで、ストはプロ野球の熱冷ましとしての効果となり、人々の記憶の中からプロ野球を消去していく。プロ野球を渇望する人の声が上がることもあるだろうし、再開後、プロ野球が拍手で迎えられることもあり得る。そんなことは百も承知で言えば、それでも、プロ野球の熱は冷めるとだけ言っておこう。 繰り返せば、人々は見たいものならば、嘘でも代替物でもなんでもよい。だが、プロ野球界は、欲ぼけしたオーナーと既得権確保の選手会による、駆け引きの場にすぎないことがわかったのだ。そこで「百年の恋」から覚めるのだ。かつてプロレスの夢から醒めた日本人と同じことだ。 プロ野球?そんなものに夢を仮託した己に嫌悪しつつ。プロ野球は終わったのだ。
|