現在のJリーグチーム中、注目すべき監督を挙げるとしたら、オシム(市原)とベルデニック(名古屋)だろう。オシム(62歳)はボスニアヘルツェゴビナ、ベルデニック(52歳)はスロベニアと、サッカー大国だった旧ユーゴスラビア出身だ。キャリアはオシムの方が上で、ベルデニックはオシムに教わったことがあるといわれている。ベルデニックは知将と呼ばれ、戦術家としての評価が高い。 一方のオシムは猛練習で知られ肉体派のように思われ勝ちだが、彼の残したコメントをインターネットで読むと、オシムがとても知性に富んだ人であることがわかる(ような気がする)。オシムはサッカー大国出身者だけあって、日本のサッカーに対して冷淡である。日本サッカーの基盤が脆弱であり、選手たちが発展途上にあることを心得ている。だから、勝つためには、猛練習とチーム戦術の徹底が必要だという、きわめて基本的なところを出発点にチームづくりを行っている。日本人選手の数人が欧州へ行ったくらいで、ホームのW杯でベスト16に入ったくらいで、調子に乗るなということを日本サッカー界に警告し続けているのである。 オシムが市原の選手に発したコメントにこんなのがあった。「サッカーは一人ではできない、君たちの人生がそうであるように・・・」。サッカーの監督にはこうした見識が必要だと思う。少なくとも、私はこうした洒落たコメントを残す監督の方が好きだ。いま現在、日本代表は「個人か規律か」という不毛な二項対立に陥ってしまった。その原因は、勉強不足の日本のスポーツマスコミが、代表監督のジーコの諫言に惑わされた結果である。そのことは何度も書いた。 前監督のトルシエは、その存在が日本人の共同幻想に反するものだった。彼は異物だった。あのちょんまげの通訳とのセットは、日本人の調和の精神をかき混ぜ、日本人の気持ちにいらだちを起こさせた。それはあまりにも、日本人のやり方に反したのだ。だから、W杯ベスト16を評価しない動きの方が多数を占めた。 ジーコはトルシエに比べればはるかに大人であり、日本人の調和の精神にマッチした存在のようにみえる。そのコメントは、日本人の心を逆なでしたトルシエの存在を癒す効果があった。けれども、サッカーに勝つためのものではない。「サッカーは一人ではできない」、この当たり前のところからの再出発、自分たちがうまくなるためには猛練習が必要だ、という基本からの再出発。日本のサッカー選手が、代表を含めて、自分たちはまだまだなんだ、という自覚をもたなければ、こんどのW杯のアジア予選を突破できない。 日本代表には、オシムのように冷淡だが勝つための指導を惜しまない監督を必要としている。世界には、こうした有名ではないが優秀な指導者がいるのである。ジーコだ、ベンゲルだ、というブランド志向を捨てなければ、日本サッカー(日本代表)は堕落する。いや、協会幹部から、すでに、堕落が始まっているのではないか。
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