| 2003年03月18日(火) |
J1を予想する(続) |
きのうの夜、サッカー解説者のN氏が引き分け導入による順位の変化について話していた。朝、新聞を見ると、同じ内容の記事が出ていた。それらによると、引き分け制度が昨シーズンあったとしても、順位の変動はそれほど大きくはないのだが、上位と下位の差が縮まることは確かなことのようだ。この変化が延長V制度と比べた場合の、顕著な違いだ。 今シーズンは、昨シーズンに比べて、順位の差が縮まるのならば、終盤、息詰まるほど白熱した試合が期待できる。ようやく、日本サッカーは、そのローカル性の1つから脱却できるわけだ。 リーグ戦の終盤が白熱するのであれば、1シーズン制の方が良い。リーグが長期的であればあるほど、引き分けの意味が深まるからだ。サッカーの順位に与える一試合の意味が重くなる。アウエーでは引き気味で引き分け狙い、ホームでは積極的なプレッシングサッカーを展開する、というチームが増えるだろう。強豪チームといえども、そう簡単に点が取れなくなる。攻撃の戦術はより高度化し、「延長V」などという「無意味な勝利」がなくなるのだ。喜ばしいかぎり。 もしかしたら、引き分けにより優勝を逃すチームが出るかもしれない。「ドーハの悲劇」がJリーグで繰り返されるかもしれない。ファンに欲求不満が充満することだろう。 そう、これについては何度も書いたことだけれども、欲求不満状態こそがサッカー観戦の本質なのだ。サッカーは人間の手という文明の原点を封印することにより、人間を原始に還元した。自然といってもいい。人間が高度な意識を持ちながら自然に還元されたとき、焦燥と不安を覚える。そして、そこからの解放が歓喜に直結する。サッカーは欲求不満とその解消に支えられたスポーツだ。人はだから、サッカーに熱中する。欲求不満が長びけば長びくほど、歓喜は大きい。 蛇足ながら、「延長Vをなくした場合のファンの反応が心配」だというA新聞の論評には閉口する。A新聞は、スポーツマスコミではないけれど、日本サッカーを本気で応援するのならば、Vゴール制度廃止というローカルルールの廃止を断固、支持する論調をはるべきだ。サッカーは世界共通のスポーツだから、おもしろい。世界統一ルールで戦ってこそ、サッカーのワールドカップだろう。
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