Sports Enthusiast_1

2002年05月24日(金) キャンプ地狂想曲

いささかうんざりである。テレビのサッカーW杯のキャンプ地報道である。度が過ぎるとはこのことだ。
W杯開催をムラオコシ、マチオコシに利用するという発想がわからない。確かに21世紀最初にして最後、これ以上に世界の一流サッカー選手が日本に集まる機会は(私が生きているあいだ)ない。子供達に選手達と交流する機会がもてたら・・・と思うのは人情である。キャンプ地として報道されれば、村や町の知名度アップに貢献することも否定できない。だが、そのために法外なカネを垂れ流すのであれば、行政の暴走である。
「騒動」の発端は自治体の色気だ。だから、トラブルがあっても同情しにくい。まずもって、秩序あるキャンプ地誘致が望まれる。自由競争の誘致が行われれば、「代理人」や「コンサルタント」に「活躍」の場を与えることは必至。きれごとではすまなくなる。カネ次第の世界が生まれるのである。買い手が誘致で金儲けをするのだなと悟れば、原価は高騰する。自分達の商品価値を前面に出してきて不思議はない。売り手に主導権がわたれば、買い手は弱いのだ。
私はプロの最高の勝負が見たいだけ。だから、どこでキャンプをはろうが、地域とどのような交流があろうが、興味はない。キャンプという舞台裏など、どうでもいいのである。せいぜい、いい調整をして勝負に臨んで欲しいと思うだけだ。
蛇足ながら、W杯はオリンピックではない。プロの集団が「選手市場」に売り込みをかけるために開催するものだ。自国の栄誉、プライドといった面もあるだろうが、サッカーはナショナリズムの枠を越えていると、私は考えている(そう考えたい)。たまたま、彼らは国旗をつけて戦っているが、いまのところ、「国」以外の単位で求心力が働くものがないからだ。国を代表しているようでいて、正式には代表していないのだが、心情的には最大の国民的関心事である―という、非常に複雑な性格をもっている。ナショナリズムいついて論じていると、きりがないので止めておこう。


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