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2002年05月05日(日) 巨人の自己否定

巨人が快走している。その理由の1つが清原の欠場にあることは前に書いた。今度は江藤が欠場。普通のチームなら主砲2人が欠場となれば危機なのだが、そこは巨人、むしろプラスに働いている。感覚的に言えば、重量打線が中量打線になり、詰まった下水がなおったような感じだ。
さて、巨人というチーム、外野3人に左の強打者がそろっていて、内野に右の強打者が欲しくなる。そこで、清原と江藤を補強した。きわめて理にかなった補強のように見える。ところが、その2人が消え、代わりに入った内野手―右打者では二岡、元木、川相ら、左では後藤、斉藤ら―が活躍しチームが勢いづいた。変化としては、盗塁をはじめとるする積極的な走塁が目立っている。清原、江藤の代わりに出てきた面々は一見非力そうだが、かえって、巨人を野球チームらしくしたのだ。
野球の基本要素は「投げる」「打つ」「捕る」「走る」。この4要素のバランスがとれて、チーム力が出てくる。攻撃では「走」を軽視してはいけない。「走」がチームにリズムをもたらし、より攻撃的な姿勢を見方にも相手にも与える効果があるからだ。重量打線に欠けているのが実は、チームの攻撃性なのだ。重量打線は威圧感、恐怖感を相手に与え、敵の投手に疲労感を与えるとまでいわれてきた。そういう面も否定できないだろうが、攻撃が個人に還元され、チームに攻撃力が装備されないという欠陥を持っている。そればかりではない。重量打線は実績をもった選手の集合体なので、選手交代がしにくい。結果、足のスペシャリスト、守りのスペシャリストなどが使いづらかった。
昔から言われてきたように、≪野手は肩が強くて足の早い選手をとれ≫が補強の鉄則だ。大リーグを見ても、野手8人をソーサやボンズのような強打者で構成することはない。大リーグではそんな一極集中は不可能であり、かりに出来たとしても、勝てないからそんなことはしない。機能性、確率などを考慮し、それに従って選手を集め、打線を組む。それが勝利への近道なのだ。それができているところが強いチームなのだ。大リーグのほうが日本野球より、経験も能力も上だ。大リーグから学ぶべきところがまだまだ多いのが日本野球なのだ。それは選手の能力の比較ではなく、マネジメント、戦略、戦術、チームコンセプト・・・、総合的な言い方をすれば、チームづくりの差なのだ。
豊富な資金で大砲ばかりを集めた巨人のチームコンセプトは、誤りだ。私はそういう「読売的なチームづくり」を一貫して批判してきた。最近の巨人の勝ち方が「読売的なもの」が誤りであることを証明している。巨人自らが「読売的なもの」を否定しているのだ。皮肉というよりも、痛快というほかない。


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