昨晩、Jリーグの横浜FマリノスとFC東京の一戦をTV観戦した。ホームの横浜がゲームを支配し1点をリードして、後半ロスタイムに。横浜の勝ちで終わるかと思われたところが、一瞬、東京がコーナーキックから同点ゴールを奪う。いまなお語り継がれる「ドーハの悲劇」と同じパターンである。 JリーグではVゴール制度が採用されているため、見たくもない30分の延長戦を見る羽目になってしまった(結果は引き分け)。東京がロスタイムで同点に追いついたところで、この試合は終わっているのである。 さて、あのドーハにおいて、決勝Vゴール制度が採用されていたら・・・。日本、イラク、その勝ち負けは別として、負けでなく引き分けで出場を拒まれた悔しさ、無念さ、サッカーがもつ不条理性(の魅力)をこうまで、国民的規模で焼き付けたであろうか。ロスタイムでの引き分けで日本がワールドカップへの出場を拒まれたことこそ、サッカー(リーグ戦)の1つの本質を体現していたのである。 Jリーグは、リーグ戦で決勝Vゴール制度を採用している。勝ち負けをはっきりさせようというのが主旨なのだろうが、勝ち点制のリーグ戦では意味がない。引き分け狙いで試合がつまらなくなるという意見もあるらしいが、逆である。引き分け狙いのゲームプランは戦術として高度であり、相手もそれを打ち破る高度な戦術が要求される。引き分け制度を採用すれば、リーグ戦の試合に、いま以上に複雑かつ洗練された展開が期待できるのであり、日本のサッカーのレベルアップにつながるのである。 引き分けはサポーターのカタルシスを高めるであろうが、それだけ、勝った時の喜びも増すのである。引き分けの微妙さを味わえない日本のサッカーファンは、世界に比べ、不幸であるばかりか、サッカーの本質からも遠ざけられているのである。川淵氏ほどの人間がそのことをわかっていないはずがないのだが・・・
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