職業婦人通信
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2004年10月28日(木) たったひとつのたからもの その1

一昨日テレビでやってた「たったひとつのたからもの」というドラマを観た。
ダウン症児とその両親をめぐる6年間の記録である。

たまたま実家に帰っていた私は家族とともに見ていたのだが、もう全員涙だくだく。
「家族でテレビを見るときには涙はみせない」という妙な不文律のある我が家は
涙を隠すため、それぞれが酒をあおったりトイレに行ったり新聞を広げたりと
妙な空気が流れまくった。

ドラマが感動的だったのもあるけれど、
うちの家族はみな、ヨッちゃんのことを思い出していたのだと思う。

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ヨッちゃんというのは、私が幼い頃によく遊んだ、同い年の女の子である。

彼女は、父の親友“田中のおじちゃん”(と私は呼んでいた)の娘さんで
ダウン症であった。

私が小学校に入るころまで、毎週のように“田中のおじちゃん”は
ヨッちゃんをつれて我が家に遊びにやってきていたから、
私はヨッちゃんと遊びながら育ったといえる。
本当に血の繋がった従姉妹かなんかと勘違いしたことがあるくらいに
彼女は私の近しい人だったのだ。

ただ、幼心にも
「ヨッちゃんはちょっと私とは違う」
「ヨッちゃんは他のお友達とも何かが違う」
と思っていたが

うちの両親にそれを問うと、両親は
「千代子と他のお友達も、みんな違うでしょ。
 人はみんなそれぞれ違うもんなの」
というようなことを言った。

また、ヨッちゃんはよく我が家に遊びにきたが、
その時にヨッちゃんのお母さんである“田中のおばちゃん”が来ることは
絶対になかった。
しかし、そのことを尋ねてはいけない空気が我が家にはあった。

こうして、時には疑問を感じたり、不思議に思ったりすることはあったが
私とヨッちゃんは仲良く遊びながら育った。

やがて、周囲の話から
「どうもヨッちゃんは病気らしい」ということがわかってきたが
それがどんな病気なのかは、わかるようでわからなかった。

ヨッちゃんはいつ会っても明るくて元気そうだった。
テンション高くなると急に大声出したり踊り出したりして
びっくりした私と喧嘩になるくらい元気だったもんだから
ますます何の病気かわからなくなった。

そんなある休日のこと。

私は小学校1年生で、近所の小学生数人と遊んでいた。

そこへ、田中のおじちゃんの車がやってきた。
後部座席からはヨッちゃんが身を乗り出して
何かを叫びながらこっちにぶんぶん手を振っている。

いつものように
「ヨッちゃぁん」と手を振り返そうと千代子が立ちあがったそのとき

一緒に遊んでいた5年生の子供がひとり
「なにあの子ぉ〜、気持ちわるぅい」
と言い出し、他の子供も
「顔がお化けみたい」などと口々に同調した。

千代子はそのとき、
ヨッちゃんと友達であるという事実を恥ずかしく思ってしまい、
彼女に手を振れなかった。
知らない人のフリをして、そのまま近所の友達と遊びつづけた。

しばらくして家に帰ると
ヨッちゃんが待っていて一緒に遊んだけれど、
それは、「ヨッちゃんと仲良くしないと両親に叱られる」という
極めてこすっからい計算が働いたからそう振舞っただけで
心の中では「ヨッちゃんて気持ち悪いんだ・・・」とか
「お化けみたいなんだ・・・」とか考えていたような気がする。

それから、田中のおじちゃんはあまり家に遊びにこなくなった。
自然にヨッちゃんとも会わなくなり、
子供特有の残酷さゆえか、それとも私自身のご都合主義な性格ゆえか、
私は次第にヨッちゃんのことを忘れていったのであった・・・

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田中のおじちゃんは、手を振り返さなかった瞬間に
私がヨッちゃんのことを恥ずかしく思ってしまったことを
すぐに察したのだと思う。

今でも鮮明に思い出すことができるそのシーンを思い出すたびに
私はいつも、そのへんの壁にガンガン頭を打ち付けたくなるような
衝動にかられる。

しかし、あの時の態度をいくら恥じても悔いても、今となってはもう
彼女と田中のおじちゃんにそれを償うことなどできはしないのだ…。

(続く)


千代子 |MAIL
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