妄言読書日記
ブログ版
※ネタバレしています
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| 2003年10月20日(月) |
『姑獲鳥の夏』(小) |
【京極夏彦 講談社】
再読です。 ハードカバー版を買う気は無かったのですが、応募者全員サービスで豆本が当たると言うので買いました。 中身は加筆修正された文庫版と同じようなので、まあいいかと思いまして。 私が読んだのはノベルス版です。 豆本はまだ届いてませんが届いた人はいるのかしら?
京極夏彦の職人仕事、ということで中身は読みやすいフォントです。 外側は黒。そして黄色いタイトル。 そして背の反対側、ページの部分に子どもを抱いた姑獲鳥が印刷されてなんともおどろおどろしいです。 古くなったら見えなくなるような気がして心配です。
初めて一段組みの京極堂を読みましたが、二段よりも読みやすいかも。
どこがどう加筆されたのかはさっぱりわかりません。なにしろ大分前に読んだので。 むしろ減っている・・・ような気がするのですが気のせいですか。
このシリーズの原点はやっぱりこれなんだなぁと思います。 脳の話は今後のシリーズでも基盤となっている、のではないでしょうか。 名前を付ける、という行為の重要性。 京極堂の憑き物落としはそこに名前を付けるところから始まるんだな、と改めて実感。
最初の頃の京極堂は結構口が悪い。 そういや恐山出身だったということを思い出し、妙に可笑しかった。 「僕は高いよ」のセリフに、あんたは高級娼婦か、と思ったり。思った後に、うへぇっとなりました。さすがに気持ち悪い想像だ。 鳥口君はまだ出てなかったっけ。そうか。 榎さんは案外おとなしい。もっと暴れたような記憶が。記憶は曖昧だねぇ。
全部分った上でもう一度読むと、いろいろな伏線が見えて面白いです。
この後もハードカバーになって、豆本がついたらどうしよう、というのが目下の不安です。もうやめて。 それにこの厚さがハードカバーの限界っぽいですぞ。
関係ないですがこのシリーズを漫画化するなら今市子さんの絵で見たい。 セリフが長いので小説以外の媒体では無理、でしょうが。
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