妄言読書日記
ブログ版
※ネタバレしています
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2002年04月27日(土) |
『夏と花火と私の死体』(小) |
今日はお花見。 の予定が、なぜか飲み会に摩り替わっておりました。 これから、出かけます。みなと会う前に一人で花をぶらぶら眺めてこようか。 飲み会も久しぶりだからよしよし。
【乙一 集英社文庫】
「かくして、わたしはすっかり乙一氏の単なるファンになっていた。」 小野主上が帯で述べられていたので、ならば読むかと。 元々、乙一氏は気になってましたし、このタイトル好きですし。
作者のデビュー作だそうで。 当時16歳であったことがまた驚きだったらしい。 小野主上が解説で「とはいえ、実を言えばわたしは、作者の年齢には、さほどの重きを置いてはいない」と述べられている通り、私もふーんそうか、くらいにしか思いませんが。 作者の個人情報にはとんと興味がなく。作品が全て。 そりゃあ、あんまり若ければ驚きますけど。
「夏と花火と私の死体」
生理的に嫌な感じ。 嫌悪感じゃないんですが、なーんか嫌。 なにが嫌かというと、健ちゃんが怖いー。こんな小6は嫌よー。 なんで、そんなに冷静かつ大胆に事を進めて行くのかしら。怖いわ。
この作品のもひとつ、すわりの悪い理由は、「私」の視点で進むことですよね。 「私」はお友だちの弥生ちゃんに木から突き落とされて死んでしまうんですが、死んだ後も前も変わらず淡々と一人称が続くんですよ。
「最後に踏み台にしていた大きな石の上に背中から落ちて、わたしは死んだ」
って、あなた死んだのよ?そんな冷静に語っているばわいではないでしょう。 ずーっと、この視点。死体の視点のようでいて、あちらこちらに視点が移るから死体ではなく、かといって恨みがましい亡霊の視点では決してない。 あくまで淡々と。 それが他に例を見ない感じですよね。 この小説、健ちゃんや弥生ちゃん、または緑さんの一人称だったらさほどのものでもない話でしょう。 また、普通に死んでしまったわたしの一人称でもたいしたことはなかったでしょう。 この話で、わたしはあくまで見ているだけ。 復讐も怨念も一切なし。そこが面白いね。
「優子」
はー。そうだったんですかー。 としか言い様もないんですが。 「夏と花火〜」に比べて印象は薄いです。 優子さんはお人形で、燃やしてしまってめでたし、で終わらなくて良かったですよ。
本当に乙一氏は自然体ですな。 最近の著作もこんな自然体を保っておられるのだろうか。是非そうであってほしいですよ。
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