2010年8月4日(水) アンチ・ツイッターなう。 【後編】
オレがツイッターを好きになれない一番の原因は、
つぶやきの背景を想像すると心底気持ち悪いからなんだよね。
やっぱ発言があるからには、それを発信する人が画面の向こうにいるわけじゃん。
その人が自分の今を伝えようと必死に携帯打ってる様がとてつもなく気持ち悪い。
「登山なう。空気最高!景色も最高!頬を撫でる風が気持ちいい!」
いやいや、おまえはそんな最高の気分の中、なんでチマチマ携帯いじってんだと。
「ライブハウスなう!クロマニヨンズ登場!一曲目はギリギリガガンガン!」
いやいや、その状況で携帯でチマチマ文字打って、おまえ全然楽しめてないだろと。

これはツイッターのもたらした罪だと思うんだけど、
誰もがリアルタイムで情報を発信できる環境が整ったことで、
自らの享楽よりもニュースの発信を優先する記者気取りのバカが激増してんのよ。
自分が楽しい思いをしたら、早くそれをニュースとして伝えなきゃ、みたいなさ。
その義務感って何? そこまでしてチヤホヤされたい? もはや自己はどこに?
それに、もしそんな情報が周りからありがたがられたとしても、
それって陰で笑われてんのわかってる? 「その状況で携帯いじる人」って。
「私もそのライブ見たかったー!」なんてリツイートでテンション上がって、
さらに事細かく特派員気取りで状況をレポートしちゃったりしてさ。
調子に乗せられて利用されてるとわかってないバカって辛くて見てられない。

でもやっぱり、もっと気持ち悪いのは日常のつぶやきの背景よな。
例えば有名なラーメン屋なんかで、その場でつぶやく人いるよね。
そりゃ美味いとか不味いとか、その気持ちを誰かに伝えたいのは理解できるよ。
でもその場で携帯をいじってネットを介して伝えてるその光景がさ、
周りから気持ち悪いと思われてるって気付かないもんかね。
テレビを見ながらつぶやいちゃう人はもっと酷い。
特にワールドカップのときはエグかった。
「よっしゃ、ゴール!」「すっげ!」「惜しい!」「ロスタイムかー」
・・・もうさ、感じたことはその都度誰かに伝えないと気が済まないわけ?
気持ちを文字にして打ち込んで、それが画面上に表示されて、
そうすることでしか自分の感情を確認出来ないわけ?
そのうちセックス中に「イキそうなう」なんてつぶやくやつも出てくるんじゃなかろうか(笑)。
一人で携帯を片手にテレビ見て、感じたことはすぐに携帯に打ち込んで、
面白ければ笑いながら携帯いじって、腹が立てば怒りながら携帯いじって・・・。
その光景を想像すると、すっごく気持ち悪いんだけど。反吐が出そう。

だから結局さ、ツイッターとはなんぞやって考えると、

・自分の思考や行動に対して、常に何らかのレスポンスを求める人
・有名人気取りで自分の一挙手一投足を闇雲に報告したい人
・自分の思考、行動、情報にいちいち価値やセンスがあると信じて止まない人
・他人が今何をしてるか知りたくてしょうがないストーカー体質の人
・話題に乗り遅れることに強迫観念にも似た過剰な不安を感じる人
・自分が他人にどう映るかがわかってない想像力や客観性の欠落した人
・常に誰かと繋がっていたい精神科通院レベルの寂しがり屋の人

ツイッターってのはそういった寂しがり屋の怪物たちが群れ成して、
「自分は一人じゃない」と怪物同士で安心し合ってる滑稽な場所なわけですよ。

こうやって書いてきて思ったのは、オレって本当に携帯をいじる行為が嫌いなのね。
嫌いというか、つくづくダサいよなあと思ってて。
ごはんを食べる前に「あ、ちょっと待って。パシャ」なんてのもいまだに苦手で。
もちろんオレだって部屋や喫茶店や電車の中で携帯は多々いじるんだけど、
人と一緒にいるときに携帯いじったり、今ここでそれする?って場所で携帯いじったり、
そういう人ってさ、もう携帯の創る文化圏に取り込まれちゃってんのよな。
携帯なしじゃ生活出来ない、じゃなくて、携帯なしじゃ自分が成立しない、みたいな。
どれだけ携帯が進化してもそうはなりたくねぇよ、オレは。


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written by オレ 

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