超雑務係まんの日記
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今は2018年。あの頃は2002年。 16年。
昨日、「真珠色の革命時代」(THE YELLOW MONKEY)が、 ネットラジオから流れてきて、どうしても過去を回顧しなくては、という 想いにかられ、今は酔いながら、どうしたらいいのかとキーを打っています。
そもそも、ココがまだ存在していた、すごい。 ログインのpassとIDが4回目でやっと一致しました。
気になりますよね。 私といえば、 あれから、結婚し、子供も生まれ、 しかしながらすべて家族を失い、仕事も無くなり、何もせず、特に決まった家も無く、 親兄弟もすでに死に、風来坊さながらホームレスっぽく、懸命に生きています。
といった状況だと、ネット上だと絵になるかもしれません、 よね?
が、残念ながら、そうではなく、さんざん偉そうなことを言いながら、 特に変わらず、ここまで生きてしまいました(すみません)。 恐らくですが、かなりの一般人です。 もしかすると、あの頃もっとも忌み嫌っていた、大人になっています。 自暴自棄の毎日です。 (家族も家もあるので、大丈夫なのです。)
冒頭のイエモンの「真珠色の革命時代」は (私はそれほどファンでは無いのですが、、、)
イントロで 「砂時計の悪戯を 手品みたいに呼び戻して 飾りたてた骸骨とラスト・ダンスを 世界中が快楽と狂気の間を行ったり来たり 最後に試行錯誤の愛撫を散りばめながら」
と始まるのですが、まさに同様だと想いながら、 断腸の気持ちで、今書いています。
唐突ですが、 今週かつてのメンバー(超突連ですよ!)と会うことになりました。 驚愕ですね。ちなみに北海道の方では無いです。 (これからです。まだ会ってません)
何が言いたいかといえば、 超突撃連合会の息吹が、もしかするとココを偶然見てしまったアナタの、 ルーチンの日々の躍動にお役に立てるのであれば、私はまた発信をしていきたいと 少しだけ感化されています。
かつての私は誤解を恐れつつで、メッチャ恥ずかしいのですが、 あらゆる革命を起こしたく、 でも結局はごく一部の下らない改善レベルに終始していまい、 結果として、何の人生の変化しなかった私に対し、 絶望したフリをしていたのです。 今の時代だったらば、完全に社会不適合者で、 むしろ(不法が故に)保護されてる状況だったかもしれないと、 本当に痛い過去であります。 でも、、、皆が好きだったんです、、本当にありがとうございます(涙) そして、すみませんでした(涙)
ちなみに、今回のイエモンの「革命」の歌の後半では 「Ah, change's coming, change's coming…」 とリフレインします。 でも、私は非常に変化を嫌っていたんです、当時。
今は、どうなんでしょうか、、、 アナタと共に、ここで会話していければ、それだけで幸せかもしれません。 これまでずっと、付き合ってくれてありがとう。 本当にここを見てくれてありがとう。
また書きます。
テレホーダイの23時になるまでしっかり待って GO! ぜんぜん繋がらねぇ、アッやっとつながった! あ、また落ちてしまった、くそ!
みたいな時代でしたね…
インターネットが貴重で、何か特別に出来るような自分が優越的だった そこに集まるのがとても痛烈にいとおしく、今や想い出すだけで胸が痛くなる。。
あの時に悶々としながら、画面に向かっていた我々は きっとたくさんの現実を背負いながら、見えない敵と闘っていた 時には死にたいと思うくらいの、他人に理解なんかしてもらいたくない どん底だったかもの呑み込んでいた気持ちと明日からの生き様に ヨナヨナ、日常をぶつけていたのかもしれない
こんな心情はもう誰もわかってもらえないですね いや、わかってほしくないですね
だがしかし 少なくともあの頃の仲間には、これが共有出来てたんだ!
ねぇ… そうだよねぇ…
誰か応えておくれよ…
とてつもなく自暴自棄になった時期もあり、 大切だった人にたくさんの傷つける言葉を吐いた 顧みると土に埋まってしまいくらい恥ずかしい
今となっては、あれから突如 出会った人と半年後に結婚し、 たいそうに子供もできて、 もう7年が過ぎる
自分が究極に求めていた何かが手に入ったじゃないかと 納得するように暮らしてきたが、 それが騙しだましであることの 日常と気づくのに、 それほどの時間は要らなかった
結婚直前まで、 複数の女性と同時に付き合い、 そこに不倫も含まれながら
ややココロが不安定だった 僕の弱みを利用し、 女性特有の母性にあざとく訴えかけたのか
本当にダメな人間であった事を今は 痛烈に糾弾したい
しかし、 こんな歳になっても何も変わらないのかもという思いと いや、すべてが変わっているのかも知れないという現実とが シンプルな複雑さで交錯している
結局のところ僕は 病に患っていた若者も救えず、 目の前の恋人を天へ還らせ、 自省に苛まれていたフリをしていた自身を演じ、 のうのうと生きている もっと言えば何かに生かされている
これが人生だというならば 何と苦しい坂道か 責任や決意と言ったワードは綺麗 責任感で生き様の惰性を語るのは簡単
だから僕はあえて逆説で闘っていきたい ただ、それだけを護(まも)っている
「誕生日さ、お父さん仕事でおウチにいられない、 ごめん。この前の運動会もゴメンだったけど…」
6歳の息子は僕のほうを見ないで、 そっとうなだれながら、 地面に向かってカッと目を見開いた。 そして小石をケリケリしはじめた。
見ないフリをした。 残念ながら父親らしい事は、何も言えなかった。悔しい。
沈黙。
そして彼はうつむきながら 「ママにはオレが言っておくよ。シゴトはイカナイとね。 オレたちのためにハタライてるんでしょ。 だってオレもう小学生だから、シッテルよ」
と絞り出した君、、! こんなに大きくなったんだね、、!
お父さんは、生涯忘れない。
君がオトナになった時、酒を酌み交わしながら、話せる時が来るだろうか。
きっとウチの親父も戦っていたんだなと、 40過ぎて気づくなんて浅はかすぎる。 この前、死んじまったオヤジを想い出し 独り大森で鼻水を出しながらセンチメンタルになる。
君が俺のようにならないよう、どうしたらいいのかな。 もう、俺よりも立派に思える君へ。
ありがとう。
変化せずに生き続けるもの もしかするとネット上に存在していたのだろうか
ここは 死んでいたのか 生き続けていたのか
もしかするとアナタの生き様を写す鏡になってしまいそう
過去を思い出すのに痛みを伴いながら 郷愁を許容してしまうこのココロに、安定は訪れたことがない
死にながら生きてきたのか 生きながら死んでいたのか
いずれにしても カッコイイ状態では継続してないと、目をつぶるなら ぶざまに生きているその姿にこそ、魅かれる源泉が眠っていることも 何となくだけど、おさえておきたいポイントかもだ
大丈夫
まだ生きていける ダマしながら生きていくのも一つのスキル そこに誰かが否定をする余地はない
ただ一つだけ あの当時の僕らよりも 社会は僕らにかなりの社会性を与えてしまった
が故に 我々はそこからの精神解放運動を原則禁止されてしまったのだ
だからこそ ここからは、ずっと死ぬまで祈り続ければ良い
ただし、僕はそんな人生は御免こうむるだけど
ここを見てしまった人は 恐らく何らかの諸事情があって来てしまったのかなと(笑)
偶然に立ち寄るところでもないしね
まだ存在してました 流行のブログとは違い、来訪者のリアクションが発せない環境 だけど
アナタが読んでいる今、 この瞬間がどうして存在したのだろう?
なぜここにたどり着いてしまったのだろう あれからたくさんの時間が経ってしまっているのに お久しぶりです 元気でしたか
自分もフラフラとここに吸い寄せられてしまった一人 スミマセン
ハイデガーの『存在と時間』は、かなり乱暴に言えば 目に見えるもの以外の存在を厳しく問いただしたのだと思う
例えば、自分 仮に誰とも会ったことがなければ 何が自分の存在を明かしてくれるのか 役所?戸籍?
例えば、このPC 誰にも知られず、廃棄になっていたら 何がこのPCの存在を明かしてくれるのか メーカー?開発者?
もしかすると我々は 他者を通してしか存在を許されないのかもしれない
となると、無限に続くであろう「時間」は その存在を何が明かすのだろうか
と、突き詰めて考えると難しい 酔っているとこの文章自体もわからない
僕は何が言いたかったのか
その他者の存在は何が
存在の区別と、それぞれの解釈
きっと今に満足してないのでしょう 過去にすがる何かがあるのでしょうか
さて、しばらくぶりに ざっとここで書いてみたものを読んでみた
感想は「暗い」(笑) そして、ところどころ怖いね(汗) こんなの今の時流に合わない
でも今だって せっかくだから、書かなくちゃ 等身大の俺をここで示さなくちゃいけない
未来の恐怖に脅え、様々な障害を疑心暗鬼したモロモロの日々 あれはもう過去のものだろうか
たぶん、親になってしまった大人は子供に未来を託すことで 自身が達成できなかった困難なハードルを 将来という曖昧な時間軸で、責任転嫁をしてしまう
最悪なのは、その思いのどこが悪いのか これほどシンプルな事件がまったくわからない
だから、毎日のように悲しいニュースが存在してしまう
とはいえ えっと、一般論を諭すつもりはまったくない
時効(と勝手に思ってる)?けど 自分が結婚してない時に 結婚してる人を好きになった時があった とてつもなく、夢中になってしまった
当時独身だった自分が 現在、同じ条件になってみて あの頃のアナタの苦労がとてもよくわかる… 理解力の無かった自分が悔やまれる
当時、大切な人がいた もしかすると 同時進行でたくさんの恋をしてしまったのかも しれない
子供に将来を託すなんて怖い むしろ逃げ出したい
(未完)
新年になると顧みる気分になる 毎年のように同じ気持ちがある
今年の抱負というよりも 今までの自分に後悔する感情
そういえば 小学校の友達 中学校の仲間 高校で一緒だった奴 大学で付き合った人
の面々が 最近、夢に頻繁に登場する
何かの前兆。。。 ちょっと考えてしまったけど もしかすると、単純に今と未来に あんまり興味がない、の? なんて考えたりもする
2002年から始めたこの日記 当時とはずいぶん状況が変わってしまった
変化してない事と言えば 冒頭の顧みる行為だろうか
新年に画面に向かっていた僕は いつも何を悔やんでいたのだろう
画面でなかった時代もある 紙に向かって戦っていた時もあった
もちろん 未来に向かって思考していた当時もあった それこそ顧みると 乱暴に考えていた
あの頃と劇的に何かが変わった事なんて ほとんど思い起こせない
ただほんの少しだけ想うなら 唯一、大切な人を失ってしまった という事柄だけだろうか
そればっかりを 年の初めには静かに切なく 深夜に耽りたい 来年以降もずっと、いつまでも
とっとと文章を書いて世に出ようと考えていた 進めば進むほど それほど難しい世界だとは思わなかった
目指していたのは作家ではなく 文芸評論
近代合理主義に懐疑的な主張を レトリックに展開していけば ただそれでいいと感じていた
しかし、評論家は作家を超越できないとの 宿命を持つことに気づく
勝ち負けではないのだろうが 言い換えるとコンプレックスが 確実に存在する
自分はある時から評論の世界ではなく 異なった分野で勝負できないかと ひたすらに考えた
たくさんの人と接し 様々な人を裏切り 人間関係の微妙なバランス その重要性に実感しながら しばしば状況に対し、リセットを繰り返してきた
20代前半 ひたすらに考え抜いた
結論なんて出やしない 出たところで浅はかで脆い見解
携帯電話のなかった時代 一緒に住んでる人以外 居所を誰にも知らせてなかった あの頃
柔らかった当時に 戻りたい
考え切れなかった ぼんやりとしたあの風景を 再び見たい
教え子が 活き活きとしていたあの時期に 飛んで行きたい
何よりも君が死んでしまう前の あの時代に 今すぐにでも 帰りたい
時間を超えてしまったら いつでも逢えるって 君は言っていたよね
超え方を探し続けて どれだけの時間が経ってしまったのか
安住の地は、それほど楽しくはない むしろ息苦しくて 血が出てきそうなんだ
泣きたいほど 瞬間に昔へワープしたい
ダメですか 未来が美しくて 過去が堕落なのですか
うさんくさい どっちもどっちなんだ
たぶん
ね。
真面目に生きてるかと問われると 今となってはイエス、と回答してしまいそうだ
とても生真面目な環境で 何年もたってしまった気がする
きっと感じ取っていた とても耐えられない未知の生き方 いつか破たんする
たぶん、窮屈だった 泣きたくても泣けず 痛くても治療は出来ない
よくわからない箱の中で カサコソと動き回る昆虫のように 自分は何かを探しているようで 何も見てはいなかった
刺激が欲しいわけじゃない また優しさが欲しいわけでもない
病気なのかどうなのか 僕は一緒になりたい人がいる いつでも常に忘れたことはない
沸々とそんな気持ちを 思い出させてくれたのは やっぱり病気なんだなと
支えてくれる人とモノが うまいタイミングで登場してくる ただし今回は 社会的制裁を受けてもおかしくない
だから やっぱり病気なんだなと
何がどうすごいのか、さっぱりわからなかった。 拓銀が破たんした1997年11月17日。 偶然にも僕が北海道に赴任した年。
恥ずかしながら都市銀行だと知ったのは 破たん発表の当日だった。
コンサルティングファームにいた僕は、 1時間以上早く出社するようにとの連絡があり、 ほぼ始発に近い地下鉄に乗り7時前に出社した。 早朝、拠点長から事の重大性を聞いた。
顧問先で倒産する企業はなかったが、 たくさんの熾烈な混乱で、毎日吐きそうな処理に追われ 僕は社会の制裁を身を持って経験したと思ってる。
当時、新卒で北海道に来たばかりの自分。 突然、20代の前半で死にそうな対応を仕事で経験した。
拓銀。 預金量5兆9千億円。従業員約5千人。 史上最高の金融業界での沈没。
一方、都市銀行としては最下位だった拓銀。 追いつけ追い越せの経営手法は、今となっては最悪のやり方として さんざん議論し尽くされている。 この部分で、僕は何も語るつもりはない。
あれから10年たった。
未だに、北海道経済は低迷を続けている。 拓銀の破たんは、あまりにも大きな悪のイベントだったのではないか。 北海道新聞(2007/11/16「卓上四季」)で指摘されるように 「北海道が実験台にされた印象は残る」のが否めない。
何年か後に北海道のキャッチフレーズで 「試される大地」と行政が銘打った。
すでに試された挙句、これから何を試すんですか? 僕らはボロボロです。。。 と、一般的な心地良い響きに、真面目に違和感を持った。 そんな10年だったような気がする。
若い人には「あぁ、そんな事もあったね」と一蹴されるかもしれない。 でも、今日くらいは過去の実績に浸らせて下さいな。 10年は短いようで、けっこう長い。
きっと勝負はこれからなんだよな。
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