都知事は最近、焼きが回ったか。 本も発言もかなり的外れと感じる。
2011年08月27日(土) |
マスコミと芸能界と政界 |
もっとも時代遅れな業種である。
TVや新聞、芸能界は、良識ある国民は すでに離れて行きつつあるあることに気づかない。
狭い自分たちの世界で、自分たちにしか通用しない 常識で、誰からも批判されず、自己批判もなく 「内輪」の世界で朽ちつつある。
お笑い番組の乱立はすでに辟易のレベルを超えて 無視されつつある。 単なる飲み会のくだらない冗談を連発し、 酔っている本人たちは楽しいだろうが、 しらふの視聴者は興ざめ、である。
「芸」と呼べるものもない人間が「芸人」扱い され、勝手に盛り上がるレベルの低さは耐え難い。
紳介の暴力団がらみの話も象徴的。 TV業界あげて祭り上げてきた妙な男を バッシングできずに、腰の引けた報道やコメント。
世間では暴排と言って、それこそ銀行の本人確認や 振り込み時の煩雑さを見ても、世界がどれだけ 闇の世界との絶縁に向け取り組んでいることを理解していない。
「利用した。」のではなく、「利用された」ことも わかっていない。暴力団がメリットなしに力を貸しますか? まだまだいろんな事実がでて、世論の非難が出て、 そしてようやくマスコミやTVが叩き出す。
いまは、暴力団が怖いのと、自分たちも実は「そんなことは よくあるよね」という周知の内輪の常識がばれるのが怖くて たたけない。 ジャーナリズムは死んでいる。
芸能人が同情的コメントを連発するのも、「内輪」の感覚 である。通常の世間では、暴力団がらみの人間を擁護することは 自分も同様のことをする人間であることを自白するようなもので 考えられない。少なくとも総会屋とかそういう輩は20年前の 話、である。のにこの業界ではまだ、20年以上前の状態。
同僚をかばうにしても、それは公ではなすのではなく、 同僚間でひそひそと後ろめたく話すものである。 それを堂々とブログ等で擁護発言をするのは、 彼らには「公」の視点が全くなくなってしまい、 内輪の世界にどっぷりと・・
ゆっくりしたいな
自分は、やはりおかしいのだ。
考えてみれば、ずっと小さいころから そういう男だったのだ。
何をしているのだろう?と ふと冷静に自分を見る瞬間もある。
つまり、こうやって欲望を追求しても空しい ってことを確認するために 空しさを実感するために 遊んでいるのだ。
ある種の自傷行為であり、マゾ的行動なのだ。
ほら、全然楽しくないだろうって。 金使ってうまいもの食っても、 きれいな女性を抱いても、空しいだけ。 これでは、ブラックパール号の呪われた海賊と同じだ。
社内メールで口説きまくる。 会社の会議室で行為に及ぶ。 (最近は行為の最中に、くだらない 冗談を言うクセがつき、、、まぁいいやそんなの) はっきり言ってリスクの割に 何の意味もないことだ。
かと思えば、1年以上もストイックに 暮らすこともできる。 自分はどっちでもかまわないのだが、。
やっぱり変だな。
最近、能書きが多すぎる。
曰く「お客様のため」、「復興のため」、
私自身はなにも変わっていない。 震災前も後も。
ただ目の前のやるべきことを果たすため。
なんか、鼻につくんですよね。 そういう節電してます、とか 被災者のため、とか。
会社の会議で、そう言ったら 誰も反論しなかった。
結局、みんな自分の気の済むように やってるだけでしょ。 ウォシュレットの電源切って 何の意味があるの?
普通に働いて、税金と政策で救済 されるべきものでしょ?
百円二百円で、いいことした気になっている 人がおかしい!!!!!
こんなときに、首相変えろとか 被災者のため、をうたって 自己満足してる軽薄な輩。
そういう私は、普通に会社の女を口説き いままで通りの生活だ。
でも、なんだ。 どうでもいい募金やボランティアでいいことした気に なっている輩より、税金も払っているし 恐るべき消費もしているし 何より、「自分は役だっていない」という 自覚がある。
純粋に経済面(つまり金)なら、私は その辺の偽善者より貢献している。
ようするに言いたいのは、 この機に、税制も、社会保障も 国の根本にかかわる問題も、便乗して 解決せねば意味がないのだ。
日本人は、災害を含む外圧でしか変われない。 逆に、外圧で劇的に変われる。 この機を逃したら、日本の繁栄は300年くらい 来ないだろう。
読売も産経もくたばれ!
一戸建てを建てることにした。
それは妻と子のためである。
私自身は社宅でもかまわないのだが。
すでに地鎮祭を終え、 基礎工事が始まった。
どうして、貯金のない私が 一人前に家が建てられるのか自分でも 不思議だが。
いい家が幸せを呼ぶとは全く思わない。 あくまでも器であり、 親子4人で温かい雰囲気があれば 私はなにもいらないのである。
東京から30分以下のJR駅近辺にしては 田舎なのだが、最近の住宅設備を見ると、 社宅と比べて ずいぶん贅沢に感じてしまう。
・・ 震災以降に思うのは、死ぬときに後悔しないようにしよう ということ。実は、すでに後悔だらけの人間なのだが。 せめて今後後悔の種はつくるまい。
死ぬ寸前に、「もっと働けばよかった」とは 思わない。 自分は「もっと家族で幸せを味わえばよかった」 「妻によろこんでもらいたかった」とか 思うに違いない。妻には苦労かけたし。
突然で久しぶりの躁状態である。 リチウムを服用しているものの万能では ないのだ。 と言っても、「自覚がある」ところが肝で、 自覚があることで行動を制御することが できる。 悪い癖で、身近でリスクが高いと思われる 女性に声をかけてしまうのだ。 根拠のない万能感から、たとえば神田正輝や 石田純一を見て、自分も23歳年下の去年 入社の社員と付き合えるのではないか、などという 荒唐無稽な妄想を抱く。 先週は、結局デートをし、勤務時間中に倉庫に呼び出し、、、、
こういうことを
|