平素に在り

2011年04月11日(月) 転機

日本が大きな転機にある。

便利で能天気な暮らしが、
実はとてつもなく脆弱な基盤のうえ
に成り立っていた。

福島の原発に頼る都会の生活。
危険は過去からあったのに、
「想定外」で済ましてしまう思考停止。

あるいは、政治家や官僚のせいにしてしまう気質。

自民党ならうまく対処できたか?
さらにひどかったのではないか?
そういう政府を選んだのは自分たちである。

自分たちが何に支えられ生きているか
考えない生活を改めなければ。。

それから、何でも経済活動に結び付けて
考えるのはやめませんか?
経済が成長すれば幸せではないはず。



2011年03月30日(水) 地震

地震以来、あまりに多くのことを感じてしまい
うまく消化できない。

それでも、どうしても書いておきたいことがある。

いまは人を批判するのはやめよう。
反省、責任、対策・・まだその時期ではない。

東京も余震や停電、消えた街の灯、放射線、水、
まだ災害は進行中なのだ。

「がんばろう」って誰が言い始めたのだろう。
何かとても距離があって違和感がある。
家族が悲惨なことになって、やっと助かった
人に、まだ頑張れっていうのか。
頑張るのは、助ける人であって、
被災者ではない。
この言葉はやめよう。


「自粛し過ぎ」って、そうかもしれない。
だけど、役に立たない自粛でも、自粛することで
その本人が少し気が休まるかもしれない。
東北の人はもちろん、日本人の多くが
心を痛め、苦しんでる。
偽善だろうが、そうすることで本人の気が済む
ならばいいのではないか。
自粛で経済が落ち込む、とかいうのは次元が
違う話。

こういう事態になると、本当に必要なものと
どうでもいいことが、はっきり見えてくる。
軽薄なお笑い番組って、受け入れ難い。

「元気を届ける」「勇気を与える」
「明るい気持ちを届ける」
全然ちがうんじゃないか。今は。

何もできない自分を認めてほしい。
何かした気分を他人に押し付ける
のはやめてほしい。

何もできないけど、日常のできること
を淡々と無言でやる。

あとは気持ちで寄り添うことしかできない
んじゃないでしょうか。
祈ること、平穏で平和な日常を祈ること。

災害直後で、緊張感とかストレスで
東京地区全体も、表面上は妙な静けさ
だけど、失言には言葉狩りのような非難が
集中し、不謹慎は徹底的にたたかれる。
どこかで、微妙なバランスが崩れて
大衆が一方的な流れに流されそうな危うい
感じだ。


ジャイアンツがドームでナイターで
予定通り開幕しようとしていることを
聞いて、さすがにあきれた。
が、「老害」とか「選手も声上げろ」とか
「停電で過酷な通勤している横で」とかは
以前からそういう体質はわかっていたこと。

でも、それはそれだけの話であって、人を死に追いやった
わけでも、犯罪でもないし、撤回もした。

その前に原子力発電で、その電力を享受してきた都会の人間であり
想定上の盲点を見つけられなかったジャーナリズム
であり、「頼りない政府?」を選んだ国民なのである。
海外に原子力発電を国策として売り込んでいる国の
国民なのである。
そっちの方が大きいことだ。

批判すれば、今はすべて自分たちに帰ってくるのである。
今は、目の前の危機を乗り越えること、
目の前の義務を果たすこと、そっと祈ること。

’批判’して、「自分はそうでない」ことを確認し
安心する。
’元気を届けて’自分の苦しさを忘れた気になる。
そういうふうに、みんな不安なのだとは思うけど
大いなる違和感を感じるのは、わたしだけでしょうか?










2010年10月30日(土) 幸せ

十分幸福である。

本来、「心の持ち方」そのものが「幸福」だとは思うのだが。
たとえば、「幸せ」と感じていることが「幸福である」という風に。

今年の初めは、息子の中学受験で大変な思いをした。
はっきり言って、これはお勧めではない経験だった。
小六の男の子に、あそこまでのプレッシャーと
勉強量を強いていいもんだろうか、と。
結果的には、第一志望に2次試験で奇跡的に滑り込んだ
からよかったが、下の子(長女)には絶対受験はさせない。

長女はテニスを本格的に初めて1年を経過して
突然目覚めた。夏の大会で入賞が相次いだのだ。
彼女の机の上は、カップやメダルが並んでいる。

妻は家計を支えるために働いている。
「家を建てたい」らしい。

私は、何年かぶりにテニスに再び目覚め、
実業団の試合にも、単複出場している。
体重は去年より7KG減り、ウェストもー7cm。

内面的には、仏教特に初期のものに熱中していたが
消化不良気味。
あまりにも厭世的ではないかと思われ、現代に活かすのは
アレンジが必要かと。とても僭越だけど。

人間、「何も考えずに物事に集中しているとき」が一番
幸せじゃないでしょうか。
あとは、家族のダンラントカ淡い感じの幸福感とか。

激しい刺激に身を任せ、興奮したり、陶酔したり
というのは、実は「苦」である、と若い坊さんが
本で書いていらっしゃいました。

悪いことをすると、罪悪感を感じる(心が荒む)し
いい事をすると、気分がいい。
善因善果・悪因悪果ってそういうことかもね。



2010年10月25日(月) 地に落ちたジャーナリズム

現在の新聞・テレビほど堕落した業界はない。

国民に与える影響力や責任の大きさを自覚することなく
使命感を失った、敗北の輩である。

たとえば「政治とカネ」これは自民党政治の批判として
30年来言われてきた。そして小沢氏の問題。

どこの新聞もはっきり書かない。
小沢氏が何をしてどんな罪を問われているのか。
少なくとも、特定利権者から大金をもらい、
政治を歪めた、利益を誘導したわけではない。

これで彼が無罪だったとき、誰が責任をとるのか。
「政治と金」ときくと、清潔な政治という
子供じみた薄っぺらい批判としか思えない。

だったら公明党の政教分離違反は憲法違反。
これほど明白な事実があるのに、報道されない。

つまりはあまりに増えたステークホルダーに
マスコミは「書けないこと」が増えてしまった。
スポンサー企業や広告主等。

新聞であおるだけ煽って、もっと大切な政治問題を
かくしてしまっているマスコミ。

世論調査もアホな新聞読者の集計だからアテにならん。

小沢氏程度の政治資金上の不備をもつ政治家は
自民党なら8割はいる。

中国問題。「弱腰外交」批判。
いったい、中国ぬきで、食っていける財界いるのか。

屈辱だの言う前に、かっこいい発言の裏には
とてつもない覚悟がいることを知ってほしい。

わたしの知る限り櫻井よし子が一貫しているが、
はたして、レアアースだけでなく、企業収益の
大きな部分を中国に頼っている現実を前には
屈辱外交など、なんでもないと思うのだが。

そもそも中国国民で、反日・デモ等に賛同している
人はごくわずか。その事実さえ知らずにヨーカドー
で買い物している国民が大部分。

つまり政治と金など、些細な問題だし、
中国に過剰反応するのも間違い。

マスコミは、誰でも言えること、を報道するのではなく
これだけは言っておくべき、ことを書くべきである。



2010年10月24日(日) なぜドラゴンズ野球はつまらないか2

ラジオの解説は野村元監督と江本。
「盛り上がらないですね。」野村。
「ドラゴンズの野球は元々つまらないですから」江本。

つまり、日本シリーズで完全試合達成直前の
ピッチャーを、普通に、岩瀬にスウィッチしたり。

あの交替は、あとには結局なにも残さなかった。。

長年ロッテという、当時万年最下位のチームの中で
三冠王をとってきたという、特殊なキャリアが
関係しているのだろうか。

落合監督の采配には、華がなく、影がある。
開き直った男の「潔さ」ではなく「ひねくれ」
みたいなニュアンスが漂う。

それは、マウウンドに向かう「動作」や、抗議に出る
「しぐさ」に、「おれは動じてないぞ」様な
わざとらしい「落ち着き」の演出が嫌味に見えてしまう
「暗さ」に通じる。

とにかく、これでロッテを存分応援できる楽しみが増えた。

落合監督、プロは「勝つ」だけでは物足りないのだよ、観客は。



2010年10月21日(木) なぜドラゴンズ野球はつまらないか

クライマックスシリーズ、セリーグはドラゴンズが優位。
プロ野球ファンとしては、テンションが下がる。

選手の表情が全体的に暗く、華のある選手がいない。
地味な守る野球。投手の防御率が異常にいい。

確かに、もっとも勝てるチームかもしれないが、
面白味がない。堅いリリーフ起用。

試合に躍動感がなく、淡々と進むゲームは
臨場感に欠ける。

首位打者・盗塁王もなく、
ペナント終了間際に、いつのまにか首位になっていた。

2ストライク後はほとんど落ちる球で、
リスクのある直球はほとんどない。

「勝つ」のが最終目的で、「魅せる」のは
二の次。これではプロ野球とは言えないのではないか。

強く、かつ魅せる。かつての長嶋選手のように。



2010年10月09日(土) TVと新聞

ほとんど見なくなった。
ニュースは夜に一度NHKを見れば十分。

TVは、ほとんどの番組が見たいと思わせないし
見なくても同じような内容がいつでも見れる
程度。

新聞に至っては、かなり信用していない。
というか不信感をもっている。

自己検証なき無責任記事で埋め尽くされて
いて、読む価値がない。

たとえば、「発行部数世界一」を標榜する
大手新聞では、週刊誌宣伝句の「ナベツネ」という
文字を黒塗りしていた。
一事が万事で、権威とかステークホルダーに都合の
悪い記事は書けない体質なのだろう。
ちなみに、ナベツネが小沢一郎を嫌っていることが
偏執的バッシング記事で一目瞭然。

中国人がノーベル平和賞を受賞。
もし彼が受賞しなかったら、彼の名は報道されただろうか。

こういう風に、私たちはメディアを通じて何でも知りうる
と勘違いしているが、実は情報発信側が操作したありふれた
情報しかブン屋が伝えないので、何も知らないのだ。

だから世論調査は新聞の論調と一致する。
情報源をTVと新聞に頼っているからだ。
事件になって初めて「こんな問題がありました!」
みたいに報道するメディアって存在価値がないと
おもいませんか?


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こうたろう [MAIL]

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