何だか疲れちゃった。昨日の晩、友達と電話で話をしていたんだけど、そのときに「ここ(北の国)に来てからはつらいことばかりしか思い出さない」っていっちゃった。楽しいことって、何があったかなって一生懸命思い出さないと思い出せない状態。でね、最初に思い浮かんだのが、去年、友達が来て、3人で行ったサウスダコタの珍道中。あれは本当に楽しかった。写真を撮りまくって、いろいろなところで、いろいろなものを食べて。その中でも本当におかしかったのが、バッドランド国立公園での一幕。サウスダコタって田舎過ぎちゃって、日本人なんて見ることなかったの。それはバッドランド国立公園でも一緒。そんなとき、車で公園内をゆっくりと走っていると、東洋人観光客らしい3人組が見えたの。その瞬間、「あれって日本人っぽくない?」とかいって、ちょっと声をかけに行こうよってことに。ただ声をかけてもなんだから、写真を撮ってもらおうってことになったの。でも、いくら東洋人の観光客とはいえ、日本人って保証はまったくないよね。でね、もし中国人だったらどうしようか?って話がでたんだけど、実は友達の1人は中国語がしゃべれるの。ってなことで、問題なしって感じになって、怪しい日本人観光客のムースら3人は謎の東洋人グループに接近。でもって、そばに行った瞬間、どちらが先に声をかけたかわからないけど、日本語でこんにちはって挨拶したんだと思う。それから、見ず知らずの人なのに世間話を長々としたりして、何だかとっても面白かったなぁ。
昔TVで見た「ライスカレー」の1シーンのよう。時任三郎と陣内孝則が車に乗っていたんだけど、事故を起こしてしまい、途方にくれながら2人でテクテクと歩いてとある小さな街にたどり着くの。2人は英語もろくに話せないし、どうしていいかわからない。そんなときに中井貴一演じるBJが彼女?と一緒にスーパーから出てくるの。陣内が時任に向かって「あれって日本人じゃない?」っていって、2人は中井貴一に近づいて日本人かどうかを尋ね、日本人だと知ると中井貴一に抱きついて安堵の息をなでおろすっていうシーンがあったの。何か少しだけそれに似てるよう。だって、あれって日本人じゃないっていって3人で近づいて行っちゃったんだから。
でもね、これだけがすぐに思い出した楽しいこと。あとはつらい思い出がいつも目白押し。あのときは苦しかったとか、あのときはつらかったとか。でもね、不思議と涙がこぼれたことはほとんどないの。ここ数ヶ月でこそ、何度か涙が流れることがあったけど、あとは泣いたっていうのは1度あったかないか。婚約解消の申し出が電話であったときも涙の1粒もこぼれなかったし、電話を切ったあと、普通に試合に行ってたし。さらには試合のあとに飲み会も行って、普通に「今日、婚約解消になっちゃった」って話してたっけなぁ。
これと比較するように、スペインでのことも思い出したの。スペインではねぇ、よく泣いた。特にアパートに移ってから、最初の半年は何度泣いたことか。周りからもいつもメソメソしてたよねっていわれるくらい。でもね、楽しいことしか思い出さないの。もちろん、泣いていたってことは悲しいこと、つらいこと、悔しいことがあったからなんだけど、でも思い出すことは楽しいことばかり。そりゃ、思い出そうと思えば、つらいことも思い出すけどね。きっと涙とともに、悲しみが流れちゃっていたのかな。
今は涙が出ない分、ちょっと大変かな。いつまでも心に残っちゃっていて。それに、記憶のない期間があるし。ちょうど日記を書き始めたくらいからかな。そこから半年は珍道中のことを除いては、ほとんど記憶がないの。もちろん、日記が残っているから読み返せば、あぁーそんなことがあったんだ…って感じにはなるけど、記憶からは消えちゃってる。
ある知り合いから聞いたんだと思うけど、「記憶がないってことは生きるだけで精一杯で、覚えてる余裕がなかったんだよ」っていわれたの。そういわれてみるとそうかも。生きるだけで精一杯だった。でもね、あのときはどんなにつらくても乗り越えようって気持ちでいっぱいだったなぁ。苦しかったけど、先が何にも見えなかったけど、でも乗り切れると思ってた。って実際に乗り越えてきちゃったけど。だけどね…。
今はちょっと疲れちゃった。生きていることが苦しいかな。つらいかな。いつも1人で平気っていい聞かせてきたけど、今は寂しさが身にしみる。それとね、自分に自信がなくなっちゃった。自分がこんなに脆いものだったのかとも思っちゃった。ずーっと自信を持って生きてきた。ってここ数年間だけだったけど。自信があったから自己嫌悪に陥ることなんてほとんどなかった。自分が悪いことをしてしまったときは、いけないって思って反省はするけど、自己嫌悪まではならなかった。今は自己嫌悪。
人を責めるつもりじゃないのに、いつの間にか口調は人を責めてる。人が許しを求めたら、許してあげなきゃいけないってどこかで読んだことがあるけど、それを実行しようと思うとどうもちぐはぐになっちゃって。昨日書いたことじゃないけど、「人にしてもらいたいことを人にしなさい」というのであれば、人をそのままの形で受け入れないダメなの。だって自分がありのままの自分で受け入れられたいもの。でもね、それがまったく出来ない。やってることは、ここの出っ張りを削って、ここの凹みを突き出して…って感じで、相手を自分の形に合わせている。「人にされてイヤことは人にするな」っていうのであれば、自分自身が今やってることって、すっごくイヤなこと。頭ではこれじゃいけないって思ってるけど、行動が伴っていないの。苦しい。
何でこんなに苦しまなきゃいけないんだろうって思うこともあるけど、ふと我にかえると、すべては自分で選んだことなんだってことがわかるの。でも、今はどうすることも出来ない自分がいる。もう、自分が自分でなくなってるみたい。今って、婚約解消が決まったときのよう。何も手につかないや。山のように宿題がたまっていて、いついつまでにやらなきゃってわかっているのに何も出来ない。つらい。
昨日友達にもちょっといわれたけど、実は自分の中でわかってるところもあるの。自分が納得いくまで今は真っ暗闇を走り続けることをやった方がいいって。自分がボロボロになるまで走り続けることが必要だって。昔、1度やったことがあるからわかってるの。でもね、怖いんだぁ。また、もぬけの殻になってしまうことが。生きる屍になってしまうことが。
このごろつくづく思う。いくつになっても人付き合いが下手だなぁって。頭と心がいつもちぐはぐ。いつも、いつも、人を責めてしまってる。人を悲しませてる。一体、どれだけの人を悲しませ、どれだけの人を傷つけてきたのだろう。もう、本当はそんなこと、したくないの。でも、いつもちぐはぐ。人が近くに来れば来るほど、自分の刃が相手を傷つけ、そして誰もが離れていく。だから人との距離ってどうとっていいかわからない。すべてがちぐはぐになってるかな。
もし、あなたが誰かを愛したとき あなたは好きな人といつも一緒にいたいと思いますか?
もし、私があなたを愛したとき 私といつも一緒にいてくれますか?
もし、私があなたを愛したとき 私の愛をもらってくれますか?
もし、私があなたを愛したとき あなたは私を愛してくれますか?
もし、私が… |