今日も暑い1日。っていってもムースは冷房のガンガン効いた図書館にいたので、暑いどころか寒くなって暖かな家に戻って来たんだけど。どうやらまた明日も暑くなりそう。9月に入って涼しくなるどころか、日々暑くなっていってる。そのうちに真夏より暑い日々になっちゃったりして。 昨日の晩はいつになく早寝。11時に消灯。こんなこと年に何回あるんだろうってくらい早く寝室へ行っちゃった。でも、何か寝つきが悪くって12時に目を覚まして、ボーっとTVを見てたの。どれくらい見たんだろう?1時間くらい見てたのかな?全身金縛りのようになってて、何かをしようにも全く動けなかったけど。変な感じだったなぁ〜。本当の金縛りにはなったことがないからよくわからないけど、TVもついている明るい部屋の中で体が何も動かないってちょっと恐かった。一瞬頭の中を過ぎったのは、鬱病って言葉。鬱になると自分で体を動かそうにも体が思ったように動いてくれないって聞いたことがあったから。嘘か誠かはわからないから、何ともいえないんだけど。 ここのところ、何か別の力が働いて、今までとは違う歯車が回っている感じがする。何か変。いい方に向かってるんだか、悪い方に向かってるんだか、わからないからちょっと恐いなぁ。8月に「ハリーポッターと賢者の石」を読み始めてからというもの、何かに取り付かれたかのように本を読みまくってる。本を読むこと自体は決し悪いことじゃないんだけど、何だか片っ端から読んでいってるっていう行為が…。何だか違う歯車が回っているみたい。1人で有意義に過ごそうと思った結果こうなったのか、ストレスが溜まっていて吐き出しようのない気持ちがこうさせてるのか。ムースにもよくわからない。もうちょっとしたら、真実が見えてくると思うけど。今はまだ何も見えないから、この流れのまま進んでいくしかないかな。本を読むことは悪いことだと思ってないんだから、わざわざそれをやめる必要ないもんね。狂いを生じさせている歯車が、ちゃんとしたものなら、壊れることなく、このままの状態が続くと思う。自分が変化したっていうことになると思う。だけどもしその歯車が粗悪な製品だったら、そのうちに壊れて、空回りを始めてることと思うから。このときはまた大変なことになるのかな。今のところ真綿で首が閉まっているって感覚はないし、苦しいって感じもしないから大丈夫だとは思うけど。でも昨日の晩は久しぶりに孤独感があったな。初めての週末で街は酔っ払いで大賑わいだったけど、部屋の中で1人ボーっとTVを見ているムースには関係のないことだったから。もしかしたら飲み屋へ行けば誰かに会えるのかなって思ったけど、会ったところで何をしたらいいんだろうって思ったし。夏はどうだった?って聞かれたところで家にいたとしか答えられないからね。そう思うとやっぱり寝ようと思って寝室へ行ったし。今朝はこれでよかったって思えたし。何か内側で変化を起ってるのはわかるんだけど、目に見えないからやっぱり歯痒いな。この歯車がいい方へ向かわせるためのものであればいいんだけど。 今日、アーネスト・ヘミングウェイの「日はまた昇る」を読了。今1つ集中して読んでなかったせいか、読み終わったあとに残ったものが何もなかった。失われた世代ってどんなことだったか感じとれてない気がする。後半はサンフェルミンのことが中心に書いてあったんだけど、あれはスペインのことを知っているムースには刺激でなく、思い出だったなぁ。人によっては刺激になると思ったけど。たくさんお酒を飲んでいるシーンや闘牛のシーンはごく普通のスペイン。文中に闘牛士がベロニカを4回決めたって書いてあったけど、ベロニカが何だかわからない人にはへぇーっていって終わっちゃうんじゃないのかな?ってムースもベロニカがどんなものだったかよく覚えていないけど、唯一闘牛の技で覚えている名前がベロニカだったの。だから何となくすごいんだなぁって思えたけど。ベロニカってもしかしたら牛が脇を通り過ぎても、右足を動かさない技だったかな?よく覚えてないや。ただこの闘牛シーンの描写はよかった。こんな感じなんだろうってことが伝わってきたから。闘牛を見たことない人には何も伝わってこないかもしれないけど、ムースはTVで何度も闘牛を見てたので、闘牛士が最後に剣を牛の首というか肩の間に刺すシーンでの緊張感がすごくよく伝わって来ちゃった。1度で仕留めることができればいいけど、下手な闘牛士は何度も刺すからね。これは見ていてイヤな気分。このときに牛がアップになったら、思わずTVを消したくなる。っていうのは牛の目が見えちゃうから。闘牛って命あるものを大観衆の前で殺すものなので、とっても残酷なもの。それだけに死ぬときはぽっくりといってもらいたいからね。っていっても生き延びてる牛も実在するけど、それは有名じゃないもんね。闘牛といえば、必ず殺されるものだと思うかもしれないけど、死なずに生き続けることが出来る牛もいるの。微々たる量だけどね。何でだったかは忘れちゃった。 ところでこの本はハッピーエンドってことなのかな?一応、それっぽかったけど。やっぱり今1つ感じとれないものがあったなぁ。この本を読んでいてムースが感じたのは闘牛シーンの緊張感。それとサンセバスチャンの海岸の風景が目に浮かんできた。ラ・コンチャ、貝殻って呼ばれる海岸なんだけど、文中ではコンチャってそのまま書いてあったなぁ。あの美しい景色を何度も思い出しちゃった。結局スペインを思い出しただけかな? 昨日夜中に目が覚めたとき見ていたトーク番組の中で、シャキラ(SHAKIRA)っていうコロンビア人の歌手が出てたの。ムースはこのシャキラって人を全然知らなかったけど、彼女の歌うWhenever, Wherever って曲は何度も聞いたことがあった。このシャキラって人が番組の最後にスペイン語で話したんだけど、笑っちゃうことに1つもこれを聞き取ることが出来なかったの。ムースは南米訛りのスペイン語は苦手だけど、それでも聞き取れていたのに。昨日は全く何もわからず。ちょっとショックだった。 「日はまた昇る」を読んでスペインのことを思い出したところだったし、昨日の晩シャキラのいったことが何もわからなかったので、今日からはスペイン文学に挑戦。ってムースはセルバンテスのドン・キホーテ以外はスペイン文学なんて知らないからちょっと困っちゃった。そんな訳で朝っぱらから検索をしてスペイン人作家を探したの。この人だったらって思った人の何人か候補に上げて、その中の1人、ミゲル・デリーベスって人の本を読むことに決めちゃった。この人はたくさん本を書いているし、ムースの調べた限りでは5冊の本が日本で出版されてるみたい。「灰地に赤の夫人像」(Señora de rojo sobre fondo gris)、「好色六十路の恋文」(Cartas de amor de un sexagenario voluptuoso)、「赤い紙」(La hoja roja)、「エル・カミーノ」(El comino)、「異端者」(El hereje)。でもムースが借りてきたのはこの中のどれでもなかったんだけど。っていうか別の本しかなかったから、仕方がなくそのうちの1つを借りてきたの。「El diputado voto del señor Cayo」って本。何て訳せばいいのかな?カヨ氏の代議士投票?変だな。カヨ氏の代議士投票権?最後まで読んでみないとしっくり来る題名が浮かばないや。何を思ったんだかわからないけど今日からこれを読もうと思ったの。ただムースには難しすぎ。多分、文字を追って終わりになっちゃうような気がする。それでも最後まで読むけどね。これが読み終わったら、いよいよジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」を読もうかな。この間、ムースが「怒りの葡萄」を読もうと思ってるんだって先生にいったら、絶対に読んだ方がいいって強く薦められたし。特にこの北の国っていう場所柄、この本に書いてあることに親近感を持てるからなんだろうなぁ。 新しく回り始めた歯車が「怒りの葡萄」を読み終わるまでちゃんと回ってくれるのだろうか?学校はまだ始まったばかりで、宿題も少なく、自由な時間が多いから、今は何1つおかしなことになっていなけど。いい方に回ってると信じてみようかな。 |