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Mi Pensamiento Diario

ベター・ハーフ

今日から以前の色に戻したの。もうそろそろ秋だもんね。納涼感を出そうと思って青を使っていたけど、今日からまた通常の色に戻します。青は何となくボーっとした感じだったね。色を戻してみて気付いたんだけど、こっちの色の方が文字がはっきり見えるかもしれない。色が変わっただけなのに、字が大きく見えるのは気のせいかな?
今日色を戻しているときに過去の日記をチラリと覗いたんだけど、ここ2ヶ月は隣りの部屋からの騒音に随分悩まされてるってことを書いてるよね。文句を書いてる日が多かった。多分、今は神経がかなり消耗してると思うの。だって昨日までラジオをつけられなかったから。音を聞くのがイヤだった。っていってもここ2日間は静かだから気持ちも落ち着いてるからいいんだけど。でも、片方の耳はほとんど聞こえなくなってる。多分、精神的なもの。いつも右側から重低音が聞こえてたんだけど、今は右耳では音があまりよく聞こえないし、何だか変。違和感がとってもあるし、緊張してる感じがするの。それに外から車の音が聞こえるだけで、ドキッとするしね。こんなに神経を消耗するものかとも思うけど、生活騒音が原因で事件が起こることを考えると、やっぱりこれくらいはおかしくなるものなんだなぁと妙に納得してみたり。とりあえず聴力が戻って欲しいけど、一体いつの日になることやら。この間友達から電話があったときは無意識のうちに左耳に受話器を当てていたし。身体的に何かがあって音が聞こえづらい訳じゃないので、いつの日にか聞こえるようになると思うけど。出来れば1日も早くもとに戻って欲しいなぁ。

今日は唯川恵の「ベター・ハーフ」を読んだの。ムースはこの手の話が好きだと思う。本の中の時間があまりにも長いので、ちょっと間延びした感もあるけど、1990年代の10年を考えるとこんな感じだったねぇって思える。時代が昭和から平成に変わって、バブルが弾け、右肩上がりの成長が止まったこの10年。ムースはムースなりに思い出があるので、本の中に書いてあることと自分がやっていたことを重ね合わせながら読んじゃった。たった今読み終わったばかりだし、まだ晩御飯も食べてない状態。だって唯川恵の作品って大体2時間半から3時間半くらいで読み終えるから、今日もそれくらいで読んじゃうと思ってたんだもん。でも今日はそれ以上時間がかかったの。実はページ数が違っていたから。いつもは大体300ページくらいの本を読んでいたの。でも今日読んだ「ベター・ハーフ」はなんと400ページちょっと。100ページも多かったんだよね。200ページを越えたあたりで、ふと思ったんだ。まだ半分しか読んでないの?って。2日にわけて読みたくなかったから、今日一気に読み上げちゃった。
本の始めは平成に変わってすぐくらいのことが書いてあるけど、あの頃はバブルでねぇ。世の中が狂喜乱舞してたよね。昭和63年って世の中自粛ブームだったじゃない。ムースはふと思い出したんだけど、某自動車メーカー、セフィーロのコマーシャルで、井上陽水が「みなさ〜ん、お元気ですかぁ〜?」って車の窓を開けていってた台詞ですら、自粛とかいって音なしにしちゃったもんね。本当に何から何まで自粛だったよね。それが明けて翌年の平成元年はねぇ。バブルの最高潮のころだったかな?舞浜のベイエリアのホテルがクリスマス・イブの晩はカップルで満室になったりもしたよね。ムースは今でも覚えてるけど平成元年のクリスマス・イブの晩は東京は雨だったの。山下達郎のクリスマス・イブの歌のように♪雨は夜更けすぎに 雪へと変わるだろう…って感じで冷たい雨が降ってたんだ。その日はバイトをしていて、バイト仲間でクリスマス・パーティーをやるっていってたんだけど、ムースは何となく参加したくなくって。だから雨の中1人で晩御飯を食べ行こうとしたの。だけど、どこもやってる店がなくって困ったことを昨日のことのように覚えてる。それまではクリスマスイブといえば、友達と文句をいいながら渋谷で毎年飲んでたんだけどねぇ。それも昭和と共に終わり。今思うと飲めないお酒を飲んでいたあのころが懐かしい。年に3回くらいしか飲みに行かなかったうちの1回がクリスマス・イブだもんね。それが今じゃ…。毎日、スミルノフ君とたわむれちゃうんだから。映画「ブリジット・ジョーンズの日記」の中ではレニー・ゼルウィガーがAbsoluteを飲んでいたけど、ムースはもっぱらスミルノフ。だってスミルノフの方が安いんだもん。そういえばティファニーのオープンハートのネックレスなんていうのも流行ったときかな?銀座の三越にあるティファニーに人がごった返していたのを今でも覚えてる。そういえばパリのヴィトンの本店に日本人が並んでいたのもこのころだったのでは?あのころって海外で買った方が国内で買うより安かったころだよね。確か国内の7掛けから8掛けで買えたんじゃなかったっけ?猫も杓子もヴィトンっていってころじゃないかな?この物語はそんなころに結婚した夫婦の物語なんだ。
バブルが弾けてからはリストラの嵐。この本の中にもそんなことが書いてあったけど、本当この10年間で失業率も増えたよね。1994年や1995年のことも書いてあったけど。そういえば1994年ってそんなに暑かったっけ?って思っちゃった。最近は毎年猛暑なんていわれてるからそんな暑くなかったんじゃないかなって思ったんだけど。っていってもムースは8月の中旬には会社を辞めちゃって家で毎日のほほ〜んとしてたけど。だって9月にスペインへ向けて旅立たなきゃいけなかったから。期待で胸が一杯になってたときだったかも。日本へ帰って来たら外国と取引をする会社に勤めたい、国内相手の仕事なんてイヤって思って渡西したかな。ムースが日本に帰って来たころには景気は回復するだろって思ってたし。でも一抹の不安は隠しきれなくて、飛行機の切符は1年オープンの往復航空券を買っていったけどね。もちろん、帰りの切符は捨てましたよ。そんな不安をよそにムースは楽しんでたから。
物語の後半ではお受験なんてものも出てきたけど、これもねぇ。殺人事件にまで発展したこともあったよね。本の中に私立の学校を受けたのに受からず、公立へ行ったら「私立に落ちた子」っていわれるって感じのことが書いてあったけど、これもね…。実はムースの周りでも私立中学を受験したんだけど合格しなくって、越境して他の中学校へ行ってる人もいたの。あとは小学校受験がダメだったから、今度は中学校受験をしたけどそれもダメだったって人もいたし。物語の中でも似たようなことが書いてあったけど、親が子供に入れ込みすぎちゃって、プレッシャーを与えすぎちゃうと子供は萎縮しちゃうからね。親が冷静さを失っちゃうと、子供のためにっていっておきながら、結局は子供をダメにしちゃう。子供が親の顔色ばかりを気にしちゃうもんね。そう思うと我が家はかなりの適当だったかも。っていうかムースの意見を尊重してくれてたからね。受験相談のときに母が塾の先生から別の学校の受験を勧められたらしいけど、ムースが受けたいっていう学校を受けさせますっていってたらしい。父も結構気を使ってくれてたみたいだし。星一徹のような、気の短い父が受験の前日の晩だけはムースが散々我儘をいっても怒らなかったもん。って実は滑り止めを落ちていたムースは、本命受験の前日に「これを食べたら受かる」とかいって、お寿司を食べたり、ケーキを買って来てもらったりしたの。多分、自分が思っている以上に緊張していて、それが父に伝わってたんだと思う。いつもなら卓袱台をひっくり返すかのような勢いで怒るのに、好きにしなさいっていってたかな。って思うと、お受験はこれくらいの方がいいのかも。ちょっと無関心を装ってるくらいが変なプレッシャーを子供に与えなくていいかもしれないね。
この物語って夫婦の物語だったのに…。ムースが何かを書くとすぐ話がそれちゃうね。この物語で作者のいいたいことは最後の集約されてるのかな?どうして結婚したってことに…。もちろん、本の中にはどうしてかってことが書いてあるけど、ここでは書く必要もないかな。人それぞれ違うと思うから。同じ思いでも言葉が違うこともあるし、同じ言葉でも違う思いってこともあるし。ムースはこの本を読んで思ったのは、もし結婚した理由を本の中に書いてあるように思わなかったら、思えなかったら、結婚しても寂しいだろうなぁって思っちゃった。って実際に結婚したことがないので、結婚生活がどんなものかも知らないんだけど。
今日は何だか懐かしい気分になれてよかった。お腹すいたから、晩御飯作って食べよぉー。


2002年08月31日(土)



ライ麦畑でつかまえて

昨日の晩はかなり飲んじゃったみたい。別に何があったって訳ではないのに、たくさん飲んでた。しかも今朝5時ころまで飲んでいたの。記憶がないほど飲んでいた訳じゃないから、ただ単に飲みたい気分だったんじゃないかなって思うけど。でも、酔ったとき特有の行動を起こしてるので、ムース自身はかなりしっかりとしてたと思うけど、結構酔っていたんだなぁって思うんだ。まずその1つに、友達に長々とメールを書いてたの。ムースが酔うと普通はしゃべり続けるんだけど、今はしゃべる相手がいないのでメールを書くの。昨日は友達にメールを書いたんだけど、それはいつのも倍も書いてるからビックリ。もしかしたら本当は彼女としゃべりたいのかも。っていっても今はスウェーデンにいるので、電話をするにしても高いし、会ってしゃべるなんてことはできないけど。昔はいつも一緒に飲みに行ってたから。週に2回から3回は一緒に飲んでいたかな?いろんな話もしたし。ムースも昔は恋の話をすることがあったので、彼女にはいろいろと話してたかな。彼女の恋の相談にものったし。お互いに愚痴をこぼしあってたし。懐かしいなぁ。
この飲みすぎのせいで今日は12時に過ぎ迄寝てたし、起きてからも今1つ調子がよくなかったの。でも頭が痛いとか、胃が痛いとかってことはなかったからラッキーって思ってたんだけど、晩御飯を食べてから胃が痛くなっちゃった。クリームソースのフェットチーネなんて食べてる場合じゃなかった。これって胃に重いから。胃がビックリしちゃったんだろうね。この調子だと2、3日は胃痛とお友達かな?週明けには調子がよくなってるだろうから、これといって大きな問題じゃないんだけどね。
先週から読み始めた「ライ麦畑でつかまえて」をついに読了。この本は意外と早く読んだかも。先週の木曜日に図書館で借りてきて、今日読み終わってるから、足掛け9日で読んだんだ。なかなかいいペースかもしれない。それにこの本はかなり読みやすかったから。だからこんなに早く読めたのかもしれないね。この本を読んでいたら、何だか昔のことを思い出しちゃった。この本の主人公が高校生だからそんなことを考えたのかな?あの頃は背伸びがしたくてしょうがなかった。大人に思われたくてしょうがなかった。でもその反面、現実を知らないし、現実を知るたびにいろんなことに落胆して、未来なんかつまらないことばかりだと思ってみたり。自分が何をやりたいかがわかってないから、そのイライラばかりが募って、何もかもがつまらなくなってたり。だからいつの文句ばかりいってたかも。でも、自分じゃ何にも出来ないの。心のどこかで自分は1人じゃ何もできないって感じてたのかもね。でも、若さ故に威勢だけはよかったかも。いわゆる空威張りだと思う。バカにされたくはなかったし、見下す人が大嫌いだった。今に見てろって思ったものの、ふて腐れるだけで何もしなかったり。すごく不安定だった。それに早く死にたいって思ってたなぁ。もし今死んだら誰が泣いてくれるだろうって真剣に考えてみたり。若かった。今は生きていたいって思うから不思議だよね。若い頃は失恋しただけで自棄になって、もうどうなってもいいって思ってたのに。今はどうなってもいいって思わないもん。もちろんショックはそれなりに受けるから、いつの間にか心がいうことを聞いてくれなくなっちゃうけど、それでもこれやりたい、あれやりたいって思い続けてるし、1人でどうやって生きていこうかなって考えてるもんね。これが10代のときだったら自殺未遂とか起こしてそう。若いって勢いがあっていいけど、その反面、自分をうまく制御できないから進む方向を誤っちゃうと、勢いにのってどこまでも行っちゃって、内側から壊れていっちゃう感じがする。それに純粋だから1度何かを思い込んじゃうと、自分の思いが強すぎちゃって他の人の話が何も聞けなくなっちゃったり。年をとってくると勢いはなくなるし、恐いって思うことも多くなるし、守るものも多くなるし。純粋さもなくなって、どこか打算的だったり。でも、それが故に若いってことがうらやましく思える。あの純粋さが欲しいとか、荒削りな感じがよかったりとか、ときに無鉄砲さがうらやましく思えたり。冒険ができるっていうのが本当にいいよね。ムースはピーターパン症候群にどっぷりとはまっているので、いつもでも大人になるのを拒否して、夢を見続けているけど、やっぱり10代のころのようには立ち振る舞うことが出来ないから。いくら大人になるのを拒否しているといっても、出来る部分と出来ない部分があって、1歩でも家の外に出たらやっぱりそこは大人として責任を問われちゃうから。だから責任を持って行動しなきゃいけない。もう若気の至りですっていう言い訳は出来ないから。ただ大人になっていくにしたがって消えていく夢や希望はいつまでも持ち続けていたい。だから一生懸命大人になることを拒否しているのかもしれない。って夢や希望を叶えるために何かをすればそこに責任っていうものが発生しちゃうけどね。
ここんところ、書いてることに全然まとまりがないなぁ。何がいいたいんだろうって感じ。うぅ〜ん、とどのつまり、若いっていいなぁ、うらやましいなぁってことかな。そんなことがいいたいんだろう、きっと。若いうちはいろいろな壁にぶつかって絶望することも多いかもしれないけど、もうやめたっていって投げ出さずにやり続ければ、必ず何か見えてくるものがあるから。ムースはそう思うんだ。

そういえば「この日の日記」で英語のサイトを立ち上げたいって書いたけど、これが難しいの。だって英語でエッセイなんて書けないもん。思ったことを英語で書こうかなって思ったけど、短い日記を書くのが関の山。もう本当に大変。中身はないんだけど、外見だけは出来上がってるの。ってこのHPと一緒にしちゃったから新たに作った訳じゃないけど。アップロードもしてあるから表紙だけはもう見れるんだけど。でも中身が…。中身をどうにかしなくっちゃ。ってどうやったら英語でエッセイなんて書けるの?言葉が出てこないよぉー。この間見つけたライコスとかの翻訳機に任せるしかないの?それはイヤだなぁ。


2002年08月30日(金)



アイスホッケー

ちょっと失敗。ジョギングから戻って来たあと、いつもだったらジュースを飲むのに、今日は何となくビールを飲んじゃったの。シャワーを浴びたあとの一杯だったし、おいしいなぁって思って晩御飯を作りながら飲んでたら…。♪まわる まわるよ 海をこえて みんな楽しい酒がまわる まわれ まわれ まわれ…って感じでやたらまわっちゃった。考えてみれば今日はまだ何も食べてなかったの。そんな訳で今は何だかとってもいい気持ちで。それなのに日記を書いているムースって変だよねぇ。
昨日の日記を今朝読み直して見たんだけど、この日記を以前から読んでくださってる人はあれって思ったんじゃないだろうか?だっていつも1人ぼっちって書いているわりには、体育会に所属してるって書いてあるんだもんね。って実は♪口笛拭いて空き地へ行った 知らない子がやってきて遊ばないかと笑っていった 1人ぼっちはつまらない 誰とでも仲間になって仲良しになろう…って思った訳ではなくて、このHPを立ち上げる前まではムースも元気に活動してたんです。ただ、ふっとすべてのことに疲れてしまって練習へ行かなくなったら、いつの間にかシーズンが終わっていてチームも解散してたの。だからこの日記にはいつも1人でいるように書いてあったんだ。っていうか本当に誰とも話すことなく、いつも1人でいたから。ただ今年も10月になるとムースが運動をするシーズンになるので、昨日の日記では所属してる体育会のことを書いたという訳です。去年の夏、ここに引っ越してきて、右も左もわからなかったし、誰1人として知ってる人がいなかったので、ムースは必死に友達作りに励んでたの。だから毎週末飲み会に参加して、バカなことを散々やっていたんだ。バカをやると覚えてもらえるからね。って普通にしててもムースはちょっと目立ってたけど。でもいろいろとあって輪の中に入るのは難しかったんだ。1つには共通の話題を見つけられなかったことかな。年も違えば、都会育ちのムースと田舎育ちの人たち。この溝はちょっと大きかったかも?せめて年が近ければ、少しはどうにかなったかもしれないけど。そんな感じだったから、飲み会でも1人になってることが多くなっていったの。で、そのうち飲み会も参加しなくなっちゃってたし。いつの間にか1人きりになってたんだ。今年は去年のように必死になって友達を作ろうとは思ってないから、気楽なんだ。それに半分くらいのチームメイトが今年も残っているし。一生懸命仲良くなろうとする必要ないもん。普通にしてればいいから。今年は去年とは違った感じのチーム形態だっていう話だし。10月になってのお楽しみかな?
そういえば楽園茶屋の管理人パグのしっぽさんの日記にアイスホッケーのことが書いてあったの。詳細は「ここ」をクリックして日記を読んでください。今年から1チーム減って日本リーグは5チームになっちゃうんだよね。今のムースはアメリカのプロのアイスホッケーに興味があるので日本リーグは全く見に行かなくなっちゃったけど。っていうか、会社が変わりすぎちゃって、たまに混乱するの。例えば、王子製紙は神崎製紙を吸収合併したときに新王子製紙と社名を変えたと思ったら、今度は本州製紙と合併してもとの王子製紙に戻しちゃったり。ムースが見に行ってたころは、日本製紙が十条製紙だったころで、山陽国策パルプと合併したときに今の名前になったんだよね。それが今度は社名でなくクレインズと呼ばれていたりして。日光バックスは昔の古河電工だし、コクドは国土計画だったし。西武鉄道くらいかな、今も昔も一緒なのは。ただ残念なことに雪印はあの事件のことでついにチームがなくなっちゃったよね。ムースが札幌にある叔母の家から母の実家に帰るとき、いつも新札幌にある雪印アイスアリーナの前を通っていたし、いつの日にか新札幌で試合が見たいなぁって思ってただけにちょっと残念。パグさんの日記にはコクドのゴーリー(日本語だとキーパー?)の岩崎の名前なんか出てたけど、懐かしいねぇ。ムースは彼が国土計画に入ってからは彼が出場してる試合を見に行ったことがないけど、まだ明治大学でやってる頃はよく試合を見てたから。あの頃の明治大学はムチャクチャ強くって、卒業後王子製紙へ行った松浦が結構目立ってたかな?って考えてみればムースが大学ホッケーを見始めたころって、コクドの坂井がまだ明治大学の学生だったかも?最近日本リーグを見ないだけに何だか懐かしい思いをしちゃった。といってもやっぱり今のムースはNHLのファンなので、2年半に1度見る生NHLを期待してる毎日なの。2年半前の2000年4月、ムースはカナダのバンクーバーに出没して2試合も生でNHLの試合を見ちゃったし、その2年半前の1997年10月にカナダのトロントに出没して1試合生でNHLの試合を見たの。さらにその2年半前の1995年の4月、ムースはスペインで毎日飲んだくれて、アイスホッケーのことはすっかり忘れてた。どちらかというとバルセロナFC対レアル・マドリードの方が重要だったのかも?だって老若男女すべてその話題をするんだもん。でもさらその3年前の1992年の3月はカナダのバンクーバーに出没して1試合観戦したんだ。ってことはこの秋、2年半ぶりにNHLを見るのでしょうか?いや、見なそう。だってお金がないんですもの。それに生でNHLを見るとキャーキャーいっちゃって大変だから。ビールをグビグビ飲んじゃうし。本当に生NHLは大興奮だから。日本リーグはその点とっても静かかな?っていうか企業対抗のアイスホッケーだし、観客と会社から応援に借り出されている応援団との波長が合ってなくて、応援団のみが一生懸命応援してるって感じかな。NHLはお客さんが楽しんでるからウェーブも起こるし、電光掲示板に「NOISE」と出ればお客さんみんなが叫ぶし。それと1番の違いはやっぱり地元意識かな?ヨーロッパでのサッカーやアメリカでの野球、アメリカンフットボール、バスケット、アイスホッケーのように地元が勝ってなんぼって意識が日本にはあまりないもんね。唯一その傾向があるのは高校野球くらいかな?それに日本のアイスホッケーは北海道が中心だし、ほとんどの選手は苫小牧か釧路の出身だもんね。だからどうしてもしらけちゃうのかも。長野オリンピックのときでさえ、フィギアスケートやスキーのジャンプ、ノルディック複合に比べたらそんなに盛り上がらなかったよね。っていってもムースの周りではムチャクチャ盛り上がってたけど。
前にナベツネ新聞を読んでいたらロシアのウラジオストックだかハバロフスクのチームが日本リーグに入れて欲しいっていってるという記事が載ってたけど、どうにか調整して、日本リーグならぬ日本海リーグを創設して、日本海沿岸に位置する国のアイスホッケーリーグを作っちゃえばいいのにね。そうしたら、苫小牧のチーム(王子製紙)対ロシアのチームとかロシア対韓国とかっていう組み合わせになるから、選手はホームゲームとアウェイの違いを実感できると思うし、見ている人も地元を応援するだろうから、面白くなると思うんだけど。あくまでも日本海リーグであって、東海リーグではありませんから。東海リーグだと、名古屋のチーム対静岡のチームって感じだもんね。やっぱり日本海リーグでしょう。それがダメだったら間宮海峡リーグでも宗谷海峡リーグでもいいけど。堤義明は西武ライオンズを手放しても、アイスホッケーだけは手放さないってくらいのホッケー好きだから遠征費用くらいどうにか工面するだろうし、ロシアのチームはどうやらお金を持っているらしいので、日本への遠征費用も工面できそうだし。日光バックスはますます経営が大変になっちゃうけど、そこは日光市民の理解を得て、今まで以上に日光市からの補助をもらって、存続していってもらいたいなぁ。本当は日光バックスの興行収入がたくさんあればいいんだけどねぇ。日光市の人口を考えるとどうしても限界はあるし。前社長の高橋健次氏がバックスを存続させようとここまで努力したから、どうにか存続していってくれるといいなぁ。ムースがちょーお金持ちだったらいくらでも資金援助してあげるのに。
何だか今日も取り留めのないことを書き綴っちゃった。もうアルコールは抜けましたから。これだけ書いている間に酔いなんて覚めちゃうって。ねっ。

最後に。日光バックス存続のために最後の最後まで奮闘努力していた高橋健次氏のご冥福を心より祈ります。


2002年08月29日(木)



新入生

今日午後から学校へ行ったの。図書館で涼むっていうのも理由の1つなんだけど、たまには授業が始まる前に教科書を買っておこうかなって思って。ムースの場合、いつも最初の授業のあとに教科書を買っていたから、必ず1教科は品切れで取り寄せしなければなりませんっていわれてたの。大体4教科しか履修してないのに、1教科は教科書を取り寄せになるっていうのもすごいことだよね。夏の授業は2つしか取ってなかったのに1つは取り寄せになっちゃったんだから。そんなこともあったので、今回はちょっと心を入れなおしてちょっとだけ早めに行動したんだ。ここ数日暑さのぶり返してる北の国は、今日も暑くって28℃まで気温が上がってたの。炎天下の中、購買のある建物へ行くとそこには大量の新入生。何をしてるんだかよくわからないけど、地図を見ながら校内を探検してたみたい。しかもいくつもグループがいたからよくにぎわってること。ビックリしちゃった。ここ北国コンピュータ学院は学校の決まりで20歳になるまでは学校の寮に強制的に入れられちゃうの。ムースはアパート暮らしなので寮がどんな感じだかはわからないけど、大体2人で1部屋みたい。もちろんバス・トイレは共同で各階に1つあるのかな?もしかしたらそうじゃない寮もあるかもしれないけど。上級生が住んでいる寮は4人で1つの部屋なんだけど個室が与えられるみたい。要するに4人で台所とバス・トイレのみ共同ってことかな。変な日本語だけどわかるかな?下級生用の寮は1部屋を2人で使ってベッドも机もタンスも1つの部屋の中に2つずつ入っていて、あとのものはすべて共同。台所はないっていってたかな。みんな学食で朝昼晩って食べてると思う。でも上級生用の寮は4LDKに4人で住むって感じ。これだと何となくわかってもらえたのでは。とにかくそんな感じなので、キャピキャピとした若者がそこら辺にいるの。でも、そんな若者を見てたらなんだか懐かしくなっちゃって。そういえば、あんな時代もあったけなぁって。
ムースは入学式の日にアルバイトが入ってたので、あまり学校でうろちょろはしなかったんだけど、その日にサークルの勧誘があったみたいなんだ。何せ同じ学校に友達がいなかったから、1人でいてもつまらないし、バイトへ行ってた方が楽しかったから、入学式にちょこっと顔だけ出してすぐにバイトへ行っちゃったの。で、次にオリエンテーションで学校へ行ったときも、家から2時間半も離れた山奥まで行ってたからさっさと家に帰りたくって。気がついたらその2日でサークルの勧誘は終わっててムースは見事にサークルなしっ子への道を歩むことになったんだ。サークルなしっ子の場合、友達が出来るまでに時間がかかるんだよね。それにそのころから人見知りがあったので、なかなか自分から話し掛けることもなかったし。語学以外はクラス単位の授業っていうのがなかったし、大教室で知らない人ばかりだし。そう思うと、今もそんなに変わらないかなって思っちゃうのは気のせいだろうか。今は大教室じゃないけど、知らない人が多いもん。顔は見たことあっても話したことのない人とか。
ムースのような人が新入生の場合、実は強制入寮って友達を作る場としてはいいんだよね。般教は何とってるっていうのも話題としては共通性があっていいだろうし。って今は寮なんかで暮らしたいとは思わないけど。だってみんな若いんだもん。若さに圧倒されて疲れちゃう。それに寮内はお酒厳禁だし。ムースはそれじゃ生きていけないから。ここ北国コンピュータ学院でサークルの勧誘はあまり見たことないけど、サークルに入っている人はそこでも友達が出来るだろうしね。ムースの所属してる体育会?サークル?でも一応毎年募集するけど、経験者のみしか入れないから。高校生のときにやってなかった人はまずいないかな?昔、サークルに入ってなかっただけに、今回はサークルなしっ子にはならないって心に思ってたもんね。今日見た若者達が来週から学内を闊歩するんだねぇ。ムースの所属してる体育会では新歓コンパなるものはないけど、毎週末が飲み会。しかも去年新入りだったムースは一気をかなりやらされました。この歳になってそんなのやりたくないんだけど、若い人はやりたがるんだよね。仕方がないから付き合ったけど、つらかったぁ。大体ムースが最初の生贄。そのあとみんな一気をやらされてたけど。1番大変だったのは、約1メートル50センチのビニールホースの上に漏斗がついた変なものにビールを入れて飲まされたときかな。ホースの端にはコックのようなものがついていて、それをひねるとビールが上から流れ落ちてくるっていうもの。男で6人くらい女で3人くらいの人がやらされたかな?大変だったぁ。今年はもう下らないことはやらないけど。っていうか飲み会にもそんなに顔を出さないと思うけどね。この飲み会って実は全然知らない人もたくさんいて、18歳くらいの女の子がフラフラになっているのも見るし。新歓コンパや新入生同士飲んで急性アルコール中毒でたくさんの人が命を落としてるだけに、若者には飲ませないようにしないと。ってムースは強要されることはあっても、強要したこともないし、いつも飲ませないようにしてるから。年寄りの役目かな?親元を離れ、うれしくなって、飲んだこともないお酒を飲みすぎちゃう子が多いんだよね。特にこれからの季節。
今日も何だか取り留めのないことを書いてしまったなぁ。まぁ、毎日お堅い政治の話よりはいいかな?一応、ムースは学生だし、学生らしい話題をたまには書きたいし。


2002年08月28日(水)



ちょっと政治

今日は朝起きれなくてちょっとビックリしちゃった。重低音騒音のことを最近よく書いていたけど、それがトラウマになっていってるのかも?っていうのは、最近ちょっとでもドドーンって音が聞こえるとすごくビックリするし、体がカーッとなってるのがわかるから。きっと副交感神経が作用して、アドレナリンを大量に分泌して、戦闘態勢になってるんだろうね。何でこんなになっちゃったかわからないけど、やっぱり毎日、毎日繰返し重低音だけを聞いていたからかな。壁や床が音で振動してるのがわかるから。世の中には体の不調を訴えてる人がいる訳だし、医学的にもよくないって証明されてるんだろうね。で、ムースが何もしてないかというと、なるべく我慢しながらも、あまりにもイライラするときには音を下げてもらうようにいいに行ってるの。ここ1ヶ月で5回は行ってるかな?先週は平和だったから何にもいいに行かなかったけど、っていうか不在っぽかったので、実際には3週間で5回いいに行ってることになるかな。もちろんいいに行った日は静かになるけど、翌日か翌々日になるとすぐにうるさくなるの。文句をいいに行くのも疲れちゃうくらい。さすがに毎日、毎日いいに行くのはねぇ。そろそろ警察に電話をしようかなって考えてるんだぁ。そうじゃないと収まりがつかなそうで。最近は安定した状態だと思ってたのに、すっかり神経が消耗しちゃってる。そんな自分に今朝気がついたかな。毎日ラジオをつけてるんだけど、今日は何も聞きたくない気分だし、昨日はあまりにもうるさかったから、もうリラックスできない状態になっちゃったかな。戦場にいる訳じゃないのに体や神経が戦闘態勢っていうのも困っちゃうよね。こういう気分のときは友達とベチャベチャしゃべって、気分転換をして、ストレスを解消したいよね。これが1人ぼっちの弱み。どうしても吐き出すことが出来ずに溜め込んじゃって。

あまり愚痴ばかり書いてもしょうがないので、今日ちょっと思ったことを。って大したことを思ったわけじゃないんだけど。昨日ジェームス・ベーカー元国務長官がニューヨーク・タイムスに寄稿したものを読み損ねちゃったなんて書いたけど、今日の昼間、街の図書館へ行く用事があったのでついでに読んできちゃった。しかも家に帰ってきてからネットでも同じ記事を見つけることが出来たんだ。詳細は「ここ」からどうぞ。記事からすると単独は行動はやめた方がいいって論調はよくわかる。確かにこのまま単独で突っ走ってしまうと外交も内政も失敗する恐れが大きいからね。イギリスが攻撃に参加しても、ドイツやフランスは参加に難色を示しそうだし。今アーミテージ米国務副長官がアジアを訪問してるけどこれはうまくいくのかな?中国へはどうやら手土産を持っていったみたいね。日本には手ぶらで来たんでしょうけど。ちょっとイヤな感じ。今日の昼間はサウジアラビアの大使がブッシュ大統領の家でお昼ご飯を食べてお話をしたみたい。何だかここ数日は目まぐるしく世界が動いてるって感じ。
昨日の晩、田中宇って人のHPを見たんだけど、彼は今回の対立はアメリカ対イスラム諸国というより、アメリカの穏健派対強硬派の対立だって書いてあったの。それは一理あるかもね。ここ数日のニューヨーク・タイムスの記事を見ていると攻撃賛成って意見と反対って意見が交互に書かれているって感じだもんね。ブッシュ大統領自身は強硬派だろうけど、穏健派をないがしろには出来ないだろうから今苦難の選択を迫られてるって感じだね。サウジアラビアの皇太子は電話でブッシュ大統領と電話で話をしたときに、「イラクへの軍事的攻撃には反対」っていったみたいだし。ジョージは一体どうするのかな?今のままでは中間選挙は危ないだろうけど、今イラクに対して攻撃をして、泥沼になったら次の選挙は民主党のアル・ゴアに決まっちゃうだろうし。本当、ブッシュ政権はかなり苦しいね。
今の世界の流れは国連至上主義なんだから国連の決議通り行動しないと、大東亜戦争前の日本のように世界から孤立しちゃうのに。この間も書いたけどユニテラリズム(ムースはこれをアメリカ至上主義だと思ってる)は1歩間違えれば孤立主義になりかねないし、慎重に行動しなきゃいけないと思う。もしアメリカの力を誇示したいのであれば水面下での影響力を強めていった方がいいのかな。力を誇示するだけでは今はちょっと時代遅れかもしれないね。
アメリカがもし影響力を持ち続けたいのなら、今日スペインで行なわれたバタスナ党の解党に支持表明をしたり、地道に恩を売っておけばいいと思うんだ。スペインのバスク地方にはETA(バスク語:Euskadi ta Azcatasuna、スペイン語:País Vasco y libertad)、日本語では「バスク祖国と自由」と呼ばれるテロ活動組織があるの。彼らの主張はスペインからの独立なんだけど、これはスペインが独裁政権時代だったころ、バスク地方を独立させようってことでこの組織が出来たみたい。当時のスペインではスペイン語以外の言語を使うことは禁止されてたの。バスク地方にはバスク語といわれる言語があるんだけど、それを話したり、教えたりすることが禁止されてたんだ。もちろん、バルセロナのあるカタルーニャ地方にもカタルーニャ語っていうのがあるんだけど、それも禁止されてたの。まぁ、こんな状況だから独立をしたくなったんだと思うんだ。1959年にこの組織が作られたんだけど、1975年に独裁者フランコが死んでスペインに民主主義が訪れたころの1976年、このETAも2つにわかれたの。1つは政治組織として。1つは軍事活動を中心として。この軍事活動をしてる方がテロ行為を行なってるグループなんだけど、これを支持していた政党がHBHerri Batasuna)と呼ばれいた政党、現在のバタスナ党なんだ。支持してるなんて書くと言葉がきれいだけど、要はお金を流してテロリストを育ててたんだよね。それが昨日、議会で解散要求が可決されて今日立ち退きを迫られたということなの。ガーディアンというイギリスの新聞には結構大きめにこの記事が載ってたんだ。イギリスにもIRAというテロ集団がいるから、こういうニュースには敏感なんだろうね。それに海を挟んだ隣りの国の出来事だし。記事の詳細は「ここ」からどうぞ。どちらの組織もそこら辺に爆弾を置いちゃうし、一般の人もたくさん巻き込まれてるから。だから今回の党解散はスペインのアスナール政権がテロ撲滅に力を注ぐ姿勢を見せたってことになるかな。このことはアメリカから支持表明があったんだって。そりゃそうだよね。今は見方を1人でも増やしたいときだから。
今は世界中でこういった非合法の組織と戦ってるけど、スペインのようにちゃんと国会の場で法案を通して合法的にやればいいのにね。時には力を見せることも必要だと思うけど、いつも力の理論ばかりでいると周りは段々それに飽きていっちゃう。それに図体が大きければ大きいほど小回りがきかなくなるし、何かあったときは修復するのが大変。そこをもうちょっとわかればいいのにねぇ。

今日は1ページも本を読まなかったなぁ。今週いっぱいで読み終わりたいのに…。


2002年08月27日(火)



インラインスケート

今日学校へ行ったら何となく活気があったの。今まではシーンとしていた北国コンピュータ学院もそろそろ動き始めたのかな?来週から授業が始まるし、今日から新入生のオリエンテーションが始まったからいろいろとバタバタしているのかも?ムースは今日やっと履修登録と学費の払込をしてきたんだ。早い人は4月には履修登録をして、5月には学費を納入してるのに。本当にゆっくりとしてるなぁ。でも、他の人と違ってムースは夏休みに実家へ帰る予定がなかったから、いつでもいいやって思ってたんだけど。去年の今頃はオリエンテーションへ行っても1人だったし、右も左もわからなくて毎日ドキドキしてたけど。今は別にドキドキすることもなくなったね。1人ぼっちは相変わらずだけど、10月になればイヤでも団体行動しなきゃいけないし、毎週末飲み会だから、人が恋しくなったときは飲み会へ行けば誰かかまってくれるでしょう。多分…。っていうか飲み会ではかまってもらうというより、からまれてるっていう言葉が正しいと思うけど、今日のところは置いておこう。
この夏休みにいろいろなことをしたいなぁって思ったけど、気がついてみれば毎日家でゴロゴロ。唯一やったことといえば、ハリーポッターと賢者の石を読み終えたこと。夏休み前はあんなことやろうとか、こんなことやろうとか、いろんなこと考えてたのに。読み始めた本を途中で投げ出さず、最後まで読んだことだけはよかったけど、やっぱりもう少しいろいろなことが出来たらよかったなぁ。旅をしたかったけど、結局は行かず終い。実は今日気がついたんだけど、もし旅行へ行ってたら学費が払えなかったことが判明しちゃったの。だから今日の午前中はすっごくあせってた。別の銀行口座に預金してあるから、ここの銀行の口座に移してなきゃいけなかったんだけど、4月から放っておいたらえらいことになってた。でもどうにかお金を回せそうだから、そんなに心配はしてないけど。
昔、もらったお給料を右から左へと流しながら、かなり莫大なお金をうまく回したことあるから、今回のことは楽勝かな。莫大なお金っていってもムースにとって莫大なだけで、他の人にははした金って思われるかもしれない額。あのときは半年かけて、どこからもお金を借りることなく回したから大変だったぁ。旅行へ行こうと思って1年かけて貯めたお金を使っちゃったけど、もしあれがなければお金を回せなかったと思う。今思うとすごく恐ろしいことをしてたなぁ。1歩間違えれば、雪だるま式に借金が増えちゃうところだったから。
そういえば、インラインスケートといったらいいのか、ローラーブレードといったらいいのかわからないけど、たまにインラインスケートを履いて滑っている人を見るの。あれって面白いのだろうか?ふと思っちゃった。一応ムースもインラインスケートを持ってるけど、もう2年履いてないかな。買ってすぐのころは実家のそばにある土手をインラインスケートで滑ったけど、たった2週間でおしまい。それからは1度も履いたことがないの。ただ滑っているだけでは、どうも面白みがなくって。インラインを買った理由はダイエットのためだったんだけど、約1時間、12kmの道のりを滑ったところで全然効果なかったの。あまりの効果のなさに、自分の足を使って走ろうと思ったんだけど、走る方が滑る何万倍もつらいんだよね。だってスケートって疲れても惰性で進んでくれるけど、走るのは惰性で進むことはないからずーっと走り続けなきゃダメ。息が上がったからって走るのをやめてしまえばその場で止まっちゃうもんね。だから走ってる方がつらいし、持久力もつくし、痩せるのかもしれない。それにインラインスケートってスピードが出る割には急に止まれないから道路で滑るとちょっと危ないしね。でもインラインホッケーなら1度やってみたいかも。聞いた話ではかなりつらいらしい。なぜかっていうと、インラインホッケーは大体夏にやるから暑くてたまらないみたい。ちゃんと水分補給をしないと脱水症状になっちゃうんじゃないのかな。それにアイススケートの靴に比べたら重いから滑っていても疲れるんだと思う。きっと途中で足が上がらなくなっちゃうんだろうね。もしかしたら10月の頭に学校の駐車場でインラインホッケーをやらない?って誘いがかかるかもしれないから、ちょっとだけ期待して待ってようかな。去年、1度やらないって誘われたんだけど、靴を実家に置いたままだったから出来なかったの。だから今年は挑戦してみたいなぁ。ただこればっかりはどうなるかわからないから。期待するだけ。スケートでただ単に滑ってるのは退屈だけど、それを使って何かをするっていうのは楽しいよね。もしかしたらムースの性格なのかもしれないけど、スケートなり、語学なり、コンピュータなり、それだけを勉強してると途中で飽きちゃって、ギャーって叫ぶけど、それを使って何か別のものをやるっていうとかなり楽しんでやってるんじゃないかな?昔、コンピュータのプログラミングを習ってたとき、あまりの退屈さにウギャーってなったけど、配属が決まって、習ったことを基本として、本当のプログラミングをしたときはギャーって騒がなかったから。これを別の視点で考えてみると、いかに基本を学ぶことを嫌ってるかってことかな。うぅ〜ん、あまりよくないなぁ。もしかしたら基本を学んだり、基本を習得するのが1番つらくて、大変だってことがわかってるから、あえて避けてるのだろうか?この日記を書いているうちにそんな気がしてきちゃった。話を戻すと、やっぱりインラインスケートは基本練習とは違うし、ただ滑っているだけだからあまり面白くないかも。でも、もしムースがカリフォルニアのようなところに行ったら、浜辺をインラインスケートで滑るかも。何だか楽しいんだか、楽しくないんだかわからないよね。ってなことで、これは住んでる環境のせいにしよう。海岸沿いをインラインスケートで滑るのは気持ちいいかもしれないけど、とうきび畑の真ん中をインラインスケートで滑っても何も面白いことないから。
何か今日はこれといって書くことのなかった1日だなぁ。ここ数日は昼間ちょっと本を読んで、ご飯を食べて、ボーっとして、寝るって感じだから。そろそろ刺激が欲しくなってきたのかな。そういえば、ネットにつないでる時間もここ数日はグーっと減ってるかも知れない。あまり新聞も読んでないし。だから昨日のニューヨーク・タイムスに載ったとされてるベーカー元国務長官が投稿した社説を読み損ねちゃうんだよね。ガーディアンっていう新聞に何が書かれていたか書いてあったから何となく内容をつかむことができてよかったけど。アメリカが単独でイラクを攻撃しようとしてるのに、それに待ったをかける人なんて滅多にいないからちょっと興味あったのにな。でも今日の感じだと単独でも戦争を始めそうな雰囲気があるし。イギリスのサンデータイムスはサウジアラビアがアル・カイーダに資金提供をしたって書いてるし。一体どうなっちゃうんだろう。


2002年08月26日(月)



会話

うれしいんだか、悲しいんだかわからないけど、今日は筋肉痛。それになぜだか体重増加。明日筋肉痛になるのと比べたら、まだまだ若いってことを証明したから喜んでいいと思うけど、筋肉痛はつらい。腿とふくらはぎが痛い。でもムチャクチャ痛いって訳じゃないから、動くことは出来るけど。若ければあれくらい動いたって筋肉痛にならないのに。年をとるってイヤだねぇ。若さが欲しいぃー。
昨日の晩にお隣さんが帰って来たらしく、いきなりうるさくなった。先週1週間が静かで平和だっただけにイライラしちゃう。もう本当にイヤ。せめて規則正しい生活の人だったらいいんだけど、朝になって寝る人だから夕方から突然うるさくなるの。何で朝になってから寝るかわかるかって?それは朝の7時、8時に隣りの部屋の音が止むから、あぁ〜寝たんだなぁーってわかるの。で、3時、4時になるとまた隣りの部屋から突然音がし始めるから起きたんだなぁーって。ある意味わかりやすい人なんだけど、夜中の3時4時にドドォーンっていう重低音だけが鳴り響くとイライラするの。外が静かになっているだけに余計響くのかもね。これはここに住んでみなきゃわからないことなんだけど。かといってここより家賃が安く、その上生活に便利なところっていうのもないから、引越しをするってことも出来ないんだけど。世の中、そうそう自分の思い通りにはならないから我慢をしなきゃいけないんだけど、でも騒音は結構厳しいなぁ。
今日はサンフランシスコに住んでる友達から電話があったの。っていうか昨日、ムースが彼女のところに電話したんだけど、いなかったみたいで今日かけ直してくれたんだけど。何か久々に人と話したって感じだった。って今月は修理工場の人と話した以外は誰とも話をしてないから、本当に久しぶりだった。ただ久しぶりに話しをするせいかロレツが回らなくて参っちゃった。っていう彼女も何となく日本語が出てこなかったような気がしたけど。ムースの気のせいかな。それにしても、友達と話すっていうのはやっぱりいいね。出来れば毎日でも誰かと話はしたいけど、まぁ、それは叶わぬ願いだから置いておくとして、せめて3日に1度くらいは人と会話をしたいよね。夏の間はこの街からみんないなくなっちゃうからしょうがないとしても、学校があるときはやっぱり誰かと話がしたいなぁ。電話で友達にもいったんだけど、ここ数年は年々人と話をするのが下手になってる気がする。あまり電話では人と話はしないから、面と向かって話すことが多いの。ってことは相手の表情がよく見えるんだよね。相手が話を聞いてるかどうかがよくわかる。昔は話を聞いてっていったこともあったけど、今ではいうのがイヤになってやめちゃったの。と同時に相手の表情を見て話を続けるかどうか考えちゃったりするようになったんだ。そんなことをしてるうちに話をするのが下手になっちゃったみたい。ただ1つ思ったことがあるの。みんな自分の話を聞いてもらいたくてしょうがないんじゃないかって。もしかしたらムースの見当違いかもしれないけど。人の話は聞きたくないけど、自分の話は聞いてもらいたい。そんな感じかなって。ムースも実はその1人だったんだけど、最近は自分が話すというよりも人の話を聞かなきゃって思うようになったかな。でも、たまには自分だって話はしたいんだけどなぁ。どうも相手の表情を見すぎちゃって、変に勘繰っちゃうところがあるし。そんなことをしてるうちに、どんどんと話すのが下手になっていっちゃったみたい。別にムースは芸人さんじゃないんだから、話を聞いている相手に退屈な思いをさせちゃいけないって考える必要なんてないのに。まさに悪循環だね。
よく会話は言葉のキャッチボールだなんていう人がいたけど、人の話は聞きたくないけど、自分は話したいってことだったら、それは言葉のバッティングセンターだよね。相手は玉をいくつも持っていて投げたいときに投げればいい。でも自分は玉を持っていなくって、仮にそれを受けたとしても投げ返すところがない。そんな感じ。打ち返せばいいのかな?イチローみたいに。もちろんみんながみんなって訳じゃないけど、そんな感じを受けちゃったことが多いかも。多分、昔、すごいことをいわれてからこんな風になっちゃったのかな。考えてみればあの日を境に人の表情を見て話すようになったし。ちょっとでも退屈そうな仕草を見たら、相手がマシンガンのように話すだろうって思うような話題に切り替えちゃうことが多かったから。でもって、ムースは自分では何もいわなくなっていったのかも。相手が一方的に話してるのを見ると、どこか安心しちゃうんだよね。そうじゃないときはどうやったら相手が話してくれるんだろうってことばかり考えて。これって会話じゃないよね。でも、そんなムースでも話の出来る友達とは普通に話をしてるんけど。いいたいこともいうし、相手もいってることもちゃんと聞いてるし。一方通行じゃない会話をしたいっていうことは、難しいのかな?初対面の人だとどんな人かわからないだけに、無口になっちゃう。人はそれを人見知りというけど。ムースはそれがひどいかもしれない。今では話し掛けられるのを待っちゃっているし。まぁ、それが故にいつもいわれるのは、「最初は何も話さなかったのにねぇ…」って。今は?うるさいってことかな?
ネットの中には人が恐いとか、集団が恐いとか、そういう感じのことを書いている人がたくさんいるけど、もしかしたらムースもそのうちの1人なんじゃないかって思うこともあるの。別に集団が恐いってことはないけど、集団はちょっと苦手かな。もちろん、やってるスポーツが個人競技ではなく、団体競技だから集団の一員になることはいつものことだけど、苦手かも。といっても競技中は集団での自分の役割は何かを考えて行動するし、自分自身のことは二の次にしてるけど。でも私生活ではちょっと…。いってることが矛盾してるかな?私生活でも常に他人のことを考えて自分を犠牲にしても他人がいい気分でいられることを優先するべきなのかな?ムースは、まずは自分ありきだと思う。自分が幸せで満たされてるから、一緒にいる人も気分よくいられると思うんだけど。自分がいい状態じゃなくても、さらにムリをして相手のために何かをしなければいけないのだろうか?それは違うと思うなぁ。だから会話も対等な立場で話して言葉が行ったり来たりするのがいいと思うけど。映画の「ザ・エージェント」での一場面だけど、トム・クルーズがキューバ・グッディングJr.にいう「Help me! Help you!」ってところがあるの。一方的に助けても、一方的に助けられても釣り合いがとれないからあまりいいとは思わない。やっぱりお互い助け合って対等な立場でいるのがいいと思うけどなぁ。軍隊のようなところだったら一方通行、口答えなしの命令でも機能するかもしれないけどね。あぁー、何だかまとまりがなくなってきちゃった。もうやめよう。
それにしても、隣りのお兄ちゃん、タイミング悪すぎ!さっき調子に乗って書いていたときは、突然重低音をガンガン響かせ、ムースをイライラさせたのに。だからあまりのうるささにイライラして書くのをやめようと思ったんだよ。でもどうにかここまで書いて、本当に書くのをやめようと思ったらどっかへ遊びに行っちゃって。平和が戻ってきちゃったじゃない。せめて、ムースが書き終わるまでは静かにしてよ。本当に1番いいときに、1番うるさいんだもんなぁ。だから余計にイライラしちゃうんだよ。


2002年08月25日(日)



相談

一昨日あれだけ辛口の批評をしたのに、昨日の晩また「ブリジット・ジョーンズの日記」を見ちゃった。レニー・ゼルウィガーのイギリス訛りが下手といったものの、話自体は好きだから見ちゃうんだろうね。それと彼女が演じる不器用な女の人って上手だと思う。何だか褒めてるんだか、けなしてるんだかよくわからないよね。ムースなりに褒めてるつもりなんだけど。「ザ・エージェント」で彼女が演じてるのもどこか不器用な女の人なんだけど、これがまたいい感じ。あの映画もハッピーエンドだから好きなのかも。物語の流れとして、不器用な女性が紆余曲折を繰り返しながら最後に幸せになるっていうのが好きなのかもしれないなぁ。「プリティー・ウーマン」はその代表だと思うんだけど。昔の映画でいえば、オードリー・ヘップバーンの「麗しのサブリナ」(原題:Sabrina)なんかもちょっと不器用な女性の物語でハッピーエンドだったよね。って何だか家にあるビデオを全部紹介してるみたい。

今日ある日記を読んでいたときにふと思い出したことがあったの。それは瀬戸内寂聴さんが平成のよふけに出ていたときにいってたことだと思う。もしかしたら違う番組だったかも?ただムースの記憶では鶴瓶が寂聴さんに聞いてたって場面なの。そこで何を話していたかはあまりよく覚えてないんだけど、1つだけ覚えているのが寂聴さんがいってたこと。彼女のところに相談に来る人が多いのは知ってる人も多いと思う。そこで鶴瓶が寂聴さんに相談しに来た人にどんなことをアドバイスするのかって聞いたのかな。そのときに寂聴さんのいってたことなんだけど、「私はあぁーしなさい、こぅーしなさいってことは何もいいません。ただ、うん、うんってうなずいて話を聞いてあげてるだけです」って。これを聞いたとき、ムースは彼女はすごいって思っちゃった。ムースは聞き役っていう立場になることは皆無に近いくらいないんだけど、相談者の側になることはいつものことなので、そのときに何をいって欲しいかがよくわかるの。何かを悩んでるときって人に相談するけど、実は相談をした人にあぁーしなさい、こぅーしなさいってことをいわれたいって思ってるんじゃないんだよね。自分のやりたいことに自信をなくしちゃってるから、自信を取り戻したいだけ。悩んでるってことは考え方が悪循環してると思う。1度悪い方に考えちゃったらどんどんと悪い方に考えちゃう。しかも堂々巡りしてる。正直いってどうしていいかわからないから誰かに聞いてもらいたいんだけど、解決策を教えてもらいたい訳じゃないんだよね。解決策は自分が1番よく知ってるんだもん。もちろん、たまには別の視点で見たらこんな感じだよってことをいってもらいたいけど、だからといってそのようにしなさいっていわれると、それはそれでイヤなんだよね。そんなの自分勝手だよっていわれちゃうかもしれないけど、自分の胸につかえてるモヤモヤを吐き出したいだけ。吐き出しているうちに自分で気がつくときもあるから。もちろん、中にはどうしたらいいの?って聞く人だっていると思う。そういう人に対しては、私だったらこうやるけど…ってことをいってあげればいいと思う。ただあなたと私は違うってことを強調しておかないと、「あなたのいったようにやったのにうまくいかなかったじゃないの。どうしてくれるの?」ってことになりかねないから、気をつけなきゃいけないとは思うけど。
ムースは昔、自分と他の人を混同してしまって自分のいったようにやればうまくいくってことを強調しすぎてたの。これ本当によくないんだよね。聞いてる方は意見を押し付けられてるように感じちゃうから、自分を守ることで精一杯になっちゃう。きっとこういうときの会話って、でも…、でも…とか、…だけど…、…だけど…って感じで、逆説の言葉が増えてると思う。相談しながら一生懸命に自分を守ってるんじゃないのかな?あるときに自分で気がついたことがあったの。相談をすればするほど疲れているし、相談してるときに何でこんなに興奮してるんだろうって。相談してるってことは胸の中のモヤモヤを一生懸命吐き出してるんだけど、同時に一生懸命自分を守っていて、そのモヤモヤを溜め込んでいってたんだよね。だからどんどん自分がダメになっていっちゃって。こんな感じのときにある友達と会ったの。普段は一方通行なの?って思える人だったんだけど、実は悩んでいるときにこういう感じの人と話すのが1番リラックスできるって思ったんだ。もちろん会ったときは一方通行のように自分ばかりがしゃべってる。相手はうん、うんって聞いてるだけ。だけどそれが妙に居心地いいんだよね。もちろんそのときに居心地いいって思ったんじゃなくて、あとで落ち着いたときに、ふとそのときのことを振り返ったら居心地よかったなぁって思っただけなんだけど。きっと自分の話を聞いてもらいたかったんだよね。普段から、違うとか、そうじゃないとか否定ばかりされ続けてると自信が揺らいじゃう。自分はこれでいいのかなって。これが悩みの根本じゃないかな?自分の思いと他人の思いの相違にどうしていいかわからない。自分自身が培ってきた考えが否定されて自信が揺らいじゃってる状態。そんなとき、さらに自分を否定され続けちゃえばどんどん落ち込んでいっちゃうよね。でも、それでいいんだよっていってもらえれば自信を取り戻していく。ムースがいつもいう褒めてあげるっていうのは、それでいいよっていってあげることなんだけど。大人になると誰も褒めてくれないじゃない。だから悩みを持ったとき胸につかえたままになっちゃう。こんなときは黙って話を聞いてくれる人を探してるんだよね。ただ黙って、うん、うんっていってくれる人を。自分を肯定してくれる人を。だから寂聴さんが鶴瓶にいったことを聞いたとき、ムースは目からうろこが落ちたような気分になったんだ。自分の思いは正しかったなぁって。
子供がお父さんやお母さんに一生懸命話すのって自分を褒めてもらいたい気持ちがあるんだよね。子供だけじゃないけど叱られるのはイヤだもんね。だから一生懸命いいことだけ話す。大人も実は一緒じゃないかな?誰だって怒られたくないし、褒められたい。でも世の中にはいろいろな考え方の人がいるし、どれが正しくて、どれが間違えかってことがとっても曖昧。そんなときに自信を失うようなことがあると、それが悩みとなって胸につかえちゃう。そんなときは歳がいくつであれ、子供と変わらなくなっちゃうんだよね。だから話を聞いてあげる。そして何がしたいかを聞いてあげる。こういうことなのかなって思ったんだ。

今日は頭が酸欠でちょっと痛いから変なことを書いてるかも?っていうかムースはついに冬に向けて始動しました。今日の夕方ちょっとだけ走ったんだけど、去年の今頃だったら余裕で走れたところが、途中で肺が痛くなって、頭が酸欠で痛くなって、さらに足が上がらなくって全然走れなかったの。多分お酒の飲みすぎとここ最近太ったせいだと思うんだけど。たった半年何にもしなかっただけどここまで体がボロボロになっちゃったのかと思うと老化は恐いって思う。でも2年前に減量を開始したときはもっとひどかったので走れただけまだマシかなって思ってるけど。2年前は100m走ったら死んじゃいそうになってたから。今日死んじゃいそうだったのとは雲泥の差。今日の方が何倍もマシだもん。あと2ヶ月でシーズン。一昨日コーチに会ったばかりだし。ちゃんと体を作れるのかな?とにかく持久力だけは必要だから、これだけはどうにかしないと。肉の塊にはなりたくないから、体重は現状維持で体を作っていこう。昔は10月にいきなりシーズンに入っても平気だったのに…。ここ3、4年は年を追うごとにひどくなってるねぇ。っていっても2年前から体を作るようにしてるから練習についていけるけど。あぁ〜あ、明後日は筋肉痛だろうなぁ。明日、筋肉痛にならないところが悲しい。


2002年08月24日(土)



在外領事館

今日は1日何してたんだろう?ちょこっと本を読んで、ちょこっとHPの修正をして、買い物へ行っただけ。それだけで1日が終わっちゃった。ここ数日は本を読むか、もしくは何もしないまま1日が終わっちゃってる。そのせいだかわからないけど、おなかのあたりが妙に苦しいんだけど。そろそろたっぷりと脂肪がついてきたかな?昨日見た「ブリジット・ジョーンズの日記」じゃないけど、ぶよぶよになるのはちょっとイヤだなぁ。太りやすい体質だから気を抜くと一気にくるし。減量は本当に苦しいからね。また10kg以上落とさなきゃいけないなんてことになったら卒倒しちゃう。
昨日図書館で借りてきた「ライ麦畑でつかまえて」だけど、予定の100ページは読めなかった。読んだのはたった15ページだけ。でも読みやすそうな本だから調子にのれば100ページくらい読んじゃいそう。本自体も普通の本より1回り小さいし、1ページあたりの文字数も少ないからムースにとってはいい感じの本かもしれない。明日と明後日でどれくらい読むかでこの本を最後まで読み終えられるかどうかが決まっちゃいそう。
そういえば先日ネットでナベツネ新聞を読んでたときに北米やアフリカの在外大使館や総領事館を7つ削減するって書いてあったの。アフリカはいいとして、北米の在外領事館はどこが削減されるか非常に興味があったんだ。すぐに外務省のHPへいって調べたんだけど、まだそのニュースは載ってなかったみたいなの。そのときはまた今度でいいやって思ってたんだ。そんな中、今朝いつも読んでいる日記を読んだら、なんと在カンザスシティー総領事館が再来年になくなるって書いてあるじゃない。ちょっとビックリして今朝1時間半くらい外務省のHPの中をずーっと調べてたの。でも結局どこがなくなるんだか見つけ出せなかった。外務省のHPってちょっと調べにくい。作ってる人は自分達がわかてるから簡単に調べられるかもしれないけど、ムースは自分の欲しい情報にたどり着けなかった。実はナベツネ新聞もそうで、たまに過去の記事を検索するんだけどどうもうまく検索できなくて。いつも諦めちゃう。もうちょっと閲覧者にやさしいHPを作ってくるといいんだけどなぁ。で、とりあえず在カンザスシティー総領事館がなくなることだけはわかったんだ。カンザスシティーの街の真ん中の商業ビルの17階だか18階にある、あの領事館がなくなっちゃうんだねぇ。大使館や領事館というと高い塀で囲まれて治外法権で守られてるって印象があるけど、あのカンザスシティーの領事館はビルの中にあって、パッと見何かのショールームのようなんだよねぇ。でも中に入ろうと思うと、やはりそこは領事館で、飛行場にあるような金属探知のゲートがあって、手荷物はX線に通さなきゃいけなくって。入ってすぐの左側が窓口なんだけど一面ガラス張りで一応安全管理がなされてるんだなぁって思ってみちゃったり。そういえばロンドンの日本大使館も大使館員と話すときは窓口越しに話したような気がするなぁ。国によるけど、スペイン大使館はガラスなんかなくって、カウンター越しに大使館の人と話をしたし、誰で気軽にお入りくださいって感じだったけど、あの日本領事館はそんな感じでもないかな。雰囲気は明るいんだけどね。ムースは滅多に在外日本大使館や領事館にはいかないから、行ったことがあるっていうところがなくなっちゃうのは何となく寂しいねぇ。って考えてみれば、在外公館はロンドンの日本大使館とカンザスシティーの日本総領事館しか行ったことがないんだった。
10年前の今日8月23日にハリケーン・アンドリューがマイアミを襲ったんだって。さっきまでTVでハリケーン・アンドリュー特集をやってたから思わず見ちゃった。すごいねぇ、あのハリケーン。最大瞬間風速約65m/sだったそうだから。ハリケーンと台風は違うけれど、もしこんな大きな台風が日本に来たら被害はすごいだろねぇ。アメリカの家って日本の家のように基礎がしっかりとしている訳じゃないから、家がなくなったあとはただの野原だもんね。TVでは8月23日っていってたけど、正式には24日の未明にフロリダ半島を通過してるんだよね。ムースはこのニュースを見てなかったからあまりよくは知らないんだけど、きっとTVではすごかったんだろうね。ムースはこのときに一体何をしていたかというと、10年前の8月23日は午前2時頃、天津から北京に向けて列車に乗っていました。22日の夜に韓国の仁川から乗った船が天津に着いたから。黄海横断1泊2日の船旅だった。で、23日の昼間は北京の街をブラブラとお散歩。日記には北京の目抜き通り、王府井を散歩したって書いてあった。船に酔うのによく船旅なんてしてるなぁ。自分でも不思議。子供のころ、時化の中青函連絡船に乗ったんだけど、そのときに船酔いして以来もう2度と船なんて乗るかぁーって思ってたんだけどね。気がつけば何度も時化の中船に乗ってる。でも、船旅は波が静かなところがいいね。黄海はすごく波が静かだったなぁ。あとノルウェーの沿岸を5日間かけて北上したことがあるんだけど、あそこも波が静かでよかったな。フィヨルドを見ながら5日間の船旅ってよかったですよ。ただ船旅って退屈だから。本を無性に読みたくなっちゃうかも?
あまり書くことのない日だなぁ。夏休みに入ってからこんな日が多いかも。もうちょっと人と接すれば何か書くこともあるかもしれないけど。といっても9月に入ったらこの引きこもり生活ともおさらばだし。学校には人が溢れてることでしょう。人酔いしないように気をつけなきゃ。ってこんなんで実家に帰って平気なんだろうか?素朴な疑問がわいてきちゃった。

ちょっとつけ足し。今日の日記を書き終わったあとにとある新聞を読んだら、マクドナルドでマックアフリカなるものを発売してるらしい記事を発見。詳しいことは「ここ」からどうぞ。もしこの日記を読んだ人の中でノルウェーに知り合いがいるとか、ノルウェー在住の方がいましたらマックアフリカがどんなものか教えてください。メールお待ちしております。記事では牛肉とチーズとトマトとサラダのピタって書いてあるんだけど。ただのビーフピタなのかな?ちなみにムースは今でも連絡をとってる友達がノルウェーにいないのでどんなものかわかんないんです。昔はたくさんノルウェー人の友達がいたのに…。


2002年08月23日(金)



ブリジット・ジョーンズの日記

今日は朝から変なニュースを読んじゃんった。それはニューヨーク・タイムスに載ってたんだけど、ブッシュ大統領が国有林をもうちょっと切っていいよといったこと。詳しいニュースは「ここ」からどうぞ。ムースが今朝読んだものから少し更新されてます。本当にあのおじさんは何にもわかってないよね。何が常識なの?山火事を少なくするためにやらなきゃいけないことは木をたくさん切ることじゃなくて、木をたくさん植えて、二酸化炭素の量を減らして、地球の温度を下げなきゃいけないのに。もちろん木を切れば表面的には山火事は起こらない。だって山に木がなければ燃えるものがないから。でも木を切れば切るほど、どんどん気温が上がっていくんだから砂漠化がどんどん進んでいくのに。今年山火事が多く発生したアメリカの山岳部の東側はプレーリーと呼ばれる大農業地帯なのに、そこの気温をこれ以上高くしたら乾燥して農業なんて出来なくなっちゃうのに。今年だってどれだけ中西部が乾燥に悩まされて、どれだけ多くの農業被害が出たかわかってないみたい。やることが逆なんだよね。ムースがアメリカ人だったら絶対に共和党になんて投票しないけど。まぁ、アメリカは京都議定書にも従わないし、二酸化炭素を今以上に発生させようとしているから、そのうちにヨーロッパからも見放されると思うけど。ブッシュの政策はアメリカ至上主義にしたいみたいだけど、あまり自分勝手にやってると孤立主義を引き起こしちゃうから気をつけないといけないのに。
と、こんな感じで朝から怒りが爆発してしまったので、旱魃についての小説を読もうと思ったの。それはジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」。何でムースがこの本を知ってたかというと、実は昔NHKのラジオ英会話を聞いていたときに、この本のことがスキットの中に出てきたからなの。その年のラジオ英会話のテーマはルート66でシカゴからサンタモニカへ行くって話だったんだ。その途中でこの「怒りの葡萄」が出てきたの。ムースは葡萄って単語だけ覚えていて、本の題名は覚えてなかったんだけど、検索したらすぐに引っかかったから。ジョン・スタインベックってどんな人だか知らなかったけど、エデンの東を書いた人だったんだね。さすがにエデンの東は知ってたから、あぁ、これを書いた人なんだぁって思った。ちょっとだけ身近になったかな?でも最初は旱魃の小説ってなんだろうって思ったとき、頭に浮かんだのがJ・D・サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」。これ全然違うってわかったけど、この小説が思い浮かんじゃった。「ライ麦畑でつかまえて」はメル・ギブソンとジュリア・ロバーツが出ていた映画、「陰謀のセオリー」(原題:Conspiracy Theory)の中でメル・ギブソンが愛読?している本なんだよね。この「怒りの葡萄」を読んでみようかなって思って午後からは図書館へ行ったんだけど、この「怒りの葡萄」厚いこと、厚いこと。600ページ以上あったかな?見た瞬間にめげちゃった。だからそのそばにあったサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を借りてきちゃった。まだ2ページしか読んでないからどんな話だかわからないけど、これを読んでる人は多いからちょっと楽しみ。「怒りの葡萄」は気が向いたら読もう。
今日借りてきた「ライ麦畑でつかまえて」だけど、この本ボロボロなの。いつ発行したのかなってみたら、な、なんと昭和26年。そりゃ、本がボロボロになってるし、変なにおいがするわけだよね。でも結構借りている人が多いの。最近借りた人もいたみたい。最初のページに張ってある貸し出し記録のスタンプを見るとそうなってるから。この週末で読み切れるといいなぁって思ってるけど、どうだろう?話に入り込むまでに時間がかかるし、それまでが地獄なんだよねぇ。
図書館へ行った帰りにちょっと買い物をしてきたんだけど、そのときに「ブリジット・ジョーンズの日記」(原題:Bridget Jones's Diary)のビデオを買ってきちゃった。実は映画が公開される前にこの小説を読んでみたいって思ってたの。2年くらい前かな?ナベツネ新聞で「英国で都会派恋愛ものブーム」と題されてヘレン・フィールディングの「ブリジット・ジョーンズの日記」(亀井よし子訳、ソニー・マガジンズ)やジョジー・ロイド&エムリン・リーズの「カム・トゥギャザー」(佐竹史子&江口研一訳、扶桑社)、ジェニー・コルガンの「アマンダズ・ウェディング」(hal訳、アーティストハウス)が紹介されたの。記事自体はコピーを持ってるから何が書いてあるかわかるんだけど、ネットで参照させることはちょっと出来ない。なぜかっていうと、いつの記事だか覚えてないから。このブリジット・ジョーンズだけど舞台がロンドンだっていうから何となく興味を持ってたんだ。1度読んでみたいなぁって思ってたら、映画が公開されたから映画を見ようかなって思ってたけど、気がつけばビデオまで発売されてた。主演がレニー・ゼルウィガーって聞いたとき、えっ?って思ったけど、映画の批評を見てるとなかなかって感じだったからちょっと期待してたの。でも…。彼女のイギリス訛りの英語はムリがある。東京の人がムリに関西弁でしゃべろうとしてる感じ。雰囲気はイギリス風なんだけど…。グウィネス・パルトローのようなアメリカ生まれのアメリカ育ちなのにイギリス訛りの英語を上手に話せちゃう女優さんがいるだけに、レニー・ゼルウィガーは…。ちょっと荷が重かったんじゃないかなって思っちゃった。映画の内容はまあまあだし、レニー・ゼルウィガーがこの映画のために太ったという女優魂はすごいと思うけど、もうちょっとしゃべり方の練習をした方がよかったんじゃないかなって思う。じゃなかったらイギリスの女優さんを使った方が小説の雰囲気がもっとよく出たと思うけど…。ハリウッド映画だからイギリスの女優さんを主演に持ってくることは出来なかったのかな?イギリス生まれでこの映画にあうハリウッド女優って…。ムースはスーパーチャンネルでやってる「そりゃないぜ!?フレイジャー」(原題:FRASIER)に出てるダフネ役のジェーン・リーブスがいいと思ったけど、彼女がブリジット・ジョーンズだったらスタイル良すぎだもんね。年齢もちょっと高くなっちゃうし。そう思うとやっぱりいないのかなぁ。そういえば、この「ブリジット・ジョーンズの日記」の最初のシーンでレニー・ゼルウィガーがTVで「そりゃないぜ!?フレイジャー」を見てるシーンがあったね。ムースは辛口の映画批評はあまりしないけど、この映画に関してはちょっと辛口だったかな?っていうか嫌いな映画は見ないから批評することなし、好きな映画も批評することないから。だからあんまりいわないだけなのかも。全体的には好きな方に属する映画だし、やっぱりハッピーエンドだから見終わってもいい気分でいられるのかもしれない。
それにしても「そりゃないぜ!?フレイジャー」には笑っちゃった。そりゃないぜってムースがいいたい。フレイザー?フレイジャー?はムースも毎日のように見るけど、スーパーチャンネルで見れるとは知らなかったなぁ。今、NHKでウィル&グレースも見れるし、ダーマ&グレッグやERも見れるし。すごいよね。ムースはスーパーチャンネルでは「スウィート・エネミー 甘い媚薬」(原題:Dulce Enemiga)か「カサンドラ/愛と運命の果てに」(原題:Kassandra)くらいしか見なかったからなぁ。それも2ヶ月に1度くらい。だって南米の昼メロってドロドロしてるんだもん。それに何いってるかよくわかんなかったから。大体こんな感じだろうってことはわかるんだけど、どこかしらわからないところがあるから話が飛んじゃって。
さぁ、明日から「ライ麦畑でつかまえて」を読もう。


2002年08月22日(木)



ハリー・ポッター

やっとハリー・ポッターと賢者の石を読み終えた。時間がかかったなぁ。最初の30ページがあまり面白くなかったからどうなることやらと思っていたけど、ここ数日は読む速度が早くなってきたみたい。というか話に入っていけるようになったのかな。今日1日で1/3の100ページを読んだっていうのはいいペースかも。出来れば毎日100ページずつ読んで3日で読み終わりたかったんだけど。それは叶わぬ願いかな。それにしてもハリー・ポッターと賢者の石は面白かった。この話にはまっちゃうっていうのはわかる気がする。何でだろ?きっと話の展開がいいんだろうね。後半は読んでいても全然飽きることなかったから。映画は見てないからどんな感じだかわからないけど、これを映画化したものだったら見てみたい気がするね。先に小説を読んでるから映画での登場人物と本を読んでるときに想像してた人物の感じが違って落胆するところもあるかもしれないけど、これを映画化したものだったらきっと話がいい感じで展開していくんじゃないかな。ビデオはまだ高いから買えないけど、もし誰か持っている人がいたら借りてみてみようっと。
それにしても賢者の石とはすごい訳をつけたね。この翻訳をした方、松岡佑子さんの話をアンボリバボーで見たことがあるんだけど、松岡佑子さんの熱意でこの本の翻訳の仕事をもらったんだよね。静山社っていう会社は前はとっても小さな小さな会社だったとか。このハリー・ポッターの翻訳も確か1人でやったんじゃなかったかな。考えてみればこれほどまでにベストセラーになる本なら大手の出版社が放っておくことなんてないもんね。詳しいことはよくわからないけど、すごい熱意で原作を書いたJ・K・ローリングに翻訳をやらせてくださいってお願いしたんだろうね。確かハリー・ポッターシリーズはこの静山社が独占で出版できるんだよね。ってもちろん日本語版の話だけど。松岡佑子さんが何度この小説を読んだかわからないけど、賢者の石って訳は中々出てこないと思っちゃった。ムースだったら多分…黒魔術の石とでも訳したかも?じゃなかったら言葉そのままに魔法使いの石とか。きっと松岡佑子さんの中では賢者の石って言葉が1番しっくりきたんだろうね。去年の秋に4冊借りたのに読んだのはやっと1冊。はぁ…。2巻のハリー・ポッターと秘密の部屋は約340ページ、3巻のハリー・ポッターとアズカバンの囚人は約430ページだからまだ読む気になるけど、4巻のハリー・ポッターと炎のゴブレットは約730ページもあるなんて…。これは読めそうにないなぁ。読みたくなったときに借りるようにしよう。そろそろ返してっていわれてるし。

今日は1日中ハリー・ポッターを読んでいたからこれといって書くことないかな。あっ、ただ1つ気になる日記を昨日の晩に読んだんだ。イギリスに在住されてる方の日記のようなんだけど、サウジアラビアがアメリカの銀行から大金を引き出したって。フィナンシャル・タイムスにその記事が載ってるって書いてあったからすぐに読んだんだ。そしたらどうやら本当らしいね。いよいよアメリカはイラクを攻撃するのかな?その人の過去の日記にはサウジの王様はスペインに逃げたって書いてあったし、爆撃をするときの拠点はカタールじゃないかって書いてあった。こりゃこりゃ大変なことになるねぇ。カタールっていえば石油より天然ガスの方が輸出が多いのかな?日本は東南アジアから天然ガスを買っているみたいだから問題はないようだけど、石油はどうするんだろう?カタールから10%、サウジアラビアから20%強も輸入してるんだけど。しかもサウジアラビアとアメリカの関係は今あまりよくないのに…。ムースだったら3枚舌外交といわれようと八方美人になって自分の国のエネルギーを確保することに全力を注ぐけどなぁ。ホルムズ海峡封鎖なんていったら、石油が入ってこなくなっちゃうから公共料金が一気に値上がりするし、景気はさらに悪くなるのに。だってどんなにものをたくさん作って売ったって、石油の値段が上がれば原価が高くなるんだし、その分利益は落ちるんだから。日本にとってはあまりいいことないと思うんだけど、どうするんだろう?この間起こったドイツのイラク大使館占拠事件だって何かきな臭いし。徐々に戦争に向けて動いてるみたい。ジョージ・W・ブッシュは「私は我慢強い」って今日TVでいってたけど、さぁ〜どうだか?9月11日まであと3週間かぁ。アフガニスタンのことだってまだゴタゴタしてるのに。イスラエルの動きはちょっと活発だし。あまり変なことが起きないといいなぁ。ガソリンの値段が上がればムースの生活も厳しくなっちゃうし。って車に乗らずに歩けばいいんだけど。でも飛行機の値段が上がっちゃうと冬休みに実家に帰れないし…。実はそれが心配だったりして。しかもユナイテッドが潰れるかもしれないっていってるときに。イギリスが反対してくれると足並みが乱れるから変なことにならないと思うんだけどなぁ。トニー、どうにかして!とハリー・ポッターのふるさと、イギリスにお願いしたところで、今日は終わりにしようかな。何だか変な日記。最後に西ナイルウィルスにはくれぐれも気をつけましょう。ここ北の国の近所で人に西ナイルウィルスが感染して隣街の病院に担ぎこまれたそうだから。今までは家畜だけしか感染してなかったのに。ついに人に感染したか。気をつけないと…。


2002年08月21日(水)



国際政治

昨日の日記に愚痴らないのが不思議だぁーって書いたけど、気持ちが参っちゃう前に体がダメになっちゃった。こんなこと滅多にないのに。ムースの場合、病は気からって言葉が表わすように気持ちが先にダメになって体の調子が悪くなるのに、今回は気持ちは平常心を保ってるけど、体が参っちゃったみたい。たまにはこんなこともあるんだね。そんな訳で今日は朝から1日大人しくしてました。って夏休みに入ってから毎日家で大人しくしてるから、いつもと変わらないんだけど。ただ症状はあまりよくなくって。こんな風になったのは実に20年ぶりかも。だから昨日の晩はかなりあせっちゃった。全身から血の気が引いたって感じだったかな。今日は大分よくなってるけど、今度は気持ちが参っちゃいそう。こんな感じだからこの夏休みはどこへも行かずに終わりだね。体と心の両方がいい状態じゃないと1人で遊びに行っても楽しくないし。辛いことだけが思い出になっちゃうから。そうじゃなかったら、旅行の途中でやっぱり家に帰ろうってことになって、旅行を中止しちゃうと思うから。
ここ3、4日はネットから離れている気がする。今まではただダラダラとネットの中を巡回して、リンクを辿っていろいろなものを読んでいたのに。今でも巡回しているサイトは毎日覗きにいってるんだけど、それ以上のことはあまりしてないなぁ。前だったら新しいものを見つけに行ってたのに。どうしたものかな?もしかしたらこれが普通の生活で前の方が異常だったのかもね。だってひどいときは半日ずーっとネットのリンクを辿っていろいろなものを読んでいるんだもん。もちろんいろいろと勉強になるけど、でもすぐに忘れてしまうことも多いし。ふと気がつくと時間だけが過ぎていっちゃってて、何してたんだろうって思うこともあるし。1つのことについて掘り下げて調べていたわけではないから、見方を変えれば注意散漫だったのかもしれない。HPに書いてあったことの中で気になったことについて調べたりしてたら、いつの間にか何でこんなことを調べていたんだろうってことになるときもあったし。日記を書いていても話がかなり飛ぶのは、きっとこれと同じなんだろうね。注意力が散漫で書いているときに思いついたこともそのまま書き綴っちゃうから、話があっちこっちに飛んで結局はまとまりのない日記になっちゃったりしてね。注意力が散漫になる理由の1つとして隣りの家からの重低音騒音もあるけどね。聞こえた瞬間に突然イライラし始めるから。ここ2、3日はそんなことがなくって平和な日々を送ってるけど。
こうやって考えるといかに集中力がないかってことだよね。もう少し集中力をつけないとなぁ。英語サイトを作ろうと意気込んだものの、集中しなければ英語なんて書けないことにも気がついたし。このムースの部屋を開設したとき同様、書けるときにいろいろ書いていって、徐々に中身を充実させればいいと思うけど、それでも何コかエッセイを書いてから公開するようにしたいし。書く内容もこれから考えていかないと。ただちょっと不安なのはこのHPのエッセイすら書いてない人に外国語でエッセイなんて書けるのだろうか?エッセイというから堅苦しくなっちゃうのかな。雑文と思えばいいんだよね。そういう風に思おう。
最近はネットの中で彷徨っていないって書いたものの、今日は1時間だけHPを見ていたんだ。何を読んでいたかというと国際政治について。国際政治なんていうと恰好良過ぎだよね。検索するときに国際政治って言葉で検索しただけで、それ以上のことはないんだけど。今から20年くらい前なんだけど、ムースの従兄が国際政治だか国際経済を勉強したいっていってたことがあるの。当時は何も知らない子供だったので、国際政治だなんてすごいなぁって思って従兄の話を聞いていたんだ。何が何だかわからなかったけど、国際って言葉がつくからきっと英語がペラペラで世界中を飛び回るような人なんだろうって思ったの。いつも書くことだけど、ムースは子供のころ、ウルトラクイズで勝ち進むかアタック25で優勝するかしないと海外旅行にいけないと思ってたから。じゃなかったら、英語がペラペラで商社とか外務省のようなところに勤める人しか外国へ行けないと思ってたから。英語がペラペラって書いてるけど、これは子供のころに思ってた英語がペラペラで、今思ってる英語がペラペラっていう概念とは全く違いますので。子供のころのムースはこんな感じのことを思ってたから、従兄はすごい人になりたいんだなぁって思ってたんだ。今と違って国際と名のつく学部がそこら辺になかった時代で、確か東京都内の大学では東京大学と青山学院大学くらいしかなかったと思う。だから難しいんだろうなぁってことは覚えてる。今でもそのときと似た感覚を持ってるから国際と名のつくものは難しい学問なんだろうなぁって思ってるけど。ただ最近はTVにコメンテーターとしていろいろな国際政治学者が出るじゃない。だから今日はその人たちのHPをちょっと覗いたの。最初は上智大学の猪口邦子さんのHP。彼女が書いた論文にちょっとだけ目を通したんだけど、途中で飽きちゃって読むのをやめちゃった。次は浅井基文さんのHP。この人って確か日曜日の朝TBSに出てたんじゃないかなって思ったから。彼の書いたものを何コか読んだんだ。特に去年の9月11日以降に書かれたもの。感想としてはちょっと期待はずれ。もうちょっと突っ込んだことを書いて欲しいなぁって思ったんだ。もちろん自身で調べたものもたくさんあったろうけど、読んだ限りだとその程度だったら新聞を読んでてもわかるって感じだったから。もしかしたら新聞を読んだ感想なのかもしれないけど。イスラエル問題を語るとき昨日今日のことをいっても始まらないのはわかると思う。イスラエルの問題っていうのは聖書の時代からのことで二千年、三千年前のことが絡んでくるから。それと同様にこの9月11日のことを語るとき、なぜこういうことになったのか、ソ連がアフガンに侵攻したころのことから紐解いていかないと何にもわからないと思うんだけど。もしかしたらそれ以前のことからかもしれないし。とここまで書いたところで、もうちょっと彼のHPを眺めたんだけど、ムース自身の持っていた疑問が解けた気がする。情報に偏りがあるんだ。だからこういう形の文章が出来上がってくるんだね。昨日も書いたけど、ムースはいろんなものをたくさん読んでから自分の意見を固めていきたいなぁ。そうじゃないとどうしても偏っちゃうから。ってもう十分に偏ってるかな?今の国際政治を語ろうと思ったらアメリカを抜きには語れないと思うけど、アメリカって国はあまりにも複雑怪奇な構造を持ってるから調べるのは大変だと思うの。昨日なんで書くのをやめちゃったかというと、それに気がついたから。それにちょっと恐くなったの。だってドロドロしてる構造が見え隠れしてるんだもん。だから書くのをやめちゃったんだけど、今日も国際政治なんてことを調べてるところを考えると、この分野のことがやっぱり好きなのかな。国と国との駆け引きだもんね。しかも1歩間違えれば戦争を起こしちゃうかもしれない駆け引き。そんな鬼気迫る国家間のやり取りを見ているのが好きなのかもしれない。変な人だね。
さぁ〜って、体の調子を早いところよくしないと。ハリーポッター読みも順調に進んでやっと2/3読んだし。話も面白くいい感じ。また明日も1日家でゆっくりしてるだろうから、いい具合にページが進むといいなぁ。


2002年08月20日(火)



ジョン万次郎

ものを知れば知るほど自分の愚かさに気がついていく。それと同時に知らなくてもよかったかなって思うこともある。前に無知は幸せだと思ってるって書いたことあるんだけど、知らないってやっぱり幸せなことかもしれない。ものを知ることによって、知らなくてもいいことまで知っちゃって、その考えに振り回されちゃって身動きがとれなくなっちゃったり。そうじゃなかったら、どんどんと無口になっていっちゃったり。ムースはこの日記に自分の思いを綴ってきたけど、当然書いたことには責任が生じるわけだし。自分で書いたことなのに、あとで「そんなの知らないよ」っていうのは何となく気が進まないから。所詮日記なんだから思ったことを思ったままに書いていいんだけど、でもWEB上で公開してるってことは全世界へ向けて自分の考えや思いを披露してるようなものだから。もうちょっと考えて書いていくようにしないとダメだね。ある出来事を調べているときに隠されていた真実を知ることによって自分の考えが180度変わることってあるでしょ。今はそんな気分。それと知ることによって何となく恐怖心が芽生えてきちゃった。かといって好奇心を失ったとか、知ることをやめちゃうんじゃないの。貪欲なまでにいろいろなものを知りたいんだけど、ちょっと知ったところでその思いをいろいろと綴ることはやめようかなって。ちゃんとわかってから書かないと事実を歪曲させちゃうもんね。特に歴史はね。
夏休みに入ってからいろんなことを調べたけど、今まで知らなかったことを知ったから楽しかった。これからもいろんなことを調べると思うけど、出来る限りいろんなものを読んで、それから自分の思いを固めていきたいなぁ。誰かがいってたんだけど、世の中には絶対ってものがないんだからって。前にも書いたけど、時だって絶対じゃないわけだし。もし時が絶対的なものだったら、相対性理論は間違えだもんね。といっても相対性理論も光の速度が絶対的なものであるってことが大前提としてあるから、もし光の速度は可変ですってことになると、相対性理論が成り立たなくなっちゃうんだけど。今までいろいろなことを習ってきて、これが正しくて、そうでないものは間違えって教わることが多かったけど、これからは自分でいろいろなものを読んで判断していきたいなぁ。数学のように答えが1つってものはこれが正しくて、その他は間違えっていえるだろうけど、その他のものはねぇ。人の解釈がいろいろとあるように、答えはいくつも存在するものだし、そのうちの1つだけが正しいってことないもんね。
そういえば、今日はちょっとジョン万次郎について検索してみたの。多分ムースが高校生のとき、現代国語の読書感想文の課題になってたからジョン万次郎漂流記を読んだんだと思うんだ。だから内容は何となく覚えていたつもりだったんだけど、今日ジョン万次郎について読んでみたら知らないことばかり書いてあった。ジョン万次郎っていうとすぐに思い浮かぶのが「掘った芋いじるな」ってことなんだけど、これって本当にいったのかなって思っちゃった。いくらなんでも「掘った芋いじるな」とWhat time is it now? はかけ離れてるんだもん。でもなぜアメリカがメリケンになるかはわかるような気がしたの。っていうのはムース自身もかわいいっていう意味の単語、adorable を聞いたときにドーブルって聞こえて、いつもドーブルって一体どんな意味だろうって悩んでたことがあったから。アがよく聞こえなかったんだよね。メリケンもアメリケンのはずなのにアがよく聞こえなかったからメリケンになっちゃったと思うんだ。でもノースメリクのエナイツライ(ノース・アメリカのユナイテッド・ステイツ)はちょっと…って感じかな。このジョン万次郎こと中浜万次郎って日本人として初めての…っていうのが多い人なんだよね。例えば、日本人で初めて海外から郵便を受け取ったとか、日本人として初めてホームスティしたとか。もしかしたら日本人初の留学生かも?これは定かじゃないけど、結構いろいろなことがいわれてるよね。江戸時代の末期に偶然とはいえアメリカに渡って勉強してきたなんて本当にすごいよね。もちろん人一倍勉強して、苦労もしてるから、今でも語り継がれるような人になったんだと思うけど。こういう人の話を読んでいると本当に元気がわいてくるね。故郷を離れ、たとえ1人であっても、一生懸命にいろいろなことを学ぶっていうのはいいことだね。ムースもこういう人を見習わないとね。孤独だぁーって愚痴をいっているだけじゃダメだね。っていっても今月もほとんど人と話なんてしてないのに愚痴らないのはなぜだろう?不思議だ。どこかで何かが吹っ切れたのかな?それとも慣れたのかな?じゃなかったから、実は愚痴り始める直前だったりして?明日あたりから毎日愚痴っちゃったりして。なぁ〜んてことはないと思うけど。だって昼間はチビチビとハリーポッターを読んでいるし、先週末はビデオを見まくっていて、他のことを考える余裕がなかったもん。しいていえば、シカゴもいいけど、シアトルへも行って見たいなぁって思ったことかな?じゃなかったらニューヨークへ行ってみたい。それくらい。何だか不思議。でもお酒の量が多いところから判断すると何かしらストレスがあるんだろうなぁ。気をつけようっと。
あぁ〜あ、何だかとりとめのない話になっちゃった。でも、しょうがないか。書きたいって思わなかったんだから。


2002年08月19日(月)



英語サイト

今朝は5℃まで下がったみたい。でも汗かいて寝てたよ。変なの。昼間も21℃までしか上がらなかったし、涼しくていい気持ち。水曜日はまた30℃まで上がるっていう話だから、まだ完全に秋にはなってないけど、もうちょっとで秋。やっと猛暑から解放される。うれしいなぁ。秋になるってことはまた体を動かさないといけないから、そろそろジョギングを始めないと。そうじゃないと10代後半の疲れ知らずの人間と一緒に遊んでいられないから。あぁ〜、年をとるってイヤだねぇ。年々若作りをするための時間が増えていっちゃって。見た目もそうだけど、それ以上に大変なのは中身だから。どんなに疲れていても1晩寝れば回復しちゃう昔が懐かしいなぁ。あとできれば、筋肉痛は翌日に出て欲しいなぁ。時間差攻撃は落胆を大きくするものだから。
今日いつものようにネットの巡回をしてたんだけど、その中の1つに英語のサイトを立ち上げようかなってことが書いてあったんだ。これを読んだら妙に感化されちゃって、午後から英語サイトの作り方みたいなHPを何コか読んで歩いちゃった。そこには英語サイトは日本語サイトのおまけじゃなくって、日本語のサイトを更新するのと同じように更新していかなきゃダメみたいなことが書かれてたけど。そりゃ、出来ればそうやりたいんだけどねぇ。そうは問屋が卸してくれないから。更新頻度とすればやっぱり日本語サイトの方が多くなるんじゃないかなって思ったの。通じる英語を書くっていうのは結構大変だしね。
そこにはライコスとかの自動翻訳のサイトも紹介されてたんだ。だから試しに昨日書いた日記を翻訳機にかけてみたんだけど、これが笑っちゃうの。もうメタメタ。ムースの書く日本語の文体が悪いんだけど、訳しきれてないんだ。例えば、「そう思っちゃうかな」っていう日本語は「そう思う」とか「そう思うだろう」とかに変えておかないと翻訳機では判断しきれないの。「そう思っちゃう」までは訳せるんだけど、「かな」が訳せず、浮いたままになってるの。まぁ、所詮翻訳機なので限界はあるし、ムースの書いている文章は独特の書き方だから、新たにデータを入力しないとムリなんだけどね。それに日記に書いてる気持ちを翻訳機で訳すのはちょっと厳しいかな?英語には英語特有の表現もあるし、日本語には日本語特有の表現もあるし。懐かしいって言葉を英語でいおうと思っても、ひと言でいえる言葉は英語には存在してなかったと思う。逆に英語のI miss you ってことを日本語でいおうと思うとこれがまた難しい。寂しいって感じなんだけど、AさんでもBさんでもなく、あなたがいなくなっちゃうのが寂しい。だけどあなたがいないのが寂しいっていうとちょっと間の抜けた感じになっちゃうし。こう考えると英語は英語、日本語は日本語で考えていかないとムリだろうなぁって思っちゃった。
日本に英語や他のヨーロッパ系言語がたくさん入ってきた明治時代って漢語を使って、というか新しい言葉を作ったりして英語やその他の国の言葉に対応するようにしたんだって。この間そんなことが書いてあるHPを読んだの。よく聞く話なんだけど、江戸時代には愛って言葉が存在しなかったって。愛って言葉を使い始めたのは明治になってからだと。愛と恋は何が違うなんてことを語り合っちゃうと、よくこんな話を聞くんじゃないかな?もうムースの年になると、愛だろうが恋だろうが何でもいいけど…ってなっちゃうけど。ただ最近は外国から入ってきた言葉はそのままカタカナを使って表わすことが多いよね。例えばコンピュータに関する用語なんて英語をそのまま使ってることも多いでしょう。インターネットのことを計算機通信網だなんていう人いないもんね。昔はいたけど、今はコンピュータのことを計算機っていう人も少ないし。外来語をそのままの意味で使っていると何年経っても英語でも日本語でも意味が一緒ってことがあるけど、言葉は変化するからもとの意味とは違ってきちゃうことも多々あるよね。そう思うとやっぱりそれぞれの言語で考えるのがいいんだろうね。
日本語にはたくさん外来語があるよね。じゃ、外国語はっていうと英語も実は外来語の塊なんだよね。昨日の晩、英語の起源ってどんなだろうって調べていたら英語の起源はケルト語じゃないかっていわれてるんだってね。じゃ、なぜ今の英語にラテン語やフランス語が多いかというと、昔イギリスではラテン語で法律を書いていて、身分の高い人たちはフランス語をしゃべって、庶民は英語をしゃべっていたんだってね。英語っていっても、日本に古語があるように、この英語も古典英語なんだけどね。だけど時代の変化と共に、英語に1本化したときに足りない言葉をフランス語やラテン語から取り入れたから英語には多くのラテン語やフランス語があるみたい。フランス語っていっても現代フランス語じゃなくって古典フランス語だけどね。ムースはこのことを知らなかったの。スペインからイギリスへ行ったとき英語の本を読んだら難しい言葉を知ってたから不思議に思ったんだ。でも、何てことないんだよね。スペイン語で似た言葉を知ってただけ。それだけのことだったの。あとで友達に聞いたら英語には多くのラテン系の言葉があるからっていわれたんだ。だからヨーロッパ人にとって英語は学習しやすい言語になるんだよね。基本的な言葉はドイツ語に近いし、ちょっと難しい言葉はラテン系だし。ムースが大学生のとき、第2外国語でドイツ語を履修したんだけど、そのとき英語に似てるなぁって思った記憶があるしね。って今はドイツ語なんて何にも知らないけど。
HPを持っている人の中には2つ以上のHPを持っている人もいるし、ムースもここら辺で裏サイトなる英語のサイトでも立ち上げようかなって思っちゃった。このサイトのように日記を主体としたものじゃなく、エッセイを主体としたサイトで。そろそろ書く英語も勉強しないとよくないし、最近は英語で日記を書いている人も見かけるし。今日読んだ日記にすっかり感化されちゃってるね。実は3月頃1度英語サイトを立ち上げようと思ったことがあるんだけど、何分英語が書けないものだから構想は立ち消えになっちゃったの。でも、そろそろ時期かな。英語を聞いてもわからない、読んでもわからない、書けないっていってるばかりで何もしなければそのままだし。何か行動を起こしてから徐々に修正していって、自分がやりたかったものへ近づけていくのが、今考えつく中ではいい方法かなって思えるから。もう半分過ぎちゃったけど、あと2週間は夏休みだし、今考えるにはいい話題かもしれないなぁ。やることを広げすぎちゃうと何にも出来なくなっちゃうから、上手に絞込んでいけるといいなぁ。


2002年08月18日(日)



秋の気配

日を増すごとに秋の気配を感じる北の国。TVではプレシーズンだけどもアメリカンフットボールも放送されるようになったし、日増しに気温が下がっていく感じがする。今日はあまり気温も上がらず、お昼の時点では16℃。風も強かったからさすがのムースも涼しいって思っちゃった。明日の朝は8℃まで下がるみたいだし、そろそろ長袖の服が必要になってくるかな。なんて思ってると突然気温が上がるからなぁ。2日間で30℃くらいの気温の変化はよくあることだから。来週半ばは40℃近くまで気温が上がったなんてことにならないといいなぁ。
ボーっとしているうちに夏休みも半分過ぎちゃってる。まだどこへも行ってないのに。来週あたりどこかへ行こうかな。今日ビデオを見てたらその映画の舞台はシカゴだったの。そうしたらシカゴへ行きたくなっちゃった。でも、シカゴまでは12時間くらいかかるからなぁ。ちょっと大変かも。それに現地ガイドを手配しないといけないし。って実はシカゴにいる友達のことなんだけど。連絡しないと案内してもらえないから。1人でフラフラとするのもいいけど、出来れば案内してもらった方がいいじゃない。地元の人だから知ってるってところにも連れて行ってもらえそうだし。シカゴへは行きたいけど、この夏は行かないんじゃないかな。ふと、思い立ったときに出かけるのがいいから、来週まで考えるのはおあずけにしておこう。
昨日当然ひらめいたから、今日英語を聞いたら劇的にわかるようになるんじゃないかと思って、ビデオを見たんだけど、やっぱりわからないものはわからないね。自分に語彙がないことをすっかりと忘れていたみたい。言葉の意味もわからなければ、言葉自体も知らないのに聞き取れる訳がないんだよね。何を考えていたんだか。ここのところ急に涼しくなってきたから、脳が風邪ひいちゃってるのかな?思考回路がいつも以上におかしいみたい。英語を聞き取れるようになる日が早く来ればいいなぁって思うけど、こればっかりはねぇ。どんなに勉強をしたところで、飛躍的に伸びるわけじゃないし。今は壁にぶつかっちゃってるから結構大変かな。英語の勉強をし始めたころは、やったらやった分だけ成果が出たけど、壁にぶつかると中々前へ進まないからイライラばかりが先に来ちゃうし。今が踏ん張りどころなんだろうなぁ。そういえば、スペイン語を習ってたときも壁にぶつかったんだけど、そのときはイギリスへ避暑を兼ねて英語を習いに行っちゃったからね。夏が終わってまたスペインに戻って来てからは気分も新たに勉強を再開することが出来たけど、でもすぐに壁にぶつかっちゃったもんなぁ。そのときは資金が尽きちゃったから帰国しなきゃいけなかったし。壁を乗り越えることはなかったから、せめて英語くらいは今ぶち当たってる壁を乗り越えて、納得のいくところまで力をつけたいなぁ。って壁にぶつかってるってことは、この日記を書き始めた頃からいってるかぁ。そう思うとここ半年間は何も進歩なしってことだ。がっかり。今までありとあらゆる勉強方法で英語を学んだけど、行き着いたところは時間をかけて地道に単語を覚えるってことだったもんなぁ。日本語も一緒だけど、本をたくさん読まなければ、言葉も覚えないし、文章を書くことがままならないもんね。英語だろうがスペイン語だろうが日本語だろうが、言葉を習うっていうことに関しては同じなんだもんね。日本語の場合、毎日使ってるからそれなりのことは読み書きできるけど、外国語は時間をかけなければ、かけないなりのことしか出来ないんだもんね。前にも同じことを日記に書いてたかな。あぁ〜あ、進歩がないねぇ。学習って言葉を知らないみたい。夏学期のあの苦しさを乗り越えたんだからやれば出来ると思うんだけどなぁ。やっぱり最後は自分との戦いか。世界中で1番手強い相手だからね。自分って。
今日は書く気分じゃないのかな。そんな感じ。こんな日もたまにはあるでしょう。ってムースの場合はよくあるんだけど。何かふとしたことで気分がよくなったり、悪くなったりするから。週末だし、今日はここでやめにしようっと。


2002年08月17日(土)



発見

ムースの部屋の来訪者数も今日でやっと2000人を迎えました。ありがとうございます。1日にのべ1000人以上もアクセスのあるサイトも多数あるので、開設してから半年ちょっとが過ぎて、やっと2000人のアクセスに達してるなんて弱小サイトもいいとろですよね。でも、ムースにはムースのスタイルっていうのがあると思っているので、このまま何も変えず、今までのように思ったことを思ったままに書いていこうと思います。一時はアクセス数を延ばしたいって思って、それをするにはどうしたらいいかとか、文体を変えようかとか、もっと短く書いてたくさんの人に読んでもらえるようにしようかとか、いろんなことを考えたけど、アクセス数にこだわっちゃうと自分が自分でなくなっていっちゃうような気がしたから、このまま書けるところまで書き続けていこうと思ってます。これからもご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

今日も朝7時に起床と学校へ行ってるときのような感じで朝を迎えちゃった。何でこんなに早起きをしたかっていると、先日から直さなきゃといっていた車の窓を直すためなんだ。月曜日の工場へ持って行ったんだけど部品がまだ到着してないってことで、今日の朝1番に持ってきてってことになったの。そんな訳で朝8時には車を修理工場へ持っていかなきゃいけなかったんだ。お昼頃に1度電話をもらったから、何かと思って修理工場へ行ったら、どこまで修理をするかの相談。部品を交換しなくてもいいけど、部品の1部が曲がっているからどうするって。どうしていいかわからないから、とりあえず交換してっていっちゃった。だから修理代は倍に。それでもいつの日にかモーターが壊れるかもっていうから。車を維持するのも楽じゃないよね。パワーウィンドウじゃなければこんな問題は一切起こらないんだけどなぁ。前の車も、実家に置いてある車も、今乗ってる車もみんなパワーウィンドウだし、今さら手で窓を開けなきゃいけない車には乗れなさそう。やっぱりお金をもうちょっと出していい車を買うべきだったかな。今日も修理工場へ行くときに修理工場の隣りの中古車屋さん、ってムースが車を買った中古車屋さんなんだけど、真っ赤なシボレーのカマロがあって、こんなの欲しかったなぁって思っちゃった。シボレーのカマロって確かチャーリーズ・エンジェルでファラ・フォーセットが乗ってたのかな?といいながらも今ムースが乗ってるポンテアックも赤の2ドアクーペだし、排気量は3.1リットルもあるし、ガソリンを撒き散らしながら走るってことを除けば悪いところってないんだけどね。最近はここ北の国も涼しくなってきたし、窓を開けながら走らなきゃいけない季節ももうちょっとで終わり。最近は朝晩15℃くらいまで下がるし、昼間も25℃くらいまでしか上がらない日もあるし。週間天気予報によると日曜日の最低気温は8℃だし。あと1ヶ月の辛抱。去年くらい暖冬でもあと2ヶ月もすれば雪も降るし。考えてみれば8℃っていったら東京の冬の気温なんだよね。それなのにストーブも焚かずに部屋の中では半袖1枚で平気なムースは、暑さ寒さのわからない人間なのかな…。

今日の昼間、何気なく英和辞典を見てたんだけど、すごいことを発見しちゃった。突然のひらめき。って本当はもっと早くに気がついていておかしくないことなんだけど。英語で強勢を置く場所って後ろから2つ目の母音なんだね。って例外はたくさんあるけど。今まで全然気がつかなかった。それにこの日記で母音の発音が大切って書いていたのに、何で母音に強勢が置かれるってことに気がつかなかったんだろう。子音に強勢は置かれることはないのに。それとふと思ったのは強勢の置かれてる母音の前の子音の発音は確かに大切だけど、あとは結構適当でも通じるんじゃないかって思ったの。飛んだのみ(蚤)が好きだったり、飛んだご飯が好きだったり、炒めたのみが好きなのは強勢の置かれてる母音の前にある子音がLやRだから炒飯が好きってことにならないんだよね。って何をいってるんだか全然わからないですよね。ゴメンなさい。ムースの中ではこの突然のひらめきが、今後の英語学習において大きな助けになるんじゃないかと思って1人で喜んでるの。ただこの突然のひらめきっていうのはかなり厄介で、思い込みの激しいものになっちゃうから、この概念を根底から覆されるようなことがあると困惑しちゃうけど。今日のひらめきの結果がいい方に向かうといいなぁ。今までおかしかった発音を直す助けにもなりそうだし、聞き取りのときにどこに注意をして聞いていればいいか、わかりそうな気もするし。スペイン語では後ろから3つ目の母音に強勢を置いてたから、英語の発音でも後ろから3つ目に強勢をおいて発音することが多かったし。こういうことをやるから英語のマシーンがいつの間にやらミシンになっちゃうんだよね。英語でマシーン(machine)っていおうと思ったらシの部分を強く発音するよね。でもスペイン語でマシーンにあたる単語はマキナ(máquina)っていってマの部分を強く発音するの。マキナって発音だけどマッキナって感じで発音するとちょっとは近くなるかな。これをごっちゃにしてマシーンというときにマの部分を強くいってみたらどうなると思う?発音がミシンに近くなると思わない?
実はもう1つ気がついたことがあるの。それはこの間読んでいた「日本語を大切にする」ってことが書いてあったHPに書いてあったことと、タモリが真似する北京語や広東語、ベトナム語のことを思い出して、なぜビタミンがアメリカではバイタミンになって、トマトがトメイトーになるかがわかった気がするんだ。タモリが北京語放送の真似をするときのコツとして、北京は寒いから口が凍らないようにはっきりと発音しなきゃいけないっていってたの。でも広東語は香港のような暖かいところで使われてる言葉だから、ちょっとだけ頬を緩めて中国語をいうと広東語っぽくなるって。さらにベトナムまで行くと、暑くてしゃべる気にならないから頬の筋肉を完全に緩めてダラーっとさせてしゃべるとベトナム語っぽくなると。タモリがやってるのは真似だからちゃんとした中国語ではないけれども、この頬の緩め方の特徴をつかんだ彼はすごいと思うの。学術的に正しいってことはないと思うけど、タモリのいっていることに一理あると思うんだ。
「日本語を大切にする」ってことを書いてあったHPには「はひふへほ」の音の変化みたいなのが書いてあったの。ハングル語や沖縄の言葉には「ぱぴぷぺぽ」のつくものが多いと思う。だからもともと日本語の「はひふへほ」は「ぱぴぷぺぽ」だったのではないかってことなんだけどね。それが時代と共に発音が変化していって「ふぁふぃふぅふぇふぉ」になって今の「はひふへほ」になったと書いてあったんだ。なぜこういう風に発音が変化したかというと、「ぱぴぷぺぽ」の発音って結構大変なんだよね。だから楽に発音しようとして、しっかり口を閉じずに「ぱぴぷぺぽ」って発音すると「ふぁふぃふぅふぇふぉ」っぽくなってくる。それがさらに楽になってくると「はひふへほ」になるという訳。何がいいたいかというと、人って発音をどんどん楽にして話そうとする傾向があるみたい。口を大きく開けて、頬の筋肉をよく動かしてしゃべると疲れちゃうから、口の動きを少なく、頬の筋肉もあまり使わないでいいしゃべり方になっていくみたい。ちなみにスペイン語も北の方では比較的はっきりとしゃべるけど、南へ行くと話す速度はちょっと遅くなり、北ではちゃんと発音していた音を抜いて発音するようになってくるんだ。
英語もそんな感じじゃないかな?ビタミンって発音しようと思うと口をたくさん動かすし、頬の筋肉もたくさん使うけど、バイタミンだとあまり口を動かなくなっても発音できるんだよね。トマトもそう。トマートーっていうよりトメイトーの方が口をたくさん動かさないで済んじゃう。発音するのが楽なんだよね。ただ日本の英語はヨーロッパから入ってきてるからどうしてもイギリスの英語になっちゃう。でも最近習う英語はアメリカの英語だから外来語と英語が一致しなくって、こんがらがって、英語嫌いになっちゃうんだよね。アメリカの英語にも実はタモリの理論が当てはまって、北の方ではイギリスの発音に近いところも多いし、しゃべるのが早い。でも南へ行けば話す速度は遅く、口をたくさん動かさなくてもいいような発音になってるんだよね。もちろん、頬は緩んだままで大丈夫。こんなこと書いてると何だか音声学の人みたいね。ムースの大好きにミュージカル、マイ・フェア・レディーのヒンギス教授やピカリング大佐になった気分。「スペインでは雨は主に広野に降る」(The rain in Spain stays mainly in the plain)っていいながら発音を練習しないとダメかな?字幕では「スペインの雨は主に平野に降る」だったかもしれないけど、大地真央のマイ・フェア・レディでは前者なんです。っていうより、下町っ子のムースは「火が出た」じゃなくて「しが出た」っていう発音に近いから「ハートフォード、ヘリフォード、ハンプシャーではハリケーンは滅多に起こらない」(In Hertford, Hereford, and Hampshire, hurricanes hardly ever happen)を練習しないとダメかな?


2002年08月16日(金)



旅立ち

旅立ちにはいろいろな形がある。希望に胸ふくらませ、明日へ向かって旅立つこともあるし、別れるのはつらいけど泣く泣く旅立たなければいけないときも。もしかしたら、この2つの気持ちが混ざってるときもあるかな。そんな旅立ち、今まで何度経験してきたろう。今までの旅立ちを考えると、離れたくないけど、旅立ちたくはないけど、その地をあとにしなきゃいけないってときは少なかったかな?どちらかというと、いつも期待に胸躍らせて旅立ったことが多いと思う。きっと運が良かったんだね。旅立ちが別れの瞬間ではなく、明日への1歩を踏み出すって思えるんだから。
船で旅立つときは甲板に立ち、波止場から手を振る人と別れのことばを交わすことだろう。もしかしたら、互いの手には紙テープがしっかりと握られていて、テープが切れるまで瞬間までは港を離れたなんて思えないかもね。ただ、今は港から旅立つことなんて皆無に近いから。映画「タイタニック」の船出の場面のようなことを体験するのはムリなのかもね。
今、旅立ちの場面は波止場というよりは飛行場なのかな。昔やったテレビドラマ、男女7人夏物語も最後のシーンは大竹しのぶが成田空港の北ウィングだか南ウィングだかからアメリカへ旅立っていくところだったよね。今の成田空港はちょっと変わっちゃって昔のように空港使用料の自動券売機のところからエスカレーターを降りて、出国審査の場所へ向かうって感じじゃないもん。第2ターミナルから出発したことはここ数年ないからどんな感じだったかあまりよく覚えてないけど、第1ターミナルはセキュリティーのゲートを抜けて、それからエスカレーターで降りていく。しかも今は入出国のカードを書かなくてよくなっちゃったから、出国カード書いてないよぉ〜ってあわてる必要もなくなっちゃったし。っていうかムースはいつもギリギリまでラウンジでお酒を飲んでいて、それから下に降りてたから何度か呼び出されたことがあって。なのに出国カードを書いてないであせったことがあったから。実は初めての海外旅行のときは飛行機に乗った瞬間に飛行機のドアが閉まるくらい友達と空港内の売店でゆっくりしてたの。今はなくなっちゃと思うけど、第1ターミナルの5階に売店があって、そこでゆっくりしてたんだ。飛行機の搭乗開始って大体出発の20分前からでしょ。だから20分前になってから下に行けばいいよっていって。そのせいで動く歩道を走った、走った。最近は気をつけてるから、もう呼び出されることはないけど。この飛行場からの旅立ちだけど、ムースは何となく味気ないって思うんだ。だってゲートに入ったらハイそこまでって感じだし。それにセキュリティーのゲートに並んじゃうと後ろを振り返る人ってあまりいないよね。前を向いてないと列の後ろに並んでいる人に迷惑をかけちゃうし。
これを思うと列車での旅立ちっていいなぁって思って。実はさっきまでハリーポッターを読んでてそう思ったの。汽車に乗って旅立っていくって見送る人も列車の行方を見れるし、旅立つ人も最後の最後まで見送りの人と話が出来るし。今、日本国内で列車での別れなんてほとんどないと思うけど、二昔前くらいまでは駅で見送りってよくある光景だったよね。それに歌にも旅立ちをテーマにしたものがあったし。例えば、太田裕美の木綿のハンカチーフなんて春先の旅立ちの歌だよね。♪恋人よ ボクは旅立つ 東へと向かう列車で…。チューリップの歌もそうだっけ。♪あぁー、だから今夜だけは 君を抱きしめていたい あぁー、明日の今頃は ボクは汽車の中…。別れの要素も多分にあるけど、でも希望を胸に旅立って行くって感じでしょ。アニメだと銀河鉄道999なんかも汽車での旅立ちだよね。JRになってからどうだかわからないけど、昔って発車のベルがけたたましくなって、それが鳴りやむと駅員さんがピーっと笛を吹く。そうすると列車の扉が閉まって、汽車が走り出して。自動ドアじゃない列車だったら、デッキに立っていてもいいし。映画「駅」の中で、いしだあゆみが走り出した列車のデッキに立って敬礼しているシーンなんてまさにこんな感じだよね。ただ映画じゃないから、列車と一緒に走ったり、デッキから身を乗り出してると危険ですからやめて下さいって車掌さんや駅員さんに注意されちゃうけど。って今は自動ドアじゃない列車なんて走ってないか。
アメリカやカナダで鉄道を利用したことはないから列車も駅もどういう感じだかわからないけど、ヨーロッパの終着駅はどこもいい感じがする。ムースが1番多く利用してるのはパリのオーステルリッツ駅なんだけど、パリ北駅もロンドンのビクトリア駅もリバプール駅もどの駅も旅立つにはいい感じの駅だった。考えてみればウォータールー駅からも列車に乗ったことあるんだ。ボーンマスへ行くときってウォータールーからだった。これらの駅って雰囲気が昔の上野駅の下のホームのようなのかもしれない。上野駅から旅立ちの思い出があるから海外の駅へ行っても、いい感じだなぁって思うんだろうね。中国も鉄道が主流かもしれないけど、何せ中国の列車って信じられないくらい長いし、自分の乗る場所まで歩いていくだけで疲れちゃって、旅立ちを味わってる余裕なんかなかった。だからヨーロッパのそれとは一緒にすることは出来ないかな。ムースは無座と軟座、硬座しか使ったことがないけど、軟臥や硬臥のあるような列車だとまた違うのかな?っていうかもう少し人が少なくなってくれないとダメかも。
またヨーロッパを列車で旅をしてみたいけど、しばらくはムリなんだろうなぁ。昔のようにバックパックを背負ってヨーロッパを駆け回りたいけど。特に今までいったことのないドイツやイタリアへ行ってみたいなぁ。スイスもバーゼル以外は知らないから行ってみたい。どこかの駅からまた旅立ちたいなぁ。でもしばらくは行くチャンスなんてないのかな。

今日は久しぶりに朝早くに起きちゃった。明日も今日くらい早く起きないと。でも、朝ご飯を食べてから2時間くらい寝ちゃったから、実質はお昼まで寝ていたのと一緒なのかな?最近は日を追うごとに涼しくなっていってる気がするから、家にいても快適。去年よりはちょっとだけ涼しいのかな。だから今日は午後から家でハリーポッターを読んでたの。前に比べたら話も面白くなってきたし、ページが進むようになってきたけど、教科書を読むのと比べたらまだまだ遅いなぁ。ちょっと不思議。映画を見てないから本を読んで場面を想像するだけ。でもどっちの方がいいんだろう。映画を先に見てから本を読んだ場合がいいときもあるから。ただどんな映画も原作と映画化されたものを比較すると原作がいいっていう意見が多いから。ハリーポッターの映画は面白かったってよく聞くけど、やっぱり原作はそれを上回るのかな?もうちょっと早く読めるようになればいいんだけどなぁ。どうも場面が頭に入ってこない。それに比べたら江國香織や唯川恵を読むのが早いこと、早いこと。ハリーポッターもそれくらい早く読みたいよう。これってムリな願いなんでしょうか?


2002年08月15日(木)



浪漫

今日も調子がいいとはいえなかった。今週は先週より生活が乱れてるかも。日記を書いたあと、いろいろとネットの中のものを読んでいたんだけど、気がついたら3時を回っていたから。そんな訳で今日もお昼まで寝ちゃった。最近、家に篭ってることが多いから今日は学校の図書館まで歩いていっちゃった。学校まで歩いていくなんて10ヶ月ぶりかな?車を買ってからというものどこへ行くにも車で行くようになっちゃったから。そのせいで歩くことをやめてしまったし。たった30分の道のりだけど、久しぶりに歩いたら長く感じること。その上、ただ歩いているだけなのに苦しくなってくるし。気がつかないうちに体力が落ちてる。ちょっと気をつけないといけないなぁ。
昨日の晩、何をそんなに遅くまで読んでたかというと、日本人がどこから来たか知りたくなっちゃって、検索してたの。そうしたらイスラエルの問題を扱っていたところにたどり着いちゃって、そこに書いてあることをずーっと読んでいたんだ。なぜ日本人のルーツとイスラエルが結びつくかというと、イスラエルの地を追われたユダヤ人が日本にやってきたって考える人がいるから。昔、ムースがスペイン語会話を習っていたときにスペイン語で古事記を読んだことがあるの。実はムースは古事記に何が書いてあるんだか全く知らなかったんだ。だから授業で古事記を読んでもチンプンカンプン。そこでそのときに古事記について調べてみようって思って、ネットで検索したの。そのときに見たHPが古事記は実は聖書だったっていう説。天照の系図とアブラハムの系図を比較して一緒であるっていったり、皇室の紋章になっている菊の紋章はユダヤ王家でも使われているとか。そういうことが書かれていたの。そのときのことが記憶にあったから昨日読んだ日本人の祖先はユダヤ人であるっていうことも興味を持って読めたんだ。ムース自身は日本人のルーツがユダヤ人だとは思ってないけど、そういう説を読むのって楽しいなって思うの。どこを通ってやってきたんだか知らないけど、何となく浪漫を感じるんだ。イスラエルの地を追われたユダヤ人が日本にたどり着いたとしても、別におかしいとも思わないし。だって昔は民族の大移動がたくさんあったんだもん。それに大陸から民族が流入してたのって7世紀頃まで続いているっていうから。日本には縄文人と弥生人が住みついたじゃない。縄文人っていうのはいわゆる濃い顔の人で、弥生人はさっぱりした顔の人。最初に日本にいたのは南方系の縄文人だったんだから、もしイスラエルを追われた濃い顔のユダヤ人がいても誰もわからないよね。ってまるでユダヤ人の顔が縄文人のように濃い顔だって感じで書いちゃってるけど。
そこに書いてあったのを見ていろいろと思ったんだけど、昔、聖書が書かれた頃のユダヤ人っていうのはこのHPに書いてあるように今のアラブ系の人と変わらなかったんじゃないかと思って。だってもし日本からシルクロードのようなところを通って欧州へ行ったら、人種というか民族ってものが徐々に変わっていくのが普通だと思うの。日本人と韓国人は見た目にもそんなに変わらないけど、中国へ行くと人の感じが微妙に違うし。ムースは食中毒のために断念しちゃったけど、北京から敦煌を通って新彊にいったら人の感じが変わってくると思う。実際にいったことある人から話を聞いたんだけど、烏魯木斉に着いたらイスラム系の人ばかりだったって。その人は中国人だったんだけど、同じ中国とは思えなかったっていってた。この先、タクラマカン砂漠を抜けて中央アジアに行けば、人の顔はどんどん彫りの深い感じになっていくと思うし、目の色だって段々と変わって行くと思う。さらに西へ西へって進んでいけば、白系ロシア人のようなスラブ系民族が多くなってくると思うし、さらに西に進めばドイツ人のようなゲルマン系になってくるわけだし、さらに行くとフランス人やスペイン人のようなラテン系になって行くと思うんだ。徐々に人の感じが変わっていくと思うの。でも今のイスラエルって見た感じみんな白人だよね。アラブ系っていうのもちょっと違うような。そのHPには作者の考えが書いてあったけど、なるほどって思えた。ただそれはあくまでもその人の考えであって事実ではないし、他の人、他の研究者がどう考えているんだかもわからないけど。そのHPですが興味のある人は「ここ」をクリックして読んでください。広告の画面がやたらに開いてちょっと困っちゃうけど。書いてあるものの量は非常に多いので、全部読もうと思ったら大変だろうけど。
さてこのHPからするとイスラエルにいるユダヤ人よりアメリカにいるユダヤ系の人の方が多いんだって。第2次世界大戦のとき、ナチスの迫害から逃れてアメリカに渡った人も多かったと思う。日本でも最近日本のシンドラーといって杉原智畝の名前を聞くことがあると思う。杉原智畝が発給した通過ビザを使って、日本経由でアメリカへ渡ったユダヤ人もたくさんいたみたい。ムースもこの日記の中で杉原智畝の名前を出したことあると思うけど。って実は昔フジTVでやったドラマの話で、NHKでやったマリコでも、この杉原智畝のときも滝田栄の演技はうまかったなぁってことなんだけど。もしかして滝田栄じゃなかったかも?ってその杉原智畝のことだけれども、ナベツネ新聞を見ていたら彼のことに関する記事が載ってたからちょっと反応しちゃった。その記事は「ここ」からどうぞ。この記事によると智畝の作者は「外務省はビザ発給の事実を知っていた。杉原はなぜ政府に背いて行動したと主張しているのか。英雄になりたくて虚偽の主張をしているのか」って書いてるみたいだね。うぅ〜ん、何ともいい難いね。ムースがここ数日調べた限りでは、時の外務大臣、松岡洋右は杉原がビザを発給してたことを知っていたみたいだよね。それが故に、杉原が発給したのは10日間の通過ビザだったはずなのに舞鶴に降り立ったユダヤ人には外務省の意向で30日の滞在許可が降りたって話しだから。これは証拠があるようなので嘘ではないみたい。しかも当時の日本はドイツと同盟を組んでいたのに、ユダヤ人に対しては保護的な政策をとっていたそうだし。っていうか満州にユダヤ人を住まわせたかったみたいだけど。杉原智畝の話が美談として1人歩きしてるけど、松岡洋右は事実を知ってたんだからこういう切り口の本が出版されてもおかしくないと思う。実際に何が書かれていたか読みたいんだけど、隣町の大学の図書館にあるみたいだから、北国コンピュータ学院の図書館で借りようと思うと取り寄せをしてもらわなきゃいけないの。それはちょっと面倒。しかも今はハリーポッターという本と格闘中だから。読むのなら今がいい時期なんだけどなぁ。ちょっと考えよう。杉原智畝の話はムースもドラマを見るまでは何も知らなかったけど、その後スピルバーグのシンドラーのリストが公開されて、日テレの知ってるつもりでも取り上げられたんだよね。最初にドラマを見たときは感動したけど、有名になって、名誉が回復されたのに…。訴訟を起こすなんて何ともいえない気分。確かに彼のことを悪くいわれるようになるのはイヤだと思う。でも奥さんはそばで彼の姿を見ていたわけだし、真実を知ってるんだからもうちょっと毅然とした態度でいて欲しかったなぁ。だって誰が何をいおうとも真実が勝つと思うから。それに出版されてすぐにいうのだったらまだしも、何年も経った今訴訟を起こすなんて。こういうのを見ると誰か周りで変な入れ知恵をしたんじゃないかなって勘繰っちゃう。
最初は日本人の起源はユダヤ人だったなんて浪漫のある話だったのに最期はやっぱり杉原智畝か…。有りがちな展開だな。早く体調が良くなってくれないかなぁ。


2002年08月14日(水)



日本語を大切にする

うぅ〜、飲みすぎた。今日はお昼になってから起きたんだけど、1日中調子が悪かった。昨日の晩、眠れないなって思って飲んだスミルノフ君が、今日になってもその威力を発揮しているなんて。あまりの具合に悪さにご飯を食べてからまた寝ちゃった。ここはスペインじゃないんだからシエスタなんて必要ないのに。一眠りしたら、もう夕方だった。今日も1日何もせずに終了。そして気がついてみれば夏休みが始まってから2週間が過ぎているし。怠惰な生活を送っている自分にがっかり。こういうときは旅に出て気分をすっきりさせたいなぁなんて思っちゃう。来週あたり、どこかへ出かけようかな?
今日夕方になってからちょっと知りたいことがあってヤフーで検索をしてたの。そのときに面白いHPを発見。1人で納得してた。今、ムースは北の国に住んでいるけど、もとは東京の人。だから東京の感覚でものごとを考えちゃう。ムースにとってコンビニでたらこのおにぎりと明太子のおにぎりが売っていても不思議って思うことがないの。というかたらこと明太子は別物って思ってる。たらこは普通のたらこのことを指して、明太子は辛くしたたらこを指しているって思ってたから。でも、「ここ」に書いてあることを見たら、たらこと明太子の別々に売っているのが変って思う人がいるってことがわかっちゃった。っていうかムースが変な人なんだよね。たらこと明太子が別物っていうのは、いくらのおにぎりとしゃけの子っておにぎりが別物として売っているようなものだもんね。北海道風にいうと鳥のから揚げとざんぎが別物として売っているようなものかな。言葉って生き物だからどんどん変化をしていくけど、その語源を聞くと何だかおかしくなっちゃうことが多いよね。例えばカンガルーっていうのも、アボリジニーの言葉では知らないって意味なんでしょ。今ではあまり使われなくなった言葉だけど、アメリカの原住民のことをインデアンっていうのだって、コロン(クリストファー・コロンブス)がインドに漂着したと思ったのが始まりだよね。だからアメリカの原住民をインド人だと思ってインデアンって呼んだんだし。昔、会社にいたフィリピン人の同僚と話をしてたとき、ナイフやフォーク、スプーンってタガログ語ではクチージョ、テネドール、クチャーラっていうことを聞いてちょっと驚いたし。何でかっていうと、これスペイン語だから。そういえば、カステラも語源はスペインのカスティーリャ地方から来てるって話だよね。カスティーリャが変化してカステラになったとか。余談だけど、バルセロナの人と話をしてるとスペイン語のことをカスティーリャの言葉っていう人がいるの。なぜなら、バルセロナのあたりはカタルーニャ地方って呼ばれていて、カタルーニャ語っていう言語があるから。スペインで使われてる言語にはカスティーリャ語やカタルーニャ語、バスク語っていうのがあるんだけど、一般的にはスペイン語っていうとカスティーリャ地方の言葉、カスティーリャ語を指していってるの。中南米の人も自分達の話す言語のことをスペイン語といわずにカスティーリャ語っていうかな。ムースはスペイン語が…っていうけど、返ってくる言葉はカスティーリャ語はね…って感じだった気がする。
語源を探るって何だか自分達の祖先を探すようでちょっと面白いよね。いつの頃からこういう風にいわれるようになったんだろうとか、何でこういう風にいうんだろうとか。知ったところで何になるのっていう人もいるだろうけど、ムースはこういうのが好きだな。言葉の使い方が上手になるような気がしちゃって。
語源を探って遊んでいたときにあるHPにたどり着いたの。ここ最近、この日記の中で日本語が大切とかって書いてきたけど、実は自分で何がいいたいのかよくわかってなかったの。もし、日本語を大切にすることってどんなことって聞かれていたら、文法的に正しい日本語を使うとか、昔からあった美しいとされる言葉をたくさん使うとか、訳のわからないことをいったと思う。その反面、言葉は生き物だから変化するのは当たり前っていうような相反することを書いてたりして。矛盾したことばかり書いちゃって、本当に情けない。でも今日このHPを見て、日本語を大切にするっていうのがどんなことだかわかった気がする。このHPでは日本語を大切にするっていうのは「周りの人を大切にすることだ」っていってるの。どういうことかというと、「相手がどんな人間かを考えてそれに合わせ、ていねいに意思を通じさせようとすれば、言葉は自然にきれいになっていくもの」だからだと。こういう考え方ってムースはいいと思う。素晴らしいと思う。言葉を大切にするっていうとついつい文法だとか語彙だとか言葉そのもののことを考えがちだけど、言葉そのものより、どういう気持ちでその言葉を使うかってことを大切にしなきゃいけない。そう考えたらいいって思ったの。詳細は「ここ」をクリックして読んでください。
このHPに書いてあることをいろいろ読んでいて1つ思ったことがあるの。それはムースが今まで正しい日本語とか、正しい英語の発音とか、正しい何とかって書いてきたんだけど、その正しいって表現は正しくないだろうなぁって思ったんだ。どういうことかというと、今の日本語って東京の山の手地方の言葉を日本の標準語にしましょうってことにして、明治時代からずーっと東京の言葉が正しい日本語って教わってきたよね。でも、東北の言葉も関西の言葉も四国や九州の言葉もみんな日本語だし、間違った言葉ではないんだよね。今問題になっている「ら」抜き言葉だって、もしかしたら50年後の日本では全員「ら」抜き言葉を使ってるかもしれない。そのときに日本人全員間違った日本語を使ってるっていうかな?多分、それが正しい日本語だっていってるかもしれない。そう考えると正しい、正しくないっていうより、好ましい日本語、好ましくない日本語と表現を曖昧にしたほうがいいのかなって思っちゃった。英語の発音だと、正しい、正しくないっていうんじゃなくって、誰が聞いてもわかる発音、わからない発音っていう表現がいいのかなって思ったんだ。例えばアメリカ英語を習っている人はアメリカ人が聞いてわかる発音。イギリス英語を勉強してる人はイギリス人が聞いてわかる発音。そういうのを習うのがいいのかなって。留学をしてる人はどうしても習っている地方の訛りがある英語になっちゃうけど、もし訛っていてもその地方では誰もが理解できる英語の発音が出来るようになればいいんじゃないかなって思うんだ。ご存知のように英語には標準語ってないけれども、こういう発音をしたらみんなが理解できる発音っていうのはある。イギリスにいたときに聞いたことがあるんだけど、イギリスの場合はイギリス南部の英語は誰が聞いてもわかるって。BBC放送の英語は南部で話されている英語に近いって聞いたことあるし。アメリカだと中西部の英語がきれいって聞いたかな?そういうのを習うのがいいかなって。それに英語を話すときは子音と同じく母音の発音も大切だと思うの。どんなに子音の発音を矯正しても母音をちゃんと発音できなければ通じないこともあるから。英会話学校とかだとLとRやSとTHの発音をよく直すけど、実はそれと同じくらい大切なのは母音なんだよね。って今思い出したんだけど、イギリスの英会話学校で二重母音を直されてことがあったんだ。あのときはどうしてムースだけ直されなきゃいけないのとムッとしたけど。でも今思えばかなりひどかったんじゃないかなと。日本人が日本人訛りの英語を話すとイギリスではよく通じるもんね。そのことを知らなかったからかな。今では日本の英語はアメリカ英語が主流になっちゃってるから、トマトはトメイトーだし、ビタミンはバイタミンだけど、イギリスでトマトをトメイトーなんて発音したらビックリされちゃうもんね。ってムースの発音を聞いてホームスティ先のママがかなりビックリしてただけなんだけど。何か話が変な方へいっちゃった。
頭がポワンポワンになってきたからそろそろ書くのをやめよう。自分で書いてることがわかんなくなってきちゃった。明日になって読み返すと誤字・脱字や変な表現がたくさん見つかるんだろうなぁ。1滴も飲んでないときの方が飲んでるときより変な文章を書くってどういうこと?もしかして…。依存症に1歩ずつ近づいてるの?


2002年08月13日(火)



事故から17年

今日8月12日は日航機が御巣鷹山に落ちた日だったんだね。あれからもう17年が経ったなんて信じられない。本当、月日の経つのは早いね。あの日は夜になってから、やたらとニュース速報が流れていたことを覚えてる。最初は飛行機の行方がわからなくなったって感じだったかな?でもずーっと行方不明のままだから茶の間でTVを見ていたムースですら、もしかして墜落しちゃったんじゃないのって思わせるような感じだった。そうしたら、何時になってからだかわからないけど、日本航空のジャンボジェット機が墜落した模様ってなったと思う。個人的には全日空より日本航空が好きで、日本航空をよく利用してたムースにとっては、あららって思わせる出来事だった。この事故の前にはスチュワーデス物語がやってたから日本航空のイメージが少しだけよくなったと思ってたのに。もしあれがなかったら片桐機長による逆噴射の一件といい、日本航空ばかりが事故を起こしているような気分になっちゃうもんね。
今日は昼からこの日航機123便のことについて書かれているHPを見てたんだ。今でもたくさんの人がこの事故を忘れないように働きかけてるんだね。当時、まだ若かったムースは不謹慎だなぁって思えることをしてたけど。実際にはお金がなくて買わなかったけど、株は買い時だと思ってたの。父に日本航空は半民半官だから今株価が落ちても絶対に持ち直すっていわれたんだ。確か事故が起こってから1万円を越える株価があっという間に6千円台まで下がったんだよね。そしてそれから半年くらいで、父のいった通り元の値段、1万数千円まで戻したのを覚えてる。今の日本航空は完全に民営化してるけど、当時は半民半官だったの。昭和63年頃完全民営化したんじゃないかな?完全民営化したときの優待券を友達が持っていたことを覚えてるから。あの頃は国鉄といい電電公社といい民営化するのがブームだったもんね。国鉄解体のときは中曽根政権だったんだね。何となくわかる気が。だってあの頃、ロンと康とか、ロンやすとかって言葉をよく聞いたもんね。ロンことロナルド・レーガンはレーガノミクスと呼ばれる経済政策で有名だし、規制緩和もかなりしてるんだよね。その結果、「兼高かおる 世界の旅」の協賛で有名だった世界の翼パンナムが潰れちゃったんだよね。
話を戻して、ムースの不謹慎なことだけれども、株のこともそうなんだけど、事故の影響でキャンセルする人がたくさんいるって思って突如旅行することを決めたの。最初はどこへも行くつもりなんかなかったんだよ。もちろんどこかへ行きたかったけど、切符を取ってなかったから身動きが取れなかったし。事故のあと、日本航空だったら席があるって思ってたんだから何とも不謹慎な人だよね。でも、旅行しちゃいました。8月15日の朝になって、突然旅支度をし始めて、お昼の飛行機に乗ってました。日本航空のボーイング747、事故を起こした飛行機と同じ型の飛行機に。飛行機の中で聞いたニュースでは、8月15日に日本航空保有の747型機すべての圧力隔壁を検査することを決めたみたい。ムースはそのニュースを機内で聞いておかしくなって笑っちゃった。だってムースの乗った飛行機も事故を起こす可能性があったんだもん。飛行機事故って続くときはこれでもかってくらい続くからね。だから運を天に任せて札幌まで飛んだの。圧力隔壁に問題がなかったから無事に札幌まで飛んで、今でもこのように生きてるんだけどね。
ところで、あの日航機事故の原因だけど昭和53年の大阪伊丹空港で起こしたしりもち事故後の修理がいい加減で金属疲労を起こし圧力隔壁に亀裂が起こったってことになってるよね。でも、今だに真実は闇の中。今日もいろいろなHPを見ていて思ったけど、おかしいって思われることが列挙されてた。今はCVRと呼ばれるコックピットボイスレコーダーに残された会話の内容が公開されてるから、それをもとに事故の真相を突き止めようとしてる人がいるみたいだけど。事故調査委員会の報告がどうしても腑に落ちないんだと思う。この気持ち、ムースはわかるの。ちょっと話が飛躍しちゃうけど、戦争についてもそう。長崎に原爆が落とされた日にネットで戦争に関するいろいろなものを読んだの。そこに書いてあることが真実とは思わないけど、今まで学校で習ってきたこととは違う視点で書かれていた。それに別の視点で見てる人がなぜいなかったんだろうって思ったの。別にムースは戦争がいいこととは思わないし、狂気の沙汰だって思う。でも何でそんなことをやらなければいけなかったか。過去の過ちを繰り返さないために真実が知りたい。もちろん、真実を知ることがいいことばかりとは思わない。知らなければよかったって思える真実だってたくさんある。真実を知ってしまったがために、それが一生手かせ足かせになることもあると思う。でも、罪のない多くの命を奪った出来事の真実を知って、2度と繰り返さないようにしないと、いつ同じ過ちを繰り返すかわからないから。もうこんなことは2度と起こって欲しくないから。だから知りたい。
この123便に関するHPを見ていたときに記憶が蘇ってきたんだけど、墜落してから間もないうちは生存していた方がまだまだいたんだよね。4人の生存者、川上慶子さん、落合由美さん、吉崎博子さん、吉崎美紀子さん以外にも生きてた方がいたのは、川上慶子さんの話でご存知の方も多いと思う。彼女のお父さんの川上英治さんと妹の咲子さんと彼女の3人で声を掛け合っていたっていうんだから。ムースは今日これを調べるまでは知らなかったんだけど、在日米軍が救助の申し出をしたそうだけど、自衛隊はこれを拒否したそうだね。本当に残念。ムースの記憶の中では現場を特定するのに時間がかかったことと、夜だったから捜査をしなかったってことだけだったから。何が隠されているんだかわからないけど、人の命をぞんざいに扱ったことだけは事実だし、そのことについては本当に残念。
隠しておきたいこともたくさんあると思う。日本って国だけではなく、アメリカのボーイング社も。もしかしたらアメリカって国も絡んでるかもしれない。当事者が死んでしまえば何もかもうやむやになる。これは紛れもない事実。だけど、もし未来を今より少しでも明るいもの、いいものにしたいと思えば、やはり真実は必要かなって思うんだ。その真実についていろいろな視点で語り合うのはいいと思うけど、嘘を語り合わなきゃいけないのはお腹一杯。視点を1つにして人々に刷り込んでしまえば、それが事実として伝えられるけど、それも変なことだと思うの。ここのところ、真実が闇の中に埋もれたものを立て続けにこの日記で取り上げたからそう思うのかな?
この日航機事故から1年後の8月。ムースは山陰と九州を旅したの。8月12日だったと思う。ムースは出雲大社へ向かうため1人タクシーに乗ってたんだ。この頃から恋に縁がなかったから、縁結びの神さまにいい恋が見つかりますようにってお願いしに。出雲市の駅からタクシーに乗ったのかな?辺りは田んぼばかり。出雲大社に近くなったとき、田んぼの向こうに雑木林みたいなのが見えたの。そのときタクシーの運転手さんがムースにいったんだ。「あの木の向こうが川上慶子ちゃんの家だよ」って。きっと取材陣でいっぱいなんだろうなって思った。そんな瞬間だった。
ムースにとって日航機事故にはいろいろと思うことがあるの。このことはほとんどの人が知らないと思うけど、日航機事故から4年後の平成元年の3月26日日曜日、大阪伊丹空港で日本エアシステムのYS−11型機がしりもち事故を起こしたんだ。123便がしりもち事故を起こしたところと同じ大阪伊丹空港で。気流が荒れて着陸が難しいときに起こった事故だった。乗員乗客にけが人はなし。機体損傷のみの事故だった。けれど、まだ日航機事故の惨劇冷めやらぬとき。その機長はマスコミに叩かれるだけ叩かれた。なぜならその事故の1年前の昭和63年1月11日、日本エアシステムのYS−11型機が米子空港で離陸に失敗し海へ突っ込んでいたから。いわゆる、オーバーラン。大阪伊丹空港でしりもちをついた飛行機は米子発大阪行だった。関連付けようと思えば何でもできる。日本エアシステム、米子空港、YS−11、大阪伊丹空港、しりもち事故。人の不安を煽るには持ってこいのネタだったかも。その機長は4日後の3月30日、自らパイロット人生に幕を下ろしました。享年55歳。若すぎる死。自衛隊から東亜国内航空に移り飛行機を操縦してた方だった。新聞を見ても、HPを検索してもこの機長が自衛隊にいたってことは出てこないと思います。だっていろいろあるんだもん。ムースがこの機長が自らの命を絶ってしまった記事を見たときには正直驚いた。3面記事にデカデカと載ったから。このときばかりはマスコミのやり方に憤りを覚えたかな。人を死に追い込むなんてひどすぎるって。だから123便の真実を知りたい。そう思ったの。ちなみにムースの両親は健在ですし、この機長は親戚縁者ではありませんから。

ちょっと暗くなってしまった今日の日記ですが、1つ明るい話題を。昨日書きものをしてたって書いてけど、その作品が本日公開されました。それは「ここ」をクリックして御覧ください。題名は「津軽海峡の汁」です。明るい話題をっていってる割には内容はちょっと暗いんですけど。ムースが初めて北海道を旅行したときに食べたもののことが書いてあります。ちなみに上に書かれた8月15日に日航機に乗って旅立った北海道旅行は3度目の1人旅で2度目の北海道1人旅です。

今日はもっと書きたいこともあったけど、もうやめます。だって疲れちゃったんだもん。その話は明日書くかもしれないし、書かないかもしれないし。その日の気分で書いているのでどうなっちゃうかわからないの。ゴメンなさい。


2002年08月12日(月)



雑文

今日は1日書きもの。書きものっていってもレポートとか論文とかといったものじゃないけど。雑文っていう部類に属するものかな?たまにはこういうのも書かないとね。この日記を書いているときは1回読み直したら、そのまま公開しちゃうことが多いけど、今日書いてたものは1度公開しちゃったら容易に書き直しが出来ないので、推敲っていうのをしちゃった。これでもあとになって読み返すと、あそこはこういう風に書けばよかったとか、あそこはこういう表現にしておけばよかったっていうのが出てくるんだろうなぁ。ただ書くのは簡単だけど、ちょっとでもいいものを書こうと思うと難しいな。ところで、何を書いていたかは数日中にお知らせ出来るときが来ると思いますので、そのときまでお待ちください。
この雑文といわれるものが書き終わってから、ヤフーで雑文、っていうか雑文祭って言葉で検索したんだけど、結構出てくるものだね。以前ムースも「飲めや歌えや雑文祭」っていうのに投稿したことがあるんだけど、この雑文祭に投稿した人のHPも出てきたりして、何だか楽しくなってきちゃった。雑文祭というと何コかのサイトの方が共同で開催しているのが多いみたい。今日見たのは第1回から第5回までの雑文祭とクリスマス雑文祭?とかが多かったかな。中にはジョン・レノン雑文祭っていうのもあったの。この雑文祭だけど縛りと呼ばれる文中に必ず入れなければいけない言葉があるのが多いみたい。ムースの投稿した「飲めや歌えや雑文祭」でも縛りと呼ばれるものがあったの。最初この縛りを見たときには、こんな言葉を入れなきゃいけないだなんてムリだよって思ったんだ。でもどう書こうかって考え出すと面白いの。一種の言葉遊びなんだよね。ない知恵を絞りながら構想を練って書いていくの。書いている途中で別の案が浮かぶことだってあるから、そういうときは思ったままに書いていくの。それからその縛りについて考えてみたり。くだらないって思うかもしれないけど、ムースにとってはこれがとっても楽しかったの。
投稿をすれば、やっぱり他の人が書いたものが気になるから、みんなはどんなことを書いているんだろうって思って見に行くじゃない。そうすると、驚いちゃうくらいすごいの。同じテーマ、同じ縛りで書いているんだからみんな似たものを書くかと思いきや、全く違う視点でものを見て書いてるから、当然のことながら全く違うものが出来上がる。だから1つ読むごとに、この人はこういう視点で見ているんだとか、この人はこんなことを体験してるんだとか、いろんなことを思いながら読めるんだ。「飲めや歌えや雑文祭」は総勢39名、参加作品が50作品っていうから50コの短編小説を読んでいる気分になれる。もちろん、1日で全部を読もうって思ったら疲れちゃうから、ムースは何日かにわけて読むけど。
人には好きな文体、好きじゃない文体っていうものがあるから全部が全部楽しいとか、好きってことにはならないと思うけど、好きな作品は簡単に探せると思うの。ムースも読んでいてこの話っていいなぁって思えるものを見つけたし、それを読んだあとは作者のサイトを訪問して、他のものも読んだりして。こういうことも結構楽しいんだ。だからこういった雑文祭って面白いって思えるのかもしれない。
今日から公開された鼠丼さんの「カルピスの思ひ出」もいうなれば雑文祭。縛りっていうものがないから、どんな人でも書けるようになってるの。その訳は自分のサイトを持っている人も持っていない人も気軽に参加してもらいたいからとのこと。この気持ちはよくわかるなぁ。参加者限定の催しものだと何となく閉塞感があるし、もしそれに参加したいと思っても輪の中には入りづらいだろうし。今ネット上には文章を書いている人がたくさんいる訳だし、その人たちが1つのテーマでいろいろなものを書くっていうのはとっても面白いと思うから。もちろん自分のサイトを持っていない人でも気軽に参加できるようにすることもいいことだと思うし。ところで、「カルピスの思ひ出」の参加要項は「ここ」からどうぞ。参加作品は「ここ」をクリックして御覧ください。って勝手に参加作品の方までリンクしてよかったのかな?

さすがに今日は何を書いていいかわからないだけに、書くのが苦しくなってきたなぁ。ってなことなので、最後に英会話ネタの多いムースらしいことを。最近、日記才人で見つけたサイトなんだけど、英語で日記を書いてあるの。英語でっていってもこれから英語を勉強しようと思っている人みたい。だから半分は日本語なんだけど。どんな人が書いてるんだか知らないけど、何だかこのサイトの日記を見るとほのぼのしちゃって。ムースにもこんな時期があったなぁって思い出して。ムースは日記を書いたんじゃなくて絵葉書を英語で書いたんだけど、はがき半分を書くのに2時間かかって、さらに書いたものを添削してもらったら、直されまくった上に何て書きたいのってたくさん質問されたし。ってただ単に英単語を並べただけで、意味が通じてないってことなんだけど。そのサイトは「ここ」をクリックして御覧ください。一番最初に書かれた日記はたった2行しか書けなかったみたいなんだけど、徐々に書く行数が増えていってるの。多分書くことを続けていけば1年経ったときには英語で日記が書けるようになるんだろうね。どこまで続くかわからないけど、しばらくお邪魔させてもらおうかなって思って。ちなみにムースは英語で日記を書くなんてことは出来ませんので。ムースが日記を英語で書き始めたら毎日1行しかない日記になっちゃうから、このまま日本語で書きます。だって毎日I've thought about many things that I can't write in English today. で終わっちゃうもん。これじゃ、思ったことを思ったままに伝えられないからストレスがたまってまた叫んじゃう。もう書けない。限界!って。それはイヤだから。
ってもう1つ思い出した。西ナイルウィルスという蚊に刺されると脳炎を引き起こす病気が問題になっているようですけど、ムースの住む北の国はのどかなのでそんな危険に晒されてません。って書きたいけど、思いっきり発生地域です。しかも西ナイルウィルスのことを4チャンでやってる特命リサーチ200Xで見たことあるんだけど、あれってちょー恐いんですけど。だって蚊に刺されて脳炎引き起こしたら死んじゃうんだもん。蚊に刺されたくないよー。

うわぁ〜、やっぱり今日は何にも書けなかった。

追記(8月15日)
英語で日記を綴るのは大変なことだと思う。その日の思い、そのときの気持ちを慣れない言語で書くのだから日本語で書く数倍の努力や時間を要すると思うんだ。その苦しさや面倒臭さ等を考えれば日本語で書いたらどんなに楽だろうと思うの。そんな中、あえて英語で書くってことは素晴らしい志だと思うんだ。上に書いてある言葉は表現としてよくないね。たとえ1行でも英語で書いていくことが大切なのに「たった2行」だなんて。失礼なこといって申し訳ないです。2行が4行、4行が6行になっていってるみたいなので、いつの日にか全文が英語で書かれる日を期待すると共に応援します。初志貫徹って言葉が示すように、最初の思いを貫き通して夢を叶えることが出来ればいいと思ってます。応援してます。


2002年08月11日(日)



勝手な解釈

前に比べたら少しだけ朝早く起きるようになったけど、相変わらず何もせず、ボーっと過ごす毎日。ってことは、今日起きて、ご飯を食べて、ボーっとしてたら夕方になったのでまたご飯を食べた。ってことだけで今日の日記が終わっちゃう。そんなことをすると、ムースの思ったことを思ったままに書くという方針に反するので、今日思ったことをいつものようにつらつらと書き綴っていきます。
朝から何を思ったのかわからないけど、昨日同様ニューヨーク・タイムスなどという横文字で書かれた新聞のサイトへいったの。そこのニュースの中に日本のことが書いてあるのを発見したから、辞書をひきひき読んでみたの。その記事は「ここ」からどうぞ。内容は日本人の鬱に関することについて。簡単にいうと日本人は鬱に対して抵抗感があるって感じかな?うぅ〜、うまくいえないから辞書を引き引き読んでください。ムースはこの記事を読んで、なぜこんなに鬱っていうか心の風邪に抵抗感があるんだろうって思ったの。この記事の中にスチュワーデスさんの例が載ってたんだけど、会社に鬱だってことがばれると首になるからカルテには鬱って書かないでっていったんだって。だからホルモンのバランスががちょっと不安定だってことをカルテに書いたんだって。うわっ、すごい和訳だ。このスチュワーデスさんの話を読むと、患者さん自身も心が風邪をひいちゃってることには抵抗感を持ってるって感じがするよね。ってこういう風に書いてるムース自身もちょっと抵抗感があって、今年の2月、3月はかなりひどい状態だったのにカウンセリングに行かなかったけど。っていうか、もうちょっとひどくなってたら行ってたと思うけど、断酒してたせいか変に感情を乱すことがなかったから、カウンセリングへ行かずに回復したんだけどね。立ち直ったときって今まで立ち込めてた霧が晴れるかのようにスーッと変な感情が消えていってくれたんだよね。とはいっても、五里霧中だったのに、いきなり晴天白日のごとくすべてが吹っ切れたって訳じゃないけど。自分でどうにか出来るんだったらいいけど、心の風邪の場合は普通の風邪のように薬を飲んでひと晩寝たら治っちゃったってことにはならないからね。なのに何でこうもいえないのかなって考えちゃった。
記事の中にお医者さんの話として日本人がなぜ鬱を隠そうとするかってことが載ってたの。それは恥だと思うからなんだって。それによく似てるのが戦争のときに何万という日本兵士が絶望的な状況の中では包囲されるより死を選んだって。なぜかっていうと恥になるって思ってたから。これもすごい和訳だなぁ。さすが偏差値30台。昨日たまたま戦争のことについて調べてたからこの説明がムースには妙に説得力のあるものに思えたんだ。今の人はあまり持ち合わせることのない恥っていう意識を昔の人はたくさん持ってたよね。変なことをやると「恥ずかしいからやめなさい」って怒られたり、今でもいう人がいるけど「人前に出ても恥ずかしくない人になりなさい」ってことをいったり。恥ってことに対してはとっても敏感だよね。じゃぁ、どこからこの恥って意識がやってきたんだろうって思ったの。そのときにふっと頭の中を過ぎったのが「武士は食わねど高楊枝」って言葉。ここに何かが隠されてるんじゃないかなって。
そう思って武士道で検索開始。そうしたら何と今の5千円札の肖像になってる新渡戸稲造が武士道っていう本を書いているじゃない。初めて知っちゃった。新渡戸稲造って何した人なんだろうってずーっと思ってたけど、こんな本を書いていたのね。で、武士道とは何たるやって思ってちょっと読んでたの。ゆっくりと武士道を読んでみたい方は「ここ」をクリックしてください。これを読んでる限りだと昔の道徳教育としてはいいんじゃないのかなって思ったんだ。もちろん、今の世の中には不適なところも多々あるけど、でも今の世の中でもこれは重んじた方がいいんじゃないのって思えるのもあったなぁ。例えば、礼の心って大切じゃないかって思うの。このHPの言葉を借りれば、「礼とは他人に対する思いやりを表現すること。長い苦難に耐え、親切でむやみに羨まず、自慢せず、思い上がらない。自己自身の利を求めず、容易に人に動かされず、およそ悪事というものをたくらまない」。こういった心は洋の東西にかかわらず必要じゃないかな。仁だって説明を読んで、聖書の一節、コリント人への手紙の「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない」って件に似ていると思っちゃうのはムースだけかな?何か昔からみんな似たような道徳観を持っていたんじゃないかって思ったの。もちろん1つ1つを比べたら違いなんていくらでも出てくるけど、大まかにみると人として生きていくにはこうあった方がいいっていうのは似てるような気がしちゃって。ただ、いつの時代にも言葉を自分の都合のいいように解釈しちゃう人がいるから、忠誠を尽くすってことは何でもいうなりになるんだとか、ちょっとでも目上の者に逆らったら死をもって詫びるだとか。でも武士道の考えからすると、生きることが死ぬことよりいっそう困難な場合は、あえて生きることが真の勇気であるっていってるんだから腹を切ればいいって訳ではないんだよね。解釈が人によって違うのは当たり前なんだけど、ただ自分の都合よく解釈をして、それを押し通すのは違うんじゃないのかなって思ったんだ。
今でいえば、個性とか個人主義、自分らしさってことをみんないいように解釈して使うよね。これは唯川恵のエッセイにも書いてあったんだけど、待ち合わせても、いつも時間に遅れてくる女性に遅刻をしないでっていったら、時間にとらわれないで行動するのが私らしさ、これが私の個性だからといったとか。ムースにいわせればそんなのは個性じゃなく、ただの我がまま。身勝手だよね。個人主義っていうとさも集団に属してはいけないことのように1人気ままにやってるけど、これも何か履き違えてる人もいるんじゃないかな。個人で勝手気ままにやって、うまくいってるときはいいけど、ちょっとでもうまくいかなくなると人のせいにしたり、責任を放り投げてどこかへ消えちゃったり。自分でやってることの責任感がないんだもんね。ムースの友達がよくいってたんだけど、「自分で自分のお尻が拭けないんだったら、そんなことやるな」と。本当にその通りだよね。個人主義でも何でもいいけど、自分がやることに責任を持てないんだったらやるべきではないんだよね。ってそれが故にムースはピーターパン症候群になって一生懸命責任を回避しようとしてるんですけど。説得力がなくなっちゃうけど、事実なもので。情けない。個性や個人主義もいいけど、本来の意味をちゃんと理解してから行動を起こさないと、とんでもないことになっちゃうからね。昔って武士道の精神だと何とかいって、戦争へいったら生きて帰ることを恥のように教育したけど、本当は違うんだよね。都合のいいように解釈してたんだよね。そのために多くの人の命が奪われちゃったんだよね。個性だってあまりにも都合よく解釈しちゃえば、人の命を奪いかねないことにならないから、1人1人が責任を持って、本来の意味での個性を大切に行動してくれたらいいなぁって思ったんだ。

この武士道からどこをどう辿っていったんだかわからないんだけど、最後に行き着いたところはムースにとってもっとも危険なサイトだったの。ここにたどり着いたら1日何もしないまま時間が過ぎちゃう。どうにかしなきゃって思うんだけど、自分のやってることになかなか歯止めがかけられなくて。何のサイトかというと、歌詞の載っているサイト。本当にこれは危険。今日は小学校のときに歌った歌をずーっと歌ってた。アイアイとか巣立ちとか翼をくださいとか。その中で何でこんな歌知ってるのっていうのまで歌ってたの。それは…二宮金次郎。実は父がよく歌ってたので覚えちゃったの。♪柴刈り縄ない草鞋をつくり 親の手を助(す)け弟(おとと)を世話し…って。ちなみに母の出た小学校にはムースが子供の頃は二宮金次郎の像があったんですよ。今はもうないと思いますけど。ところでこの歌って習ったのかな?♪はいしいはいしい、あゆめよ小馬 山でも坂でも、ずんずん歩め…って歌なんだけど。もし習ってないとしたら、この歌も父がいつも歌ってたから覚えたんだ。ムースって戦前の人じゃないですからね。その証拠に文部省唱歌である広瀬中佐は知らなかったから。あぁー、知らなくてよかった。ホッ。でもなぜか戦後すぐに歌われような歌をよく知ってるの。自分でも気持ち悪くなるくらい。今日だって文部省唱歌の1人カラオケ大会が終わって、次に歌ったのは「東京の花売り娘」ですよ。♪青い芽をふく 柳の辻に 花を召しませ 召しませ花を…って。りんごの唄とか銀座のカンカン娘は歌わなかったけど。本当に歌詞のサイトは危険!っていいながら独唱会も悪くないかなぁ〜なんて思ったりして。そして今夜も1人カラオケ?


2002年08月10日(土)



歴史って…

今日は長崎に原爆が落とされた日だったんだね。朝、新聞の記事を読むまで全然気がつかなかった。一昨々日はナベツネ新聞を見るまで気がつかなかったし、今日はニューヨーク・タイムスを見るまで気がつかなかった。子供の頃は朝起きた時には気がついていたんだけど、年をとったらすっかりそんなことを忘れちゃてる。2度とこんなことが起こってはいけないから、忘れずにしておかないと。
今日はめずらしく朝からニューヨーク・タイムスなどという聞くからにかっこよさそうな新聞のサイトを訪問しちゃった。ナベツネ新聞しか読んでないっていうと国際政治や国際経済に弱そうな人に思われちゃうから、恰好つけのために、たまに訪問するようにしてるの。そうしたら長崎での原爆の記事が載ってたから、ちょっと思い出したんだ。その記事は「ここ」からどうぞ。この記事を見て、ソ連の参戦の方が原爆投下のニュースよりも上に来ているのは何でだろって思うのはムースだけなんだろうか。それだけアメリカにとってソ連の参戦の方が重要だったのかな?ムースは歴史っていうものを何も知らないの。なんてったって、なんと大きな平城京、鳴くようぐいす平安京、いい国作ろう鎌倉幕府の3つしか知らなくって。これを考えると教職課程なんてとらなくってよかった。だってこれしか歴史のことを知らない社会科の先生がいたら、生徒がかわいそうだもん。話を戻して、ソ連の参戦のことだけど、この記事からするとアメリカはソ連がいつ参戦する前から知ってたんだよね。ムースの頭の中では米ソは仲が悪いと思ってたけど、ヤルタ会談って米英ソでやったんだもんね。話くらいはするよね。あと日ソ間には不可侵条約があったのにそれを無視して宣戦布告されたと思ってたの。これが正しいかどうかわからなかったから、今日は1日中ネットで調べちゃった。だからハリーポッターを読むのはお休みだったの。
最初、ソ連の参戦のことを調べようと思って検索したんだけど、その結果は戦争に至るまでの歴史を書いてるものが多かったみたい。ムースはその中の1つを選んで読んでいたんだ。開戦に至るまでのさまざまな出来事を見ていると、いろいろな人間模様や駆け引きがあったんだなぁって思っちゃった。ムースが読んだものは自虐的なものではなく、仕方がなく戦争になっちゃったんだって感じのものだったの。歴史が全くわかってないから、何が正しくて、何がおかしいのかよくわからないけど、ムースの受けた感じだと多くの人が戦争を回避しようと一生懸命だったんじゃないだろうかって。もちろん、強硬派はどこにでもいるわけだし、そういう人たちは戦争をしたくてうずうずしてたのかもしれないけど。それと今日読んだものからだと、戦争をするしか残された道はなかったのかなって思えちゃった。
昔、自分達が習う歴史っていうのはヨーロッパ人の目で見たもので、ヨーロッパの歴史なんだっていうのを聞いたことがあるの。そのいい例は1492年のクリストバル・コロン(クリストファー・コロンブス)によるアメリカ発見。ムースもいわれるまでは気がつかなかったんだけど、アメリカはコロンが到達する前からあったんだよね。発見っていうのはヨーロッパ人から見ての発見であって、アメリカの原住民の目から見るとスペイン人来襲になるんだよね。ここ最近はアメリカ発見じゃなくアメリカ到達ってことになってるけど。日本史は日本人の目から見ている歴史だからまだマシだけど、世界史はヨーロッパ人から見た世界史なんだよね。だから多少偏りがあってもしょうがないかなって思ったの。ムースがスペインにいたときに習ったレコンキスタ(国土回復運動)だってヨーロッパの視点で見てるけど、もし世界の歴史書がアラブ人の目で見たもので書かれていたら1度国を追われたものが再征服(レコンキスタ)を行なったなんてとんでもないってことになるだろうし。そういえばレコンキスタって今のイスラエルとパレスチナの問題と似てるんじゃないかな?そのパレスチナ問題に欧米の国がしゃしゃり出て行くのはまるで現代版十字軍遠征のように見えることもあるし。
ここ数年、歴史の教科書が問題になってるけど、今日の見たサイトに書いてあるのを読んでると、何だか戦争の歴史もアメリカによって書かれたもののように思えてきちゃって。ここのところ、もう自虐的な歴史観は捨てましょうっていう人がいることってわかる気がする。1つのものを見てもそれぞれ視点は違うわけだし、いろいろな見方があってもおかしくないけど、今まで習ったのはいつも日本がいけないってことばかりでしょ。しかも視点は1つだけ。それが故にだかどうだかわからないけど、今の世の中って謝っちゃえばいいやって感じで、何をしても「私が悪かった、ゴメンなさい」といって自分を責めはするものの、根本的な解決は一切なし。反省もせず、同じことを繰り返してるだけのように思うの。そんな気がしちゃった。
戦争が終わって今年で57年。この間にいろいろな変化があったと思う。その結果が今の日本だけど、何だかいつの間にかみんな骨抜きにされてしまったみたい。昔の人の方がすごいとは思わないけど、昔の人は自分の意思を持って行動してたような気がしちゃった。今でも自分の意思をしっかり持って行動してる人がいるけど、昔の人の方が骨があったっていったらいいのかな。何か今の人が失ってしまったものをたくさん持っていたような気がしたの。人を比べるのはよくないって先日書いたけど、これは気質のことで、個人と個人を比べてる訳じゃないので誤解しないでください。
それと歴史は繰り返されるってよくいうけど、資源もなく、食べ物も輸入に頼っている国が、日米通商条約を破棄されたときのようになってしまったらどうするんだろう?外交が上手な国だったらどうにか窮地を切り抜けていくんだろうって期待ができるけど、今の外交を見ているとちょっと期待は出来そうにないし。国民総海外脱出かな?そこで食べ物をわけてもらうか?考えてみれば、お金持ちはどうにかなるんだよね。飢餓の恐怖に慄くのはムースのような貧乏人だけか。悲しい。ただ今日読んだもののことを考えると、何もしないでのほほ〜んとしてると衰退への一途を辿るような気がするの。政治家だけではないけれども、政治をやる人は特に歴史からいろいろと学んで国をいい方に引っ張っていってもらいたいなぁ。そうじゃないと、また過ちを繰り返してしまうそうで。

話はちょっと変わるけど、今日いろいろと読んでいたらムースは松岡洋右って人がどんな人だったのかなって思っちゃった。あるHPではあんなレベルの低い人が外交をやっていたなんてよくなかったって書いてるし、あるサイトではもうちょっと客観的に彼のやったことを紹介してたし。またあるサイトでは国際連盟を脱退してしまって、失意のもとに帰国したのに、日本のマスコミは彼を英雄扱いにして、国民の感情を煽ったってマスコミ批判をしているし。ムースは彼ことを父からちょっとだけ聞いたことあったの。それは、彼が国際連盟の会合に出席したときに通訳に「よろしく頼む」とひと言告げたら、その通訳がベラベラといろいろなことをしゃべったんだって。それを見ていた他の国の人が「日本語っていうのはなんてすごいんだ。ひと言であんなにたくさんのことをいったのか」って感心したとか。でも、父の話はおかしい。だって松岡洋右って13歳でアメリカに渡って、オレゴン州立大学を卒業してるじゃない。しかも10年もアメリカにいたっていうし、国際連盟を脱退するときにも英語で答弁したらしいじゃない。自分でしゃべるのが面倒だったから通訳にしゃべらせたとしか思えない。ムースはずーっと英語がしゃべれないから外務省の人に任せてたと思ってたのに。だから日本の政治家ってダサいって思ってたのに。この松岡洋右だけど国際連盟を脱退しちゃって日本に帰ってくるとき、一体何を思って帰国したのかなって思ったんだ。今のように飛行機でひとっ飛びって時代じゃないんだから、船の中でいろんなことを考えてたと思うの。帰りにオレゴンに寄ってお世話になった人のお墓をたてて来たそうだけど、何だかそこに寄ったのはいろいろ考えていたからじゃないかな。そんなことを考えちゃった。あっ、この松岡洋右ですけど、戦後A級戦犯として東京裁判にかけられましたが、判決の前に病のためになくなってます。

今日はちょっと歴史について考えてみたけど、歴史って奥が深いね。いろいろな解釈もできるし。ヒマが出来たときにでも歴史をちょっと勉強しないと。いい国作ろう鎌倉幕府しか知らないっていったらみんなに笑われちゃうから。


2002年08月09日(金)



欲しいもの

久々に隣りの部屋から低音騒音があったの。実はさっきまで愚痴を書いていたんだけど、その低音を聞いたら気持ち悪くなってきちゃって書いたものを全部消しちゃった。ここ数日間はうるさい日って思う日でも低音が響くことはなかったのに。どうしたのかな?今日は廊下で誰かが騒いでいたから隣の家に人が集まっているのかな。そういう日ってうるさいんだよね。1人でTVを見てるわけではないから、いつも以上に音量を大きくするし。5分くらいうるさかったけど、すぐに静かになったから文句をいいにはいかなかったけど。ただ1度気持ち悪くなっちゃうと、落ち着くまでに時間がかかるから。それがイヤだなぁ。頭も痛いし。
ところで低音騒音だけど、何もムース1人が悩まされてるんじゃないんだよね。日記才人に掲載されてる日記を読んでると、「こちら」の方(8月6日の日記参照)や「こちら」の方(8月1日の日記参照)も低音に悩まされているよう。直接スピーカーから音を聞いている人は高音も一緒に聞けるから問題ないんだろうけど、低音しか響いてこない近所の人にはとっても迷惑。ムースのように聞くたびに体温が上がってくるのがわかって、頭にガンガン響いて、痛くなって、さらに気持ち悪くなるような人はいないと思うけどね。それとムースの場合は隣りの部屋からだから壁が微妙に振動しちゃって。もちろん肉眼で見て振動してるんだったら困っちゃうけど、そこまでは振動しないの。でも手で壁を触ると微妙に振動してるなぁってよくわかる。ちょっと聞いただけでこんなになっちゃうなんて、もしかして心的外傷になってるのかな?イライラしやすくなっちゃうし、何もやる気がなくなっちゃうし。
ところで、何のことについて不満を書いていたかというと、本が読めなぁ〜いってこと。今日もハリーポッターを読んでいたんだけど、お昼にサンドウィッチを食べて、それから読んだらまたまたシエスタをしちゃった。話自体はやっと面白くなってきたんだけど、全然集中力が続かないの。だから読み続けることが出来なくって。昼間は家の中が暑かったとか、隣りがうるさかったっていうことはなかったから、ただ単にムースの集中力の問題。ハリーポッターなんて子供でも読める本なのに。しかも字がとてつもなく大きいのに、そんなのも読むことが出来ないなんて情けない。今日は前までとちょっと違って多めに読んだけど。でもたったの20ページ。1日かけて20ページだなんて情けないなぁ。300ページしかないんだし、あれだけ字が大きければ1日、いや半日で読めておかしくないのになぁ。がっかり。そんな訳で愚痴をチョロチョロと書いてたんだけど、上にも書いたように愚痴を書いてる途中で急に低音騒音公害が発生して、イライラしたのと同時にすべてを消し去っちゃったの。今は静かだし、気持ちも落ち着いてきたので、どうにか日記がかけるくらいまで復活したけど。
あぁ〜あ、それにしてもハリーポッターすら読めないって最悪だなぁ。TVを見てても何をいってるんだか今1つ理解できてないし、映画を見ても周りの人が何で笑ってるんだかわからないし。もちろん人と話していても、ちゃんと理解してないから話が明後日の方へ行っちゃうし。語彙がないからいいたいこともいえないし。だから、せめてハリーポッターくらいは…って思ったんだけど、どうやらそれも雲を掴むかのごとくムリなことだったのね。といってもせっかく面白いところになってきたから何とか最後まで読み続けようと思うけど。いつになったら理解できる日が来るんだろかなぁ。やっぱり今月はカナダかどこかへ短期留学に行くべきだったかな?いくら「ローマは1日にして成らず」というからって、目に見える成果が全然ないと雲を掴もうとしているような気分になっちゃうから。やっぱり何か1つでいいから目に見えるもの、もしくは自分で感じれるものがあると明日の活力につながるんだけどなぁ。何も見えないってここまで人を不安にするものなのかと思っちゃう。道は長く険しいってことはわかってるけど、長すぎだし、険しすぎ。自分がやれる量もわかってるし、あせったところで何にもならないってわかっていても、山積みになってる問題を見ちゃうと、やっぱりあせっちゃうしなぁ。今日は空回りしてる自分をちょっと感じる。心で思うことと頭で考えることにずれが生じちゃってやや不安定だな。ここ1週間、いたずらに過ごしてしまったのもこんな気分にさせてるのかな?
日本語もダメ、他の言語もダメじゃ困っちゃう。この悪循環を打破するものが欲しいよ。はぁ〜、思ったことを思ったままに書けるような力が欲しい。読んでいるものをちゃんと理解できるような理解力が欲しい。

ふと思ったけど、ここ数日の日記で書いたこととは180度違うよね。言うは易し、 行なうは難しなんです。


2002年08月08日(木)



本を読むこと

目が覚めればお昼。ってことは寝ている間に午前中が終わってしまったのね。あぁ〜あ、今日も午前っていうときをムダにしてしまった。明日から徐々に調整すれば来週の頭にはまともな生活のリズムが刻めるようになるのかな?夏休みが始まって今日で1週間が過ぎたけど、まさかここまでだらけるとは思わなかった。本当、1度坂道を落ち始めるとどこまでも転げ落ちてしまうのね。気をつけなきゃ。今日はそんなダラダラした生活をちょっとは改善しようと午後から自動車の修理工場へ行ったの。この間、竜巻警報があったときに壊れた運転席側の窓の修理とボロボロになってしまっている後部バンパーを修理しようと思って。っていっても今日その場で修理してもらえる訳じゃないから、今日は見積もりだけもらって修理は来週やってもらうんだけど。それにしてもバンパーの交換ってこんなにも高いものかって思っちゃった。見積もりを出してもらったら9万5千円もするの。あまりの高さに驚いてバンパーは修理しないでいいですっていっちゃった。窓は前からおかしかったし、調整装置?の按配がよくないから窓が開かなくなっちゃったっていうのは知ってるの。それに窓が開かないと今の季節ちょっと困っちゃうから。真冬だったら窓なんて開けることないからいいんだけど。でね、これは結構高いだろうって思ったら、思ってたよりは安い見積り額だったんだ。っていっても実際に修理してみないと費用はいくらかかるかわからないんだけどね。そんな訳で今回は窓の修理のみでバンパーはこの次かな。気が向いたときに9万5千円払おう。この冬はタイヤも交換しなきゃいけないから、その分のお金も必要だし。じゃないと雪が降ったとき、ブレーキを踏んだ瞬間にとんでもない所へ滑っていっちゃうからね。いずれは直さなきゃいけないってわかっていても、9万5千円を今払うだけの決心は出来ないなぁ。考えてみれば、このパンパーの一件は自分の整備不良が招いた修理っていってもおかしくないんだよね。はぁ〜、これからはこまめに車を整備しなきゃ。実家の車は何もしなくても平気だったけど、今乗ってる車は騙し騙し乗らないとすぐに壊れちゃうから。ご機嫌取りも楽じゃないね。お金があればいい車買ったのになぁ。出せる金額は今乗ってる車の値段くらいだったし。まっ、しょうがないか。お金がない分、自分で車のことを勉強して、ご機嫌を取り続けるしか車を維持することが出来ないもんね。それにここ北の国では車がなければ何も出来ないし。車がなかったら飛行機に乗りたくたって飛行場へすら行けないし、買い物へ行くのだって歩いてスーパーへ行ったら片道45分もかかるから。夏はまだいいけど、さすがに真冬は行けないもん。−15℃の中、約3.7リットルの牛乳を持って45分も歩けないし。多分そんなに長い間牛乳を持って歩いていたら家に着く頃は凍ってるから。冗談じゃなくマジな話で。

さてと今日のムースの思いはある新聞の記事を取り上げて、そのことについて書いてみようかな。その記事とはナベツネ新聞に掲載された「高校生の4割が図書館で本を借りない」っていうもの。「ここ」をクリックして参照してください。こんなことは自慢にもならないけど、ムースが高校生のとき、図書館から1度も本を借りたことがありません。だって読みたいって思う本がなかったんだもん。小学生のときは図書館から本を借りることはあったけど、何も読まずに返してたから。実際には6年間で3冊くらいしか本を読んでなかったんじゃないのかな?なんてったって集中力のかけらもない子供だったし、本に興味がなかったから。それに小学生のときの読書感想文は親掛かりだったから実際に自分で本を読むことなんてなかったし。おかげで今だに読解力というものがなくて困っちゃうんだけど。ただ、何を血迷ったのか高校生になってからは推理小説ではあるけど、本をちょこちょこと読むようになったし、2ヶ月に1冊くらいの割合で本を読むようになっていたかな。自分の名前書けます大学に入ってからはさらに血迷って新潮文庫を買い漁るようになってたけどね。だからかもしれないけど、今どうにか漢字も読めるし書けるのかな。って最近はパソコンの自動変換に頼りっきりだから、いざ紙に漢字を書いてっていわれると実際に書けるかどうかわからないなぁ。それに自分で読み書きが出来ると思ってるだけで、実際にテストされたら平均値以下かもしれないけど。この記事には「文章力の低下には本を読まなくなったことが影響している」って書いてあるけど、本当にその通りだと思う。文科省では英語教育に力を入れてるみたいだけど、ムースの視点で見たら、日本語の読み書きがしっかりしてない人にどんなに英語を叩き込んでもムリがあると思う。だって母国語ですら文章の構成がうまく出来ないんだもの。それを外国語でやろうだなんて…。
この日記を書き始めてからよく英語のことを書いていると思うけど、英語を習えば習うほど実は自分の持っている言語体系の母体になる日本語の能力を気にし始めるのは自然なことだと思うの。っていうかムースの周りにいる人で英語が達者な人に限って日本語をどうにかしたいって嘆いてる。それだけ日本語が大切なんだよね。しっかりとした日本語があるから、しっかりとした外国語を学べるってムースは思ってる。ってことはムースがいちいち頭の中で英語やスペイン語を日本語に直してるかっていうとそれはまた違うの。ただよくあるのは英和辞典や西和辞典を引いても、そこに書いてある日本語の意味がわからなかったってことが何度もあるから。それはただ単に日本語の語彙が欠けてるだけだよっていわれそう。悔しいけど事実だから何も反論できないけど…。でもね、日本語でも知らない言葉を別の言語で覚えるのは本当に大変なんだよ。だってどんなことだか皆目検討がつかないんだから。しかも日本語でも聞いたことのない言葉を慣れない言語で説明されたって何が何だかわからないときが多いから。それに自分の頭でわかっていることを日本語で説明しようと思ったときに日本語が出てこないって本当に悲しいこと。つくづく思うの。もうちょっと日本語が達者だったらって。別に英語の力が日本語の力以上になってしまったんじゃなくって、どの言語も中途半端じゃないのかなってことに気がつくの。英語をどんなに勉強しても日本語に追いつくことはないけど、その割に母国語である日本はというと…。こんなんだったら母国語である日本語をしっかりしたものにしたいって思うのは自然じゃないのかな。生まれてからずーっとその言葉を使い続けているんだし、慣れ親しんでいるものだし。それに自分の使ってる言語に誇りを持つってすばらしいことじゃないかっていつも思うんだ。
記事の中に国語力の崩壊の原因は「大人や教師が本を読まなくなったから」とか「家庭教育が厳しくなくなった」って思ってる人が多いって書いてあるよね。教師が本を読まなくなったっていうのは職務怠慢なだけだからムースがどうこういう必要はないけど、大人が本を読まなくなったとか、家庭教育が厳しくなくなったっていうのは本当のことだけど残念だよね。ムースは自分が読みたいものを読めばいいやって思えるから本を読むことが出来るけど、そのことがわからない人は誰かに本を読みなさいっていわれても何を読んでいいんだかわからないもんね。何も読まないから言葉を覚えないし、書けないし。だから家でも言葉を教えることが出来ないし。ちょっと残念。何でもいいんだけど、長編と呼ばれる本を何冊か読むと何となく日本語の構成がわかってくるようになるし、新しい言葉も覚えるだろうし、文章も書きやすくなるだろうし。もし長編を読むまでの力がなかったら短編を何話か読んで、それから長編を読むことに挑戦してもいいよね。何冊か本を読んで日本語の構成がわかってきたら今度は書いて書いて書きまくる。この日記のように思ったことを思ったままに書く。これが必要かなって思うの。ムースが英語を習ったときにいわれたのが、何でもいいから思ったことを思ったままに書きなさいってこと。それも出来るだけ多く。それができるようになったら初めて、ちゃんとした構成のもとに文章を書いていけばいいんだからって。序論結や起承転結のような構成を考えて文章を書こうと思っても最初から書けるはずがないもんね。ムースもいろいろな日記のサイトを見て回るけど、ここまでダラダラと書いている日記はあまり見たことないんだ。ってムースのようなヒマ人がいないだけだと思うんだけど…。ダラダラ書くことがいいとは思わないけど、でもこれってある意味これだけ長い文章も書けますよっていってるのと同じでしょ?今は構成力がないけれども、やり方次第では長文も書けるようになるし、その潜在力はありますよっていってるのと同じじゃないのかな。またその逆に長い文章を読むことが出来ますよっていう証しじゃないのかな。ムースはそう思うんだけど。だから出来る限り長く書くの。本当は多くの人に読んで欲しいけど、長々と書くことによって誰にも読まれなくなってもそれは仕方のない話かなって。ただこうやって毎日、毎日書くことによって自分の国語力がちょっとずつ伸びていくかもしれないって思っていられたら気分いいよね。しかもそれは誰のためでなく、自分のためだから。ムースの場合はちゃんとした文章ではなくってただ単に話言葉を書いているだけだっていわれるかもしれないけど、それでも全く何も書けないよりはちょっとはマシって思ってるから。だから書ける限り書いていきたいんだ。書いていくうちに何かに気がつくんじゃないか、何かをつかむんじゃないかって思っているから。
卵が先かニワトリが先かみたいな話になっちゃうんだけど、ムースの場合はこの日記を書くようになったから本を読むようになったの。他の人は本をたくさん読むから文章をたくさん書けるのかもしれない。どっちが先でもいいんだけど、たくさん本を読んで、いろいろなことが書けるようになるってことはとってもいいことだと思うんだけどなぁ。この間もちょっと書いたけど、これだけテキスト系サイトと呼ばれるものがたくさんあるんだし、多くの人がいいものを書きたいって思っているんだろうし。そうしたら電車の中とか夜寝る前とかちょこちょこと本を読んで自分のサイトに掲載してる文章の質を上げるのも悪くないと思うんだけど…。読書の勧めだか書くことの勧めだかわかんなくなってきちゃったけど、どっちも大切なことだから。

と、今日書いたことを自分にいい聞かせて、ムースも本を読むようにしないと。ただでさえムースの日本語はおかしいと何年も前からいわれてるから。早いところどうにかしないと、人様の前でしゃべることが出来なくなっちゃう。ってことはムースの部屋はムースの日本語力向上のためのサイトなのかな?読んでくれている方申し訳ございません。こんな日本語が下手なムースですが、これからも暖かい目で見守ってくださぁ〜い。


2002年08月07日(水)



悲観的思考

何も書けなぁ〜い!って叫ぶかと思いきや、別にそんなことを必要もなさそう。何だか生活が乱れてからというもの夜になっても眠くならずに、ついつい明け方まで起きちゃってる。困っちゃうなこんな生活。でも今日はなぜだか6時半という、とんでもなく早い時間に目が覚めちゃったの。めずらしく朝からお腹も空いていたし、たまには朝ご飯を食べて充実した1日を送ろうかなと思っていたの。だけど朝ご飯を食べ終わったら眠くなっちゃって、結局午後2時まで寝ちゃった。ここ1週間、食べては寝て、食べては寝てって生活を送ってるんだけど、早いところやめないとブクブクと太っちゃいそう。気をつけなきゃ。3時頃になってメールをチェックしたら友達からメールが入っていて、それを読んだら早く返事ちょうだいって書いてあったからすぐに返事を書いちゃった。こんなにすぐ返事を書くのは久しぶりかな?いつもは1日2日経ってから書くときが多いから。そんなことをしてたらお腹が空いてきちゃったの。朝ご飯が早かったせいか、いつもより早くお腹が空いちゃった。4時にお腹が空くなんてめずらしいかも。体内時計がくるってる証拠だね。でも腹が空いては戦が出来ぬとばかりに、昨日作ったお好み焼きの残りを今日も焼いて食べちゃった。2日間連続お好み焼き。たまにはこんなご飯もあっていいかな。お好み焼きなんて滅多に食べないし。早めの晩御飯のあとは今日もハリーポッター読みに挑戦。昨日は1ページ読んだら寝ちゃったけど、今日は5ページ読んだの。でもその後は1時間半の夜のシエスタ。このままじゃ絶対に太っちゃう。もう食後にハリーポッターを読むのはやめようかな?この本を借りたときに最初の2、30ページはつまらないよって聞いてたけど、いわれた通りちょっと話に入っていけないかも。気合だけで読み続けてたけどきつかった。でもこれからは話の展開が面白くなりそうな感じだから、読み続けていこうかな。教科書に比べたら字がとっても大きいけど、教科書以上に読みづらい本とはハリーポッターもなかなかやるなってイヤミをいっちゃったりして。

と今日の出来事はこれくらいにして、今日、あるオンライン小説を読んでいてふと思ったことはどうして日本人は悲観的にものを考えてしまう人が多いんだろうって。こんなことを書いてるムースも悲観的に考えることが多いの。いつも悪いことが起こったときのことを想定しちゃって。もしこんなことになったらどうしようって悪い方に考えちゃう。これが国家レベルのことだったら常に最悪の事態を想定して、それについての防衛策をとるのだから結果的にはいいかと思うんだけど、個人だと悪いことを考えるよりいいことを考える方がいいと思うの。悪いことを常に考えちゃうと本人の意思とは別に、ことが悪い方へ悪い方へと進むような気がして。逆に国はこんな最悪の事態が起こったらどう対処しようかって考えた方がいいと思うんだけど、皮肉なもので国は常に楽観的に考えてるよね。うらやましいくらい楽観的で、時にいい加減で。今のムースは昔に比べたらやや楽観的に考えられるようになったのかな。前は本当に悲観的でひどかったけど。もしかしたら環境もあるのかなって思うの。だってムースがスペインにいたときは能天気極まりないくらい楽観的に考えてたから。スペインに着いた頃は悲観的だったけど、日を重ねるごとに段々と楽観的になっていって、ストレスからも解放されてたと思うんだ。その分、いい加減になったって話も無きにしも非ずだけど。例えば待ち合わせをしていて相手が待ち合わせの時間に遅れたとき、昔だったらムダな時間を過ごしてるだとか、何で自分だけが待たなきゃいけないんだとか、よくないことばかりを考えたの。でも最近は違うかな?大体、待ち合わせをするっていったら本を持って出かけるようにするし、待っている間は本を読んでいるから相手が時間通りに来れなくてもイライラする必要がなくなったし。待ち時間を有効に使えばいいやって思えるようになったの。もし相手が1時間遅れるとかってなったとしても、本を読んでいればいいや、ムダな時間を過ごしてることはないんだって自分にいえるようになったし。この間の夏学期も実はどこか楽観的に考えることが出来たの。いい成績をとりたいのは当たり前の話なんだけど、かといっていい成績をとらなくたって人生に失敗するわけじゃないからいいやって。もし、もう1度履修しなきゃいけなくなったら、そのとき考えればいいって。ムースの場合、投げ出さないようにするのが第1の目標でもあったから、その他のことは二の次だったし。これが一昔前だったら再履修しなきゃいけなくなったらどうしよう、時間までに提出できなかったらどうしよう、でも投げ出したくはないって悪いことばかり先に考えてたの。だから何もできないまま終わってしまうんじゃないかって思って、出来るものも出来なくしてたかもしれない。出来るところまでやって、それでもダメだったらそのときに考えようってことは思えなかったんじゃないかな。もちろん、その間に励ましの言葉をもらったりしたから最後まで投げ出さずに出来たんだけどね。前にも書いたけど、授業中、先生に「君たちは自分の限界を知らないから不安になるんだろうね。やれば出来るんだから時間をかけなさい」っていわれたことも励ましになったかな。そのとき、たまたま自分を信じることに関するHPを見たことだし。自分を信じて、やれば出来るって思っていたら何も悲観的に考える必要もないかなって思えるようになったし。
何でこんなにまで多くの人が悲観的に考えるのかなっていうと、やっぱり褒められたことがないからじゃないのかな?出来て当たり前、出来ないのはダメな人って感じでしょ。だから1度でもダメなことがあると自分はダメなんだぁーって考えてしまったり。本当はダメじゃないのに自分で勝手にダメだと思い込んじゃってるのかもしれないよね。っていうムースもずーっとダメな人だって思い続けてたけど。だからやる前に諦めちゃったりするの。最後までやってダメだったらまだしも、やる前に諦めちゃう。どうせダメだよってって自分に言い訳して。もし最後までやったけどダメだったら、どこが悪かったかわかるし、反省もできるよね。次につながる。でもやる前に諦めてしまったら、もうそこでおしまい。
いつだったかこういう風に感じたときがあったの。1度しかない人生なんだし、何もせずに終わっちゃうのももったいないなぁって。そう思ったから今は投げ出さないようにしてるの。悲観的に考えるくせがついちゃってるからなかなか楽観的に考えることもできないけど、もし誰かが励ましてくれたら、その言葉をそのまま受け取って、踊ってみるのもいいかなって。もし誰もいってくれなかったら自分で自分にいってもいいかなって。前にTVでテニスの松岡修造が試合前には「やればできる」っていう内容の自己催眠のテープを聞いてたっていってたの。彼はだからウィンブルドンでベスト8まで進出できたっていってたかな?ちょうどムースがイギリスにいたときだし、ちょっと心に残ってるもので。
あと他の人と比較して自分ができないとか、自分はダメだと悲観的に考えることもあったけど、そんなことからもそろそろ足を洗おうかなって思って。他人と比較したからって他人になれる訳ではないんだし、他人になったって面白くなさそうだし。やっぱり自分が何を思って何をしたいかが大事なのかなってそう思う。きっとムースがイギリスにいたとき、いつも他人と比較してたからホームスティ先のパパがムースに「隣りの芝はいつも青いんだよ」っていったんだと思う。あの頃のことだから、って今もその傾向はあるんだけど、あの人は英語が上手だとか、あの人は何ヶ国語がしゃべれるだとかそんなことをいってたんだと思うなぁ。それに他人よりちょっとくらい英語が上手になったところで上には上がいるんだし。いつも下を見て誰々より英語が上手と自己満足するか、常に上を見ていつも自分が劣っていると思うか。ムースは悲観的に考えてたから後者なんだけど、よくよく考えればどっちもイヤだな。自分は自分。もうちょっと楽観的に考えていきたいって思う。
あまりにも長い間悲観的に考えてたから思考が常に悲観的だけど、今ちょっとずつ楽観的に考えられるようになってるから、この状態を保っていけたらいいなぁって思うんだ。
虚仮(こけ)も一心っていう言葉があるからムースのような愚か者でも何か一つのことを心を込めてやれば、他の人に負けないすばらしいことができるようになるかな?ってこの言葉、他人と比較してない?矛盾だらけだぁ…。


2002年08月06日(火)



カタカナの言葉

今日はこれといって何もない日だったなぁ。お昼におきてからボーっとしてお買い物へ行って。あとは何したろう?お好み焼きを作って食べたことくらい。気がつけば夜になってるし。別にネットを彷徨っていたという訳でもないし。ムースの場合、月に1度はこういう何にもない日がある気がする。それで明日あたり叫ぶの。何にも書けなぁ〜い!って。感情にムラがあるというんだか、不安定というんだかよくわからないけど。できることなら安定した日々を送りたいけど、何もしないでいいとなると今日のようにボーっと過ごしちゃう。後悔しないように時間のムダ遣いをしないように心がけなくっちゃ。
書くことがないので、今日は終わりにしますといいたいところなんだけど、イライラしてたり、沈んでいるとき以外、短い日記を書いてないムースとしてはいつも通り、誰も読んでくれなくなるような長々とした日記を書こうかなって思ってるの。と、これを書いている途中でふと思い出したことがあったから、そのことについて書いてみようかな?
先日、「レジュメ」って言葉の意味がわからないっていうことをこの日記に書いたんだけど、最近は「バイアスがかかる」とか「バイアスをかける」って言葉がわからなくて、ちょっと困ってたの。バイアスって一体何って思ってたから。ムースのパソコンの中に入っている辞書によると、バイアスとは「布地を、布目に対して斜めに裁つこと。また、その布」とか「バイアステープの略」って出てるの。でもそれだと文脈にそぐわないので、これらの意味は違うなって思ったんだ。だからヤフーで検索をして、どうにか本当の意味を見つけ出したよ。このバイアスって言葉は統計学から来てる言葉で「偏り」って意味なんだね。初めて知っちゃった。だからバイアスがかかるっていうと偏りがあるっていったような意味になるんだろうって思ったの。多分、この解釈で間違えがないよね。この間、レジュメのことを書いたときと同じなんだけど、ムースはどうも外来語というか和製英語というかカタカナ表記の言葉というものに馴染めなくって。昔はそんなに気にならなかったんだけど、最近気になり始めたというのはそれだけ年をとったからなんだろうか?バイアスをかけるというより偏りがあるっていってもらった方がピーンと来るし、レジュメを書かなきゃっていわれるより要約をしなきゃっていわれた方が理解ができる。ムースの場合、レジュメを書かなきゃっていわれたら、どこの面接を受けるの?ってとんちんかんな質問をしかねないから。レジュメが履歴書でサマリーが要約だと思っているムースは英語の語彙不足なのかな?この間も書いたけど、ここで履歴書はCVだよっていったりして。ヨーロッパでは履歴書のことをCVっていうのが一般的かな?あっ、だからレジュメが要約って意味で使われてるのかな?イギリス英語とアメリカ英語を混ぜて使われると非常に混乱するんでるけど。恐るべし外来語って感じ。
ムース自身もカタカナで表記されている言葉をたくさん使うけど、この日記を書き始めてから日増しに日本語を大切にしていきたいなって思うようになっちゃって。だってカタカナ表記が多いと何いってるかわかんないんだもん。昔ムースがスペインにいたとき、みんなで日本語で話をしていても、人によっては会話の中にスペイン語の単語が混じってくるのね。もちろん言葉の意味を知ってるし、場所がスペインなだけに違和感はそんなになかったんだけど、あとで思うとちょっと変かもって。似たような例はアメリカの飛行場の免税店で、店員のおばさんと話しているときも感じるの。免税店のおばさんってアメリカでの生活が長そうな人が多いじゃない。話しているのを聞いてると片言の英語だったり、片言の日本語だったり。時に片言のスペイン語だったり。どこの飛行場でのことだったか忘れちゃったけど、日本人風の免税店のおばさんがスペイン語を話していたの。っていっても片言だったかもしれないけど。そこでムース、スペイン語で声をかけちゃったの。¡Perdón! Querría... って感じで。これ欲しいんですけど…って。そうしたら日本語で「私、日本語しゃべれますよ」っていわれちゃった。ちょっと恥ずかしい気分だった。それからというもの免税店では日本語を使おうって心がけてるんだけど、去年のシアトルの飛行場で免税店に寄ったときはいつの間にか英語に変わってた。だっておばさんがいろいろなお客さんに対応してる間に、日本人以外の人に日本語を使ったり、日本人に英語を使ったりとムチャクチャになってきてたから。だから英語で話したほうがいいかもって思ったんだもん。でもねぇ、この英語と日本語の混ざり合ったのや日本語とスペイン語の混ざり合ったのって本当にわかりづらいの。だからだと思うんだけど、ムースは日本語だけ話して欲しいって思っちゃう。賢ければ上手に理解できるのかもしれないけど、ムースの頭ではムリです。アメリカのテキサスの方へ行くとスパングリッシュと呼ばれる英語とスペイン語の混ざった言葉を話してるそうだけど、ムースには皆目検討がつきません。前にそのスパングリッシュのラジオ番組の紹介みたいなのを日曜日の夜中にTBSでやってるCBSドキュメントで見たんだけど、英語かと思えばスペイン語だったりして本当にわからないの。多分、アメリカ人でスペイン語を話せる人でもあれを理解するのは大変じゃないかと。同様に日本語もそうで、日本語の中にカタカナの言葉が多くなると訳わからなくなっちゃって。自分のことをミーと呼ぶくらいが限界かも。「さっきマックでランチしてたんだけど、ダーリンからコールがあったみたいで。でも気がつかなかったら今コールバックしてたの」っていう会話を聞いたらどう思います?マックは固有名詞だから仕方がないとしても、他はすべて日本語に直そうと思いません?それに時にイギリス英語で時にアメリカ英語になるので英語を知ってる人でもかなり厳しいかと。だから出来る限り日本語を使うのが一番いいのではって思っちゃった。昨日書いたように本の中で高利貸しをアイスって読ませたりするのは、ふり仮名がアイスになってるだけだからいいけど、会話の中で「アイスからお金を借りちゃった」っていわれたらチンプンカンプンだからイヤだなぁ。
一部の言葉を除いて意味がわからないってことはないけど、できれば日本語をたくさん使ってもらうとムースとしてはうれしいな。特に和製英語は日本語に出来るだけ直してもらいたいっていうのがムースの思うこと。英語を英語の意味のまま使っている分には、慣れがあるから平気なんだけど、和製英語は英語と意味が違うときがあるから英和辞典を調べてもわからないし。ここのところ、レジュメやバイアスって言葉が使われていた文章をあまりにも多く読んでしまったからちょっとこんなことを思っちゃった。でも、シラバスは英語と同じ意味で使われてるんだよね。あぁー、やっぱりムースのしわのない脳では理解できる範囲を越えちゃってるー。どうせなら顔のしわを脳に、つんつるてんな脳の表面を顔に持って来てくれれば、ムースとしては満足なんだけど…。そうは問屋が卸さないか。

上の話には関係ない話なんだけど、カタカナ表記や和製英語っていうので調べていたら、「誤解のコーナー」っていう題で英語の発音について書いてあったサイトを発見したの。そのHPは「ここ」をクリックしてみてください。そこにはあさりのワイン蒸しを食べようと思ってクラム(clam)といったんだけど、店員さんはクラブ、かに(crab)だと思ったって話が。難しいんですよね。このクラムの発音だけど、「オレゴンから愛」の中でも同じシーンがあったと思う。古谷一行が子役(当時)の石和摂をレストランだかどっかに連れて行ってクラムチャウダーを頼んだんだけど全然通じなくて他のものを頼んだってシーン。たった1度しか見たことないんだけど。もう18年近くなるの?凄過ぎ。ムースの脅威の記憶力でこのシーンだけはなぜか覚えてるの。当時は何でだか全然わからず、ただ単に日本人は何年アメリカへ行っても英語がしゃべれるようにならないんだとしか思っていなかったけど…。
最後は関係のない話でした。こんなところで今日のムースの思いは終了です。最後まで読んでくださってありがとうございます。


2002年08月05日(月)



馬から落ちて落馬して

今朝起きて、ボーっとした頭のままパソコンの電源を入れ、メールをチェックすると鼠丼の管理人であるねずみさん(正式には鼠ホ-57号さん)からメールが入っていたの。実は昨日の日記に書いた「カルピスの思ひ出」の参加表明を知らせるメールをすぐに返信しなきゃいけなかったんだけど、日曜日になってからゆっくり書けばいいやって思ってたら、先に「毎度!」と軽快な挨拶と共に「告知ありがとうございました」っていう内容のメールが届いてるんだもん。ビックリしちゃった。ボーっとしていた頭も一気に覚めて、すぐに返事を書いちゃった。ここ最近のムースのものぐさげな行ないを反省しなきゃいけないって思っちゃった。って、ここのところ反省しなきゃいけないところばかりだよね。
そのメールで「カルピスの思ひ出」のサンプルとしてねずみさんの書かれた「ピザパイの歌」があると知り、朝の巡回を始めたの。この「ピザパイの歌」のなんだけど何ともせつないお話だった。ムースは転校をするっていう経験がないから転校先の学校で新しいクラスに馴染んでいくってことがどれだけ大変かわからないけど、この作品を読んでるといろいろと苦労があるんだなって思っちゃった。ムースの実家のある下町は信じられないくらい閉鎖的な街なので馴染もうとするのは他の地域より大変じゃないのかなって思っちゃう。だって近所の人は大体父と同じ小学校を出ているし、昔の話をしてもみんなわかっちゃう。ムースが前に地元の人と飲みに行ったときも、同級生のお父さんの話が出て、誰々と同級生だったとか。そんな話が出ちゃうくらい親の代、もしくは祖父母の代からこの街に住んでる人が多くどこか閉鎖的なの。もし、こんなところに地方から転校してきたら生き地獄だろうなって思ってしまうのはムースだけかな?今は街もだいぶ変わり、新しい人が住み始め、閉鎖的な範囲はどんどん狭まってきてるけど、でもムースの家の周りは今だに閉鎖的。といってもムースの両親が住む荒屋(あばらや)は昔からあるので閉鎖的な環境でも何1つ不自由はないんだけど。もしかしたら今のムースが転校生の気分かも。ちょっとそんな気もしたりして。
さて、「ピザパイの歌」を読みながらゆっくりと画面を下に移動させていくと、そこには素敵馬鹿コラム日曜版というのが書かれていたの。これを読んでふと思い出したのが、昔、父がお酒を飲みながら話していた「ぎなた読み」のこと。ぎなた読みって何かわからないですよね。ぎなた読みの例をあげると、「弁慶が/なぎなたを持って/刺し殺したとさ」と読むところを「弁慶がな/ぎなたを持ってさ/し殺したとさ」って読んで訳のわからないものにしたり、「ここではきものをぬいでください」のように読点がないと間違った読み方をしてしまう。こういうのをぎなた読みっていうの。実はこの読み方の正しい名称を知らなくってさっきからネットで検索してたんだけど。「ここではきものをぬいでください」っていうのは2つの解釈が出来るよね。「ここでは着物を脱いでください」っていうのと、「ここで履物を脱いでください」という2つ。これの他にも有名な例があるの。それは近松門左衛門の「二重にしてくびに掛ける数珠」。「二重にして首に掛ける数珠」か「二重にし手首に掛ける数珠」か。このように日本語って読点がないと読み違いを引き起こしやすい言語なんだよね。どこかのHPには、句読点を使うようになったのは明治に入ってからって書いてあったから、まだ100年くらいの歴史しかないんだね。考えてみればお習字をやっていて、仮名を書くときに句読点を打った記憶がないし、京都へ行っていろいろな人の書簡を見ても句読点が打ってあったのなんて見たことなかったかも。たった100年しか経っていない文法だし使い方が間違っちゃうのはしょうがないよねっていって自分にいい訳しちゃおう。ムースの書く文章の句読点が間違っていても昔の人だから句読点っていう概念に馴染めないんだなって思うか、これは古文を読んでるだって思って下さぁ〜い。ところでねずみさんが書かれたぎなた読みのコラムですが、どんなことかは「ここ」をクリックして読んでください。
このぎなた読みと一緒に父がよくいってたのは、重言と呼ばれるもの。「いにしへの昔、箱根の山の山中で、男の武士の侍が、馬から落ちて落馬して、女の婦人に笑はれて、顔を赤らめ赤面し、家に帰って帰宅して、仏の前の仏前で、短い刀の短刀で、腹かっ切って切腹す」っていうのをよくいってたの。読んでおわかりのように同じことを繰り返していうこと。これが重言っていうんだって。でも「馬から落ちて落馬する」は重言ではないみたい。なぜなら「馬から落馬する」が重言だから。この重言なんだけど、よくない表現とされていたんだって。TVを見ていて1番ムースにとって耳障りな重言は「あとで後悔する」。この言葉、とっても多くの人が使ってますよね。あとで悔いるから後悔なのであって、先に悔いることはないんですよね。あとで後悔するなんていうと、さも先にも後悔するんじゃないかって思いませんか?どうもこの言葉だけは馴染めなくって。そんな訳で、ムースはあとで後悔するって言葉だけは人一倍敏感になっちゃって。他の重言はムース自身、平気で使ってるのに。例えば、一番最初、いまだ未確認、一緒に同封、今の現状、一番ベスト、本当の正体、犯罪を犯す、被害を被るなどなど。でも重言ってやっぱりおかしいよね。特に、このように文章にすると変だなぁ〜って思えるものがたくさん出てくるよね。
最近ネットを巡回しているといろいろな言葉を見るの。中には今までに聞いたこともないような難しい言葉を使っている人もいるし、ムースのように話し言葉をそのまま文字にしている人もいる。書き言葉と話し言葉が違うのはどの言語でもそうだし、それ自体が変だとも思わない。ただ、今はかけ離れている話し言葉と書き言葉がだんだん近くなっていくこともおかしなことではないんじゃないのかなって思ったりもするの。なぜなら言葉は時と共にどんどん変化をしていくから。重言だって今はとても耳障りだと思うかもしれないけど、いつの間にか重言を容認するようなことがあるんじゃないのかなぁって思う。もし、重言が耳障りでおかしいって思うのであれば、ちゃんと修正していかないと必ず容認される日がくると思うから。特に小学校、中学校でやっていかないとダメかな。なぜかっていうとその時代にたくさんの言葉を覚えるし、言語体系をしっかりとしたものにさせていくから。ムースが小学生や中学生の頃、重言やぎなた読みなんて習わなかったけど、これは日本語としておかしいんですよって教えていけば美しいとされる日本語を後世に伝えていくことが出来るんじゃないかな?フランス人のように日本人も自分の言語に誇りを持って正しいとされている日本語を使えるようにするのも文化を向上させる手段としていいんじゃないかなって。これだけネットの中でたくさんのテキスト系と呼ばれるサイトがあるってことは、老若男女が文章を書くこと自体は苦に思ってないのでは?あとはどれだけ質の高い文章が書けるようになるかの話で。ムースが見てるサイトの人の多くは駄文だ、駄文だといいながら、いつの日にか質の高い文章を書こうとしてるように思うんだけど。それが故にいろいろなサイトを巡っていろいろな文章を読んでいるように感じるの。いつの日にか多くの人が美しい日本語でいろいろなものが書けるようななるといいなぁって思う。日本人の多くが日本語は美しい言語だから習った方がいいよなんていえる日が来たら、出る単の代わりに尾崎紅葉かなんか読んじゃったりしてね。それで英語を母国語としてる人に教えちゃったりして。「何で金色夜叉の中で尾崎紅葉は高利貸しのことをアイスって読ませているのですか?」なんて聞かれたら、偉そうに「そんな洒落もわからないの?アイス→氷菓子→高利貸しだよ」って答えちゃったりして。いじわるなムースだぁー。
何かまとまりがなくなってきたからそろそろやめないと。言葉を覚えるには口に出していわなければ覚えないと思う。文章がうまくなるにはやっぱり書いて書いて書きまくらなければ上手にならないんじゃないかな。書くってことはそれだけ頭を使うことだし、言葉を知るにはとってもいいことだと思うの。もしかしたら今書いている日本語は文法的に間違ってるかもしれないし。じゃ、一体何を書いたらいいのって思う人は「カルピスの思ひ出」に投稿してみて他の人の文章と読み比べてみるのもいいのでは?何か人のふんどしで相撲をとってるみたい。自分じゃ面倒臭がって企画なんて絶対にしないのに…。そんな訳で今日のムースの日記も終わりにいたします。相変わらずまとまりのない文章だなぁ。何がいいたいか全然わかんない。


2002年08月04日(日)



肩ごしの恋人

夏休みに入ってからダラダラしちゃってる。こんなことになるんじゃないかと思ったけど。今日もダラダラ。そういえば今日は何時に起きたんだっけ?そんなことすら覚えてないくらいダラダラモードのムースです。いやぁ〜、それにしても昨日は書いた書いた。書いた本人が一番ビックリしてるかも。たまに訳もわからず、たくさん書くことがあるんだよね。っていっても画面いっぱいに文字が出てきたら、何も読まずに別もサイトへジャンプしちゃう人もたくさんいるんだろうなぁ。まっ、それはそれでいいんだけど。
そうそうAnnouncement のところに告知があるんだけれども、このHPとリンクしている鼠丼さんで「4000回転突破記念企画」として「カルピスの思ひ出」この一品にはあの思い出を付け合わせでと題された思い出に残っている食べ物や飲み物とそれに付随するストーリーの募集が始まりました。きっと誰でも自分の中に残る思い出と共にそれに付随する食べ物や飲み物があると思うの。例えばバーボンのFour Roses を見るたびにあの人はどうしてるんだろうとか?って何のことかわからないですよね。詳しくはMy Post の中にある「恋人になりたい」を読んでいただければフォアローゼズの謎がわかります。っていうかあの人、1年前に電話をくれたきり電話をくれないんだけど。電話してよぉ〜。こっちは電話番号知らないんだから。お互い夏休みなんだし、車を直したら会いにいけるんだから。って話が飛んじゃいましたが、オープン企画ですのでどなたでもお気軽に参加ください。詳細は当HPトップのAnnouncement からか「ここ」をクリックして御覧になってください。
ダラダラしながらも今日は読書にふけっておりました。今日読んだ本は唯川恵の「肩ごしの恋人」。唯川恵はこの作品で第126回の直木賞を受賞したんだって。なるほどって思えるかも。考えてみればムースにとって初めて読む唯川恵の長編小説かも。今まではエッセイや短編ばかり読んでたもんね。で、初の長編小説の感想ですがよかったです。面白かったです。きっと作品の視点と自分の持っている視点が近かったからじゃないかな。この作品はるり子と萌の2人を中心に話が進んでいくんだけど、るり子みたいな人をよく知っているムースは読んでいるとき、るり子をとっても身近に感じられるから話がとっても面白いのかも。もう1人の主人公萌のような人はムースの周りにいないけど、でも彼女の考えてることもよくわかるし。それが故におもしろかったんだろうね。この本の中に「攻撃するしか自分を守る方法を知らないのは馬鹿のやることだ」(p.216)っていう件があるんだけど、これは笑えたの。だってムースの周りってこういう人がいたんだもん。いつも思ってたの。そんなに自分を守らなくたっていいのにって。出来る限り黙ってたよ。だけどそういう人の攻撃ってどんどんエスカレートするから一緒にいてとっても疲れちゃうし。ムースは聖人君主ではないし、どんな攻撃にも屈することなく、それをいつでも受け入れるってことも出来ないし。どんどん自分が傷ついてイヤな思いをしていくの。だから最後には離れていっちゃうかな。自分を守っていかなきゃいけないって人の気持ちがわからないってことがないだけにいつも苦労する。気持ちがわかるからどんなに攻撃されても最初は黙っているんだけど。考えてみれば、ムースはいちいち答えちゃうからダメなのかな。こういう自分を守るのに一生懸命な人とうまくやっていくには受け流すことが上手な人がよく合うと思う。何をいわれても「あっ、そう」ってさらりと受け流せる人。ちょっとそんなこと思っちゃった。ムースには合わない人だろうけど、るり子のようなタイプって実は好きなのかも?これは本当に面白い本だった。
そういえばこれを読んでる途中で外が真っ暗なっていったの。何かと思えばまたまた雷雨警報。この間の竜巻警報のときと同じくらい大きな雷雲が近づいてきたから今日も竜巻が起こるのかなって思ってたら、今日は竜巻も起こることなく、雨も30分くらいで止んじゃった。ただ雲が去ったあとは蒸し蒸ししてちょっとイヤだったけど。今もちょっと蒸すかな?でも東京のような蒸し暑さじゃないし、最近は明け方に結構涼しくなるから、寝ていても寝苦しいってことないし。だって今朝はあまりの寒さに目を覚ましちゃったくらいだもん。今朝は18℃だったみたいだからそんなに涼しいわけじゃなかったのに。昨日の朝の方がもっと涼しかったのに。ちなみに昨日の朝は8℃まで下がったみたい。水曜日夕方は37℃まで上がってたから1日半でまた30℃の気温の変化。これでも風邪をひかないムースはこの急激な寒暖差に体が慣れたのかな?それともただのバカ?
夏休みもすでに3日が過ぎちゃったけど、3日間何にもしてないなぁ。もうちょっと充実した日々を送りたいって思ってるんだけどなぁ。今日は本を読んでたからまだいいとして。友達が持って来てくれた本も残すところあと3冊。それを読んでしまえば10冊読了か。そういえばハリーポッターも早く読まなきゃいけないんだ。もう1年も借りちゃってるし、そろそろ返さなきゃいけないから。ってことはこの夏は家で毎日読書する日々になるのかな?出来れば英会話学校へ行きたかったけど…。お金ないしなぁ。まぁ、1日中ネットよりはいいかなって思うのは気のせい?今日はあまり書くことないなぁ。昨日あれだけ書いたから今日は短くてもいいかな?さぁーって、食べ物か飲み物の思い出を考えなきゃ。って実は1つ思い浮かんでるんだけど…。色気ないし…。ゴージャスな感じの思いでないかなぁ。


2002年08月03日(土)



ダメっていうばかりじゃ…

昨日の晩、日記を書き終わったあとにスミルノフ君とお話をしてたら、ついつい飲みすぎてしまって、今朝は気持ち悪くてしょうがなかったの。一般的にいう二日酔いってやつですね。今も胃が痛いんですけど。みなさんも飲みすぎには気をつけてくださいね。そんな二日酔いな状態であるにもかかわらず、食べたいって思えない煮込み料理を今作ってます。それは何かというとチリソース。こんなに胃が痛いのにチリソースなんて食べたくないよ。でも、豆を戻しちゃったし、しょうがないので作りました。ムースにとって生まれて初めての豆料理。いろいろと料理は作ってるものの、豆を使った料理は作ったことがなかったの。そんなことなのでキャーキャーいいながら豆を煮てたんだ。だってあんなにあくが出るなんて思ってなかったんだもん。肉じゃがとかを作ったときに出るあくの量と大して変わらないんだろうって思ってたらそうじゃなかったから、ちょっと混乱。でもあくさえ取ってしまえばもうこっちのもの。そんな感じで現在は最終工程に入っております。もうひき肉も炒めて豆と一緒にしてあるので、煮汁が減って味がしみこむのを待つだけ。本当はひと晩寝かせればいいんだろうね。たくさん作ったからちょっとだけ今日食べて残りは明日にしようかな?って胃が痛いのにもかかわらず、食べようとしてる自分が恐かったりして。レシピなしで作ったのでちゃんとしたチリソースだかどうだかわからないけど、味が一緒っぽいからきっといい感じなんでしょう。今だに味覚なしなので味がよくわからないのが残念なんだけど。
いよいよあと数日に迫った住民基本台帳ネットワークシステム。いろいろな地方自治体で不参加表明をされてますね。反対の理由は、ムースの受け取った感じだとセキュリティーの問題が1番多かった気がするの。まぁ、ネットでつなぐわけだからいろいろな問題が出てくるだろうし、コンピュータの操作に慣れてない人が多いような自治体では毎日四苦八苦することだろうね。といっても操作には慣れが必要だし、時が経てばどうにかなることでしょう。でもセキュリティーの問題は永遠に解決しない問題だろうね。だっていたちごっこだもん。先日は住民票がないということであえてこの住民基本台帳ネットワークシステムについていいか悪いかはいわなかっけど、今日はムースの見解を書こうかなって思うの。ムースはこの住民基本台帳ネットワークシステムは悪いと思ってません。これだけ反対の人がいる中で悪いって思ってないだなんて書くと、ただでさえ少ないこの日記の読者をますます減らしちゃいそう。明日から誰もこのHPにアクセスしてくれなくなっちゃったりして。わぁー、世論を敵に回すのは恐いよー。
この間も書いたけど地方自治体が力を持つことには大賛成。でも運用しますよっていったとたん、突然手のひらを返すように反対表明したのは好きじゃないな。だってこの改正法案が決まってから2年も経っているのにその間に一切この話がなかったんだよ。横浜ではこれから市民に聞くそうだけど、2年間何してたの?って聞きたい。2年間の間に聞けたんじゃないの?それに反対派の人は無駄なお金だっていってるけど、今これを廃止したって開発しちゃったんだからムダになっちゃうんだよ。どうせ国民の血税をドブに捨てちゃうんだったら、使ったみたけどダメだったっていう方がまだマシじゃないかな?
さて何でムースは悪くないと思ってるかというと情報の漏洩は避けられないから。今までだってたくさん情報が漏れていたけど、それに気がつかなかっただけででしょ。それにハッカーがどうのこうの書いてあるけど、ハッカーから国の大切な情報を守れないような国だったらそっちの方が困っちゃうのでは?今までは自分達に関する大切な情報が漏れるという危機感がなかったから国の大切な情報がたくさん漏れていても何とも思わなかったけど、これからは個人の情報が漏れちゃう訳だから国民の1人1人が危機意識をしっかりと持つんじゃないかな?平和ボケした頭にはちょっとした刺激になるんじゃないのかな?それに情報漏洩は必ず内部から起こるとムースは思ってるから。外務省でゴタゴタがあったとき、何度情報漏れがありました?みんな私利私欲のために相手に不利な情報、時に国家機密を漏らしちゃいますよね。今回の住基ネットだって誰が情報を漏らしちゃうかわからない。だから反対っていうのはわかるけど、それってもう自分以外を信じれないのと一緒なのでは?クレジットカードだって個人の財務情報ですよ。誰が何月何日に何をどこで買ったか何てすぐにわかっちゃう。カードを作るときに年収とか答えるところがあるんだから、大体の収入だってわかっちゃう。そんなのうそついちゃえばいいって思うかもしれないけど、うそをついたところで自分で実際に買い物できる範囲はあるんだし、買うだけ買って払えなくなっちゃったからドロンじゃ犯罪だし。私はクレジットカードも持ってないから平気って人でも戸籍はあるだろうし、住民票に自分の名前が記載されてると思う。それだって今現在その情報がどこでどう漏れてるかなんて誰もわかんないよね。別に住基ネットがなくたって漏れるものは漏れる。だったらこの機会に公務員の質を上げるため各地方自治体が努力して守秘義務を徹底させればいいんじゃないのかな?今まではなぁなぁでダラダラとやってたから、どこかダラダラとしちゃったところがあると思うけど、時代は流れているんだっていう意識を持たせるために。ムースの名前が住民票にないからといっても残骸は残ってるし、ムースだって背番号をもらう日がくるし。それに個人情報が漏れちゃうのはムースだってイヤだから。それにクレジットカードのネットワークは安全で国のネットワークは危険ってことはないから。もちろん民間企業より国家の方がクラッカーに狙われる可能性は何十倍にもなると思うけど。あと、もうすでに運用されている年金の背番号は良くて、住民票の背番号はいけないっていうのも何か変だな。
反対派のHPには収入、借金、買い物履歴、図書館やレンタルビデオでの借り出し記録、電話やメールのやり取り、本籍、家族構成、学歴、病歴、結婚歴、妊娠・出産歴等々が一元管理されるって書いてあるけど、ムースはそれはないって思ってるの。そのHPは「ここ」をクリックして御覧ください。確かに収入や本籍、家族構成、学歴、病歴、結婚歴、妊娠・出産歴は簡単に一元管理できるだろうね。でもちょっと考えてみてください。病歴以外はもうすでに自治体ごとに管理してますよ。だって収入から判断して住民税の額を決めているわけだから地方自治体は住民の所得情報を持ってるし、戸籍制度があるんだから本籍や家族構成、結婚歴、出産歴はすぐにわかっちゃう。学歴は義務教育である中学校までしか管理されてないけど、でも管理されてるよ。それは地方自治体が個々に管理してるからOKだけど、いつにまとめちゃうとダメなの?旅先で住民票なんて必要になることがないから、全国どこにいても住民票が取り出せるなんて利点がないっていうけど、埼玉とか千葉とか神奈川に住んでいて都内に勤めてる人が住民票が必要になったとき、今までは役所が開くまで待って、それからお仕事とか行ってたんだよ。仕事場まで2時間とかかかる人だったら住民票1枚のために午前半休とか午後半休とかとらなきゃいけなかったのに、今度は会社のそばにあるお役所で住民票が取り出せるようになるけどそれって利点にならないの?旅先じゃなくたって必要なときがあるんじゃない。システムの導入にたくさんお金がかかるし、運用にもたくさんのお金がかかるのはわかります。でもそれが無駄遣いならどんなことに使ったら有効なんでしょうか?ムースがコンピュータの勉強をしてるからかもしれないけど、日本全国どこへ行っても高速でつながるパソコン回線があったらどんなにいいだろうって思うの。だってそうしたら東京にいなくたってコンピュータの仕事が出来るんだもん。もちろん、コンピュータの仕事といってもいつもパソコンに向かってる訳じゃないから会議とか必要だけど、高速回線があるんならカメラを使ってネットミーティングでいいじゃない。鉄道会社や航空会社は利用客が減って困っちゃうかもしれないけど、それは企業努力でどうにかしてもらうしかないかな。まぁ、日本の航空会社は時間の問題で日航が昔のように国営になって1社だけになっちゃうでしょう。だって競争力ないもん。ってあまりこのことを書くと話がそれちゃうのでここまでにします。とにかく低速回線じゃ住基ネットを運用するには障害があるんだから、高速道路を作るより光ファイバーを日本の山奥でもどこでも張り巡らせる方が国策としてよっぽどいいのではないかって思っちゃう。NTTは商売なんだから当然採算が取れないようなところには光ケーブルなんて張るわけがないでしょ。こういうときこそ国が率先して光ケーブルを接続業者のために安く解放してあげるのがいいんじゃないかな。今16円/芯/M/年で光ケーブルを国土交通省が解放してるみたいだけど、田舎へ行けば行くほど使用距離が伸びて費用がかさむんだから、そこをもうちょっとどうにかできないのかなって思うんだけど。住基ネットの話だか光ケーブルの話だかわからなくなっちゃった。とにかくムースの見解としてはネットワーク化自体は悪いことだと思ってません。何度もいうけど、漏洩は必ず内部からだと思ってるから。外からアタックをかけてやられちゃうようなシステムでは、国家存亡の危機だし、そうならないための努力は絶対に必要って思う。あとは漏洩が起こらないように道徳観や倫理観の教育をもう1度やり直すことが大事だと思うんだ。地方自治体が「ここで働く人が守秘義務を怠らないための教育に皆さんの税金を使わせてもらいました」っていうのだったら納得がいくんじゃないのかな?
反対派のHPには「アメリカでは否決されました」とだけ書いてあるけど、ムースが知る限りだとアメリカのSSNと呼ばれる社会保障番号はこの背番号にあたるんじゃないの?だってSSNで何でも管理してるよ。銀行で口座を開設するときだってSSNを聞かれるし、免許を取るときだってSSNは聞かれるし、所得申告をするときだってSSNは必要だし。昔は州をまたいでしまえば交通違反も帳消しだなんていってたけど、今はネットで全部情報がつながってるから交通違反の罰金を払ってなかったらすぐにばれちゃうし。ムースが聞いた話では罰金をずーっと払わないでいて、あるときに海外へ行ってアメリカに戻って来たとき、入国審査で駐車違反の罰金を払ってないねっていわれたって話を聞いたことがあるの。これって住基ネットよりすごいことだよ。ムースのいたスペインでも1人1人みんなIDを持っていて、そのIDには指紋が押してあったし。さらに昔は旅先でどこか宿に泊まろうとしたらIDを見せなかったら泊めてもらえなかったって話を聞いたことがあるの。まぁ、スペインの場合はテロがあるからその防衛のためにそうしてたんだと思うけど。でも外国は戸籍がない代わりに番号で国民を管理してますよ。日本やイギリスはIDなしで街を歩けるけどアメリカやスペインはIDを持ち歩いてないとダメな国だし、そういう国はどこも番号で人を管理してるし。ムースとしては住基ネット用のICチップの入ったカードに住所と生年月日と写真をいれてIDとして使えるようにしちゃえばいいのにって思うけどなぁ。ってネットでつなげるだけよりまだ悪いかな?
ただ片山総務相のコメントにはちょっと…って思っちゃうけど。だって「過剰な心配があるが、情報が漏れないようにしているし、漏れたらすぐ対応、措置できるようにする。(住基ネットで扱う)4情報は、元々取ろうとすれば取れる。名寄せや目的外利用は制度的、運用的にできない。初めてなので不安はあるだろうが、わかってほしい」(毎日新聞8月2日付)とかいってるけどこれは当たり前のことでしょう。「元々取ろうとすれば取れる」って…。それは本当のことだけど、そんないい方はないのでは?最近は国会議員の失言が多いんだからもうちょっと言葉を選んでしゃべる努力をした方がいいんじゃないのかな?
ところで、今日住基ネットのことを調べていて1つよくないことを発見しちゃった。住民基本台帳法における人種差別に関する報告書っていうHPがあるんだ。最初は何このHPって思ったの。ここが変だよ日本人じゃないけど、そういった類のHPかなって。「ここ」をクリックしてくださればそのサイトへ飛べます。でもちゃんと読んだら違ってた。たまたま反対派のHPに掲載されている住民基本台帳法を読んだあとだったから気がついたんだけど、住民票って日本国籍を保有してる人しか名前を載せることが出来なんだよね。第三十九条に「この法律は、日本の国籍を有しない者その他政令で定める者については、適用しない」って書いてあるの。ってことは外国籍を持つ人には住民票って関係ないんだけど、これは差別だって思われても仕方がないかなって。その弊害が多いことはこれを見ていてわかったし、戸籍と住民票、2つとも日本国籍保有者専用にしなくてもいいのにね。戸籍は日本国籍保有者専用にしても住民票には日本に長期滞在する外国籍の人も載せるようにすればいいのに。それに住民票には「戸籍の表示。ただし、本籍のない者及び本籍の明らかでない者については、その旨」を書くことになってるんだから外国籍のため戸籍なしにしてもいいんだし、選挙人名簿には載せなければいいんだし。年金はともかくとして保険はどうだろう。これは難しいな。うぅ〜ん、これは何ともいえない。考えてみれば外国籍だと税率もちょっと違ったんじゃなかったっけ?こう考えるとシステムが複雑だからどれもこれも角が立たないようにするのは難しいねぇ〜。とにかく住民票への記載はした方がいいんじゃないのかな?
今日は何でこんなことを急に書いたかというと、ヒマになったのが理由の1つだけど、実は最近いろいろなHPを見てると国や役所の批判をしてる記事をたくさん読むのね。もちろん批評というものは必要なのはわかるんだけど、ただ何でもかんでも悪い、悪いといってるだけのように思えてきちゃって。田中康夫元長野県知事のことを「ダム反対」の代替案がなかったとマスコミは書いていたけど、批評してる人もそれに近いんじゃないかなって思うの。ただダメっていうばかりで。じゃ、どうすればいいの?っていつも思う。新聞の社説もそう。じゃ、どうすればいいの?っていつも心の中で思う。マスコミがよくないって批判するのは結構だけど、じゃ、どうすればマスコミが良くなるか。これを書いてくれるとムースはうれしいんだけどなぁ。あと新聞も国の批判をよくしてるけど、じゃ、どういう政策をとればよくなるか。これが読みたい。それと新聞記者は字を書いて読者に伝えるのがお仕事なんだから、読者に思いが伝わるように書いてくれるといいなぁって思う。もちろん、事実報告だけをする記事に記者の考えをいれて欲しいって思ってませんよ。昨日火事があったんだけど、警察は放火と事故の両面から捜査をしてるけど、我が新聞は放火だと思うっていうような記事だと読んでいて疲れちゃうから。社説とか編集者からの意見とかの欄に書く記事だけです。いくら一昔前にNoといえないっていわれたからって、今のように何でもかんでもNoじゃねぇ。Noという言葉の使い方を間違っているんじゃないかなって思っちゃう。
あるHPを見てたら日本語の雑誌を読んでも何がいいたいのか理解できなかったって書いてあったの。その人は長いこと海外にいる人みたいで、しばらく外国にいたせいで日本語の読解力が落ちてしまったって嘆いてたけど、ムースはそうは思わなかったの。読んでいた雑誌は「正論」っていう名前みたい。ムースはその雑誌を読んだことがないから何が書いてあるかわからないけど、何がいいたいのかわからないものは多いと思う。別のHPではそれが日本語の特徴であるともいってたけど。そのHPはカウンセラーのためのものだったかな?日本語のように結論が1番最後に来る言語で、しかも曖昧な表現の多い中、カウンセラーはどうやってカウンセリングを受けてる人の心をつかむのだろうって。日本語は曖昧な表現が多いから他人との軋轢を起こしにくいとは思うけど、でもそれを自分の意見をいわなければいけない場で使うのは使い方を間違っていると思うの。ときに白黒はっきりした答えを求められることだってあるのにいつも灰色ではね。

と、今日は長々ダラダラと書いちゃった。批判ばかりする人に限って自分の権利はよく主張するって父がいってたの。で、子供の頃父に怒られたときによくいわれたのが「自分がやらなきゃいけないこと、義務を行なったものが権利を主張するのはいいけど、お前は権利ばかりを主張して義務を全然やってない」と。そんな父の教えに逆らい今もムースは日本国民としての義務、労働や納税を放棄して権利ばかりを主張してます。北の国にいるのに選挙権を得たし。ってことはムースが1番批判ばかりする人なのかな?鏡に映った自分の姿がもっとも嫌いな人だったらどうしよう。そんなのイヤだよー。


2002年08月02日(金)



プレゼンテーション

昨日書いた日記を今日読んでみたんだけど、ひどいですね。何がひどいって誤字、脱字がとっても多いんだもん。いくら酔っていてもあそこまでひどい誤字、脱字をしたことはあまりなかったかな?断酒してる頃にも誤字、脱字のひどいときがあったからお酒のせいというより疲れかなって思う。これはいい訳なんだけど、昨日の晩はかなり疲れてたのかも。夏学期が終わったから一気に疲れも出たし、レポート地獄からも開放されたし、プレゼンテーションも終わったし。つらかったことから解放されたから、ここ2週間、ピーンと張り詰めていた気持ちが一気に緩んだろうね。それと頑張るって言葉が嫌いって書いているわりには、やたらと頑張るって言葉を使ってたね。頑張ってるだとか頑張ってだとか。頑張るって本当に便利な言葉だからついつい多用しちゃうけど、今のムースは極力使わないようにしてるのに。本当に矛盾だらけで訳わからないよね。実は書いている途中で何書いてるんだかわかんなくなってきちゃったの。で、こりゃダメだって思ったから途中で日記を終了させちゃった。わざわざムースの部屋を訪問してくださった方には申し訳ないです。昨日の日記はそんな感じだった。

さて昨日やったプレゼンテーションのことなんだけれども、やっぱり人前で話すっていうのは難しいです。1つ目のプレゼンテーションは画像処理に関することで、何を話したかというと、海底の地図を作るのにどうやって作るかっていうお話。3日前、月曜日の日記にも簡単に書いたっけ?読んだ文献の内容は今はこういうところまで進んでますっていう途中経過の報告のようなものだったの。海底の地図といっても実際に海に潜って測量をするとかって出来ないじゃない。だから音響イメージを人間の目で見てもわかるようにするためのシステムを作ってるんだって。音響イメージって何って思うだろうね。ムースもどうやって文献に載っていた音響イメージを作るかわからないんだけど、それを作るために音を使うことは確か。潜水艦が出てくる映画を見てるとソナーがどうのこうのって字幕が出てくるじゃない。そのソナーを使って出来た画像が音響画像って呼ばれるものなの。じゃ、ソナーって何って聞かれそうだから英和辞典を調べたら、水中音波探知機のことをソナーっていうみたい。ソナーってsonarって綴るんだけど、これってスペイン語では鳴るっていう動詞の不定形?なの。スペイン語の文法用語はあってるかどうか自信ないけど、不定形って英語でいう不定詞にあたるものです。だからこのソナーって言葉、スペイン語の鳴るっていう動詞から来てるのかなって思ったけど、Sound Navigation Rangingの略称だったのね。ソナーはもとはスペイン語だったなんて間違ったことをいわなくてよかった。
さて、潜水艦の映画を見てると何でソナーが登場するかというと、ソナーって音を出してその跳ね返りで何か障害物があるかないかを調べてるのね。例えば、太平洋のど真ん中で音波を出しても、周りに何にもなければその音は跳ね返ってくることなんてないよね。だけど何かあれば、その何かに音がぶつかって、跳ね返って自分の所に戻ってきちゃう。だから何かあるってことがわかるの。海底を探るときも同じように音を海底に向けて出してその跳ね返りの時間をもとに深さが何メートルあるかを調べてるの。音の進む速さがわかっていれば何秒でその音が戻ってきたかを調べれば距離が計算できるでしょ。そうやってソナーを使って深さを調べてるようなんだ。深さを調べて出来た音響画像なんだけどこれを見ても何が何だかわからないから、コンピュータを使ってどこが高いとかどこが低いとか色をつけていく作業をしたの。その工程をみんなの前で発表したんだけど、練習のときのようにはいかなかった。いつもよりしゃべるのが早くなってしまって、練習では13分ぐらいしゃべってたものがあっという間に終わっちゃった。質問も最初の質問は無難に乗り越えたんだけど、2つ目はどうだったのかな?ただ生まれて初めてのプレゼンテーションなのに奇蹟に近いことが起こったの。それは全く緊張してなかったんだ。いつもなら心臓がバクバクして、声が震えて、顔が引きつるのに、そのときは全然そういうことがなかったの。自分でもビックリしちゃった。でも人の顔は見れなかった。持っていたメモを読み上げるだけ。それが精一杯だった。でも、やっぱり緊張せずに出来たことがムースはうれしくてしょうがない。もしかして、こうやって人前で話す機会が増えたら話せるようになるんじゃないかって錯覚を起こしちゃうくらい。目の前で聞いてる人の数が少なかったせいもあるのかな。だから緊張しないで出来たのかも。
1つ目のプレゼンテーションを無難に切り抜けて、ちょっと気分をよくしてたんだ。だから教室で2つ目のプレゼンテーションの準備をしてたとき、結構余裕だったの。でも2つ目の方は途中から何となく緊張してきちゃったの。軽い緊張状態。心臓がバクバクはいってなかったけど、顔は引きつってたと思う。ちょっとロレツも回らなかったし。2つ目のプレゼンテーションはiモードについて。ムースのいる北の国の人はiモードのことを知らない人ばかりなの。だからみんなの前でiモードの簡単な説明をしたんだ。これはメモを持っていたんだけど、メモを見ることが出来なかったの。でも逆に人の顔を見てずーっと話をしてたんだ。言葉がうまく出てきてくれなくて詰まったところも多々あったけど、ムースとしてはこっちの方がよかったのではって思っちゃった。何でかっていうと質問をしてくれる人が多かったから。2つ目のプレゼンテーションの評価の基準は12分しゃべって、3分間質疑応答をするって決まってたのね。全体の時間としては15分間が1人の持ち時間なの。中にはちゃんと練習をしてこないで15分ずーっとしゃべっちゃってる人もいたんだ。そういう人は質疑応答が出来なかったから、減点対象になるのね。逆にしゃべる時間が短すぎてもよくないっていわれてたの。ムースは何分しゃべったからわからないけど、かなり短かったと思う。だけどムースはこのプレゼンテーションに対する思いの中に、1人でも多くの人が興味を持って聞いてくれたらいいなぁっていうのがあったんだ。だから話の途中で笑ってくれた人がいたときはホッとしちゃった。2回ぐらい笑うところがあったかな。もちろん、プレゼンテーションの中なので笑わせようとして笑わせたのではなく、聞いてる人が笑ってくれたの。発表が終わったとき、1人は先生から指名されて質問をするのね。質問がそれだけで終わってしまう人もいるけど、ムースは何と3人から質問を受けちゃった。何で質問を受けたことをそんなに喜んでるかっていうと、わからないことがあるから質問をするんだけど、別の見方をすれば興味を持って聞いてくれたから話の中から疑問点が沸いてきたんだと思うんだ。もし、どうでもいいようなことだったら質問したいことも出てこないと思うの。だってどうでもいいんだもん。そういう意味でムース個人としては2つ目の発表の方がよかったかなって思うんだ。まとまりかたとしたら1つ目の方がよかったかなとも思うけど。よく授業中に「社会に出たら…」っていうことをこの授業の中ではいわれてたの。例えば、社会に出たら上司がやれっていった仕事はやらなきゃいけないとか、いつまでに出せっていわれたら提出期限までに出すのが当たり前だとか。そういうことをいわれてたから、ムースはムースなりに考えたんだ。社会に出たら…って。プレゼンテーションは宣伝の場なんだから、いかに聞いてる人に興味を持ってもらうか、最後まで飽きずに聞いてもらうかってことが大事だと思ったの。さっき書いたことの繰返しになるんだけど、最後まで聞いてもらって疑問がでたらいいと思うの。疑問が出るってことは多少なりとて興味を持ってくれてるってことがわかるから。興味がないものに質問なんてしないと思う。「発表、ご苦労さま」でおわり。そんな訳で評価はよくないと思うけど、自分の中ではとっても満足。時間通りに話すことは練習次第でいくらでも調整が出来ると思うけど、興味を持ってもらうっていうことはそんな簡単にいかないと思うから。だからちょっとうれしかったの。しかも授業が終わったあとにひとことだけだったけど声を掛けてくれた人もいたし。

約2週間、ほとんど毎日図書館にこもって、集中しないって文句をいいながらやったレポートとそのプレゼンテーション。どうにか無事に終わってくれて本当にホッとしちゃった。いい成績をとるために途中で履修登録を解除する人もいるけど、ムースはやっぱり成績より最後までやり通すことを優先させたいな。いい成績をとることはとっても大事だし、成績が悪ければこの北国コンピュータ学院を卒業できないし、仕事を見つけるときに不利になるけど、ちょっとずつでも自分に勝っていくっていう方が長い目で見たときにいいんじゃないかなって思うから。会社に勤めたときに与えられた仕事が大変でいい業績を残せそうにないからって「やめます」とはいえないだろうから。それよりどんなにつらくても、苦しくてもやり遂げることの方が大事だろうから。っていってもいつも、いつもつらくて苦しいことばかりじゃイヤだけどね。

ってことでプレゼンテーションについてのお話はここで終わりです。今日から夏休みに入ったので、朝からボーっと過ごしちゃった。だって昨日は12時前には寝ちゃったのに、今朝は3時ちょっとすぎに起きちゃったんだもん。もうレポートを書く必要がないんだからそんなに早くに起きなくたっていいのにね。7時まで起きてたんだけど、朝になったら眠くなってきたから10時まで寝たの。ちょっと学校へ行かなきゃいけなかったから。そしてネットの中を彷徨ってたんだけど、1つ疑問が沸いたの。「レジュメ」って何?学校の先生や学生さんの日記を読んでいるとレジュメって言葉がたくさん出てくるんだけど、何のことだかわからなくって。レジュメってrésuméのことだと思うんだけど、まさか履歴書って意味で使ってる訳じゃないだろうって思ったの。ムースはレジュメって聞くと履歴書のことだと思っちゃうから頭の中がちょっと混乱状態。履歴書はCVっていうんだよっていわないでくださいね。CVはCurriculum Vitaeの略だってことぐらいはわかりますから。なんてったってイギリスに短期留学したことあるもので。やっぱりバカをさらけ出してるかな?まぁ、北国コンピュータ学院の学生だから、レベルが低い人だと思っていただければ。それに高校時代の英語の偏差値30台だから。レジュメの意味がわからないの。辞書に書いてあるのは履歴書の他に要約とか概要ってあるんだけど。それのことかな?レジュメで検索して、ヒットしたサイトを覗いたらパワーポイントの画面みたいなのが10枚くらいレジュメってところに載ってたんだけど。でもパワーポイントの内容は別に要約じゃないよね。要約ってSummary(サマリー)とかAbstract(アブストラクト)って呼ばれるものでしょ?うぅ〜、やっぱり何だかよくわかんないなぁ。誰か教えてくれないかな?レジュメって何のこといってるんだか。この間気がついたんだけど、講義概要のこともシラバスっていうようになったみたいだし。知らない間にみんなカタカナになっていっちゃって、今の言葉についていけないんですけど。って考えるとプレゼンテーションは発表に直した方がいいかな?真剣に考えちゃう。日本語が難しくてわからないよー。誰かムースに日本語教えてくださぁ〜い。


2002年08月01日(木)




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