酔陽亭 酩酊本処
いらっしゃいませ。酔陽亭の酔子へろりと申します。読んだ本や観た映画のことなどをナンダカンダ書いております。批判的なことマイナスなことはなるべく書かないように心掛けておりますが、なにか嫌な思いをされましたら酔子へろりの表現力の無さゆえと平に平にご容赦くださいませ。
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2003年10月31日(金) 『蒼い瞳のニュアージュ』 松岡圭祐

 歌舞伎町雑居ビルで火災発生。火の元の理由を知っていそうな風俗の女性たち。彼女たちのPTSD予防のために臨床心理士が派遣された。その人物は、25歳、渋谷ギャル系ファッションの小柄な女だった。彼女は一ノ瀬恵梨香。破天荒な外見と行動に堅苦しい官僚たちは度肝を抜かれる。しかし、その外見とは裏腹に彼女は素晴らしい能力を持っていた。時を同じくして発生した手製爆弾テロ阻止のために内閣情報調査室の宇崎俊一は彼女の能力に気付き、独断で応援を要請する。やがて宇崎は一ノ瀬に信頼を超えた愛情を感じるようになり・・・。

 『催眠』の嵯峨、『千里眼』の岬、ふたりに続く第三のカウンセラー登場!と言う煽り文句にころりとだまされたのは私です。バカバカバカ。こういうギャルを好む読者さんたちもたくさんおいでなのかもしれませんが、ここまで路線を変えなければいけなかったの?と疑問に感じてしまいました。松岡圭祐さんのエンタテイメントが大好きな私としては、千里眼シリーズの新刊に期待をします〜。

 人間は自分で判断できなくなったら終わりだ。

『蒼い瞳のニュアージュ』 2003.9.20. 松岡圭祐 小学館



2003年10月30日(木) 『THE CHAT』 椙本孝思 (すぎもとたかし)

 ソフトウェア会社に勤める平岡直之(25歳)は、仕事柄パソコンには‘強い’自負があった。金曜日の夜はチャットを楽しんでいる。現実の世界では仕事の関係上知り合った女性・石倉晶子さんにパソコン指南をし、ネット上ではネット初心者のエリスと言う女性とメールのやりとりをして、いろいろ教えてあげている。ある夜、チャット中にナカツカというハンドルネームの男が現れた。彼は自分のことを‘インターネットの亡霊’と名乗り、平岡たちのチャットメンバーに対し、「不要なファイルをゴミ箱に移行します」と言い出した。そして平岡のもとに殺された男の写真が添付されたメールが届く。平岡は封印していた忌まわしい過去を思い出す。かつて仲良くつるんでいた山村雅史がパソコンおたくの中塚慎一をいじめぬいた挙句殺してしまったことがあった。ナカツカはあの時殺された中塚慎一なのだろうか? 平岡が山村雅史の消息を調べると火事に遭い、一家全員焼死していた。次に復讐されるのは・・・。

 この『THE CHAT』は、インターネットで公開されていたそうです。チャットをテーマにした物語と言えば、栗本薫さんの『仮面舞踏会』が秀逸だと思ってきましたが、この『THE CHAT』も面白かったです。最後まで事件の真相かと思われたことが二転三転しますし、なによりラストがいいv このラストは賛否両論のようですが、私はうまいと思いましたねぇ。文章も読みやすいですし、とても楽しめました。
 いや、しかし、インターネットは怖いですね。最近チャットはあまり開催していませんが、パソコンの向こう側の人間が本当に申告どおりの人となりかどうか会ってない限りわからないのですものねー。ぞくぞくぞく(笑)v

 呪うのはいつだって生きている人間さ。

『THE CHAT』 2003.8.10. 椙本孝思 アルファポリス



2003年10月29日(水) 映画『セント・エルモス・ファイアー』 ※ネタバレしています!

 ワシントンの名門ジョージタウン大学を卒業した7人の仲間。ミュージシャン志望のフリーターでプレイボーイのビリー(ロブ・ロウ)。地味でお金持ちのお嬢様ウェンディ(マーク・マクドウェル)。弁護士志望の一途な青年カーボ(エミリオ・エステヴェス)。ジャーナリスト志願でいつも一歩引いたところから仲間を見守るケヴィン(アンドリュー・マッカーシー)。政治家志望で小さな浮気を繰り返すアレックス(ジャド・ネルソン)。建築家志望でアレックスとの結婚に悩むレズリー(アリ・シーディ)。銀行に就職しながらカード破産寸前の派手で美人のジュールス(デミ・ムーア)。
 7人が社会という大海原に乗り出した。彼らの溜り場のバー<セント・エルモ>では、カーボが勉強を続けながらアルバイトを続け、ビリーもサックスを吹いていた。ビリーは心にたぎる熱いものを持ったがゆえに破綻した行動を繰り返す。学生結婚をしながら女遊びに明け暮れる毎日。そんな不良のビリーにほのかな思いを寄せるお嬢様ウェンディ。アレックスと同棲しながらアレックスの浮気に傷つき自分を一途に思い続けてくれたケヴィンとも関係してしまうレズリー。カーボは大学の先輩だった美しい女医にストーキングまがいの熱烈な恋をする。嵐の吹き荒れる中ジュールスが不倫していた上司に棄てられ、会社もクビになり、自殺を計った。心を閉ざすジュールスにビリーや仲間たちが必死の言葉をかける。心を開くジュールス。ビリーは騒動の後、ミュージシャンとしてニューヨークヘ旅立つことにした。見送った6人は自然にバー<セント・エルモ>へ向う。しかし、翌日の仕事を鑑み、ブランチに延期。その店も学生の来ない静かな店に決めるのだった。かれらはやっと学生時代から卒業・・・。
 <セント・エルモ>は、セントエルモの火が由来していた。嵐の大海に捲き込まれた水夫たちを導くという伝説の火。進むべき道をしっかりと見定めた若者たちには、もうその灯は必要じゃない。

 ネタバレどころか‘あらすじ’をがしがしに書いてしまいました。昨夜、久しぶりに『セントエルモス・ファイアー』を観ました。秋になるとなぜだか観たくなる映画のひとつなのです。映画の中でハロウィンもやってます。
 この映画は若者たちの自立と旅立ちをさわやかに描いています。いくつになってもこの映画を観ると自分の青春時代を鮮やかに思い出す・・・。無茶して後悔の連続でたくさん恥をかいて。でもあの時代でしか感じえることのできないたった一度の季節なのです。あぁ、また来年のこの季節に観よう・・・(とビデオをしまうのでありました)v



2003年10月28日(火) 『鍵』 乃南アサ

 親父が死んだ。お袋の後を追うかのように。これで俊太郎は姉・秀子と妹・真里子を守っていかなくてはならなくなってしまった。しかし、俊太郎は妹・真里子に対してこだわりが捨てきれない。耳が聞こえないハンデを背負った妹を思う心労のあまり母が死んでしまったように思えるから。そんな真里子の周辺で通り魔事件が多発。どうやら真里子の鞄にねじこまれていた‘鍵’が鍵らしいのだが・・・。

 乃南アサさんはこんなマザコン男の物語も描けるんだーと言うのが感想です。本当にいろんな作風を持たれていて読むたびに新鮮に思えます。こうしてまだまだ乃南アサさん追っかけは続くのであったv
 この物語は、真里子の鞄に無理矢理隠された‘鍵’が事件の鍵となります。そしてこの一連の事件が‘鍵’となり、俊太郎たちが一皮むけて成長していく過程が描かれています。失われた家族を心に残しながら、あらたに深く強い絆で結びなおされる三人が清々しい感じでした。

 こんな生命力豊かな、これ程までにしっかりと生きる意志を持っている人間が、癌なんていうものに負けるなんて、この世から消されてしまうなんて、そんな不条理なことがあってたまるかと思っていた。

『鍵』 1996.12.15. 乃南アサ 講談社文庫



2003年10月27日(月) 『渚にて』 久世光彦

 クルージング・スクールの船が座礁。船から放り出された7人の少年少女たちが無人島へ漂流する。彼らはまったく文明のかけらもない大自然の中で<生きる>ことを強いられる。15歳から18歳までの少年少女たちの生と性と死。彼らの明日は未来は・・・。

 飽食の時代の申し子たちが、家族とは違う人間と運命共同体となります。食べること、眠ること、体を清潔に保つこと・・・さまざまな苦難に立ち向かう少年少女たち。思春期ゆえの性の問題にも直面します。状況に順応し、したたかに生きる彼らは美しい。
 でも、少し歪んだ視線から見るとこんなにも綺麗にやっていけるものだろうか、と思ってしまいました。私は汚れすぎているのかな・・・。うーん。もしも今の少年少女たちがこの物語の主人公たちのような心の持ち主であれば日本の未来は明るいんだけどなー。

 人が、ほんとうは何を考えているかなんて、他人にわかるはずがないわ。

『渚にて』 2003.9.30. 久世光彦 集英社



2003年10月26日(日) 『都市伝説セピア』 朱川湊人

「フクロウ男」
 江戸川乱歩の世界を耽溺する男がインターネットに自分が作った情報を流す。フクロウ男が同胞を探して「ほうほうほう」と鳴くが、それに同じく返さなければ殺されると言うもの。最初は男が別人になりすまし、偽情報を流し続けるが、そのうち「フクロウ男を見た!」と同調する書き込みが増えてきた。してやったりとほくそえむ男。それだけでは満足できず、自らフクロウ男になり、殺人までおかしてしまい・・・。

 『都市伝説セピア』は、上記「フクロウ男」でオール讀物推理小説新人賞、日本ホラー小説大賞短編賞を連続受賞した朱川湊人(しゅかわみなと)さんのホラー短編集です。この「フクロウ男」は、かつて全国に流布した「口裂け女」や「人面犬」「トイレの花子さん」などの都市伝説を彷彿とさせます。主人公の男が物語の中で、孤独ゆえに殺人に至ります。出逢った友人との淡い恋情とも友情とも取れる感情がますます彼の孤独を浮き彫りにしていました。
 ほかの物語も、ただ怖いだけのホラーではなく、妖しく淫靡な世界が繰り広げられます。やはり江戸川乱歩の影響でしょうか。なかなか優れた短編集でした。オススメv

 まぁ、どんなに世界が変わっても、不思議なものや奇妙なものを求める人間の心は、なくなったりはしないんだね。

『都市伝説セピア』 2003.9.25. 朱川湊人 文藝春秋



2003年10月25日(土) 『風紋』下 乃南アサ

 松永秀之の裁判がはじまった。松永は殺人を否認。・・・この逮捕は冤罪なのか? 母を殺害された真裕子たちと松永の妻・香織たちはまたもや世間の好奇の的となってしまう。松永の弁護士は自信満々で松永無罪を世に訴えかける。しかし、香織は松永を信じられなかった。子どもを実家に預け、酒と男に溺れひたすら墜ちていく香織。裁判の行方の結果、真裕子と香織を待ち受ける現実とはいったいどんなものなのだろうか?

 殺された母親を慕う真裕子と、殺人者(?)を夫に持ってしまった香織。『風紋』も『晩鐘』も軸はこのふたりの女性だったのだとあらためて思います。香織はとても虚栄心が強いところがあり、もともと人格的に問題のある女性です。でも結婚相手が殺人犯にならなければ、彼女の転落はなかったのではないかと思います。
 いずれにしても殺人という犯罪が、被害者の家族たちも加害者の家族たちも巻き込んで不幸を撒き散らすことに違いはありません。心ではその人に罪は無いとわかっていても、犯罪者の係累と関わりあいたくないという思いが私にもあります。そしてそういう見て見ぬふりや、関わらないでいようとする人々の本音がいつまでも不幸の連鎖を断ち切ってくれないのだと思いました。やはりかなり考えさせる物語です。オススメ。

「この一年間、俺たちがどんな思いで暮らしてきたか、誰より義姉さんが、分かってることだろう? 犯罪者の身内になるっていうことが、どういうことなのか、嫌っていうほど味わってきてるんじゃないか」

『風紋』下 1996.9.15. 乃南アサ 双葉社



2003年10月24日(金) 『風紋』上 乃南アサ

 高浜則子は、二浪している娘・千種の家庭内暴力にあっていた。下の娘・真裕子はやさしく素直なままいてくれるので安心だ。夫は家庭を顧みない・・・。則子は笑顔で耐えながら、真裕子にメモを残し父母会へ出かけたまま帰らぬ人となってしまった。則子は姉・千種の元担任の松永先生と会っていたらしい。則子は不倫の末、松永先生に殺されてしまったのだろうか。突然報道の嵐の中に放り込まれる真裕子たちと松永の妻・・・。

 『風紋』は先日読んだ『晩鐘』の根っこの物語です。『晩鐘』では『風紋』で事件に巻き込まれた人々の‘その後’が描かれていました。家庭内崩壊をしていた主婦が不倫の末、娘の元担任の先生に殺される(?)と言うスキャンダルに巻き込まれ、ますます破綻していきます。片方の犯人と目される教師の妻は安定して平穏に生活していましたが、夫の犯行で一気に奈落へ突き落とされます。ひとつの蛮行がふたつの家族の関係者たちを否応なく不幸へ陥れる・・・。
 『晩鐘』では、‘その後’の転落ぶりからがらりと人間まで変わってしまった犯人の妻でしたが、『風紋』ではごく普通の幸せな主婦でした。事件の与える影響の大きさを身震いして感じてしまう物語です。
 この『風紋』は何年か前に読んでいて、今回『晩鐘』を読んだので再読したのですが、『晩鐘』によって『風紋』までまた新たに重みを増している気がします。どちらから読んでも心にぐっと迫る物語には違いないようです。

 死体の身元確認をさせる作業は、いつだって辛いものだ。刑事という職業柄、いくら慣れている、神経を鈍磨させているとはいえ、そこには必ず一つ一つの人間のドラマがあり、突然、変死という形で家族を失った人間の、やり場の無い感情が渦巻く。

『風紋』上 1996.9.15. 乃南アサ 双葉社



2003年10月22日(水) 『微笑返し』 乃南アサ

 阿季子はもとアイドル。玉の輿に乗って引退していたが、美しい奥様タレントとして復帰が決定。それと同時に不気味な嫌がらせがはじまる。無言電話・盗撮・ガラスの破片がつまったプレゼント。取り乱す阿季子を心配する昔からの友人、由紀、玲子、ちなみの仲良しグループだったのだが、実は・・・。

 女同士の間に友情はない、とよく言われます。この物語を読むと本当にそんなもんないのかも・・・とちょっと身震い(笑)。自分で自分を理解していない馬鹿な女はどこにでもいるもので、そういう女性は自覚がないうえで(あったらより性質が悪い)人の気持ちをたびたび逆なでします。私なら表面上だけでもそんなタイプと付き合うなんてまっぴらごめんだわ。そういう人と付き合うから嫌な思いをするなんて理不尽だもの。
 でも逆に考えてみるとこの物語では阿季子が一番素直で奔放な‘だけ’なのかもしれません。まぁ、その‘だけ’なところがおおいに問題なのですが。

 しんと静まり返った室内に、かちゃり、かちゃりと音が響く・・・・・。

『微笑み返し』 1997.9.20. 乃南アサ 詳伝社文庫



2003年10月21日(火) 『親指さがし』 山田悠介

 『親指さがしって知ってる?』由美が言った。ある日、別荘にいた女の人が殺されてバラバラにされたのだが、親指だけが見つからなかった。それを探してあげるのだと言う。そして由美たちは円になり、互いの親指を覆い隠しあう。そして殺された女の人のことを思い浮かべるのだ。やってみるとみんなは本当にソチラの世界へワープしてしまった。興奮して2回目をやってみた後、由美が忽然と姿を消した。いったい由美はどこへ消えてしまったのだろう。そして月日は流れ・・・

 話題になった『リアル鬼ごっこ』は、どうしても合わなくて最後まで読みきれず放り出してしまいました。2作目の『@ベイビーメール』もなかなか話題になり、今回この『親指さがし』を読んでみることに。タイトルがいいなと思ったのです。
 これはやっぱりホラーだよなぁと思いながらさくさく読めました。ものすごく怖いわけではありませんでしたが、読ませてくれたなって思います。もう少し恐怖に肉厚をつけてくだされば言うことなしだったのですが。

「人は誰でも年をとる。そしていつか死ぬ。遅かれ早かれ、いつかはな」

『親指さがし』 2003.9.25. 山田悠介 幻冬舎



2003年10月20日(月) 『晩鐘』下 乃南アサ

 新聞記者の建部の企画<事件のその後>が動き始めた。そしてその取材を通してあの7年前の事件の被害者の娘・真裕子と加害者の息子・大輔の両方と関わってしまう。取材したものが記事になり、さまざまな反響が寄せられる。記事で読まなければ、自分たちを不幸に陥れた加害者の家族のことも知らずにすんだのに・・・と復讐心を持つ男の心情を聞き、悩みとまどう建部。動揺する建部を救ったのは、真裕子だった。建部と心を通わせあうようになり、すこしずつ癒されていく真裕子。しかし、少年・大輔の短い人生は悲劇の連鎖に絡めとられたまま、より悲劇へ突き進んでいくのだった・・・。

 ただいま乃南アサさん攻略中なのですが、そのきっかけとなったのが10月頭に読んだ『晩鐘』上でした。今までは音道貴子シリーズをメインに捉えていたので他の作品を本気で追いかけていなかったのです。
 この『晩鐘』は読後感は悪いかもしれませんが、とてもいいです。矛盾した感想ですが、私には心にものすごく残りました。事件に巻き込まれた人々のその後は続いているのだと思い知りましたから。起こってしまったことは消えない。その後をどう生きていくかは、周りの人によるのかもしれません。人に恵まれるといい方向へ進めるかもしれない。その点、この『晩鐘』の悲劇の主人公・大輔は可哀想でした。一概に言い切ることはできないかもしれませんが、大輔の母親・香織に問題がありすぎた気がします。香織自身も自分が生き抜くだけで必死だったことはわからないでもないけれど。そして香織も被害者のひとりなのだけれど・・・。でも香織さえもう少しと大輔のために思えてなりません。香織は大輔にこんなことを言います。「考えてもご覧なさい。やられた側は、ただ泣いてりゃあ、いいのよ。だけど、やっちゃった側は、これからが地獄なんだから。ずっとずっと、地獄。白い目で見られて、いつまでたっても人殺し扱いされて、まともな仕事にも就けなくて、それでも、生きていかなきゃいけなくてー」そんなことを大輔に言う香織はもう母親ではなかったと言うことなのでしょう。

 だからといって、では殺されたから殺し返そう、そうしなければ気が済まないというのではない。いや、たとえ犯人を死刑にしてもらったところで、気が済むとは到底、思えないのだ。本当に望むことは、返してもらうことだった。失われたすべて、生命さえ返してもらえれば、それで良いと思っている。だが、それがかなわない以上、何らかの方法をとって欲しい。せめて、遺族と同じ哀しみや苦しみを味わってもらいたいと思う。

『晩鐘』下 2003.5.20. 乃南アサ 双葉社



2003年10月19日(日) 『死んでも忘れない』 乃南アサ

 三人家族がいた。渉は15歳。学校ではたくみに‘ゲーム’にすり替えた“いじめ”がターゲットをころころ変えながら流行っていた。城戸崇は41歳。職場でもさらりと人気の男。しかし、かつて妻が浮気をして男に走ると言う痛手を負っている。絢子は35歳のもとキャリア・ウーマン。さっぱりとした性格で崇と結婚し、渉とも仲良くやっている。そんな再生して出来上がった家族に、絢子の妊娠とともにさまざまな嵐が吹きまくる。崇が満員電車で痴漢の汚名をかぶせられ、渉はいじめのターゲットにされてしまう。仲良くやっていた三人の絆に疑心暗鬼と言う疑いがとびかいはじめ・・・。

 ほほう、タイトルの「死んでも忘れない」はそういうことを指していたのですか。これはまたやられましたな(笑)。私がタイトルから想像していた「死んでも忘れない」こととはまったく読みがはずれておりました。
 普通に生活していた日常で突如降りかかる身に覚えのない災難。そしてその事件をきっかけに家族が互いを信じられなくなり、噂にふりまわされていく。なんとも読んでいて苦しい苦しい内容でした。それがありそうなことだったから、とてもリアル。噂する側にしてみれば<ほんとうのこと>なんてどうでもよく、よりスキャンダルでより過激であれば楽しいだけなのだな、と思います。無責任な噂が一人歩きをはじめ姿を変えてしまうのもそのためでしょう。
 物語では最後の方にある人物が、三人家族に関わることによって三人家族が形を変えます。この流れに個人的にはどうだろう、と思ってしまいました。さすがに乃南さんも徹底した鬼畜な物語にはしかたくなかったのでしょうか。うーん残念v←私は鬼畜

 どうせ、嫌な思いをするだけなのなら、「友情」とか「信頼」とか、学校の掲示板に貼られているような言葉が、ただのきれい事、見せかけに過ぎないと気付いてしまったら、学校など行く意味はないと思う。

『死んでも忘れない』 1999.10.25. 乃南アサ 新潮社文庫



2003年10月18日(土) 『幻日 DreamingDay』 高橋克彦

 いきなり恐ろしい夢解釈からはじまる。夢に隠された真実、少年時代に受けた衝撃、医者である父の恩恵にあずかりぬくぬくと生きてきた男。さまざまな記憶と思い出の短編集がある作家の過去を浮き彫りにする。

「鬼女の夢」
 鬼の形相をした叔母が弟を廊下へ引き摺り出していく夢を見た。あんなに大好きだった叔母なのに、どうしてこんな夢を見てしまったのだろう。その夢を解釈していくうちに、叔母の哀しい人生に思い当たる・・・。

 高橋克彦さんらしい記憶や思い出からなにかが浮き彫りにされる短編集です。しかしながら、なにかがいつもと違った趣。どうやらこれは高橋克彦さん自身の物語のようです。表題となっている「幻日」は、浮世絵研究に関する物語。浮世絵の研究が出版されることになるが、裏で親のバックアップがあったおかげだと知り己の無力さに愕然とする・・・。幻日の中で生きていた自分を思い知るのですね。せつなかったことだろうなぁ。華やかに活躍されている過去には陰となる部分があってこそと言うことなのでしょうか。

「主人が出てきて、離婚してくれって言うの。向こうの方に好きな人ができたんですって。駄目ですって、私言っちゃった。そっちに行って私が掛け合いますから、あなたが勝手に決めないでくださいって」

『幻日』 2003.10.20. 高橋克彦 小学館



2003年10月17日(金) 『来なけりゃいいのに』 乃南アサ

「降りそうで降らなかった水曜日のこと」
 今日は水曜日。まゆの予定では‘ただぼんやり時を見つめる’日にするはずだった。しかし体育館の脇に置かれている花束から、誰かが死んだのではないかと大騒動になる。折りしもクラスメイトの沼田梓だけが休んでいた。梓が自殺? しかし本当に死んでいたのは・・・。

 このまゆと言う少女は明るくて清潔な少女・・・のように思えますが、実は・・・と言うところがみそ。少女はいつから大人の女のずるさや演技を見につけていくのでしょうね。ふと自分が無垢な少女だった頃っていくつくらいまでだっただろうと遠い目になってしまいました(苦笑)。そして少女=女はずぶとくてたくましいよなー(実感)。
 乃南アサさん攻略に燃えるワタクシですので、がんばって短編集から攻めていますv この『来なけりゃいいのに』もなかなかにゾゾゾとする作品もあり、面白かったです。表題となっている「来なけりゃいいのに」は私の好きな多重人格落としですし、「夢」なんて妙に思い込みの激しい人間の怖さが浮き彫りとなっています。あたりを見渡せばありえる題材ってことが怖かったかな。

 嫌なことがあったって、時は流れていくんだから、いつか忘れることだってあるかも知れないんだから。

『来なけりゃいいのに』 2000.6.20. 乃南アサ 詳伝社文庫



2003年10月16日(木) 『ボクの町』 乃南アサ

 高木聖大(せいだい)は去年の秋に警察学校に入り、半年間の「初任教養期間」を終えて、今年の春から警視庁城西警察署に卒業配置された。卒業配置とは、仮免のような状態のこと。実務に慣れるための見習期間、職場実習である。聖大は交番勤務初日から怒鳴られた。警察手帳に別れた彼女とのプリクラを貼っていたのだ! 失恋から成り行きで警察に入ってしまった聖大は、同期で優秀な三浦とことごとく比べられる。片や天下一品、もう片方は‘とんでもない型破り’。目標もなくお巡りさんとなってしまった聖大はおおいに悩み、とんでもなく失態を繰り返し、すこしずつ成長して行く。

 これは毎日新聞に連載された物語だそうです。乃南アサさんがこういうコメディタッチな人情成長ものを書かれていたとは知りませんでした。うーむぅ、懐がかなり深い。ますます好きになりました。
 主人公の聖大は、かなり困ったやんちゃな男の子。この男の子が同期でエリートな友人三浦のために一気に成長し、花開く、しかしどうしてもナンパな部分は残っちゃう、そんな人間味溢れた物語でした。こんな子がお巡りさんだなんて困っちゃうなぁと苦笑しながら読んでいましたが、聖大はぶつかる事件や人々によって確実に変わっていきます。なんだかいい物語読んじゃったなぁ、ほくほくほく、って感じです。にっこりv

「人生なんて、きっかけ一つだ。そういうきっかけがないままに、たまたま親や環境が悪かったっていうだけで、つまづく子どもがたくさんいると思わないか」

『ボクの町』 1998.9.25. 乃南アサ 毎日新聞社



2003年10月15日(水) 『不発弾』 乃南アサ

「かくし味」
 2年の結婚生活に破れ、栄通りに引っ越してきた俺は<みの吉>という古びた店を発見した。ハイカラな店が多い街並みに威厳を持ったまま佇んでいる。しかもいつも店は満杯で、行列お断りの札までかかっている。こうなるとますます行きたくてたまらない。ある日、運良く店に滑り込むことができた。念願の煮込みを食べてみるとうまいこと・・・。そしてこの店は強烈に仲間意識の強い常連ばかりで成り立っていた。俺が座ることになった場所を指定席にしていた男は死んだのだ・・・。

 ううん、面白い。乃南アサさんって短篇もほんと読ませてくださいますね。表題の「不発弾」も爆発しそうで爆発しない男の心理がうまく料理されてましたし、私が一番気に入った「かくし味」の<かくし味>もすごい落とし方でした。大好きな貴子シリーズ以外も制覇したい野望にめらめら。ただいま乃南アサ週間にございます。

 失ったことを素直に悲しめる方が、どれほど幸せか分からないということは、あえて言わなかった。

『不発弾』 1998.11.16. 乃南アサ 講談社



2003年10月14日(火) 『幸せになりたい』 乃南アサ

「背中」
 私は欲しいものを手に入れたはずだった。それなのに不倫をしていた頃の方が幸せだったのはどうしてなのかしら。こうなったらこいつに熨斗をつけて前の奥さんに返却してやる! きっとあの女は大喜びで迎えるはずだわっ、そう思い意気揚揚と会いに行った前妻は昔とは見違える美しい女になっていた・・・。

 1992年から1994年に書かれた乃南アサさんの短篇集です。10年ほど昔だとさすがに小道具が携帯ではなくポケベルだったりして時代を感じます。しかし色褪せないのは乃南アサさんの鋭く描く人間のあさましさ。幸せになりたいのに自分の持つなにかゆえにうまくいかない人々。こういう人間観察はすごいなぁと思います。この「背中」ともうひとつ「お引っ越し」とどちらを選ぼうか悩みました。「お引っ越し」には、すっごくいやな男が登場します。その男って私の人生でかかわったある男を彷彿させて読んでて頭に来て、ラストに溜飲を下げました! ぷんぷくぷん。度量の狭い男は最低よう。

 やっと夫婦になれたと思ったのに、背負っているものが違いすぎる。

『幸せになりたい』 1996.9.5. 乃南アサ 詳伝社



2003年10月13日(月) 『半落ち』 横山秀夫

 志木和正(W県警本部捜査第一課強行犯指導官)は、連続少女暴行魔身柄確保の連絡を待っていた。そこへ飛び込んできた連絡はW県警のお膝元W中央署からの直通電話だった。梶聡一郎という警部が<病苦の女房を扼殺した>と自首してきたと言うのだ。落としの志木が事情聴取に当たることになる。自首。証拠充分。だが被疑者は頑なに何かを隠している・・・。妻を殺した後の二日間、梶はいったいどこでなにをしていたのか。梶は完落ちではない。半落ちだ。

 ものすごい物語を読み落としたまま日々を過ごしていました。完璧にやられました。ラストは鳥肌と涙でした。さすがに去年のこのミス堂々の1位作品だと今更納得しています。
 横山秀夫さんの作品は『動機』を読んだだけで、深追い(笑)はあえてしなかったのです。テレビドラマ化された『顔』をすんなり読み進むことができず、読まないまま放置したこともあって敬遠してきたと言うのが本音です。
 この『半落ち』は、ラストの落とし方をめぐって直木賞問題に発展したことも遠巻きには知っていましたが、読了した今、直木賞の選考に首を傾げざるをえません。こういう落としがあっておかしいと私は思わない。読んだ後の素直な感動を大切にすべきだと思いました。
 アルツハイマーを苦にした女房を扼殺。その前に最愛の息子を病気で亡くしていた。そんな梶が守り通そうとした秘密とは・・・。6人の男が梶にかかわり、謎にせまり、梶を守ろうとする。こういう男たちの物語は最高にセクシー。
 おそらく、読まれた方々が多いかと思います。もしもまだ読んでいない方がいらっしゃるとしたら、読んでください。こういう物語にはなかなか出逢えるものではありませんから。最高級にオススメです。

 あなたには守りたい人がいませんか。

『半落ち』 2002.9.5. 横山秀夫 講談社



2003年10月12日(日) 『赫い月照』 谺健二

 母が不在の夜、物音で圭子は目覚めた。兄の悠二が出かけようとしている。兄の後をつけた圭子が目撃したのは、少女の首を切断する悠二の姿だった。
 悠二の事件を苦にして母は自殺。天涯孤独となった圭子は、鯉口という刑事の後ろ盾で占い師となる。そして圭子の周囲でふたたび悪夢が幕をあける・・・。

 この物語は、圭子のほかに、摩山という震災で心を病んだ男が登場し、ふたつの視点が交互に語られていきます。摩山は、酒鬼薔薇事件の少年の動機を探ろうと小説を書き始めます。この作中小説のタイトルが 『赫い月照』(あかいげっしょう)。圭子と摩山が係わり合い、物語は終結しますが、かなり心に重かったです。読み進めるも困難だった・・・。
 あの震災と酒鬼薔薇事件は神戸の人々の心にどれだけ深い疵を残したか、考え込んでしまいました。酒鬼薔薇聖斗と名乗った少年Aは、自分の行為を“人間の壊れやすさを確かめるための聖なる実験”と語りました。こういう精神構造はどうやって形成されたのでしょうか。生まれながらのモンスターだったのでしょうか。どんなに理由を知りたくても、事件の真相は誰にも理解できない。少年Aだってどこまで自分の行為の意味を理解していたことか・・・。
 いずれにしても加害者の家族の人生はずたずたにされてしまうのですね。

 子供は何か不条理なことが起きた時、それを他人のせいになどできない。そんな理屈は持っていないんだ。世界が間違っているなんて、考えられない。そうだろう? 自分がこれから生きていく場所なのに。

『赫い月照』 2003.4.24. 谺健二 講談社



2003年10月10日(金) 『不思議の国のアリス』 海洋堂+北陸製菓+工藤和代

 フィギュアの海洋堂さんが北陸製菓さんと組んで‘アリス・シリーズ’という大ヒット商品を世に送り出しました。かくいうワタクシめもコレクターのはしくれのひとりです。今回の『不思議の国のアリス』という本は、海洋堂+北陸製菓+工藤和代というコラボレーションで出来上がった素敵な手作り本です。ドールハウスの工藤和代さんが海洋堂さんのアリス・フィギュアのバックを作り上げ、フィギュアがよりいっそう映えています。
 ちなみに初版だけに、シークレットの‘消えかかったチェシャネコ’がついていますv

 これは読書日記と言うのは反則技かなぁ〜(えへへ)

『不思議の国のアリス』 海洋堂+北陸製菓+工藤和代 日本ヴォーグ社



2003年10月09日(木) 『海月(かいげつ)奇談』下 椹野道流 

 エージェント早川は負傷。敬愛する師匠、河合は行方不明。友人、龍村まで襲われ負傷、そして愛する敏生をかどわかされてしまった天本森。この事件の裏には森が見ようとしなかった過去の現実がキィ? 森は愛する人たちを取り戻すべく封印していた過去に立ち向かう。その過去から浮き上がった現実とは・・・。

 森(しん)、それは罪(SIN)と言うおまえの名前・・・。今回の森さんの試練は激しかった。かわいそうでちょいと泣けました。椹野道流さんが上下巻に分けないと書けなかった、とおっしゃる気持ちも納得できます。本当に‘人の心’と言うものはたくさんの重く哀しい闇をいくつもいくつも抱えているものだなぁ、と感じました。
 奇談シリーズをまだ読んだことのない方で、興味のある方は今回の『海月奇談』をお読みになることをお勧めいたします。これは奇談シリーズの中でも最高傑作だと思いますので。おそらくこれを読まれたら、一番最初から森と敏生の物語を読みたいと思うに違いありません。でもボブ(ボーイズラブ)の苦手な方は読んじゃいけません(笑)v

 人は過ちを悔やむことで、強くも優しくもなれるのです。・・・・・・ですから、どうぞ過去に捉われず、幸せになってください。

『海月奇談』下 2003.10.5. 椹野道流 講談社X文庫



2003年10月08日(水) 『本格的 死人と狂人たち』 鳥飼否宇

「変態」
 増田米尊(よねたか)は、綾鹿科学大学の大学院数理学研究科の助教授。増田の信念は科学者たるものフィールドワークを最優先せべし、であった。増田は興奮状態になればなるほど頭脳が明晰に澄み渡る。その増田のフィールドワークは「覗き」によってなされる。そしてそのフィールドワーク=覗き中に殺人事件が発生し、覗いていた増田が容疑者にされてしまうのだが・・・。

 本当に噂どおりのへそまがり理系笑説でした(大受け)v 鳥飼否宇さんの作品では『中空』と『非在』を読んでいただけなので、意外な馬鹿馬鹿しさに笑ってしまいました。次の「擬態」もなかなか面白かったです。登場人物もヘンな人ばっかりだったなぁ。刑事もこんなのでいいの?って人だし。しかし読者への挑戦までやられるとは(苦笑)。

「いいかい、私は今日まで四十五年、研究ひと筋に生きてきたんだ。人から変態とののしっらえようと気持ち悪いと蔑まれようと、独自の研究にわが身を捧げてきた。人格を否定されるのには慣れているが、研究結果については一歩も譲る気はない。どいつもこいつも間抜けどもめ、なめるんじゃねえ!」

『本格的 死人と狂人たち』 2003.9.18. 鳥飼否宇 原書房



2003年10月07日(火) 『エ・アロール それがどうしたの』 渡辺淳一

 来栖貴文は、銀座で瀟洒な建物の「ヴィラ・エ・アロール」という施設を経営している。来栖は、かつて母が亡くなった後に父親から22歳年下の女性との結婚を相談されいい返事をしてやれなかったことをずっと悔やんでいる。医者をやめて父の残した銀座にこの高齢者のための施設を作ったきっかけである。「エ・アロール」とは、フランス語で「それがどうしたの」という意味。来栖は、ここで「仕事や世間から解放された高齢者たちに、楽しく、気ままに“エ・アロール精神”で暮してほしい」と願っている。その甲斐あってか「ヴィラ・エ・アロール」では自由奔放な雰囲気があふれすぎ(苦笑)、楽しい語らいや恋愛問題!が絶えず生じている。そして父と同じく22歳年下の女性と恋愛をしている来栖なのだが・・・。

 ううーん、すごいですねぇ。渡辺淳一さんと言う方は・・・。秋の新番組で豊川悦司さんが主演すると言うことで、母から借りて一気に読んでみました。たぶんテレビでは小説の設定はかなり変わるだろうな、と思います。ラストも変わるといいのだけれど・・・。
 高齢化が進む日本で、高齢者の人たちが明るく楽しく生きて欲しいという願いがとてもよく伝わってきました。いくつになっても男と女。そんな雰囲気がとてもよかったです。日本人はセックスについて淫靡なイメージを持っているし、年を取ると‘ない行為’と捉えているように思います。この物語の素敵な高齢者たちのようにいつまでもときめいていて欲しいな。私もそんなおばぁちゃんになろうv

 それにしても、本当の恋をしてきたと、自らいいきれる人はどれくらいいるのだろうか。

『エ・アロール それがどうしたの』 2003.6.25. 渡辺淳一 角川書店



2003年10月06日(月) 『彼女は存在しない』 浦賀和宏

 香奈子は貴治と待ち合わせ場所で、「アヤコさんではないですか?」と人違いをされる。その声をかけてきた女、由子はあぶなかしく、成り行きで助けてしまう。聞けば家に帰りたくないらしい・・・。
 根元有希は疲れていた。母子家庭だったのだが、母が突然死してしまったのだ。しかも妹の亜矢子はトラウマからひきもりのような生活をしていた。母がいなくなった今、有希がなんとかしなければならない。しかし、亜矢子は突如豹変し奇行を繰り返すようになる。こいつは本当に俺の妹なのだろうか?
 香奈子にも人に知られたくない過去があった。そんな香奈子にとっていい加減だが貴冶は都合のよいシェルターだった。だが、ある日、彼はナイフでめった刺しにされ死んでしまう。香奈子は、由子が多重人格者で殺人犯ではないかと疑うのだが・・・。

 タイトルに惹かれて読んでみました。タイトルから受けた想像通り私の好きな‘多重人格モノ’でした。今でこそポピュラーな題材となった感のある多重人格モノですが、浦賀さんはこの物語をうまーく料理されていると思いました。幼児虐待にあった子どもが現実逃避から別人格を作り上げてしまう。人には大なり小なりそうして心を守りながら生きた瞬間があるのではないかな、と感じました。
 また、たまたまつい最近知人から「家族のことで相談を受けてくれる心療内科を紹介して欲しい」と頼まれました。この物語でも兄、有希が妹のためにある病院をたずねるシーンがありました。物語の中で医者はあまりいい対応をしていません。現在病んだ心を持つ人たちが通う病院の先生があんな対応をしませんように、と願ってやみません。
 読みやすかったですし、だまされましたし、おもしろかったです。だけどとても哀しい気持ちでいっぱいになりました。人の心ほど脆いものはないですね・・・。

「お母さんー。助けてよ。頭の中に誰かいるよ。私に話しかけてくるよー」

『彼女は存在しない』 2001.9.10. 浦賀和宏 幻冬舎 



2003年10月05日(日) 『嘘つきは殺人のはじまり』 日本推理作家協会(編)

 きっかけは‘嘘’だった。嘘が引き起こす10の殺人事件・・・

「不帰屋(かえらずのや)」 北森鴻
 美貌の民俗学者、蓮杖那智のかかわったフィィールドワーク。古来、女は不浄のものとして見なされてきた。しかし、もっと遡れば女性とは豊饒と生産の象徴であった。このふたつの観念の入れ替わった瞬間を調査するため、那智は《女の家》に向う。

 こういう短篇集は今まで読んだことのない‘未知の作家’さんとの新たなる出会いを期待して読みます。そして10の物語のレベルは高く、とても面白かったです。それなのに、あぁ、それなのにぃ〜・・・ものすごぉーく面白い作品は読んだことのある高橋克彦さんの『欠けた記憶』と、やはり読んだことのある北森鴻さんの『不帰屋』なのでした(汗)v これはやはり好みなのでしょうねぇ。
 しかし上にちょこっと紹介した「不帰屋」は、タイトルから素敵ですよね。不気味だし、なにかが起こるぞ〜どろどろどろって感じ。うふ。(『凶笑面』収録)

「美人学生を優遇してもかまいませんか」
「利用できる立場はすべて利用する。それは研究者として優秀な証、ね」

『嘘つきは殺人のはじまり』 2003.9.15. 講談社文庫 



2003年10月03日(金) 『伊集院大介の休日 真夜中のユニコーン』 栗本薫

 藤巻聡子は憧れの教授とキスだけで切り捨てられてしまう。男性と付き合った経験もなく初めての一途な想いだっただけに傷つく聡子。大学の春休みを傷心から立ち直ろうと、テーマパーク<ユニコーン・パーク>で住み込みのアルバイトをすることにする。美人でお嬢様育ちで清潔感あふるる聡子は、アルバイトの女の子たち憧れの男子バイトグループ四天王に可愛がられるのだが、聡子争奪戦とともに遊園地で子どもの迷子騒ぎ、果てには死体が発見されてしまう・・・。

 切っても切っても金太郎飴。栗本薫の伊集院大介シリーズもそんな一冊です。言葉も流れも謎解きも。でも読まずにいられないと言うか、かなり後半部分に伊集院さんが登場すると「あぁ、やっと会えた」と思ってしまうのだから不思議。
 物語としてどうこう語れませんし、オススメもしません(できません)。そんなことをしなくてもきっと栗本薫フリークスたちはやっぱり読んでしまうのだから(笑)。しかしひとことだけ物申ーす! タイトルの‘伊集院大介の休日’は確信犯なのかどうかわかりませんが、卑怯だと思うわ。すっかりだまされた・・・。

 だが、そういうのは、なんとなく、いかにとりつくろって表だけはきれいに掃除しても、感じ取れてしまうものだ。

『伊集院大介の休日 真夜中のユニコーン』 2003.9.20. 栗本薫 講談社



2003年10月02日(木) 『海月(かいげつ)奇談』上 椹野道流

 天本の敬愛する師匠、河合さんが行方不明? 河合と同行していたエージェント早川は重傷を負い病院へ。そしてさらに怖しい出来事が天本を襲う・・・。

 森さん受難(笑)。森さんは敏生と出逢って人間らしくなったはいいものの、トラブル遭遇度が確実に着実に(?)UPしていると思う。そして今回はかわいいふりして敏生のどっきり大胆アプローチなどもあります。ふたりのボブボブ(ボーイズラブね)もパワーアップ!
 いやぁ、椹野道流さんの鬼籍通覧シリーズはシリアスに拝読するのですが、こちらの奇談シリーズは突っ込みどころ満載で笑えてしまう(あ、いい意味でですよ?)v 基本的にボブに興味も免疫もないからだと自己分析。どちらかと言うと百合系の方が・・・はっ。以下自粛。
 この海月奇談は上下巻と言う事で、下巻発売直前まで読むのを我慢していました。そろそろ下巻発売かな。さて森さんは今回の謎と敵にどのように立ち向かうのでしょう。下巻が待たれます。

 この世界は、そう悪いとこやない。綺麗なもんも、楽しいことも、ようけえある。

『海月奇談』上 2003.8.5. 椹野道流 講談社X文庫



2003年10月01日(水) 『晩鐘』上 乃南アサ

 母親が不倫のあげく殺された・・・。母親を殺された家族と殺人犯となってしまった夫の妻。そのふたつの家族たちの7年後の物語がはじまった。悲劇の連鎖はとどまることがないのだろうか。
 新聞記者の建部は、長崎へ左遷されていた。そこで中学生の殺人事件に遭遇する。その事件に興味を持つうちに彼はかつての悲惨な殺人事件の関係者とリンクしていることに気付く。東京へ戻ることになった建部は<事件のその後>を追ってみようとする。それが新たなるはじまりだとも気付かずに・・・。

 この物語は『風紋』から7年後の物語になります。事件が起こった時、加害者と被害者があり、そしてその両方の係累にまで影響を与えてしまう。過去を振り切ろうとする者、過去に囚われて生きる者、過去を知らされず生きる者・・・。さまざまな形で歪んで生きてしまうことになった人間たち。
 今年は、<加害者の家族>というテーマの物語に多く出会いました。穏やかに流れ続けると思っていた時が堰き止められ、せっかく築き上げてきた家族と生活、人生そのものが、一瞬のうちに幻のように消えることが、この世の中には確かにある。「誰の上にも等しく流れる時というものが、人に何を与え、何を奪うか、人はどう変わりながら生きていくものかを、改めて眺めてみたい」と願った記者、建部の思いもわからないのではないのですが・・・。触れずにそっと見て見ぬふりをする優しさも存在するのではなかろうか、と感じました。 
 さて、この心に傷を負った人々は下巻でどうなっていくのでしょうか。一度狂った歯車はもう二度と戻ることはないのでしょうか? 読み進めるに、ちと辛い物語ではありますが、読まずにはいられません・・・。

「それは無理ですよ。法によって償いを終えるときが来るとしても、彼は僕の人生をずたずたにしたことについての償いなんか、出来やしない。無論、僕だけじゃなくて、周囲の誰についても同じことですが」

『晩鐘』上 2003.5.20. 乃南アサ 双葉社



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