入院するかも - 2003年11月29日(土) もしかしたら、近々入院するかもしれない。 昨日、解離になって記憶喪失になったし。 家族ももう、いっぱいいっぱいだろうって、先生が。 良い環境に移らなきゃいけないって。 今日の通院ではっきり入院の意志がないことは伝えてきたけど、 心はぐらぐら動いてる。 新しい生活。 新しい先生。 新しい人間関係の構築。 一人部屋じゃないから、少し怖い。 翆蓮だけでも、連れて行けないかな…。 京都から完全に立ち退くことになった。 今まで部屋だけはキープしてあったけど、 いつ治るのか分からない状況で、家賃だけ払うのは無意味だから。 学校も…もしかしたら退学するかも知れない。 あぁ、もうわけ分かんないや。 たった一人の人間の態度や言葉にここまで傷つけられて、 私はもう、ずたぼろだよ。 ほんと、ずたずたのぼろぼろだ…。 - 自殺未遂 - 2003年11月23日(日) 気がついたら私の掌には、余るほどの白い錠剤が乗っていた。 気がついたら、それを空っぽの胃の中に流し込んで。 私は、昏々と眠り続けることを選んだ。 それが20日のこと……だったと思う。 15時間眠り続けた。 このまま死ねたらいいと思ってした行為だったから。 眠ったまま死ねるなんて、最高に幸せだと思わない? 次の日も眠った。 でも頭が痛くて、意識が白濁して、苦しくてしょうがなかった。 20時、救急病院に運ばれ、点滴を受けた。 睡眠薬の血中濃度を下げるもの。 今回飲んだのは睡眠薬の中で一番軽い「グッドミン」。 もしロヒプノールを飲んでいたら、間違いなく死んでたと思う。 それで良かった。本当は。 昏睡から醒めた昼のこと。 姉が仕事を早退して帰ってきた。 泣きながら、「あんたが心配だったから」と言われた。 「遺されたほうは、もっと辛いんだ」と言われた。 私は未だ意識が朦朧としていて、今現在では姉が話したことを ほとんど覚えてはいない。 私という存在が、少し濃くなった気がした。 それを気づかせてくれた自殺未遂だった。 ごめんね…。 - 吐き気がする - 2003年11月20日(木) 何もかもに。 昨日、発作が起こってどうしようもなかったから病院に行った。 思ってることを少しだけ吐き出した。 ソラナックスと…睡眠薬をロヒプノールに変えてもらって帰った。 私は怖いのかもしれない。 小さい頃からずっとそうだった。 父に、母に怒られるのが怖い。 だから溜め込んで何も言えなくなる。 精神科に通い始めたことは、父には言わなかった。 祖母にだけ、電話で話した。 「弱いからだ」と言われるのが怖かった。 いじめに遭っていたとき、 母が私に「あんたが弱いからいじめに遭うんだ」と言ったから。 今でも怖くて堪らない。 祖母にしか言えない話がどんどん増えていく。 これから通院は祖母と一緒にしようか…。 家族を信じられなくなったら終わりだと言われたけど、 家族を信じられなくさせてるのが家族自身なら、私はどうすればいいの? 結局ロヒに変えても眠れずに迎えた今日の朝は、 朝食をとる前に痙攣が起こってしまって、そのまま寝込んで、 ソラナックス飲んで眠って、祖母に色々話をして、 泣きながら、ぐちゃぐちゃな自分を抑える為にまた薬飲んで寝て、 その繰り返しで一日が終わる。 こうしてPCに向かっていると吐き気がする。 もう何も要らないから、私の心をどうにかして。 - 偶には - 2003年11月18日(火) 病気のことでも書きましょうか。 レキソタン、ドグマチール、パキシル。 普段に飲む薬たち。 ソラナックス。 不安時、もしくはパニック状態になったときに飲む薬。 数日前、友人が二泊三日で泊まりに来ていました。 それにも拘らず、リスカしました。 切れないもどかしさと、切っているときのある種の快楽。 包丁が見当たらなかったので、ケーキ用ナイフでゴリゴリ切って、 ステーキ用ナイフでゴリゴリ切って。 一人、そんなことを繰り返していました。 分からないだろうな…頭の中にそれしかなくなる瞬間。 胸に当てて刺してみようとも思ったけれど、 骨が邪魔をするだろうと思ってやめた。 「本当に死にたいなら腹を刺して死ね」と誰かに言われたので、 そのうち実行するかもしれない。 誰も分かってくれない。私は生きているより、死んだほうがいいんじゃないの? こんな厄介な病気抱えて、家族のお荷物になってるのは真っ平御免だ。 今日、最後の一つだったソラナックスがなくなった。 これからは泣き喚こうがリスカしようが、痙攣起こそうが薬が飲めない。 怖いと思う反面、素の、どろどろした自分が出せるなら、 それもいいかも知れないとも思う。 誰も分かってくれない。本当の私の気持ちを。 「お前が言わないからだ」 言って分かってくれるはずがないから言わないだけ。 「短絡的」 そうですか。私は必死で考えてその答えに辿り着くしかなかったのに。 沢山の選択肢の中から、それを選び取るしかなかったのに。 お父さん、私は間違いだらけの人間ですか。 もう貴方を苦しめたくないから、その理由もあってリスカしてるんですよ。 見てるかどうか分からないけど。 結局は、分かった振りして誰も分かってない。 信号なんていくつも出してる。それに誰も気付かない。 ただそれだけ。 睡眠薬、ロヒプノールに変えて欲しい…。 - 零音降臨 - 2003年11月16日(日) 朝、親父に足蹴にされながらゴロゴロしていると、 来客がありました。 父が出て、私は慌てて後を追ったのですが、 時既に遅し……。 「人形じゃないだろうな?」と釘を刺されつつ自室へ。 昼から家に誰もいなくなったので、早速零音とご対面。 この瞬間っていつもドキドキするなぁ…。 フルチョの時も凄い緊張するし。 で、フェイスカバーを取ったら、も…もう……! 滅茶苦茶綺麗なメイクを施された零音が! いそいそと服を着せ、取り敢えず自立させてみて見惚れてみたり。 ああああぁ。かっこいいです。 色々あってのお迎えだったんですが、お迎えして良かった…! ただ、森が帰ってきたら、私の枕元はもう満員なんですけど(笑)。 ドルフィーより13の方が好きなので、うちにいるのは13ばかり。 フルチョじゃないと13って買えないし…何かお得だから←貧乏。 これで4体目ー…あー…取り敢えずあと一人お迎えして終わり。 翆蓮の双子の妹を。京都に帰ってからですが。 白が似合う子になるといいなぁ。 ここまでくると、もう中毒のような気がせんでもない。ふふふ。 いいのさ別にー中毒でもー。 とにかく零音のお迎えセレモニーを近々しないとね。 - 微睡みの中で - 2003年11月07日(金) 彼女の夢を見る。 彼女もまた、微睡みの中、夢を見ている。 紺碧の瞳。 長い睫毛が陰を落とす。 あどけない口元。 少女の面影は何処かで見たことがあった。 ――あれは、何処だったか。 名も知らぬ少女の微睡む姿を、私もまた微睡の中で見た。 - 今欲しいもの - 2003年11月05日(水) フルチョイス5番ヘッド(ノーメイクで)。13でお願いします。 自分で伏目に開眼させて、翆蓮の双子の妹にしたいんですよねぇ…。 ああぁ。セシル資金残しておけば良かったかも(既に散財中)。 ちょっと小耳に挟んだので、長野まゆみの小説を読んでます。 何というか、まだ全然読み始めて間もない状況なので感想どうこう 言ったり出来ませんけど、漂う空気がそこはかとなく…うーん…。 耽美ではありえないでしょう。 まぁ、感想は追々語ることにしたいと思います。 今日は比較的安定日。昨日、一昨日と、かなり凄いことになってたので。 泣くわ叫ぶわ色んなもので手当たり次第手首切るわ…。 というわけで、本日思い立って縮毛強制決行。 直毛です。素敵。 ピアスも誕生日に友人から貰ったものに付け替えまして。 少々心機一転でございます。 何か色々あったけど、書くに足らないことなので伏せておきます。 今日はここまで。 - 決戦…そして - 2003年11月01日(土) 今日はアフタードルパ当日です。 眠れるはずもなく、夜中の二時半に起き出して、 がさごそ準備を始めました。 五時に家を出て、普通から急行に乗り継ぎ、名古屋へ。 六時半頃名古屋について、地下鉄で矢場町に向かいます。 もう頭の中はセシルでいっぱい。 「せしるーせしるーせしるー」という感じ。 矢場町で取り敢えずトイレに行って、ちょっと遠回りしながらSRに。 到着したのが七時前だったんですが、既に並んでました…。 それでも思ったより人数が少なかったので一安心。 「これなら買えるだろう」とCDを聴いたり、隣の方とお話ししたりで 待ち時間を潰しました。 と こ ろ が。 蓋を開けてみればセシルは展示品含めて七体。 私が並んでいたのは八番目(…)。 もう虚しさ大爆発です。私の時間を返して…涙。 それでも店長さんが色んなところに掛け合って下さって、 散々探してくださったのがせめてもの救いでしょうか…。 今回は縁がなかったのだと諦めることにしました。 ただ、森が帰ってきたらセシルになってもらおうと思って ヤフオクでセシルの衣装に入札してみたり。 ちょっと許せないなーと思ったのが、名古屋アフター頒布分が 即日、ヤフオクに出品されていたことでした。 しかも誰が出したか顔まで大体覚えているので、余計もやもやします。 最初からそれが目当てなら買わないで欲しかったなぁ…なんて思ったり。 あーぁ…。欲しかったなぁ、セシル…。 帰りは中途半端な時間だったのでナオトでコートとニットキャップを 衝動買いして、ラガッツァでランチを食べて帰りました。 まぁ、見事敗北してしまいましたが、敗因は距離と…。 ドルパ当日に予約を取りすぎて店頭分を考えていなかった、 というところにあるんでしょうかねぇ…。 次回に期待しましょう。またセシルかも知れないし。 とにかく、残念な結果に終わりましたよ、と。 一週間も日記を書いてなかったことに気付きながらも思ったのでした。 -
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