「人間」菅井優児
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2002年10月12日(土) 退院

起床。朝食。

今日でここを猿、いや去ると思うと少々感傷的になる。

荷物を片付けながらそう思った。

同室の皆様と語らいの一時。

昼を過ぎて親が迎えに来る。

さようなら・・・。

看護婦や先生にお礼を言い、病院を出る。

娑婆、シャバ。

家に帰りメールチェックをしたところ新着メールが85通。

うぎゃう。


2002年10月11日(金) 入院生活十八日目

いつもと一緒。

だが、退院が明日と思うと嬉しくもあり悲しくもある。

幸いにも同室の人達には良くしてもらったので、名残惜しい。

ステファグのぶっさんから励ましの電話をもらう。


2002年10月10日(木) 入院生活十七日目

いつもと変わらない一日。

退院が土曜日に決定。

午前中に天気が良いので、同室の患者さんと外に出る。

酒井TRAPと鈴ちゃんが見舞いに来てくれる。
ようわからんカセットテープを3本貰う。聴けんちゅうの。

喫茶にて語らい。


2002年10月09日(水) 入院生活十六日目

朝食、ウォーキング、ランチ、タバコ、話、テレフォン、TVjohn、ディナー、寝る。


2002年10月08日(火) 入院生活十五日目

起床、朝食、散歩、昼食、喫煙、談笑、電話、夕食、TV、消灯。

夕方、もんちゃんとえりなが見舞いに来てくれる。


2002年10月07日(月) 入院生活十四日目

起床、朝食、喫煙、トイレ、売店。

今日は午前中にシャンプーをしてくれるらしい。

昼食。おい、シャンプーはどうした?

ベッドをうとうとしていると、部屋をノックされシャンプーだこの野郎と言われる。
かゆいところは無いですか?はい、全部かゆいです。
シャンプー終了。ちょっとスッキリ。

15時頃、個室から大部屋へ移動。旧友と再会。

夕食、談笑、消灯。

眠れないので喫煙室へ行き、こうして日記を書いているわけです。

だんだん文章も少なくなってきました。

それくらい日々何も無いのです。


2002年10月06日(日) 入院生活十三日目

6時起床。つーか寝てない。

朝食を済ませ、ボケになっていると回診のため先生がやってくる。

歩けるようになると退屈になってきます。そして一日は長いです。

15時過ぎにBORDER9の2人が見舞いに来てくれた。

そして話し相手も帰ってしまい、また長い一日のひとかけらをかじっています。

夕食を済ませ、TVを観ます。「Xファイル」を観てるうちに寝てしまいました。


2002年10月05日(土) 入院生活十二日目

午前5時に目を覚まし、起床の放送を待っている。
そして午前中の処置回診を心待ちにしている。
心ここにあらすかボケのままおにぎりを2つ食べる。
そしてその時が来るまで俺は心を無にして待った。

俺は石だ。石だ。軽石だ。そういや軽石って最近見ないな、邪念が入った時、

コンコン。「回診でーす」
執刀医、担当医、看護婦etcがわらわらと入ってくる。

「調子はどうですか?」
「もう最高なので(管を)抜いてください」

はっはっはっと笑いあうドクター達。きゃつらは何を笑うとんじゃ。殺すぞ。

「また後で抜きに来るから」

と担当医になだめられ、ドアを閉められる。

そしてまた心を風呂場の隅にうち捨てられた軽石のようにして、その時を待つ。

30分後、担当医が「お待たせ」と入ってくる。
傷口に血がたまらないように入れてあったチューブを抜く。
痛くはないが、気持ち良くもない。
そして背中の痛みが手術で切開したところだとその時初めて認識した。

点滴は今日の夕方までと聞いていたので、諦めてはいたが、
もう1本の排出する管はセンセ?
と女郎っぽく聞くと、

「それはまた後で」と一蹴。

またそれから30分後、看護婦が来て、尿管を抜いてくれた。
できればもう2度と味わいたくない痛み。
そして思い出したくもないが、書いては思い出し、またこの日記を読み返してはのたうち回る。
ぞぞぞんぞん。

何はともあれ管は抜けた。これで自由に動ける。点滴はまだだが。

2日ぶりに立つ。起き上がるときに背中が痛む。それでもよろけることなく立った。
まっさきに喫煙所へ。火をつけて吸い込む。
脳細胞がプチプチと音を立てて死んでいく。少し頭がクラクラする。
初めてタバコを吸った時の感覚が蘇ってくる。

昼過ぎに両親がやってくる。ババロアを食す。

15時過ぎに某バンドのボーカル2名が見舞いに来てくれる。
花をもらったが、名前は忘れた。イカの子供のような沢山ついてる。
差し入れの抹茶プリンを食す。

夕食を食べ、TVを観て、就寝、のつもりが全然寝れなかった。


2002年10月04日(金) 入院生活十一日目

背中が痛い。
おしっこが勝手に出てる。
のど渇いた。
踵がしびれる。

こんな想いを朦朧とする意識の中で800回くらい繰り返す。

朝はおかゆでした。昼はおにぎりです。夜もおにぎりです。

ぼ、僕はお、おむすびがす、好きなんだな。

すみません。あんまり書く気になれないです。


2002年10月03日(木) 入院生活十日目(手術当日)

起床。朝食はないので再び眠る。

目を覚ますともの凄い化粧の女医さんが点滴を打ちにきた。
意識が朦朧としてたけど、凄い化粧だった。
そして凄い化粧のまま、俺の腕に針をさして、凄い化粧のまま立ち去った。

先に個室に移るという事で、荷物、ベッド、その上の身体ごと搬送される。
その後、母がやってくる。
個室のTVで笑っていいとも→ごきげんよう→はるちゃん6を観る。

14時過ぎに医者が入ってきて、筋肉注射を打たれる。ぎゃおう。
そしてベッドごと運ばれ3Fの手術室へ。

時は来た・・・。

無機質な天井を見つめながら、ベッドからベッドへ移される。
すぐ真横にはドラマで観るような照明がある。
口元にマスクが近づく。

「これは酸素ですので、深呼吸して下さい」

言われるがままにしんこきゅ・・・うっ。意識が本当に遠のいた。
ヒューンとね。




目を覚ますと、さっきの手術室の天井。何がどうなっているのか分からん。

再び失神。


次に目を覚ました場所は今日移ったばかりの個室だ。
鼻に酸素のチューブが付いている。母親が横にいる気がする。

三度失神。


次は横に執刀した医者が化粧品大のプラスチックの容器を持って何か言っている。
「・・・が取り出した・・・です。・・・」
黄色いもやのようなものが透明な液体に漂っている。

その後は断片的な記憶のみが続く。

・ミリオネアのみのもんた
・酸素チューブを外して怒られる
・うがい
・お茶を飲む

そして1本の管から点滴を注入され、2本の管からは尿と血が排出されている。

・・・ああ、マトリックス。


2002年10月02日(水) 入院生活九日目

起床して速攻でナースセンターに行き、風呂の予約をとる。

朝食。のんべんだらりタイム。NHKを観る。

T字帯(手術後に着けるふんどしです)を買いに行き、戻ってから風呂に行く。

昼過ぎにコルセットを取りに1Fへ。

ベッドで横になっていると、医者が10人くらいやってきて、病状を聞かれる。
バカそうな医学生が多分一番偉いであろうという人に質問をされしどろもどろになっている。

15時半、明日の手術の説明を受ける。

少しも緊張感が無い。これでよいのだろうか。

そして消灯を迎え、午前0時より絶飲食となる。

あー麺、が食いたい。


2002年10月01日(火) 入院生活八日目

いつもの時間に起き、朝食を食べ、顔を洗い、歯を磨く。
日本列島には台風21号が接近中で、雨が恐ろしく降っていた。

昼過ぎまで何も無い時間を貪っている俺に一本のメールが入る。

昼ドラ仲間のシ○ヒさんである(どんな仲間やねん)
昼過ぎに時間が良ければ見舞いに来てくれるというのだ。
こんな悪天候なのに・・・。

14時30分に玄関で待ち合わせ、2階の喫茶に行く。
「真珠夫人」のノベライズを借りる。
ゼリーを頂く。気を遣わせて申し訳ないです。恐縮です。
いただきます。いただきました。

小1時間ほど病気の話、病院の話、正露丸の話、映画の話をする。

そして玄関までお見送り。


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