「人間」菅井優児
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2002年05月27日(月) 本当は26日の話

昨日の話でスマン。

渋谷DESEOでライブという事で、アコギ一本を抱えて新幹線に乗った。

少し早く着いてしまったので渋谷の街をブラブラしようと思ったけれど、
ギターが邪魔だったのでさっさと会場に向かった。

リハ前に近所のレストランで安い昼食を済ませ、散歩。雨が降って来た。

突然の夕立。近くで落ちるカミナリ。山手線で飛込みがあったらしく、電車が止まっている。

俺の心は今年の1月下旬にタイムスリップしていた。

初めての渋谷DESEOのライブ。年末より気にかかるショウタの進退。
どしゃ降りの雨に、靴下までずぶ濡れの足元。
つまらない対バンとあがらないテンション。

今、この雨の中で俺は一人で、煙草を無くしてしまった。

前売・当日合わせて3人のお客さんが俺を目当てに来てくれた。

何か色んなもんが無くなってしまったけど、俺の歌は確かにその瞬間、東京の渋谷に存在した。

安心した。心配した。楽しかった。辛かった。

様々な感情を胸に抱え込んで、名古屋に帰る。

その新幹線の車内で俺は隣のお姉さんにウーロン茶をひっかけてしまった。

烏龍・・・。


2002年05月26日(日) 原付を買う

原付の免許を取得し無事ビデオの会員証を作ったものの、権利を得ると施行したくなるのが人間の当然の心理。

原付が欲しくなった。

かといって、ミッションのバイクは既に1台破壊済み(友人の)だし、
スクーターもヤンキーが乗っているイメージが強かったのでこれといって欲しいものが無かった。

ある日、バイト先の友人がモンキーを勧めてきた。
少し古いタイプで、セミオートマという特殊なものらしい。(原理はよー分からん)
これなら俺でも乗れると聞いたので、その当時使っていたフェンダーのムスタングと交換した。
(今考えるともの凄い勿体無い・・・)

そして自転車に代わる移動手段として原付を手に入れた俺は、バイトに行く時もコンビニ行く時もモンキーに乗った。
似合わないヘルメットを被り、少々照れ臭い気持ち80%で初めての車道デビューだった。

そうした時も長くは続かなかった。

バイトに向かう途中、大きな交差点で右折をしようとした時に突然モンキーがエンストし、動かなくなった。
その途端、俺は重い鉄屑を抱えた一歩行者に成り果て点滅する横断歩道を早足で渡り、歩道に向かった。

その後も40キロ以上のスピードで車体が思い切りぶれる、
マフラーに穴が開いていてエンジンを掛ける時に近所迷惑になるので家より50メートル離れてから掛ける等、
様々な問題が生じ始めた。

なによりも自転車よりも時間がかかる事が一番のネックだった。

3ヶ月もするとモンキーにはすっかり乗らなくなり、俺の移動手段は再び自転車になった。
埃を被った鉄の猿はどこかさみしそうだった。

その後、猿は友達に引き取られていった。

最近になって、モンキーが恋しくなる事がままある。
またいつか「モトラ」なんぞを買って、ノーヘルで近所を乗り回してみたい。


2002年05月25日(土) 原付

俺は大学生の時に原付の免許を取りにいった。

大学生くらいなら自動車の免許を取りにいけよ、と思う人が殆どだろうが早くても1ヶ月かかる講習が面倒だったのだ。それに車を買う余裕も無いし、大学やバイト先までの交通手段は地下鉄やバス、自転車で事足りていたからである。

その点、原付は筆記試験に受かれば数時間の実習を受けるだけでその日に免許証がもらえるのである。

というか別に原付も乗りたいわけではなかった。高校生の頃、友人の原付を2台破壊した自分にとってエンジンのついた乗り物は一生縁の無いものと思っていた。

では何故乗りもしない原付の免許を取ったか?

レンタルビデオの会員証を作る際に身元を証明するものが必要となる。
俺は保険証でそれを作っていた。しかし、20歳を過ぎても保険証でしか身元を証明できない自分が恥ずかしく思えてきた。さすがにビデオの会員証ごときでパスポートを見せるわけにもいかない。

免許が欲しい・・・。

そして2日にも及ぶ猛勉強の末、見事に原付の免許を取得した俺は喜び勇んで新しいビデオ屋で会員証を作った。

つづく


2002年05月22日(水) ある晴れた昼下がり

ハートランドの街頭テレビの企画で約10ヶ月の間、色々な事をしてきたけれど、今日はその集大成とも言える「罰ゲーム」の撮影の為、犬山モンキーパークに行った。

昼過ぎにハートランドを出発。
斎藤夫妻とは現地で落ち合う事になっており、近隣に住む夫妻は先に行って夫婦水入らずの時を満喫していた。

本来ならば、俺の大嫌いなお化け屋敷に入るだけだったけれど、斎藤さんの粋な計らいでフリーパスポートを奢ってもらい、施設のアトラクションを全部制覇するという企画に変更になった。

まずは子供が喜びそうなキャラクター系のたるい乗り物を2〜3種類制覇。

コーヒーカップを回し過ぎて自爆。
昼に喰ったダブルチーズバーガーが逆流するイメージ。

数百個のゴムボールが敷き詰められた子供向けの施設に特別に入れてくれる事になったので、斎藤夫妻3人で入り遊ぶ。

「大魔境」というちょっぴり怖い系の館に入る。もう2度と入らん(怒)

筒状の壁がぐるぐる回る部屋に入り、平衡感覚が崩れる。

ジェットコースター3種制覇。絶叫系は全然平気だけど、一番緩い「モンキーコースター」に乗った際、ドアに脇腹を思い切りぶつける。ベリー痛ぇ。

「スプラッシュマウンテン」のパクリのようなのに乗った時点で、帰りたい気持ちがピークに達する。

観覧車を斎藤夫妻と乗る。束の間の休息&人生相談タイム。

ゴーカートで斎藤夫妻と競り合う。

そして、閉園ギリギリにメインのお化け屋敷に行く。
先にスタッフの畑中君(ハッチ、チャンプ、尾崎)が何かを書いた紙を施設内のどこかに貼り、そこに言葉は何なのかを当てるという趣向。

そのお化け屋敷はゴンドラに乗って、勝手に進むやつなので目を閉じて耳を塞げば平穏無事に終わる事が出来るのだが、メモの内容を見なければならない以上、目を開けてなければならない。ベリー怖ぇ。

かくして俺はその言葉を当てる事が出来たのか?詳しくは6月3日より始まるハートランドテレビを参照・・・。(遠方の方はわかんないかも)

お化け屋敷を出る頃にはお客の姿は無く、スタッフの人達も後片付けをし始めていた。
我々も最後のアトラクションダンボのモノレールみたいなのに乗って、出口に向かう。

3時間で29ものアトラクションを制覇!
通常の料金で換算すると8,300円!!
フリーパスポートは2,600円(斎藤さんありがとう)なので・・・
5,700円も得した!!!・・・のか!?

おそらくこの先の人生で一日でこんなに遊園地を満喫するのは無いと思います。

ありがとう!ハートランド!
ありがとう!犬山モンキーパーク!

そして帰宅後はベリー腹へって、ご飯を4杯おかわりした。

THE END


2002年05月20日(月) 漫ろ歩き

腰痛を予防するのに一番効果的なのは、適度な運動。
普段から近くへ行くのにも車を使うようになった自分にとってはつい忘れがちな事。
免許が無いあの頃に戻るべく、散歩する事にした。(さいわい暇ですから)

まずは郵便局に行き残高を確認。未だ振り込まれるべきお金が入っていないのでむかつく。

その後、新瑞のエイデンに向かう。
途中、本屋に寄り立ち読みをする。20分ぐらいして店主が近づき「もうそろそろ・・・」と言ってきたので店を出る。

ブックオフに寄り、また立ち読み。

エイデン到着。
プリンターコーナーにて物色。
パソコンのピンボールゲームに熱中する中学の同級生を発見。
「こんな昼間から仕事はどうした?」と聞こうと思ったが、自分がそんな事を言える立場ではないし、そんなに親しい仲でも無かったので会わなかった事にする。

その後、ユニーの4階にある100円ショップへ。
コルクのボードを探したが、無い。
3階の文房具売り場で購入。

家に帰り、コルクボードを取り付ける壁に釘を打つ。
母親が心配そうに見つめている。
(壁、大丈夫かしら・・・)
コルクボードに以前友人から貰った流木を取り付ける。(「流木」という曲のあれね)
そこにMRIの予約表・写真・フランスの友人からの絵葉書・結婚式の招待状etcを貼る。

以前から大事な書類をなくしてしまう自分にとってこれは画期的。


2002年05月17日(金) クリエイティブの日々

スタジオにてバンド練習後、個人練習として1時間スタジオに入る。

新曲がどんどん出来てきてる。

「最愛の人」と「drive with my devil」をアコギ一本で録音。

アコギ一本で結構鳥肌もんなのに、バンドアレンジになったら気絶するんではないだろうか・・・俺がね。

というわけで、独りぼっちの俺を心配してくれてる方、ご安心下さい。

菅井優児、もといサンセットは大丈夫です!
そして自分の作品に卒倒し続け、死んでしまうまで曲を書き続けます。

それを確かめるのはこれを見てるあなたです。 ハラショー!


2002年05月16日(木) 信じる力

サンセットレコード、2名脱退。残されたオリジナルメンバーは俺だけです。

それぞれ音楽性にずれが生じたというのもありますが、そこは人間。
それ以外の要因が無いと言えば嘘になります。
ただ、今改めてそこは伝えるべきことではないので割愛させていただきました。

奇麗事だけではすまんのよ。他人と他人が付き合っていく場合。

とまぁ、最近はバンド周辺や身の回りがドタバタしていますが、そこで凹んでいるわけにはいかんのです。
人の頭には天使と悪魔が住んでいて、悪魔は悪い考えを運んできますが、それを拒む力がないといかんのです。
悪魔は決して死なないけれど、いつでも戦えるように力を蓄えなくてはいかんのです。

自分と大切な人を信じる力があれば大丈夫です。
少なくとも俺はそう思うようにしてます。

「悲しみは最高のメロディメイカー」

と俺は歌っているんですけど、これは真実です。
今の俺はもの凄くナーバスで傷心なんだけど、そういう時は決まって良質の曲や詩がどんどん出来ています。
そういうジレンマに苛まされながら、今日も俺の創作活動は順調です。

これも因果、かな。

追伸

HPに脱退のお知らせをUPした後、ショウタに久しぶりに電話をしました。
ショウタは笑っていたので、俺も笑った。今度手伝って、と言ったら快諾してくれた。


2002年05月14日(火) お掃除

部屋が非常に汚く、いるだけで気が滅入ってきたので掃除をする。

3時間後、終了。

綺麗な部屋を見たのは何ヶ月ぶりだろうか。

この景色を目に焼き付けておこう。

またいつ見れるかわからないこの美しい部屋を。

てんで、汗まみれの体をシャワーで洗い流し、爽快感を得る。


2002年05月12日(日) パパパパパ・・・

昼頃うめから電話があり、ビリヤードをする事になった。

先に着いたので、ゲーセンで遊んでたら500円も使ってしまった。

菅くんとうめが到着し、ビリヤードに興じる。
酒井TRAPのS氏も合流し、いい汗をかく。

その後、ファミレスでまったりとする。

夜より、伏見のハートランドで行われるパンプキンのワンマンを観に行くため、別れる。

ワンマンが終わり、またもやまったりする。

その後、覚王山やぶやでまったりどころかグッタリ。

もんちゃんは目を開けたまま眠り、ミッキーはライブよりも元気だった。


2002年05月10日(金) 後藤

以前勤めていた老人ホームの施設長の名前である。

常に自分の考えがしっかりしており、よく叱られていた。

怒られるのが嫌で顔色を伺いながら仕事をし、信用を取り戻そうとした行動も裏目に出てしまい、一時はノイローゼになりかけて食事も喉を通らなくて体重が7キロ減った。

俺が自分のやりたい事のために仕事を辞める時も、年齢やその他諸々の事で色々気にかけて引き止めていたが、単に人手が足りなかったのか、本当に俺の事を親身に思ってくれていたのかは分からない。

多分、両方だったと思う。そう信じたい。

社会人として、あの人には色々教わった。
時は良き見本、ある時は反面教師として。

そして今ではある程度の困難にも耐える精神力が身についた。

社会人の経験がない人には多分わかるまい。

そして5月10日や510という連番を見ると、あの人を思い出す。


2002年05月09日(木) ミスチル

某HPの掲示板で、4日のeiのコメントが書かれていた。

俺の声はミスチルの桜井に似ているらしい。

バンドを始めた頃はよくそういう事を言われて「違わい!」と文句を垂れていたのだが、今は「あっそうすか」としか思わない。

その人その人で捉え方が違うのは当たり前だし。

自分なりに考えた。
声質もそう遠くはないし、なによりも出ないくせに無理矢理その音程を出そうとして、やっぱり出なかった(笑)というのが似ているんではないか?

こういう事を書くとミスチルファンからクレームきそうだし・・・。

うんにゃ、ここは俺の日記だ!何書こうが俺の勝手だ!!文句あんのか!!!

と、見えない敵に吠えて。


2002年05月08日(水) 最愛の人

最愛の人に会いに行く。

工事中の国道22号線の渋滞に気が狂いそうになりながら。

場所がわからずにウロウロしてある建物で聞こうと思ったらそこが目的の場所だった。

最愛の人は普段仕事でしかしてない眼鏡を掛けていた。

最愛の人が泣いた。

俺は全てを受け止めよう。

俺は祈りを捧げる時に、神じゃない誰かの事を思う。

亡き祖父母だ。

俺は割と幸運な人間だ。

悪い考えを振り払うために車のスピードを上げる。

ジンクスを人一倍気にする。

真夜中のドライブの目指す先はまだ来ない夜明け。

俺は君を愛している。


2002年05月06日(月) 混沌とケイオス

四日市ケイオスに向かうべく、昼過ぎに自宅を出発。

23号線沿いのサークルKにて飲み物を買おうと思い、車を停めると同じ色・車種のオペルが止まっていたので、なるべく遠くに停める。

店内で物色をしていると、突然店員が話し掛けてきた。

どうやらオペルのオーナーらしい。
色々聞かれたが、車の事は詳しくないし、何よりその人の口が臭い。

早々に話を切り上げて、コーヒーと菓子パンを買って店を出る。

入り時間よりも1時間以上前に到着したので、近くのクリエに入る。

15時過ぎよりリハーサルスタート。
ギターの音が何かおかしい。

リハ終了後、四日市市街をブラブラ。
前方より江口・内田両君と遭遇。

ロッテリアに行き、昼飯を買う。

キクチに入り、眼鏡を洗ってもらう。

本番スタート。

本番終了(笑)

自分の中では全然納得行かない出来で、プスプスしていたがみんな今日は良かったと言っていたので、嬉しいような悲しいような。

その後、入り口の近くでマイスガーとセルフカラーの人と話をする。
今日の事は日記に付けてねと言われたのでそうした。これからも宜しく。

そして打ち上げにて四日市名物(?)の「おじさん」を見て爆笑。

名四国道を弾丸のように走って帰宅。




2002年05月04日(土) 江井

目が覚めると天気は曇り空。

今日は若宮でeiのライブ。

13時頃に現地に到着し、寒くなったので大須の商店街に行きうどん屋に入る。

15時過ぎにライブスタート。

・波
・セプテンバーセブンスター
・もうひとつの日曜日
・USELESS DAYS
・鳥
・首都高ドライブ

上はセットリスト。

終了後、ダイエーの石橋楽器に行ってお茶をして帰宅。


2002年05月03日(金) おっぺけペー

今日はヘルニア(直訳:地獄に近い人)の手術を受けるため、伏見にある病院に9時頃行く。

しばらくして、名前を呼ばれて狭い個室に通された。

「パジャマに着替えていて下さい。すぐ始めますので」と言われてロッカーを開けたら、何も入ってなくてずっとパンツ一丁でいた。

パンツ一丁のいでたちで看護婦さんを呼び止め、無事にパジャマをGET。

手術スターーーーート!!

局部麻酔を背骨の右側に打たれた。
痛かったけど、以前打ったブロック注射に比べればマシだ。

初めての手術だ。オペヴァージンの俺はドキドキしながら、処女喪失の瞬間を待った。

「まだですか?」
「いや、もう入ってます」

騙されているんでは?と思うほど、痛みも無くストロー状の金属ちゃんは俺の背中にブッ刺さっている。

「今からレーザーで焼き切りますから、熱くなったらいってね」

次の瞬間、右足つま先に焼けるような感覚が!

「あつあつあつ!」

不思議な現象に驚きと同時に笑いがこみ上げてきた。

「これ、焦げてる匂いするでしょ?」

と言って、さっきまで俺の背中に入っていたファイバーを鼻に近づけてきた。
焼き鳥の匂いだ。

そうこうしている間に手術は無事終了。

再び個室に戻り、少し休む。

40分ほどして先生が入ってきて、もう帰っていいとの事。

人によって治る早さが違うようで、1ヶ月たったらまた来いと言われた。

じゃぁ、また来てやると言い、帰宅。



2002年05月01日(水) 花火でPON

朝、土木事務所へ行く。
もちの木の場所取りの為。

見事取れました。

その後、MOSに行く。酒井さん達とビリヤードに行く。

夜、マキちゃん家に行く。
もんちゃん、ちかちゃん、かんくん、うめと花火をする。

ローソンに行くと河合君が働いていた。

色々話すうちに、朝が来る。

帰宅。

最近、日記を見た人から「スガイさんは普段何をやっているのだ?」という質問を受けるが、見てのとおりだ。馬鹿者。


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