徒然なるままに…
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少し前から井上ひさしと平田オリザの対談『話し言葉の日本語』(2003、小学館)を読んでいる。 (ご飯を食べる時にちょこちょこ読んでいるのでなかなか読み終わらないんだけど。) 割と最近出た平田オリザ著の新書を立ち読みしたり、この人の講演を聞く機会があったりして、という流れで読み始めた本。 言ってることは10年前も今も変わらない。
私の専門と演劇ってつながりがないように思えるけど、言葉を扱うという点で非常に近い。 (非言語も含むから、言葉ではなく「コミュニケーション」と言った方が正確か。) もちろんアプローチは全く違うけど、学ぶところは多い。
ゴーヤが美味しい。 ゴーヤチャンプルーもいいけど、薄切りゴーヤとツナをレモン汁で和えたものがお気に入り。 黒コショウも加えてピリッと。 ゴーヤの苦みが苦手な人には向かないけど、私は好き。
やっと前期の授業が終わったのに、低気圧でものすごく体がだるくて頭が痛い。 すっきりしないなあ。
今年初の桃を食べたら水っぽかった。残念。。。 ちょっと前に食べたもらいもののメロン(贈答用)も水っぽかったし、今年は果物はずれ年?
明日で前期の授業が全て終わる! 授業が終わったらすぐに試験の採点をして成績出して、そしたら研究。 研究に関してやらないといけないことが山積み。 夏休みは単に授業が休みなだけであって、忙しさや精神的プレッシャーは学期中とたいして変わらない。
フィンランドに行っている暇なんてあるのか。。
「迎えに上がります」と言われると、「姫、迎えに上がりますぞ!」と言われた気分になる。 (要はテンションが上がるということか。) 男性が女性に向かって使うと喜ばれる言葉なんではないかと思う。 あくまでも私個人の意見だけど。
スカパラ熱は未だ覚めやらず。 アルバム『Stompin' On DOWN BEAT ALLEY』をエンドレスリピート。 暗夜行路(なんかちょっと気怠い感じが良い)、One Eyed Cobra(カッコイイ!)、美しく燃える森の3曲が特に好き。
私が好意を抱いている人が、同じく私に好意を持ってくれているようで、とても嬉しい。 珍しく同年代(少し上)で学問的にも人間的にも尊敬できる人。 こんなに天然記念物並みに誠実な人は初めて。 たぶん、本当に心が美しい人ってこういう人のことを言うんだ。 大切に、大切にしなければいけない人だ。 こういう気落ちは初めてかもしれない。
おまけにその人の電話番号の最初の6桁が私の番号と一緒! なにやら運命的なものを感じずにはいられない。
ここしばらくまともに寝られなかった。 夜中にどうにも眠くて耐えられなくなって1時間ほど寝て、起きてまた続きをやるという。 それの繰り返し。 学期末なのでやらないといけないことがありすぎて、、、 ようやく峠を越えたようなので、今日はお風呂に浸かってちゃんと寝る。
色々あって、9月にフィンランドに行くことになりそう。 直行便だと往復10万くらいで行ける。 行くならチェコにも寄りたいし、その周辺にも足を伸ばしたい。 一人で行くことになりそうだけど、ご飯だけが唯一にして最大の難点。 外で食べるときに一人だと頼める品数が限られる!人が食べているものを味見できない! 誰かと一緒に行って、基本別行動でご飯時だけ一緒というのが理想的だなあ。 むー、どうしたもんか。
4月に初めて会って以降ほぼ毎週会っていた人と、今日初めてまともに会話した。 女性に対して苦手意識のある人らしく、それプラス、もしかして私、嫌われてる?と思っていた。 研究の話だけだったけど普通に喋れたので、嫌われているわけではないことが分かって安心した。
東京スカパラダイスオーケストラの「美しく燃える森」。 バリトンサックスの谷中敦さんとパーカッションの大森はじめさんが素敵。 トロンボーンの北原雅彦さんも。 なんて言うと、私の好みには一貫性がないと言われてしまう。
七夕の今日は朝から晩まで大阪。 勉強のためだったけど、1日とても面白かった。
何人かの人と喋っていたら、8月末〜9月のセミナーに応募したけど選考から漏れてしまったという人が結構いた。 勉強を始めたばかりの私が参加できることがなんだか申し訳ない感じ。 でも、他の人の分析を見ていると、私の分析の方が明らかにマシ(ま、ドングリの背比べだけど)。 そして自分がこの2ヶ月間、どれほど質の良い教育を受けてきたのかを理解した。 だからこそ、私はセミナーへの参加が許可されたんだろうと思う。 (学習期間ではなく、学習の濃さが選考の際のひとつの基準だったのではないかと思う。) しかしやはり恵まれすぎていて怖い。
でも他の人が私と同じ立場にいたとして、恵まれた機会を活かせるかというと、それはそれで別な気がする。 失礼ながら今日会った人の多くは、固定観念や自分が拠り所とするものから逃れられずに、 事実をありのままに見ることのできない人だった。 (研究者じゃなくて、教育者としての意識が強い人にそういう傾向があるような。偏見かもしれないけど。) そういう人は新しいことを学ぶときにものすごく時間がかかるんだろうなあと思う。 新しいことを学ぶとき、固定観念や先入観を捨てて謙虚になることはとても重要だと思う。 捨てるとまではいかなくても、自分が拠り所とするものをいったん脇に置いて考える。 難しいし、結構勇気のいることだと思うけど。
私は今まで時間をかけて積み重ねてきたものを捨てる(あるいはそれを自ら否定する)覚悟で新しく勉強を始めた。 (結果的に折り合いがついたので捨てなくて済みそうだけど。) それくらいの覚悟で本気で勉強しようという人は、ほんの一握りしかいない(ように見えた)。 そんなもんなのかな。 私には見えていないだけなのかな。 毎週大阪で会う人たちがみんな本気だから、ギャップがありすぎて感覚がマヒしているだけなのかな。
久しぶりに知り合いのアメリカ人に会ったら、坊主頭になっていたので(まあ元々短かったけど) 「ほとんどスキンヘッドね」と言ったら、「触り心地はねずみの毛みたいだよ、触ってみる?」 と返されたので触ってみたら、芝生の感触だった。 「芝生ねえ、まあいいけど」と納得していない様子だったけど、坊主好きの私としては褒め言葉だったんだけどなあ。
最近好きな曲。スカパラのDiamond In Your Heart。 演奏しているおじさまたちがとっても楽しそう。
音楽って聴くのもいいけど、自分で演奏するともっと楽しいんだよなあ。 そして一人じゃなくて他の人と合わせて音楽を作り上げるのはもっともっと楽しいんだよなあ。
結局『塩狩峠』は読み始めたその日のうちに一気に最後まで読んでしまった。 あらすじを一言で言うと、キリスト教に反感を持つ主人公がクリスチャンになり、犠牲の死を遂げるという話。 (ちなみに著者の三浦綾子自身がクリスチャン。) 小説に引用されている以下の聖書の一節が全てを物語る。
「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにてあらん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。」 新約聖書『ヨハネによる福音書』第12章24節
私はキリスト教系(プロテスタント)の高校に通っていたけど、クリスチャンではない。 (校内に教会はあったけど宗教の授業はなかったので、キリスト教についてもたいして知らない。) けれども、クリスチャンの精神や生き方は割とよく理解できる。 自分の生き方や考え方と重なる部分が結構あるから。 そういう部分は、人から見れば「ストイック」と形容されるんだろう。 (もちろん私は全てにおいてストイックなわけじゃない。だらしない部分もあるし、俗っぽい部分もある。)
でも、熱心な信者が自らの貫くべき信念を人(神?)任せにすることが私には理解できない。 自分の信念に従ってストイックに生きるのに、宗教心はいらないんじゃないか。 (ゆるい宗教心なら、道徳的な基盤になるからあっても良いと思うけど。)
色々書いたけど、小説自体はとても面白かった。
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