みやにっき
詩人を名乗ることにした。

2004年06月27日(日) ポケットに鍵がある。家と,部屋と

前回日記書いてから今回までにあったこと。

○プール楽しいけど筋肉痛。

○学校公開に関する仕事の数々,数々。うおーっっどわーっっという感じの。
 なんか文化祭の準備みたいだったよ。
 うちのチーフがあまりに仕事しないので,ついに一番上から直接お叱りを受けていた。
 自業自得である。
 そのあとで,上の人間が見ていないようなとこでやはりさぼっていて,
 僕はこの人を軽蔑してもいいなあとしみじみと思った。
 大きな絵を描いたり貼ったりして楽しかった。やっぱ文化祭みたいだ。

○学校公開。
 外部の声を聞き,いろいろと思うところ多々。
 指摘されるべき,今回の研究の理論の脆弱な部分をいろいろと指摘されたので,
 「そこが問題」と思っていた自分の問題意識にちょっと自信をもってみたり。
 理不尽ではない指摘をされたときというのは,いっそ爽快なものだなあと思う。
 「そこに気付いてくれて嬉しい」というような。
 問題の解答というものは,必然の現象として,こちら側が能動的に導きだすものだ。
 以前同じ職場で一緒に仕事をした,懐かしい面々がたくさん見に来てくれた。
 なんだか同窓会みたいだ。
 しかし第一声が「あれっ,君,太った?」というのはどうなんだ!おろろーん!!

○去年のチームのチーフと,公開の打ち上げさぼってお食事会。
 職場の人間の質の低下について。
 その状況の中で互いがいかに有効に機能できるかという今後の動きについて。
 あと,日常を生きることのさいわいについて。
 ごはんおごってもらったー。わーい。

そんな感じ。
とりあえず,公開という大物が終わりました。
あとは通信表とー,個別指導計画とー,宿泊学習とー…。
とー…。



週末,実家に帰って学んだ数々の出来事。

・実家までの道は高速道路を使えば片道4時間→2時間ちょいまで短縮できる。
 苦手な松林も通らずに行くことができる。
 でも疲れる。あとお金かかる。よしあし。うーむ。
 瞬間時速は150くらい。

・『ガラクタ通りのステイン』は,食事中に見てはいけない。
 ポピーより流血量は減ったが,なんだろう,この,見てはいけないものを見た感じ。
 主人公が「33歳無職の路上生活者」ってあたりがいけないんじゃないだろうか。
 とりあえず,主題歌がとてもよいので探して買うと思う。

・五連の言うことを信用するな!
 「今日は実家に帰らないで,自分の部屋に帰るよ…バイトあるし…」
 て電話で言ってたのはどこの誰だ!
 「じゃっじゃーん」とか言って平気で帰ってきやがって!!!
 は,はらじゅくで買ったとかいうふぁすなーいっぱいの服とか着やがって!!!(可愛い)
 おおおおねえちゃん本気でびっくりしました。あと嬉しかった。

・僕は自分の妹を誇りに思っている。
 妹スナヲが,修道生活から帰ってきた。8ヶ月。
 自分で出会い,気付き,選んで,帰ってきた。
 彼女はそれを丁寧に話し,僕はそれを一生懸命聞いた。
 たくさん,思う。
 僕は善悪や正しさと関係のない次元で,君が君の選択をしたことを信じる。
 君のおねいちゃんであることを誇りに思っている。

・BLUEは人類の最終兵器かもしれない。
 馬鹿飲み物大好きな兄様は,もちろん,BLUEは試しているのであります。
 しかも今回,ステキなことに,硫酸銅色なゼリーまでこさえてくださいました。
 青い。
 甘い。
 煮立てたので炭酸のかけらもないので甘い甘い青い甘い甘い甘い青い!
 でもまあ,なんだか普通の味と言えなくもなかったです。
 食べた後のお皿見たら,青く染まってたんですけど。見なかったことにします。

・気の合う仲間と共同作業の計画を練ることに勝る娯楽なし!
 いやー,楽しい楽しい。
 別サイトの運営について,五連,スナヲと検討。
 へこんだり討議したり提案したり折衷案を探したり,うーん楽しい。
 前へー行こうー僕たちー。

・じゃがいもという奴はかなりの拡大総生産だ。
 母の大事にしている,借りている農園の世話をしにいく。
 じゃがいもの収穫。
 ひとうねを掘り起こし,バケツ三杯の収穫。すげ。でけ!
 じゃがいもを作るようになって,飢える人が急激に減ったというのは納得がいきます。
 あと,じゃがいもにも実がなり種が取れるということを今更知りました。
 当たり前だが,青いトマトみたいな実だったよ。これは色がつくんかなあ?

・HDD活用は慎重に。
 自分のPCの内部が音楽データその他でいっぱいになってきたので,HDDを増設したい。
 内部に入れるか,外付けにするか,いっそポータブルにするか?
 久しぶりに愛機『白猫』の腹を開く時か!!
 春に貰ったDVDドライブも取り付けてねーや。あわわ。
 ヨドバシでしばし悩んできました。ボーナスに期待。

・眠い時は,明るい場所で寝れ。
 五連・スナヲと一晩しゃべり倒してほとんど寝ていなかったので,帰りの道中はとても眠かった。
 車をあちこちに寄せては仮眠する。
 仮眠どころとしては道の駅を選ぶ人が多いかとは思われるのですが,
 僕は一応女の子なので,暗い駐車場ではなく,コンビニ駐車場とかで寝ます。
 夜の道の駅なんて,「暗い」「広い」「ひとけない」「近くに人家もない」と,なかなか。
 星を眺めるにはいいのですけれども。

たくさん,賢くなりました。
人生にはたくさんの経験が必要です。
ちなみに四十九日というやつでした。
うちはクリスチャンなので関係がないけど。ケーキを食べた。おいしいお茶と。


今日は星が見えませんでした。
僕はちょっとうつむきながら,走って,走って,走って。
けして大げさにはせず,自分の感受性を守ることは,僕はよいことだと思う。
大きな声で言いふらす必要は少しもない。
かなしいうれしいたのしいくるしいことそれを感じられること感じられないこと,何もかも。
自分はそうなんだよ!と,人に言い聞かせ説き伏せる必要は少しもない。
自分で自分を,静かに,知っていればいい。
ああ僕はこうなんだなあ,と,静かに。
自分の足跡と,立ち位置と,視線の先を,静かに知っていればいい。
静かに。
ああよくありたい。
ああ,よく,ありたい。



2004年06月22日(火) BLUEと雨こんこ

何か,事態はとりあえずの収束に向いつつあるような様子。
今週末に向けて仕事,家族,友人とも何か大きく動く,ような予感。
来週の自分というものがイメージできていないぞ。
おいおい,続いていかねばなんねんだよ日々は!
「とりあえず今日は休ませてえ〜」と言いたいのをぐっと我慢の子!

台風が僕の脳天を掠めてそのうちにとけていった。
あんまりに雨が降るので,車でちょっと走ってみた。
ガラスにバツバツ当たるのが「痛い!痛い!」で。
少しは車が綺麗になったろうか。
「あははははははははははははははははっははははははははは」
と爆笑しながら深夜の暴風雨を爆走。
怖いよ自分。
んでコンビニで食パン買って帰りました。まる。

今日は晴れ。
プールに入ったり。
僕の住む街は余計なものが何もありゃしないので,星が綺麗だ。
天の川が見える。
天の川を横切る,白鳥の十字が見えたよ。

どーでもいいこと。
ぺぷしの新しい飲料『BLUE』。
飲みました,よ。
色がインクを溶かしたようでなんだか嬉しい。
駄菓子を食べる時のどきどきと同じ感じ。
くず瑪瑙やらビー球やらおはじきやらをこっそりと口に含んでみるような。
(要するに青は食品の色じゃーねー)
んでもって味。
コーラっぽく甘い。
でもコーラのような苦味はない。
後味の合成甘味料っぽさが,飲み進めるだに舌に残る。
飲めば飲むほど残る。
ああああああああああ駄菓子っぽい!!
こうなってくるともう,一番の失敗は,普通のペットボトルでこさえてしまったという点ではなかろうか。
いっそ駄菓子っぷりを発揮し,妙な容器に入れてみるというのはどうだ。
例えばフラスコ型とか,すんげ萌えるような気がするんですけど。



2004年06月19日(土) 愚鈍な祈り

僕の好きな人が悲しんでいる。
つい自分の手を見て,「ごめんなさい」と思う。
「何かできると思うのがおこがましいのだ」などと考えている余地はない。
いま現実に,あの人は悲しんでいる。
神様,僕を平和の道具にしてください。
どうか何か機能させてください。
己のなすべきがわかってなすべきをなせますように。
どうか僕をそのように使ってくださいって,思う。
偽善者って言われてもいい。
僕はその単語の百倍祈ろう。
祈りは,祈りの専門家がするための特別な道具ではない。
なりふりを構えない僕は,きっと,酷く惨めなのだろうけれど。
でも,ただ,ただ。
僕の大事な人を困らせる人悲しませる人を,僕は,百ぺん殴ってやりたい。
愚鈍だ。愚鈍だが僕は。愚鈍だが僕はなんだか一生懸命に愛する。
どうかあのひとを守ってください。
どうか僕を機能させてください。
傷ついて手放そうとしている,僕は,その手を,
せかいは,
ねえ,僕はここにいるからどうか手をとって
うそだ うそだ うそだ
じゅうろくで死ぬなんてうそだ
ああそれは少年らしい悩みだよねって 話したりしてたんだ
そういう時期たしかにあるよって 話したりしてたんだ
時が解決するなんて言わないでいられてそれだけは後悔しないで済む
大人になればわかるよ て 言わないでいられてよかった
ごめんね
ごめんね
僕は死ななかった だから君も死なないと思ってた
世界は変わらずに永遠に続いていくと信じていた
ずっとずっとみんな変わらずにここにあるものだと思っていた

目の前の人が,いま,
僕は失うわけにはいかない
どんなエゴだって,僕は,そう,相手を,百ぺん殴ってもいいんだ
馬鹿みたいに
馬鹿みたいに必死に,あの人のために機能したい
そういう時期ってあるよって切り捨てたりしないで ただ ただ
守りたいとか役に立ちたいなんて望んだりしない
自分がそうして得るものとかどうでもいいから だから どうか
どうか機能させてください
どうか どうかかみさま
僕は,これから何ができますか
どうか機能させてください
どうか機能させてください



と,一人で盛り上がっている。
眠れないまま,夜が明けようとしている。



この一週間はなんだかとても忙しかったです。
有能に働く自分の手足がいとおしくてならない。
相変わらず帰宅時間が遅くて自炊ができないのが難ですが。

身内について重要な決定。
僕はどう動けば一番いいだろう。
とりあえずあと一週間あるから,じっくり考える。
これ以上,傷つけるような余計な言葉が振りまかれませんように。
僕は,何か,できますように。

元気だしてなんて言えん。
それは僕がココロの中で真摯に祈るべきものだ。
どうか元気がでるようになりますようにって。
「元気だして」なんて,相手に指示のように言うことじゃーない。
「元気が出なくてごめんなさい,ちゃんとできなくてごめんなさい」と自分を責めたことがあるかい。

ましてや「そんな時代あるよ」なんては!
あるいは「もっと頑張っている人がいるのだから」なんては!!
あまつさえ「僕ならもっと」なんては!!!

ああよっぽど,自分がそれを言われた記憶が強いのらしい。
いま痛みの中にあって,その言葉ばかりが記憶に甦る。
ああ今はそれを痛む時ではなく,感謝する時だ。
それを言っていなくてよかった,よかった,と,呪文のように自分に言い聞かせている。



2004年06月14日(月) めがみえることについてのざっかん

今日はちゃんと仕事に行きましたですよ。
さっそくいっぱい役に立ってきたですよ。
んでもってお小言もいっぱい言われてきたですよ。
小言を言われつつも,僕がいないと回らない仕事が大量にあるので,
過剰に追い詰められはしないということがわかった。
「仕事ができる」ということは,十分,僕の身を守る。
いやらしいかもしれないがそれは事実だということがわかった。
まあ,ぼちぼち頑張る。

水浸しになりつつ,壮絶に砂遊びを行った。
子供たちが泥だらけになったので,アタマっから水ぶっかけたぜ。
ああー暑い日でした!暑い日でした!
楽しかったー。

児童相談所の職員との面談とか。
チーフと上司とが立ち会っての面談だったわけなのだけど。
僕がしゃべる時だけ,相手方が筆記用具を持つのが面白かったです。
あとは公開研究会の学部の研究発表の発表原稿の作成を,
何故僕がやっているのかよくわからにゃい。
まあ,役に立つのはよいことです。

一個一個が長くかかる仕事だったので,これだけで一日が終了。
あとはコンビニで恐怖漫画を立ち読みしてみたりしました。
同人漫画みたいなクオリティーだなーなどと感想を。

いとしきみへ,を,結構見ている。
主人公2人はわりとどうでもよくて,その親役の2人が好き。
目がこれから見えなくなることがわかったとしたらどうしようかなあ。
視力は下がる一方ではあるけれども。
なんだかんだ泣き言を言ってみたところで,僕は,わりかしに健康だ。
身体的にも精神的にもすこやかだ。
慢性的に疲れてはいるけれど。
本当にしんどかったことなど,実際,ないのかもしれない。

ああ違う。
しんどかったことはそれなりにたくさんあるけれども。
別に今現在,不幸ではないのだ。

僕は以前,「シアワセかフシアワセかは自分の思いが決める」というのを,
「つらいかつらくないかは自分の思いが決める」だと思い込んでいて,
自分は自分に甘いからつらいと感じてしまうのだ,痛いと感じてしまうのだ,と
自分をしきりに責めていたものでした。
今でもその癖は直っていなくて,よく堂々巡りの自己嫌悪に陥ってますが。
んでも「しあわせかふしあわせか」を自分で決めるのはなんだかできるようになってきた気がします。
つらいし,しんどいし,痛いんだけれども。
でも別にそれが不幸というわけではないのだとわかってきたのでした。
じゃあ「不幸」ってなんだろう。
なんだろう。
なんだろう。

よくわかんないけど今日の雑感としては,
ものがみえないというのは,きっと,しあわせじゃないと思う。
視力の問題ではなく。
目の前のできごとがなんで起こっているのかが理解できないという状態。
目の前の人がどうしてそのような反応をしているのかが理解できないという状態。
自分がどうしてそういう反応,感情の動きをするのかが理解できないという状態。
それが気になる,みえることを,反対に不幸とする動きもないではない。
「そういう細かいこと気にしてて疲れない?」という例のアレだ。
でも僕は,これでいいわい。
疲れるけど,僕は。
いいや。

きっと他にもいろいろ,考えてみればあるのかも。
まあ今日のところはそんな雑感程度で。
目が見えなくなっていくとしたらどうしよう。
花を踏んでも気づかないのは,きっと,かなしいから,
僕は,目が見える方がいいなあ。
踏んじゃったのに気づいたらきっとかなしい。
ならいっそ気づかないで,必要に追われてさかさか歩いてた方がいいか。
後からひとに「踏んでたよ」て言われたら赤面する。
自分なりに気を使ってるつもりだから,言われてきっとすんごく傷つく。
ならいっそ「あの人は見えないのだから」って気遣われて言われないがいいか。
僕は,
心眼を鍛えて見えるようにするって,なかばやけになって思う。
んなの無理かー。
きっと,「踏んじゃうー」てめそめそ泣きながら,足先でさぐって歩く。
踏んだのがかなしくて
踏むかもしれないことがかなしくて
踏んでもしょうがないじゃんって逆ギレする自分がかなしくて
いつかそれらにさえも慣れていく自分がかなしくて
きっと,めそめそと泣く。
疲れるだろうけど。
いいや。

僕は正しくはないけれども。
不幸でも,ないです。

とまあ,いとしきみへを見ながら考えたりしました。
たかがドラマといえども,物を考えるきっかけになるのは面白いですな。
あいのりを見たりポテチを食べたりしながら仕事をして,寝ます。
あ,風呂。



2004年06月13日(日) なーなななななーなーなーなななーななーなー

実家から帰ってきましたよ。
弟の祭壇には,ノートが置いてあって家族や来訪者が好きに書き込んでよいようになっているのだけど。
いつの間にやら二冊目に突入してました。
早いもんだな。
時間が経つのも,僕たちが書き進めるスピードも。
どこまでいくんだろうな。

金曜日は結局,自分が何をしているのかよくわからない状態でしたよ。
車で爆走してガソリン切れかけで我に帰ってここはどこだー!という。
ぼーっと自分の家に帰りましたが。
いやあね,電池が切れかけた人間ったら。

んで土曜日は台風も過ぎて暑かった。
巨大なペットショップと園芸店をひやかして,苔とガジュマルを入手。
勢いで買ってしまったけど,苔ってどう扱えばいいのかしら。
ビニルのパックに入っていて,魚の餌みたいな風情だ。
苔やらミニ観葉やらの手引きの本を買ってきた方がいいのかもしらん。
ガジュマルは,「木は枯れにくい」という自分理論のモトに購入。
金柑枯らしたくせに…。

ペットショップの魚コーナの床に,金魚が落ちてました。
死んじゃってんのかしらと見てたら,ぴくんと跳ねるのだよね。
つまんでそばの水槽に放り込んだ。
ほこりがついてたので沈んでいったけど,すぐに息を吹き返して泳いでいた。
魚命救助。
ちょっとどきどきした。
他のをすくった時にうっかりと落としたのかしらん。
あと黄緑のカエルとスッポンモドキが可愛かったです。(小学生の作文)
りすやねずみの類を見ているのがとてもしあわせ。
まだ,家に新しく迎える気持ちにはなれないけれど。

あとなんだっけ。
実家では『塊魂』が面白くて延々やっていたりしましたよ。
なーなななななーなーなーなななーななーなー。
なーなななななーなーなーかたまりだまーしー。
思わず鼻歌も出るくらいに王様が素敵です。
でもなんでだか僕,直進ができません。
あとブレーキができません。
「それでよく免許とったよな」と言われますた。
車のハンドルは丸いもの…ッ!!!(号泣)
王子可愛い。
サントラもダビングさせてもらえたのでごきげんです。

あとあの戦国は嘘だと思う。

めもりあるCDの作成は進んでいるのか進んでないのか微妙です。
曲目リストはすでに,2段組で印刷して8枚になりました。
最終的に何百曲になるんでしょうなー。
あえて,絞ることはしないでおこうと思っています。
グリーフワークって,こういうのを言うんだろうなあ。

以下,のほほんと価値観の把握について書いていたが,消したり。
持論であるところの「言わなくちゃわからない人間は言ってもわからない」というところを貫いてみよう。
自分の理解力不足を相手に補うことを命令してはいけない。
そういう甘えと,人を信頼することの区別をつけていきたい。
自分を律して生きていこうと思う。



2004年06月11日(金) 親愛なる君へ

昨日は仕事を休んでしまいました。
吐くか眠るかというアレなアレで。
気合入れればがんばれるなとは思ったんだけど休みました。

そして今日は仕事をさぼりました。
肉体はそんなに調子が悪いわけではなく,それこそ気合入れれば大丈夫。
しかし人の中に入って普通の顔をして仕事をしようと考えると。
血の気がざーって(音がする)引いて,吐いてしまうのです。

これが四十九日というものか。
これが自分の身において悲しむことのできる余裕というものか。
断片的な眠りの中で,今まで見ないようにしていたいろいろなことが
自動的に思い出されます。
「あの子は天使だったんだよ」
という優しい思いに包まれて柔らかく隠されたいろいろな一瞬。
例えば光景とか台詞,感触とか。

ああだから親愛なる君,僕は本気で心配したりするよ。
「そういう時代ってあるよ」と呑気に構えてたら,あの子は行ってしまった。
だから僕は,大人ですけど,本気で,心配をします。
「それなりの年齢になればわかってくるよ」なんて言えない類の人間。
そういうことを言うのは大人だけれど,ひどく馬鹿な大人だ。
そうやって上から物を言うのは,ひどくひどく馬鹿な大人だ。
「生きたくても生きられない人がいるんだから命を粗末にするな」なんて,
僕に言った人をどうしよう,今でも憎んでいる。
普通の僕たちが,風邪をこじらせて死ぬことだってあるんだ。
普通の僕たちが,転んだ傷がひどく膿むことだってあるんだ。
だから,ねえ,生きていてね。
どうかやすらかにすこやかにいてね。
しあわせがたくさん,ふしあわせはちょっぴり降りますように。
親愛なる君。
僕は祈るから。

と,こんなことを書きながら同時に。
人を憎しむ言葉を書いては消し書いては消ししています。
なんとまあ浅ましい!!
現象としては,心理の動きが,同じような体験ということで記憶を呼び覚ましているのでしょうね。
今痛いから,痛かった記憶が次から次へと甦ってきてしまうのね。
だから今現在僕に憎まれている方々。
首すじのあたりに僕の視線を感じてもやもやするかもしれないけど,
まあそれは有名税にも似たものと思って,そんくらいは我慢しててね。

パンフレット作り及びポスター作りの仕事は,ひと段落つきました。
それこそ官公庁のようなそれなりの出来のものを作ることができ,
個人的に満足しています。
うっふふ,これあ綺麗だなー。
ずいぶんと綺麗だなー。
バランスはぐだぐだなような気もするけど,まあよかろ。
「官公庁のような」は実は重要なポイントだったりします。
つまりは,安心して見られるということ。
それを保障せねばならない仕事ですのよ。
背景画像やらなにやら自作したので,思い出に残る仕事になりました。
その代わり休んでたらもう何もかも台無しだけどね☆

妹が院に帰りました。
なんか秘密のアイテムを持ってったみたいです。
アンテナ伸びたり縮んだりするよね。
いざって時にはビームも出るよね。
お手紙書くー。
君に送り付けたい絵本を見つけたの。
五連と家と僕のとこと,一緒に持っていたい絵本。

山に五連が入山。うひ。
「どこから辿ったのかしらん?」と思ったら,僕のアバターでしたね!
よくぞ見つけたー。

さて,実家に帰るかどうしようか,身の振り方を考えようっと。



2004年06月06日(日) こんな時間に

弟がいなくなってから一ヶ月がたちました
記念というわけではないのですが
彼が好んだ歌や
残ったわたしらの想いを乗せられるような歌を
まとめてみようと思っています
この時間までそのリストを作っていました
好きな曲を思い出せる自分が嬉しくもあり
思い出せない自分がかなしくもあります
多く知っていられてもなおも不安でたまらないのでしょう
生きている生き物なんだなあ

思っています

平気そうな顔をしていると平気と思われるようです
面倒くさいので,そのまま平気ということにしています
「知っていてなおも踏み込んできたこと」
を憎むのはとてもしんどいことです
痛いところを知りながらなおも無邪気に踏む人間を僕は
どうしてもどうしても憎んでしまうから
憎んだら最後,逃げ場のないくらいに攻め立ててしまう自分を知っています
それならばいっそ,
「この人は知らないのだから,何を言っててもしょうがないよね」
と思っていた方がずっとずっと楽で平和な方法だと知っています
人の無知に傷ついているうちは,何も憎まずに済みます
ただ苦笑いをするだけで終わることができます
僕が憎まなければ
傷つけることもありません
ぶつかりあってこその友情とか
そうした無邪気な台詞を信じられるほどの子供ではないです

僕はずるい人間ですか
むしろ,単に優しいだけじゃないかと,思っていますよ
あと自分が傷つくのがいや。
それってそんなに恥じることでもないんじゃないかしらん



友人を許す方法を探している
前提の出来事ではなく,逃げたことに怒っている
憎む条件など欲しくはないの


 <なんだっけ?  まとめて  そんでどう?>


縞田みやぎ [ジコショウカイ] [ジコショウカイその2] [ひとこと] [メェル]

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