『偏愛的猫生活』☆muux

◇登場人(猫)物◇=01年6月頃生の純日本猫♀、竹藪に捨てられていた。
ザジ=02年11月頃生 03年1月21日から同居。Mixアヘ〜猫♂9.2kg
ATU/ダンナ=絵描きになりたかった地質調査技師。ウドンは柔らか目。四国・松山出身
わたし=実は雑踏が大好き。道玄坂の奥がふる里 →<about me>

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万引きは、犯罪です。 2003年01月31日(金)

古本屋で万引きした15歳の少年が、警官が目を離した隙に逃げて、
逃げた方向に踏切があって、電車に轢かれて死んでしまった。
と言う事件があったそうだ。

ところが、その被害にあった古本屋が非難されているという。

Yahooなどを見ると古本屋に味方している意見が結構あって、
少し安心した。

いい加減にしろ!と言いたい。
過剰な母性は(最近は父親も同じだ)、男の子の自立を阻むよ!
万引きは、歴然とした犯罪です。
思春期に罹るハシカみたいな病気ではないです。
償うべき犯罪です。
親は、それをハッキリとさせておくべきだ。

死んでしまったのは残念だけど、
踏切に電車が来るのは予測できることだ。
これは、その子の危険予測能力が育っていなかった。
と言うことではないのか?
親が教えていなかったというのではないか?
猫でも、生まれてすぐから身に付けようとする大事なものを・・・

言い切ってしまえば、そういう人間は遅かれ早かれ、何かの形で
死ぬなり、失敗するなり、怪我するなり、食中毒おこすなりするだろう。

死んでしまったというのは、仕方ないことではないか?
大昔から、人は唐突に命を落としてきたではないか?


事をテレビだけで判断すれば、古本屋は微塵も悪くないと思える。
バカなボ〜っとした警官と、万引き少年との問題ではないかと思える。

でも、警官だって、それ程にボ〜っとしていた訳でもないだろう。
いくつもの事が重なって起こったことなのだ。
たぶん事件や事故というのは、このように、いくつもの事が重なって、
通常だと起こらない展開に陥って起こるのだろう。

まあ、親御さん前にしたり、知り合いだったりしたら
その落胆あまりあるので、わたしも何も言えないんだけど。。。

でも、それは付き合いがあるから言わないのであって
オカシイというのは、変わらない。
面と向かって言う勇気は、ないんだ。
わたしにも・・・


でも、親は、こういう事ハッキリとさせておいて欲しい。
だいたい「誰々が怒るから、やめなさい」なんて躾をしているから
言った人は恨むけど、何が悪いことなのか解らない人間ができてしまう。

おまけに、親も同罪で自分のやってきたことを反省したこともないから
万引きくらいなんだ、としか思っていないんじゃないのか〜?
自分もやったことがあるから、いいじゃないか!というのか〜?
いい加減にしろー!


大事な我が子を不良呼ばわりやめてくれって、言ったって

万引きも、窃盗も、傷害も、殺人も、恐喝も、喫煙も、売春も、麻薬所持も
駐車違反も、飲酒運転も、二人乗りノーヘル原チャリも、
みんな、みんな立派な犯罪や違反なんだからね〜〜〜〜!
わかってんのか〜〜〜〜〜〜!


物事との距離がオカシイ。
仕事して、お金を稼いでと言う行為に対する想像力が欠けている。

何故、親は教えないのだ?
自分の仕事や、物の成り立ち、経済の構造。
時計の仕組み、電気はどこからくるか?
鉄棒から落ちない為には、どんな力が働いているか?

家庭訪問の時になると、あわてて玄関や庭に花を買ってきて植える。
と聞いたことがある。
花は、飾る物で、育てて楽しむ物ではないという。
(イソガシクテ、ソンナコトデキナイワヨ〜)


ちょっと違う話だけどデパートで仕事していた頃、気付いたことがあった。
都心の銀座や池袋のデパートでは経験しなかったことを
郊外店である、町田や青葉台で経験した。

例えば、バーゲン品の返品は、原則的には受け付けていない。
でも、どうしても、というとデパートは、結局返品を受ける。
少なくとも、わたしの知っている範囲では、ねばる人には応じていた。

どういう理由か知らないけど、買って返品して、また買って、
ということを繰り返したいお客さんがいる。
こういうお客さんは、銀座の三越にも池袋の東武にもいた。
こういう人はデパートの飾りみたいなもので、
それ程イヤなことではなかった。

では、何が違うかというと、町田や青葉台では
お客さんが商品を、わざわざ傷付けて返しに来るのだ。

明らかにカミソリのような物で、縫い目を解いたのに
「切れていた」と言ってきたり、
伸び縮みする素材を無理に履いて、伸ばしてしまって
「伸びない」と言ってきたり、
裾上げが済んで返した物に「シミがついた」と言ってきた。
これは、物に対する愛情が微塵も感じられない、
オカシナ事で凄くショックだった。

なにも、品物を傷付けなくても話はできる。
歩み寄って話しかけてくれれば
「本当は要らなかった」でも、大丈夫で、話す余地はある。、
その品物を再び店頭に並べる事もできるのに、
傷付けてしまったら、特に服では、修理の後があっては売れないから、
もうその商品は廃棄するしかなくなる。
なぜ、そう言うことに思いがいかないのか?
なぜ傷付けるのか、今でも不可解だ。

デパートにしろ、ブティックにしろ、量販店にしろ、
生産から、販売まで流通させている物を扱う人たちは
一点一点を管理しながら、とても大切に仕事をしている。

なので、どの段階でも、故意に壊された商品を見るのは、
とてもイヤなもので、わたしだけの感じではないと思う。

この、消費する者と生産、販売する者との間の
意識の距離は相当にあるのだろうか?

この辺を繋げる想像力があれば、
安易な万引きや商品損壊もないだろうに・・・

置いてある品物や、そこにいる店員や、傍にいる警官に
血の通ったものを感じ取ることができていたら、

少年も死なずに済んだのではないですか?
ご両親さま?



夜中の事件 2003年01月30日(木)

一日が無事に終わり、しばらく遊んでいた2匹が静かになった。
マンションは、ドタドタ音が響くので、
夜は静かにさせようと、こっちも必死だ。
夜行性の動物に「夜は静かに!」とはズイブンな事だ。

麦が寝床にもぐり込んできた。
ザジは居間の猫ドームで寝ているのだろう。
よせばいいのに、わたしときたら
ひとりじゃ可哀想かな?と自分のベッドに連れてきた。
そうしたらザジは、どうやってもわたしの布団から飛び出る。
猛然と麦のお腹にもぐり始めた。
どうやらそれは、サイアクの組み合わせだったようで、
大事な寝床に来られて、お腹にもぐり込まれるというのは
麦には、許し難いことだったみたいで、
静かな戦いが始まってしまった。

寝床に手を入れてみると、ザジが組み伏せられて息もできない状態。
もう、こんなでは寝ていられないので、ザジを連れて居間へ移った。
そうすると麦も来る。
様子を窺ってか、猫ドームに入って耳をパタパタさせている。
ザジ、よせばいいのに麦に刃向かっていく。
小さいんだから、もう少し大人しくしていれば麦も怒らないのに
ザジは、ちっとも怯まずに向かっていく。

疲れるのでやらしていたら、じきに収まって
それぞれで寝たみたいだ。

やっぱりザジを寝室へ連れてくるのは間違いだったみたい。
放って置いて寝てしまえばよかったのだった。


麦の変化 2003年01月29日(水)

夜、ATUがまだなので、
床に寝っ転がってテレビを観ていたら、麦が傍に来た。
珍しいことがあるものだ。
わたしのお腹のところをまさぐって
トレーナーの裾に顔をつっこもうとする。
謎の行動。。
オッパイでも探していたのか?
・・・ザジのオッパイ探しを自分でもやってみたくなったみたい。

ATUに言ったら
「猫が疑問持ったり、検証なんかするわけないだろ」と言われた。

まあ、そうかもしれないけど・・・




麦、面倒を見る・・・ 2003年01月27日(月)

麦が、ザジの面倒を見ている。
でも、寝ていてオッパイ探されると、意味が分からなくて噛んでしまう。
ザジも不意を食らって、反撃するから追いかけゴッコが始まる。
ザジを抱っこしたり、肩に乗せても怒らなくなった。
むしろ、ストーブの前が空くので、その隙に陣取りするくらいになった。

ザジはウンコもオシッコもしたまま。
ちっちゃいくせに豪快にも、砂掛けたりしない。
おまけに、ものすごくデカイウンチをする。
麦と同じくらいのをする。それに臭い!
鼻が曲がりそうなくらいで、臭いがずっと残っている。
さすが大物だ。きっと、外猫だったらボスにでも成れる器か。

それを麦が「グルグルーン」といいながら、いっぱい砂掛けてやっている。
ザジが、お腹が悪かった時なんか、自分の事みたいにオロオロしていた。
麦はお腹をこわした経験はない、でもきっと分かるんだろう。
ちなみにザジは、全く我関せずだ・・・

それでも、よく麦はムッとして高いところに籠城している。
機嫌が直ると降りてくるから、そんなに深刻ではないと思うけど
甘やかしてきたのは、わたしなのだから、やっぱり心配。
いろいろ、意見の食い違いかなんかがあるのかも知れない。

きょうは静かだ。
10時頃に一時間程運動会して、
麦は自分のドームに、さっさと入って寝てしまった。


くんずほぐれつ 2003年01月26日(日)

きょうは、信じられないくらいに仲がいい。
麦が怖ず怖ずと尻尾を舐めたり、手を出してチョッカイする。
ザジはまかせたままゴロゴロいっている。
しまいには、ストーブの前で、絡み合って寝ている。

起きると取っ組み合いのケンカを始めるけど、
もうだいぶ穏やかになってきている。
でも、麦が噛み方の加減を知らないから、
時折「んぎゃ」という叫びが混じる。
あまりしつこいとザジが可哀想なので、頃合いを見て抱き上げてやる。

どうも、今度は麦がザジに夢中みたいだ。
追いかけて触りたがる。
・・・夢中というか、、ザジ有利というか。。。

やっと、一息つけるかなーという段階に入ってきた。

ATUに「頼むから、この4、5日、麦が馴染むまで、
どんなに可愛くても、知らん顔していてね」と頼んであるのだけど、
ザジが勇敢で、動作も面白くて可愛いので、我慢できない。
しまいには「え〜〜い、オレの家でオレの猫かまって悪いんか〜!」
と叫んでいる。


夕方、相変わらずザジが麦の寝床に入りたがって
「ダメでしょ」と何遍降ろしても言うことを聞かない。
あんまり聞かないので、傍にあったクッションを
寝床に乗せて入れないようにして、抱き上げて居間の床に置いた。
そしたら「う〜〜〜、、」と唸り声をあげて、
いつも傍に置いてあるタオルを銜えて、走り回り始めた。
タオルを無茶苦茶に振り回しながら、ひとりで転げ回っている。
まるで、犬みたいに唸っている。

こんなに、やりたいことをやりたいようにしたいのはオス猫だから?
でも、いままでも猫を躾るので「ダメ」ということは
いくらでもあったけど、こんなに反発するのは初めて見た。
ひとに当たるわけではないみたいで、めいっぱいタオルに当たっている。
ストレスなのかなー
麦に遠慮して、抱っこを控えていたから、もう少し抱っこしてやろう。


ひとつ山越え〜 2003年01月25日(土)

朝起きると、麦とザジは、トイレだ、ご飯だで大騒ぎ。

ザジは、少しお腹が緩い。
置いておくと、麦の分までバクバクみんな食べてしまう。
仕方ないので、しばらく麦だけ別の場所で食べさそうとするけど、
ザジがすぐ追いかけてきて、ナカナカできない。
横から無理矢理食べに来る。

昨日からの疲れで、もー、ATUのお弁当はお休み。

あいかわらず運動会。
いま決着つけないと先へ進めないみたいな気迫だ。
ザジがストーブの前の一番いいところを奪いたくて、麦を威嚇する。
これは大変だー。
麦の眼が宙を泳いでいる。。
ザジは麦のドームにも入って遊ぶ。

大事な場所が一所だと争いの種かと、ストーブを消す。
ザジドームに湯タンポ入れて体制を整えた。
さあー、どうだ。。。

でも、ザジはちっとも自分のドームに入らない。
それに麦は、自分のドームに、ザジの臭いがついていて嫌みたい。
ザジは、どうも分かってやっているような気がする。
麦の大事な寝床にも、もの凄い執着心で寝ようとする。


麦は廊下や北側の部屋をウロウロして居場所がない。
プイっと、風呂場のフタの上に行くが、それもダメ。

ふと見たら寝室の寝床で丸くなって寝ていた。
それが3時頃で、それから、麦は頭を抱えたままずっと起きない。
麦が、このまま死んでしまうのではないかと真剣に思った。
5時になっても、6時になっても起きない。

もう、こうなってくるとザジを可愛がる気力がなくなってしまう。
わたしは泣きながら麦ドームを洗って、乾燥機に掛けて乾かした。


麦、やっと8時過ぎてノソノソ起き出してきた。
起きたらスッキリしたのかザジと機嫌良く遊び始めた。

相変わらず、運動会なので居間に布団敷いて寝る。
麦に「もう、ネンネだよ」と何度か言ったら
「グ〜ニャン」とザジに説明してくれて、急に静かになって
ふたりとも、わたしの足の間にはまって寝始めた。


意外な急展開 2003年01月24日(金)

朝、ATUが出掛けて行ってから、
いつもなら、さっさと朝寝を始める麦が、しきりと遊びたがる。
まだ、ザジは北側の部屋においてあるので、二人だけの時間だ。
きょうは少し落ち着いて、床に降りてこれるようになっている。

遊んでると、どうもザジがやっている、
カーペットに這い蹲ってやる高速ほふく前進みたいな
動作をやりたがる。こんな事、今までやったことがない。
おずおずと不器用にやってみている。
わたしは「はは〜ん***」と軟化してきている麦を感じた。
しばらく追いかけっこや、隠れん坊をして遊んだら満足したのか
穏やかな顔して、猫ドームに入って朝寝を始めた。

昨日の大雨からうって変わって良く晴れている。
大量の洗濯物を干し終わる。
このお天気いいのに、足りない分は乾燥機まで掛けた。
余談だけど、ATUはまだ、手術の影響でお腹を締めたくないので、
防寒用フリースツナギと、ブカブカの作業用ツナギの重ね着をしている。
おまけに、ズボン下かタイツと、トレーナーも着ているので、
一回着替えるだけで、デカイ山ができる。
これだけでも、かなりシンドイ。
それなのに、向こうは疲れて帰ってくるから、
手も足も裏返したまま、脱皮のように脱ぎ散らかしてる。
外洗い場もない狭いマンションの洗面所で、普通の服を着たまま
手袋もせずに、泥だらけの重ね着作業着を分解して、
袖を裏返すのは、時に発狂ものだ。
いっくら頼んでも、いっぺんに脱皮してくれるもんね〜〜〜

猫里親サイトさんの複数飼いの情報があって
「先住猫をとにかく特別扱いすること」とあった。
自分を人間だと思っているから、自分とは別に「猫」が来た。
という感じにするといいとあった。
なので、わたしはなんでも麦に相談することにした。
(わかってなくても話しかけるのがいいと思った。)
そして、麦の寝床とドームと台所の定位置だけは、ザジを入れないようにして
ザジを見る時も、二人で視線を並べて見ているようにした。
時には麦を触りながら「スゴイね〜、このコは、元気だね〜」と話しかけた。
そのせいなのか、随分と急速に落ち着いてきていた。

昼過ぎに、あんまり天気が良くて、ザジがちょっと可哀想。
居間に持ってきて、ダッコで日向ぼっこをさせた。
でも、ぜんぜんジッとしていない、仕方ないので床に置いて遊ばせた。
麦は怒っていたけど、ザジにヒモを結んだものを与えて一人で遊ばせながら
一緒に見ていたら、だんだん落ち着いてきて面白そうな顔になってきた。
傍によってウ〜ウ〜威嚇はしている。
もう、大丈夫かもと思ったので、知らんぷりしていた。
どっちに味方もせずに、なるべく見ない振りをして用事をしていた。

夕方まで、二人でバタバタ追いかけあっていた。
なかなか、タフだ。ザジが負けていないのが助かる。
だんだん、遊んでいるような雰囲気になってきて、ホッとした。
もう疲れたろうと、ザジをケージに入れて隠してしまうと麦が探し回る。
ザジの方もジッとしていたくなくて、麦の傍に飛んでいく。
とりあえず、なかなか、いい感じになってきた。

突然、どうにかなってしまった。
バンザイ☆

あとは、麦が居場所を乗っ取られないように見てやっていよう(過保護。。


よくできているもので、猫パンチもそんなに強くないみたい。
水飲んでも、トイレしても、ちゃんと待っている。
誰が教えたわけでもないのに、感心する。
人間の方がよっぽど、ルールがなくて野蛮じゃないか?
ブッシュに爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいだ。

しかし・・夜、寝る時が大変だった。
運動会がすごくて、電気暗くしたら、もっと走り回って煩くて叶わない。
仕方ないので、ザジを北側の部屋のケージに入れて離してしまった。
電気を消して寝ていたら、麦は暗い居間で「わお〜ん」とひと泣きして、
久しぶりにベッドの横の寝床に潜り込んできた。
びみょうに変化してきている。
少しゴロロと鳴いて、丸くなって寝始めた。


これは大変だ〜 2003年01月23日(木)

昨夜も大変だった。
ATUが、心配で可哀想だから、寝室へ持ってきて寝よう。
と言うので、ケージを寝室へ持ってきた。
どうもこれが麦には、面白くないことなんだと、わたしは読んでいる。
それに、ここ最近、居間で一人で寝るようになっていて
寝室の寝床には来なくなっていたので、
なんだか複雑なことになってしまいそうだ。
もう、寝室に持ってくるのは止めたい気分なんだけど。。。

これで、わたしも寝室に寝てしまうと麦は、はじかれてしまう事になる。
こういう形になってしまうのは、麦が可哀想でイヤだ。
ATUはほんとうに、そう言うことに鈍感だ。

わたしが居間の床に布団を持ってきて、寝た。
これは正解だったみたいで、
麦はわたしの足元に来て、ビットリひっついて寝ていた。
お布団の中に入ってこないのは、いつもだけど、、

昼間やりたいようにさせていたら
ザジは、もー全然意に介せず、一人でよく遊んで、
ビュンビュン走り回る。
そして、チャッカリ一番暖かいストーブの前に陣取って
麦の居場所が、一瞬にしてなくなってしまった。
積極的で、遠慮なくて屈託がないというのか。。。

麦は、一人で遊ぶことができない。
いつも、誰かに相手してもらわないと遊べない。
遊び方を知らなくて、自分で一人で工夫して遊ぶことができない。
こういうザジを見ていると、その差が本当によく分かる。

ザジがソファで遊んでるところに近づいていって
やっと直接威嚇することができた。
少し前進だと思うんだけど、どうなのだろう・・・

麦は少し変わっているのかも知れない。
普通でいても、トースターの上や箪笥の上に登って
上から見ていることが多い。
だからなのか、いるところがなくなってるからなのか
ザジを北側の部屋へしまっても、全然降りてこれない。
過保護なわたしは、箪笥の上に餌を運んでやってみた。
麦はバクバク食べている。
お腹空いていたんだ。。。ごめんよ〜、、、


ザジをしばらくは、北側の部屋に置いて様子を見ることにする。
可哀想だけど、暖かくしてやっていれば大丈夫だろう。
何度も湯タンポのお湯を換えてやる。
暖かいのでよく寝ている。
きょうは、みんな疲れたのか、ザジも麦も寝てばかりいる。
大雨だから、ちょうどいい。
麦もストーブの前を独占して、安心して寝ている。
わたしも、何度も昼寝した。
小休止っていう感じ・・・


夜、ご飯食べながら、ATUに
「あまり器用でなくて、けっこう臆病で、食べる物も難しい子が
 生まれた時から貧乏で、親から離されて、おまけに捨てられて
 やっと、生きてきているのに、
 育ちが良くて、ずっとお母さんに甘えて育って
 好き嫌いもなく、何でも食べられて、頭も良くて人なつっこい子が
 そばに来たら、やっぱビビルよね。」
と言ったら、ATUは
「 そーいうことは、自分の事みたいに、よく分かるんだね。
 そう言えば、あのお母さん猫、ピアノでも弾きそうだね。」
と言った。


麦とザジ 2003年01月22日(水)

風邪が抜けない。
声が出なくなっている。
おまけに眩暈も取れない。
サイアクな気分。カナシイ・・・


麦は今朝まで、ずっとわたしの足元で寝ていた。
ベッドの足元に、仔猫のザジが入っているケージを置いてあるので、
麦は、見張りと脅かしの為に、ずっとわたしの足元にいた。
疲れてそのまま寝てしまったみたいで、
仔猫がミャーミャーと鳴くと、目を覚ましてグルルル〜と脅かしていた。


朝、ザジがわたしの肩に乗っているのを見た麦は、
目を剥いて、張り裂けんばかりの表情をしていた。
麦は泣く表情をする時がある。
もちろん涙は出ない。でも、ほんとに泣いてるみたいに見える。

ザジは不安なのと自由になりたいのとで、鳴いてばかりいる。
一応名目ペット禁止だから、あまり鳴かれても困る。
ケージから出したら、麦がグルルル〜と脅かしていた。
近寄る勇気はないみたい。

こちらもいい加減疲れてきたので
仕方ないので、麦とザジの気持ちを和らげる為に
一旦別の部屋へケージを移すことにした。
そうしたら、ザジは落ち着いて静かに寝始めた。
寒いみたいなので、瓶にお湯を入れて
即席湯たんぽを作って2つ入れてやった。
抱きかかえて眠る。

本当にこの猫は表情が豊かだ。
カレンダーの写真でも見てるみたいに可愛い。
すぐゴロゴロいうし、屈託なくじゃれついてくる。
何しろ、じっとしていない。
お母さんといる時期が長いと、こんなにも豊かな感情があるんだ。
感心するくらいに、さまざまな反応をする。

思ったよりずっと、麦とは違うタイプなので、少し戸惑っている。
麦は、ほんとに表情のない仔だった。
昼間一人のことが多かったので、余計にそうだったのかも知れない。
甘え方も知らないから、タダ噛むだけのちっちゃな小鬼みたいだった。

でも、わたしは麦が大好き。
さっき、あんまり傷ついているから
手を繋ぎながら、ずっと話をしていた。

これから、ほんとにどうなるんだろう。。

2日目がなんとか、終わろうとしている。


愛しの猫さん−仔猫が来た 2003年01月21日(火)

昨日、麦の掛かり付けの先生から電話があった。
「玄関に親子で捨てられていたのですが、良かったら見に来ますか?」
わたしが風邪を引いているので、里親サイトのお宅にはまだ行けていない。
取りあえず見てみようと、行ってきた。

行ってみると、なんともおっとりと優美なお母さん猫と仔猫たち。
「ムムム・・・、麦と全然違う〜。育ちなのか、イエ柄なのか・・・」
お母さん猫は、大きな目で訴えるように見つめるばかりで
人間に全面的信頼をおいているみたい。
少しシャムでも入っているのか、
エキゾチックな雰囲気を醸し出している。
ブルーグレーの身体で手と足が手袋みたいに白い。
とても綺麗だ。
こんなに優美な猫は、余り見たことがないくらいに綺麗だ。
子供達も屈託なくジャレついてくる。
よっぽど大事に育てられたのだろう。。

オスは、薄〜いグレー地に
それよりも少しだけ濃いトラ柄が、これもまた薄〜く入っている。
メスは真っ黒が少しマダラになっていて
首の下に月の輪熊のような柄が入っている。
どちらも不思議な柄。
思わず兄妹で飼ってやりたくなった。
でも、我が家には麦がいる。
麦が遊びたくて淋しがっていると思って
複数飼いを思いついたのだから、
どんなに可愛くても、心を鬼にしなくてはならない。

それに半分は内緒で飼っているようなものなのだから、
3匹飼うのは、いくら何でも無理だろう。



オス猫を頂くことに決めて、昨日は帰った。
名前はATUが前から決めていた『ザジ』だ。

今日は、しばらく入れておこうと思っているケージを洗ったり、
(麦がどう出るか分からないので、とりあえず保護の意味もある)
猫ドームを買いに行ったり準備をした。
先生は朝のうちに、ワクチン接種しておいて下さるという。
無料でしてくれるとのこと。申し訳ない。

夕方、頂きに行って連れてきた。
麦はいつもみたいに、のんびり寝ていた。
ささっと、ケージの中の猫ドームに入れて、
知らん顔していたら、じきに起き出してきた。
麦は自分以外の生き物に初めて身近に接する。
不安そうにしているから、ダッコしながら見せたら震えている。
本当に意気地がない。

だんだん慣れてきたら威嚇が始まった。
フウ〜ウーー!!
吹いたり、唸ったり。。大変だー

ずっーと、緊張関係が続いている。
どうなるんだろうか?
麦の為、とか思ってやったことなのだけど・・・

やっぱり猫は単独で行動するって言うから無理なのだろうか・・・

しばらくは頑張ってみるつもり、、
もう、後戻りはできないから、このまま行くしかないのだけど
何か良い方法はないだろうか????


素浪人・月影兵庫の月代 2003年01月19日(日)

何気なく見ている、素浪人の丁髷(ちょんまげ)。
(・・・いつ、そんなものなにげに見るのさ?)

例えば、素浪人月影兵庫。
近衛十四郎、松方弘樹と目黒祐樹のお父さん。
(あまりに古くて、博物館級だわ)

男らしい、埃臭い色気があって、ちょっとドキドキ・・・
(^_^メ)


あの丁髷(ちょんまげ)、ああいうものだと何の気無しに思ってる、
カツラとしてあまりにも良くできているから、ああいうもんだと・・・

でも、ふと思った。
あれは実際どうやって結うものなのか?

江戸時代には、ほんとにあの髪型だった人がいるわけでしょう?
前髪の、あのフサフサ感はどうやって作れるのだろー
襟足の分厚い後れ毛は、どうやったらできるんだろー
前髪や襟足って、ひとによって生え方が違うでしょう?
なのに、あの形は・・・、スゴイ謎に思えてくる。


朝、ゴーギャンとゴッホ

夜、金子光晴/立松和平




断じて、イヤな話を書く・・・マンションに住む、ということ 2003年01月18日(土)

どこでだったか忘れたけど、
読んで気持ちのいいことを書けば、
好印象を持ってもらえて、長く読んでもらえる、
というような文章を、目にしたことがあるような気がする。
確かに、それは誠実であり、思いやりのあることだとは思う。
でも、残念なことに、わたしは寂しくてもいいから、
好印象も要らないし、気にしてまで人に読んで貰いたいとも思わない。
なんの利害も、味も素っ気もないのだ。


で、そのイヤなことなんだけど・・

わたし達が今、住んでいるマンションはATUが独身の時に
ずっと、一人でも快適に暮らしていけるように、と
コツコツ働いて貯めた頭金と将来を犠牲にして組んだローンで
手に入れた部屋で、どちらかというと軽い気持ちで買ったものだ。

ここなら静かだろうと、マンションの一番端にある角部屋で
すぐ隣は、小さな小さな公園になっている、
階下は、ベランダの前に広がる駐車場への通路になっている物件を選んだ。

ところが、この夢のマンションがとんでもないしろものだった。
6年位前のことから書いてみる。

まず朝は、我が家の北側の窓の下にあたる、駐車場の出入り口になっている
ところの少し道路側が広くなっていて、そこに幼稚園の送迎バスが来る。
送ったまま始まる井戸端会議に、この下の空間が格好の隠れ場所になる
のか、多い時は10人程がたむろしていた。
ひそひそ話すならまだしも、まだ若いお母さん達は、大はしゃぎだった。
しかも、それは北側の窓がうるさいだけでは済まなくて、
階下の通路を通してベランダからと、床下からも聞こえてくるのだ。
それもトンネル内でのように反響しながら・・・
窓が薄いからかサッシを閉めても余り変わらない。
床からも壁からも聞こえてきていた。

午後になると、今度は脇の公園に子供達が集まって来た。
我が家の台所のちょうど横に滑り台があるので
そこに登ってはしゃいでいる声が、家の中にいるかのように聞こえる。
おまけに金属でできた滑り台なので、ワンパクして
おもちゃでもぶつけようものなら銅鑼でもたたいたような音を立てる。

そして、こんどは午後遅くなると高学年の男の子達が下の通路に来た。
5人程の男の子達がサッカーボールを蹴りまくるのだ。
我が家の床下は、恐ろしい程の騒ぎになった。
まるで、フライパンの上に住んでいるようだ。

居ると分かると、もっとやられると思って息を潜めていた。

別の日には、なんの音かと降りてみればローラースケート、
スケートボード、インラインスケートなんとポンピングまであった。
滑るところがないのだろう事は分かる。
だったら、総合公園にでも連れて行けばいいのだ。
ここ以外でできない。といってこちらを恨むのは筋違いだ。


夜中にになると、今度はどこからか若者がタバコを吸いにやってくる。
たむろしてヒソヒソやっているけど、笑い声はそうは押さえられない。
床から這い上がってくる人の気配は、何とも気持ち悪いものだ。


雨の日には、雨に濡れないように、下の通路で車を停めて乗り降りする。
ドアの開け閉めが床を伝わってビックリする。
頭の上がボンッとなることもある。
これが、多い日では一日15回はあった。
我が家では、遠くの駐車場から重い荷物持って濡れて帰っているのに・・・
この真下ではなく、少しずれて外で乗り降りすれば、ドアの風圧も
少しは和らぐのだけど、外がイヤな訳だから、この下しかないらしい。。


ここの立地というのが前にも脇にも、公園があるので
見ているだけでは勘違いしやすいのだろう。
公園から駐車場までが、大きな遊びエリアだと
誰かが勘違いしているのだろう。
親がたむろせば、子供は必ず、そこで遊ぶだろう。
人が住んでいるなんて、思ってもみないのだろう。

鉄筋の建物が、まさかこんなに音を拾うなんて誰も想像できないから
若者達は渋谷や新宿のガード下のつもりで集まってくる。
交番に連絡しても、夜中の1時に高校生がタバコ吸っているというのに
名前も聞かずに帰っていくお巡りさん。誰も頼りにできない。
おかげで、その夜、住民のポストに火が入れられたのを防げなかった。
せめて、あの時名前を聞いてあれば、その子達だったのか
別の犯人だったのか調べることだってできたかも知れないのに。

今は随分と静かにもなったし、嫌がらせも少なくなった。
深く考えずにやめてくれと言った為に、嵐のような無言電話、
投げられた砂、ボール、枝、ピンポンダッシュ。
今も続くシカト。
なんで、やめてくれと言うギリギリの言葉に、ここまで反発するのか?

時の経過と共に、嫌がらせをしていた奥さんが離婚していなくなったり、
井戸端会議のグループの子供が学校へ上がったり
子供の成績が悪くて、大きな態度ができなくなったり
いろいろな変化で解体していったように見える。

何年か前には、下の通路の横に住む独身の居住者の人と一緒に交渉して、
階下の通路には「遊んではいけない」という看板も付けてもらった。
我が家だけでは、マンション全体の自治会は全く相手にしてくれなかった。
その人が発言して初めて、聞き入れてもらえた苦情だった。
でも、もっと変なことは、入居する時に分かっていただろうに
その通路の横に住戸があると、誰も思っていなかった事である。

その独身の人は、ずっとずっと、住人扱いされずに耐えてきていたのだ。
ベランダに子供が入り込んで、かくれんぼしたり、
窓から顔を突っ込んでワンパク共が罵声や奇声を浴びせたり、
食事中でも目の前を人が通り過ぎたり、という
傍若無人、に誰も耳貸さなかった事に耐えてきたのだった。

病気の人も、受験の人も、夜勤の人も、元気な人も、大人しい人も
いろんな人生があるはずだ。
みんな高いお金を払って住んでいる住人だ。
買うということは、とても重いことな筈ではないのか?


階下の若者達の件も去年の夏に1階の住戸に不審者が入り込んだ事件が
あってから、周りがいくらかは納得するようになったような気もする。
我が家だけが異常なわけではないだろう・・・

結局、何か言うと他人の子を不良呼ばわりする、と言うことになるようだ。
実際に不良でも、不良呼ばわりされると将来に関わるから止めて欲しい。
ということらしい。
自転車のサドル盗もうと、火を付けようと不良呼ばわりは困るのだそうだ。


というように、この場所に対する、異常な執着は怖いくらいのものだった。
どうして、ここに来たいのか理解に苦しんだ。
わたし達が住んでいるのに、車に乗る以外なんの用があるのだ?
車の通路なのに、ここで何がしたいのだ?

建物自体も上階のドスドスという音に耐えかねることもあるけど
これは生活音なので、今日書いたこととは又少し違う事だ。


今もマンションの周りは不法駐車だらけで
警察は何も関知しないので、やりたい人がやりたいようにやっている。


思い通りになんかいきはしない、けれど、
もうすこしどーにかならないのか?

きょうだって3年生くらいの女の子が3人、階下通路で
靴にローラーがついてる、最近流行っているので遊んでいた。
これでも、カコンカコンズーッガタガタと鉄筋の音が喧しいのだ。

注意したら、もの凄い顔でじーっと睨んでいた。
わたしは悲しくなった。
こんなに年端もいかない子が、ちょっと注意されたくらいで
あれだけのもの凄い形相で人を睨むということが
とてもとても悲しくて、情けなかくて、恥ずかしかった。

マンションの子じゃないという。
ほんとかウソかは、これまた分からない
しかし、なんで、そんな顔で睨めるんだ!

この子達の担任でなくて、本当に良かった。
先生をやっていなくて、本当に良かった。
小学生以下の子供が居なくて、本当に良かった。
十代の子供が居なくて、本当に良かった。


風邪か、花粉か・・・ 2003年01月17日(金)

とつぜん熱が出たけど、39度までは上がらなかったので
幸か不幸かインフルエンザではなかったみたい

なんで、幸か不幸かというと
さっさと罹ってしまった方が、一度で済むと思うから・・・
大きいの、始めに一回罹っておけば
あとのは、そんなに辛くないんじゃないかと思ったりする

でも、おんなじかー
菌が違えば罹ってしまうわけだし


昨日、別のツラさを感じた。
それは花粉だ。
今年も早々と花粉の襲来を感知した!
今、呼吸が苦しいのが、花粉のせいなのか、
風邪のせいなのか、区別つかないでいる。

これから4月まで薬が手放せなくなる。
春は、なんでもありか〜?
あんがいイヤな季節だゾ


ところで、あんまり関係ないことなんだけど、
巨人にいた松井は、大リーグ行きを決めるのは、
英語を勉強してからか、英語のできる奥さんをもらうか、
恋人ができてからにすれば良かったのに、と思ったりして。。。

ああいう生真面目な人は、
たぶん精神的なプレッシャーが大きいと思うので
いろいろ細かなことで解消できるほうが
よかろうと思うのですな

イチローは、姉さん女房もらってから行ったし、
佐々木は、とても強い人に見える、
野茂も、独りに強そうだ。
新庄は型破りを貫くくらいに我が儘だし・・
でも、松井は優等生な感じで、そういう強かさを感じない、
とても日本的な選手という感じがする。なんだか心配だ。
しかし・・・野球、よくわかんないのに、わたしってばよく言う・・・

ATUに言ったら「ますます『お節介なオバサン』になってきたな〜」
と言われてしまった。アハハ


発熱 2003年01月15日(水)

朝、モーレツな喉の痛みで目が覚めた。
鼻で息する分には分からないのだけど、唾を飲み込む時に痛い。
起きるとフラ〜っとする。
熱、計ったら38度ある。
今日、ATUは定期検診の日だから、お弁当要らないのが助かる。

麦が一晩中、寝室のベッドの横の寝床に来なかった。
恐がりだから電気消すと、絶対傍に来るので
知らないところにいるというのは、まずないのに。。
居間にある、なんていうんだろ猫用のドーム型のフカフカの寝床?に
ずっと居たみたい。這い出てきたら目が虚ろになっている。
予防接種の副作用かも知れない。

ふーっと溜息ついて、うつぶせで伸びている。
目を開けたがらない。
力が抜けて、ストーブの前から離れない。
わたしも具合悪いので、寝たいんだけど
これでは目が離せないので
ストーブの前に、クッションと座布団を持ってきて
一緒に寝ることにした。

午後遅くになったら、フラフラ起き出すようになって
ご飯食べたり、お水飲んだりし始めたので、ホッとした。

夜はタンスの上に登って、見下ろして威張り始めた。
ああ、よかったよかった。


愛しの猫さん ・・・こげんたちゃんへ 2003年01月14日(火)

昨日から「Dearこげんた」さんへのリンクを貼らせて頂いた。
『こげんた』というのは、
去年、バカな唾棄すべき若者が、2ちゃんねるという掲示板サイトに
仔猫の惨殺経過を「公開処刑」といって載せた事件の被害猫の名前だ。

誰もがそうだったと思うけど、
わたしもこの事件に酷いショックを受けた。
あまりのショックに、直視できなかった事件だった。
でも、風化させて何食わぬ日常に紛れてしまうのも恐ろしい事ではあった。

きのう猫の里親募集を探していたら、
導かれるようにここに辿り着いた。
このサイトを訪れて、そろそろと読み進めるうちに
あまりの悲惨に、わたしは声を上げて泣いていた。
今もこれを書きながら、涙が出てならない。
うまく言葉も探せないけど、勇気を持って
向き合うきっかけになれるかも知れないと思った。

ヒステリックになっているのでは、断じて、ない。

ただ、ただ、許せないという気持ちを忘れたくないと思った。

とても苦しくて、このサイトもまだ全部読み進めることができなくている。
自分で行動を興すことに思い至らなかった自分が、
「Daerこげんた」を運営している皆さんへ敬意を表わしたいとも思った。

わたしも、ささやかながら「心を痛めている」という意思表示として
バナーをここに貼らせて頂くことにした。

この事件は単に動物虐待だけが問題なのではない。
インターネットの中にできあがった
「醜く肥大した、人間の意識の巨大なインフレーション」の歪な形が
白日に晒された感じがする、幾重にもイヤな事件だった。

それに、罪としては「器物破損」「器物損壊」にしかならないという、
「少年法」と同じくらいに変な法律もあって、
命の重みへの代償や償いには決してなり得ない、
あまりにも軽い罪状がある。



この何年か、幼児・児童にも増えていると言うけど
動物への身の毛もよだつような虐待が増えているそうだ。


特に猫が被害に遭う、

何故だろう、と考える。


加害者は、殆どが若い男の子だという。

何故だろう、と考える。


何故男の子は、猟奇に走らざるを得なくなるのか?


何故だ?何故だ?何故だ?何故だ?


ああ、もう言葉がでない。。
また機会があったら、書いていこうと思う。
きょうはこれくらいしか書けない。。。。

=============

きょう、麦を予防接種に連れて行った。
先生は未だ30代後半くらいで、犬も猫も大好きな方。
あまりセコセコしていないので信頼できる。
料金も、他あまり知らないけど良心的ではないかと思う。

クリニックには、いつもなら愛想の良いレトリーバがいる。
今日は居なくて麦には良かった。
フガフガいいながら、なつっこく寄ってくるデカイ犬に、
「なーに??この生き物〜〜」と麦はパニックになってしまう。
目も開けられなくなって、わたしの脇に顏突っ込んだまま固まって震える。

でも、いなくても反応はあまり変わらないところがある。
外慣れしてないから、仕方ないか。。
わたしの肩から背中にまわって、オンブ状態で震えまくっていた。
なんにも始まる前から、こうだ。
全く外では意気地がない。
注射自体は0.5秒で終わるのに・・

ついでに猫エイズの検査もしていただいた。
検査はマイナスで、麦はピカピカの健康猫のお墨付きをもらった。
ノミも、拾った時のノミの巣状態からは想像できない程全く居ない。
外へ出さないと、ノミもいないし、怪我もしないし、病気もしない。
匂いも自分で気遣って身体をキレイにするから殆どしないし。
猫って本当にキレイな動物なのだな、と思う。
予防注射は5000円、検査は4000円。再診料が600円。

これはATUには内緒。
実は同居猫作戦の準備の一環なのだ。
ATUは未だ、麦の淋しがりやを深刻には受け止めていないので
いまは多分反対するだろうから、下調べや準備は内々にやる必要がある。
麦が来た猫とうまくやっていけるかどうかとか、
来た仔がここで慣れてくれるかとかも、未だ分からないことだから。







ATUの誕生日 2003年01月12日(日)

きょうは学校へ行った。
DTPソフトそれぞれを連携して使う方法をやった。
でも、photoshopが主の授業だった。
この授業が終わると実習が始まる。

久しぶりなので、もう全然分からなかった。
思ったよりも忘れていてイヤになった。

肝心要で大事な、アルファチャンネルとか、レイヤーマスクが、
キレイさっぱりできなかった。
覚えてるつもりだったんだけどな。
先生は親切にフォローしてくれるのに、すぐ詰まってしまう。。

やっぱり、ずっと何も触っていなかったから当然と言えば当然。。
ブランクがあるのに予習もしないんだもの仕方ない・・
受講票見たら10月から出ていなかった。
これでサクサクできたら天才だ。

お昼に新宿高島屋地下の食品売り場を歩いた。
ATUは今日誕生日。ケーキでも買って帰ろうかな?
でも、一人で買って帰るより、一緒に選んで買う方がいいな。。
どうしよーかなー。。たまには新宿で、散歩でもしないかなー?

電話したら出て来るという。駅までどうするの?と言ったら
大丈夫。車、ヨーカドーにでも入れるから心配ないよ、とのことだった。

コマの前で待ち合わせて、歌舞伎町の『トップ』でコーヒーを飲んだ。
『トップ』は渋谷の老舗輸入食品屋さんがやっている喫茶店。
何故か新宿にもある。おまけに沼津にもある。
薫りが高く、最初ちょっと酸っぱく感じて、すぐ甘みが丸く広がる、
その割にクセのない美味しいコーヒーだ。

コーヒー飲みながら、なにで駅まで出たか訊いた。
車で出てきたけど、ヨーカドーの駐車場はバーゲンだからか凄い長蛇の列。
仕方ないので駅の近くのタイムズに停めたと言う。
「・・・え〜!!。。東急に停めなかったのー?
ヨーカドーはタダだし、東急だったら、長時間駐車は1000円だよー。
タイムズは停めた分だけ、ずっと加算されちゃうよー」

久しぶりに新宿の街でもブラブラして食事して、
ケーキ買って帰ろうと思っていたのに、気もそぞろになってきた。
だって、4時間駐車すると1200円。
でも、これは単に往復プラスアルファの時間だ。

ちなみに、我が家から駅まで車で20分かかって
小田急線の最寄りの駅から新宿まで、1時間20分くらいかかる。
だから、地元に車を置いて、電車に乗って、新宿に出でて、食事して
散歩して、また電車に乗って帰ると7時間近くかかる。
つまり、5時の待ち合わせには3時くらいに家を出て、11時前に
地元の駅に着く為には、9時半には電車に乗った方がいい、
ということでもある。
え〜〜い、書いているウチに、だんだん腹が立てきた。

たったホンのちょっと、新宿でブラブラしたいと言うだけで、
移動時間に4時間削られ、電車賃が一人往復1140円掛り、その他に
駐車料金が2100円掛る。バスなら往復400円だけど・・・
二人で新宿に出て、帰ってくるだけでナンニもせずに4380円〜〜!
チョットこれはモンダイだ。。。
駐車料金ケチりたくもなる・・

でも、都内まで車で行ったとしても、
高速使えば、その分も掛るし、駐車料金ときたら倍はする。
これにガソリン代加算すると電車で出掛ける方が、安上がりではある。

車というのは走ってる分にはいいけれど、
停めておくとなるとナカナカやっかいなものだ。

そんな話ししながら、そそくさと帰って来たら
誕生日のことは、二人ともスッポリ頭から抜けてしまっていた。


車のこと 2003年01月10日(金)

昨日、書くの忘れていたけど、車、ディーラーに点検に出した。
12ヶ月点検のお知らせは昨秋に来ていた。
調子いい訳でもなかったけど、
お金も掛るし、忙しいからどうでもいいやと、考えていなかった。

考えていなかったといえば、
秋に麦猫の予防接種のお知らせも来てた。これも行くの忘れていた。

なんか、家の中だけの猫は必要ないって云うしなぁー
どうするかな?と思っている。
脳炎なんかのリスクもないわけでもないっていうし・・・



車はスズキの軽自動車、Keiの一番初期の四駆。

3ヶ月前くらいから床下からグッゴゴゴ、ゴゴゴッと変な音がしてくる。
下り坂に顕著で、チョット不安な音。
どうしても気になるようになってきたので、
この前、ディーラーの修理部門に相談しに行った。

随分と親切に話聞いてくれて、いとも簡単に
「わかりました。駆動シャフトの不良だと思いますから、
部品を取り替えれば、すぐ直ります。
クレーム修理で処理しますから修理代は掛りません。」
と、とても太っ腹なお答えでびっくりした。
5年まで?保証があるので大丈夫だったらしい。
内心戦々恐々としていたので、胸を撫で下ろした。
仕方ないから点検もして貰うことにして、昨日持って行ったのだ。

で、持ち込みだと代車を貸してくれるというので、借りた。
それが、ビックリ!新しいピカピカの「MRワゴン」!!

ターボとMDプレイヤー付きで、コラムシフトだ。
たぶん一番上のグレード。軽でも150万くらいはする。

「コラムシフト、大丈夫ですか?」
係りの人が訊く。
「あ、ああ、だいじょうぶで、ですよ(汗。。
。。。前にワゴンRR、代車で借りたことありますから〜・・・
でも、返すまでDとPとR以外入れませんでしたけどー・・」
、、ビニール付いたままで新車の匂いも真新しい。
困ったな、帰り道、何カ所も道路工事中だぞ〜。。

キレイで伸びやかな走りっぷり、Keiよりは加速が遅いけど、
Kei−Sタイプは特別。ヤンチャな作りだから比べようがない。
少し高いシートもあって、視野も広く、
とても優雅で穏やかな気持ちになれる。
素敵な車だな〜。。。


でも、無償修理というのは気に入ったけど、
なにか心当たりがあるから、そうなったと云うことだろう。
実は、すれすれリコールものだったのかも知れない。
素人には、こうなるとどうなるというのが分からないから
結局は頼りは点検修理になる。
大事に至らなくて良かった。


書けないこと 2003年01月09日(木)

手術のこととか書きたいのに、どうも書けない。
書く文章まで頭に浮かんでいるのだけど、できないでいる。
どんどん時間が過ぎてしまって意味が変わってきてしまうのに書けない。

まあ、時間は過ぎていくものだから仕方ないので、ゆっくり書く事する。


昨年は、なんだかんだ忙しかったり、年末は調子崩したりして、
いきそびれていた美容院に3ヶ月ぶりに行った。
カットだけだったけど、かなり思い通りにいって、うれしい。
・・・このなんでもないことが、なかなかこうならない。
ここへ通うようになって2年になる。
こっちに来てから、いまの美容院に決まるまで相当悲惨な目に遭っていた。
若い頃ならどこでも、そこそこに仕上がるのだけど年がいってくると、
そうもいかなくなってきて、美容師さんもどうやってイイか迷うみたいで、
行きつけの美容院決めるのって、本当に大変だった。

今のところはイイ。
同い年くらいの小柄でシャイなご主人が仕切っている。
カットも上手で、ラフでもちゃんと気配りがきいている。
従業員も少なくて、こぢんまりして気負いがない。
あまり話もせずに、通じるところがあるので安心して任せられて嬉しい。
それに、安い!
カット3800円、パーマ9800円だ。
都内ではカット6000円、パーマ12000円くらいだった。
まあ、バブルの頃の話だけど・・

いいとこばかりで、本当に涙出るくらい、良かった!


思えば、遠い道のりだったよな〜
がんがんブローされてカツラか、青江美奈(古!)みたいになったり、
前髪に変なウェーブが出て女将さんみたいになったり、
テツカブトや佐良直美(古!)・・・・

ああ〜〜、思い出したくない日々。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いまは幸せ


麦の友だち 2003年01月08日(水)

愛する猫『麦』は、噛み猫だけど、寂しがり屋。

そして、すこし心が曲がってる。
ゴロゴロいうのもほんの少し。
思わずゴロゴロいってしまってからバツ悪そうに噛みに来る。
これは、心を許す快感に思わずハマッタ自分への
いらだちのようなものなのか?

多分、野良猫の仔で家の中で育っていないらしい麦は、
最初、家の中にいるよりベランダにいる方を好んでいた。
お母さんと離れた時のショックが強かったらしく、
いつでもピンクのタオルに顔を埋めていた。
多分ショックだと感じて性格が歪むくらいカシコイのだろう。

なまじカシコイから、遊ぶ時も簡単にはいかない。
麦のメニューには鬼ゴッコやサッカーゲームがあって、
麦は自分でルールを決めている。

代わりばんこにアルミ箔ボールを投げ合うキャッチボールまである。
鬼ゴッコも全身で一緒にやらないと満足してくれないから遊び相手は大変。

夜も暗いと恐がってダメ。
遅くなる時は電気着けて出掛けるようにしているし、本当に淋しがる。


そこで、わたしは密かに麦の友達を画策している。
ATUは反対しているけど、なんとかしたいと思っている。

麦が神経質なので、おっとりした雑種の雄猫の赤ちゃんがいいな。
2匹飼うのは大変だけど、多分相性さえクリアできれば
麦にとっては、遊びんだり、話す相手ができて良いような気がする。

ほんとうは外で伸び伸び遊べたら一番よろこぶんだろうにな、
でも、いろいろ危険なので、それだけはできない。


少数派はどっち? 2003年01月06日(月)

ATUは、初仕事。
徐々に復帰できそうな体調になってきている。
手術というのは随分とスゴイものだけど
身体も良くできているもんだな、と思う。

今年のお正月は、ひたすら家に居た。
ATUに無理させたくなかったのと
ATUの人混み嫌いが尋常でないからだ。
でも〜〜〜〜〜〜、実は人混みが好きなのだ、わたしは〜〜!!
あ〜〜〜☆初詣、行きたい。。。!


知り合いと話していて高校受験の話が出た。
わたしが育った東京では、学力レベルに応じて、
少なくとも私立5校位、公立3校位は選択枝があった。
今はどうなのか知らないけど、学校の数がそんなに減っていなければ、
今もそんなものだと思う。
ところが、いま住んでいる神奈川県央では公立2校くらいで、
私立は通える範囲には1校くらいしかない。
その私立が行きたいレベルと違うとすると、
行ける私立の選択枝はないということになる。

その話をATUにしたら、四国松山でも状況は同じだそうだ。
各レベル公立2校位でどっちか選ぶと言うだけのことなのだという、
私立はこの辺より少しは多いけど、
都心ほどではないので、やはり限られるのだそうだ。

昔そんな話ししたことなどを思い出してみると、どの地方もそうみたいで
都内の状況の方が少数派なのだと、再認識する。

以前、夏の平日に乗鞍へ行った時、長〜い長いトンネルを自転車で通学中の中学生の男女を見かけて「すごいな〜、冬はどうするのかなー」と思ったけど、そうやって通学する人も中にはいるわけだしなー
高校生になると高校の近くに下宿するって話も聞いた。

考えてみた。
大げさな話になるけど、世界中の中高生で、徒歩30分以内で学校に通える人は何割いるか?徒歩30分以内で駅に着いて、30分以内で学校に着く人は何割いるか?
電車がないところだって多いわけだよねー
・・・考えてもわからないけど、、

・・・・一時流行った100人の村みたい?




2003年逆さまへの旅 2003年01月04日(土)

わたしは今年50歳になる。

生まれたのが、テレビ放映の年。
渋谷のはずれの広尾病院で生まれた。
広尾病院はただの都立病院だ。でも、ただの区立小中校が名門だと言われるように、何故か今は有名な病院だ。

幼稚園は今の東急プラザの横の246を少し登った辺りの右側にあった。
隣には信じられないが、なんとか言う大学もあった。
奥には力道山のリキパレスがあった。
なので、ヒーロー力道山やグレート東郷を見かけることもよくあった。
ガード下には足のない傷痍軍人が物乞いをしていた。

小学校はその反対側の奥の方にあって、何年か前に過疎で廃校になった。
わたしたちの頃でも28人クラスが2つしかなかった。
幼稚園は南平台に移って今は教会だけが残っている。
思い出してみると、日曜学校やバザーによく行っていた時期もあったっけ。

昭和33年位から5年程の間に街は激変した。
ルンペンのように掘っ建て小屋で暮らしていて、衣服もカビカビに固まって臭っていた級友は、いつの間にか学校からいなくなっていたし、逆に南平台の大きな屋敷に住んでいた子は、屋敷ごといなくなってしまっていた。
いつの間にか鬱蒼とした茂みもマンションに変わっていっていた。

また、その頃246は『50メーター道路』と言うあだ名で高架もなかった。
開発は進んできていたので、あちこちが工事中になり始めていた。
よく犬が車に轢かれてぺしゃんこになっていた。
まだ、犬も道路に慣れていなかったのだろう。
通りを渡ってすぐにタバコ屋さんがあって、その家にも奥の家にも人が住んで暮らしていた。

昭和40年も後半になると、その頃の若者のの多くがそうだったように
わたしも未来の自由と繁栄を漠然とだけど真剣に信じた。
ロックも文学も芸術もみんな生き生きとしていて、みんなが勤勉に知的な欲求を持っていたような気がする。
世界には未知のものが溢れていた。
女性解放の活動をしている人たちと議論したこともあった。
納得いかないことも多かったけど、未来が良い方向に進むという漠然とした思いこみは共通していたと思う。

今、2003年になって、この100年、駆け足のように未来を信じて来た時代が終わろうとしているのだなと思う。

あの頃夢見た男社会の論理で成り立っているといわれていた、この社会の再点検も結局なされないまま、逆に保育も女性の就業も後退してしまっているし、教育内容も低下してしまっている。人間の元が地盤沈下しているから治安も悪くなってしまって、善良で平和な社会と一口に言える日本ではなくなってしまった。

何が悪いのかは解らない、あの頃漠然と予想していた未来とは全く逆の未来が来るのだな、と言うことだけが解るようになってきた。
わたし達はどこへ行くのだろう?

時代は繰り返す。と言うけれど、
教科書や書物では知らしきれない、直面しなければ知ることのできない時代の盛衰が、繰り返されてきたのだろう。
それは、もちろん想像することしかできない。
でも、遠い遠い過去にも未来の自由や平和や繁栄を夢見た人々がたくさん、たくさんいたのだと思うと心救われる思いがする。

けれど、世界は変わらない。
世界は変わらないのだ。

今も戦争したいブッシュがいるし、横車の北朝鮮がいる。
日本語のロックは確かに定着したけれど、
なぜか日本語ロックはもう失くなってしまっように思える。

世界は進歩したのだろうか?

2003年は、逆さまへの旅の始まりの年なのか?



ヤギのにゅうにゅう 2003年01月03日(金)

山羊の絵の中に

め〜メェ〜とォ〜 ひつぢの花が、
丘いちめんに咲きましたッ!!やぎのにゅうにゅう

と書いた年賀状が来た。


大きな字で書いてある。
しかし、、、差出し人の名前がない。。。



ATUには誰なのか、ちゃんと分かっていた。
その人ってば、あがた森魚のこと好きなんだって


 


初温泉ならず 2003年01月02日(木)

年が明けて、体調も悪いのでどこにも行かない、久々にのんびりのお正月。
今まで、わたしは土日休めない職場が多かった。
お正月も2日からと言うのが多くて、年末年始なんて無いにも等しかった。
じょんのび(上越地方の方言でのんびりした感じ?)気分だ。
まのびした気分が心地よい。。

ATUは昨日もきょうも、朝起きると郵便受けを自分で見に行く。
この何年かブツブツ言ってばかりで、年賀ハガキ作ってくれなかった。
それも何度言ってもダメで大変だった。
でも、去年は入院もしたので「絶対書くからね!」と脅かしておいた。
なので、やっとこさ絵柄を作って案も考えてくれた。
え〜〜いさっさとやれーーー

で、あんなにブツブツ嫌がっていたのに、いざ自分で作ったとなると余所からのも楽しみになると見えて、郵便受けがお友達になってしまったみたいに年中見に行く。可笑しい。。
いままで、頂くばかりだった皆様ゴメンナサイ・・・


温泉行きたいと言うのでお腹の傷の点検をして、どこか近くてお湯のキレイそうなところはないかな?とインターネットで調べた。
神奈川の山梨寄りに藤野という町がある。
そこに地味だけど源泉のお風呂があって、割と空いてるという。
ATUの車の調子が悪いので、わたしの軽自動車で出発した。

大晦日も雪がちらついたし、東京はけっこう積もったみたいで
清川あたりに来たら雪が残っている。
ATUは宮が瀬が好きだから止せばいいのにそっちを通る。
どんどんの昇っていったら暴走族風のシャコタンのスポーツカーが
雪に突っ込んで前が潰れていた。わっはっは、ざまー見ろ〜。。。
この辺はいわゆる「峠」というやつで、暴走スポット。
前を走っていた車もそれ風だったけど少し手前で、
わたしたちに道を譲ってUターンして坂を降りていった。
この軽は一応四駆だから少し安心だ。
空は晴れているのに日陰の道は皆凍っている。

でも、相模湖の近くまで行ったら長い列ができていたので
左折せずに戻ってきてしまった。
そのまま並んでいても、渋滞は確実に相模湖インターまで続いているので
待っていても仕方ないからいいのだ。

412経由七沢周りで帰った。
途中荻野過ぎた辺りで新しくできた沖縄そば屋があったので寄ってみた。
もやしのおそばは美味しかった。
でも、何かの間違いみたいに、ものスゴクしょっぱかった。



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猫への虐待、許しませんよ!


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