カンラン
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雨の降らない日は、ぽかぽかとして暖かい。 散歩がてら、うちのすぐそばの川土手に腰掛け、ぴのきとふたりシャボン玉を飛ばしまくる。 しばらくして何やらよからぬものを感じ、ふと見上げると、鳩の大群がもうスピードで向かって来るではないか! ぎゃあと声をあげて逃げる。 おそらくお菓子でも食べているのではないかと狙いをつけたらしい。もしかすると、ソフトクリーム型でバニラのにおいつきのシャボン玉だったからか?おそろしかった。 浜田の海岸でとんびに襲われたのを思い出したよ。
ちなみに冷静になって振り返ると、ぴのきは遅れて反対側に逃げていた。 つまり、ぴのきを置いて自分だけ逃げたんだね、私。ごめん。
ちなみにちなみに、テレビでも連日「鳩、鳩」と言っている。
こぼれ種から朝顔の芽が出ている。4つほど。 踏んでしまわぬよう、ひとまず植木鉢に移植。まだ時期が早いようだけど、大丈夫だろうか。
庭で草むしりをする。 ぼうぼうとまではいってないけれども、ひょこひょこ新しい雑草が生えていたり、枯れた雑草が薄ーいじゅうたんのように地面にへばりついているのを根気よく抜く。 面倒は面倒だが、なんとなく精神衛生的によろしいような気がする行為。音楽や川べりをゆく人々の楽しげな声を聞きながら、時には考え事をしながら黙々と抜く。 クレヨンでしゃしゃしゃっと描いたようにまっすぐ生える雑草(これにも名はあるのだろうな)は、いい。上へ引っ張ると気持ちいいぐらいすぽっと抜ける。一方、クローバーはなかなかにしぶといな。細い血管のような根っこを四方八方にのばしていて、引っ張ればぶちぶちとちぎれてしまう(そしておそらく即再生)。たしか以前読んだ沖縄の知恵的な本に、虫を近づけない性質があると書いてあったので、ちょこちょこ残してみたりもしている。
2軒となりに住む方から、庭で増殖しているというお花をいただく。名前はわからないのだけど、おそらくキク科で、カモミールとかマーガレットとかあのあたりの風貌。それをなんとまあごっそりと。 大喜びで花壇を整えて移植したところ、「もっといる?」とのお声がかかる。新しくトマトを植えるつもりだそうで、かの花たちを抜いてしまうのも忍びないとのこと。それならばと追加でいただく。再びごっそりと。 おかげさまで突如にぎやかになったわが家のお庭。 どうかしっかり根付いてほしいもの。窓からちらちら庭を見やる。
夕方、お花のお礼にいちごミルク蒸しパンをおすそわけに行く。 のんびりと明るい一日。
動植物のいのちのみならず、あまりウェルカムでないものすら芽生えさせるのが春というもの。おそらく。そんな気がしているよ。 気にかかることがひとつ、またひとつと浮かぶ。それをひとつ、またひとつと解決したり、にぎりつぶしたり、片付けたりしている。春はあせらず。
友人からの手紙が届く。 東京の美術館の絵葉書、外国の古切手などに彩られた手紙を胸に抱いていて、ぴのきに「どうしたの?」と声をかけられ我に返る。若き(といっても私たちと同年代)お坊さんのインタビュー記事のコピーまで添えてある、特別の手紙だ。
実際にはもう何年も顔を合わせていなくて、たがいの間を行き来しているのは紙に綴った文字だけ。それでも相手の状態や雰囲気を思ったり察したりできる。 こういうとき(どうやら私ははっきりと自覚してはいないけど)人間でよかった、と感じているのではないかな。 そういううっすらぼんやりしたものがあるから、こうしてあたたかいからだでここにいられるのではないかな、と。
春の憂鬱が、はらり。
自分と向き合い、自分の世界をつくっている人というのはすごいな。内に激しいものを持っているのだろうけど、穏やかで、正直で、こつこつと目の前のものに取り組んでいる。
そのような人にぐいぐいと引きつけられ、私はというと、まるで美術館に行ったときのようにエネルギーを吸い取られてしまった。(あの疲れってなんなんだろう)
いまだ浮き上がれず。
東京行きの航空券をとる。 飛行機や旅と縁遠い生活を送っているため、ここにこぎつくまでに相当な気合いを要した。チケットをとらなきゃなあと思いつつも、いやでもまだ何があるかわからないしなどと弱気が顔をのぞかせ堂々巡り。 おまけに、次のお給料が入ってからでもいいのでは、などというお金の心配もあって、旅行会社にたどり着いたときには魂が4分の1ほど消えかかった状態だった。
話をするのも面倒くさそうな旅行会社のお姉さんに対し、航空券は早くとった方が値段は安いのか、とか2時には東京駅に着いていたい(土地勘なし)など面倒な質問をなげかけ、「一概には言えません」ということばが何度か返ってくるも、残った魂で購入を決意。もうここで片を付けてしまいたいという一心。
「まずは航空会社を…」ということだったので、JALでもANAでもどちらでも構わない旨伝えると、「まずはお客様の方でご指定をいただかないと」とため息をつかれる始末。どちらだろうと安い方がありがたかったのだけど、この上比べてくれなどと面倒なリクエストをしたらどんなことになるか恐ろしかったので、少し考えて適当に答える。
そうこうして、無事東京行きの切符をとることができた。ここまでで魂は普段の半分ほどの大きさに。
こうなってくると、本当にもう少し東京が近ければなあと思わずにいられない。せめて、飛行機か新幹線か真剣に悩めるぐらいだったら。 新幹線なら満員で乗れないということなどまずなく、切符を買って飛び乗ることだってできる。気楽だ。でも、4、5時間かかるとなるとやはりしんどいのだ。 飛行機なら一時間半。しかも家のすぐ近くから空港行きリムジンに乗れるとなると、どうしても気持ちはこちらに傾くというものだ。
さてさて、どうか晴れやかな気持ちで東京の地を踏めますように。
さて、4月。
おかげさまで県外への転勤はなし。ただし、いろいろアピールしまくったつちのこ氏はやや過大評価された結果、もっともしんどいとされる部署への異動が決まり、結構沈んでいる。お偉いさんのお膝元、らしい。 「つちのこ氏くん、君の方向性は間違っていない」と言われたそうだけど、その配属先、取ろうとしてる資格と直接的には関係ないでしょ。 大丈夫なのか。
来月半ばに東京で開かれる友人の結婚披露パーティーのことで頭を忙しくしている。もう何年もしたことがないひとり旅に、心をおどらせたり、震わせたり。
独身時代のドレスでは腕がまる出しになってしまいどうにも落ち着かないので、思い切ってスーツを購入。来年出席するであろうぴのきの入園式にも使えるものを選んだので、ひとまず安心。と、同時に落ち着いたなあ、私・・・とちょっと寂しく感じたのも事実。
それにしても、引越しの際にパンプス類をすべて処分していたのには我ながら衝撃を受けた。ヒールの高い靴を履いていたのなんて何年も前のことで、たしかにそれらは全て年代ものではあったのだけど、一足ぐらいは残しているかと。甘かった。 結局、エナメルの靴を買いました。とほほ。なるたけシンプルで履きやすい高さのものを。これからは、ここぞという時にはこれで切り抜ける所存。
5月のひとり旅もそうだけど、3月にはひとりで映画館に行った。二度も! もともとひとりでじっくり鑑賞したい人間なので、独身のころは思い立ったらたびたびふらふらと出かけていた。連ちゃんで通ったことも、夜通し観たことだってある。それが子どもが生まれてからは、映画館に行くなんてことは遠い絵空事に。
このたびはひょんなことから舞い込んだ2枚の無料鑑賞券の恩恵にあずかりました。二度も快く送り出してくれたつちのこ氏、ありがとう。 「500日のサマー」と「ヴィクトリア女王」。そんな意味でいつの日か懐かしく思える作品となりそう。
一方、ヨーロッパの時代ものつながりで、先週借りてきた「マリー・アントワネット」には拍子抜け。ストーリーはおよそ納得のいくものではなく、きれいだったりかわいかったりするお洋服やお菓子をずらずらっと並べたカタログのようだった。本当、きれいだよ、かわいいよ、という感想。 「マ、マリー・アントワネットって題名つけといて、こんな感じで終わるの?」というエンディングを迎えた。映画・・・なんだよね?
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