カンラン 覧|←過|未→ |
彼女とはどんなことでも話せる間柄だけれど, よくよく考えてみるとこれからのこと(漠然とではなく具体に)について お互いの考えとかっていうものを語ったことはなかった。 現状とは違って,一緒に過ごすことのできる時間がたっぷりあったとういのに。 そしてそれはきっと,私という存在自体がそんな話のできる人間でもないからだろう。 そりゃ学生時代の就職活動の時にはその時期ありがちな話はしたけど, 今振り返ってみるとそれはそれは中身のからっぽな会話だった。 今まで学校に通ってればよかっただけの私達が 「はい,あなたたちの番が来ましたよ。」とぽんっと肩をたたかれ いわゆる大人の世界に押し出されるわけだ。 ところてんみたいに。 ある人は手当たり次第に, ある人はある程度の狙いを定めて, いくつかのドアをドアを細ぉく開けてそこに広がる空間を覗いてみる。 ちらりとね。 そうやって行き先を決める。 ある人は満足そうで, ある人は不満なのかも知れない。 結局のところ,その最初の気持ちっていうのは良くも悪くも裏切られるもんなんだけど。 最初に決めたドアの向こうで一生過ごす人もいれば, そっからまた別のドアを開ける人もいる。 これはその時になってみないとわからないことであり, どっちが良いとか悪いとかの問題でもない。 そんなだからとにかく中身のない話をしていたわけだ。 それはそれでそうあって然るべき時期。 かと言って別に今が中身がいっぱいつまった時期というわけでもないんだけどね。 で,しいさんは今,次のドアを開けるべく日々準備してるんだ。 実際,今の仕事を続けながらの勉強は大変だろうと思う。 メールの中でしいさんは言った。 「私はやっぱり人と関わっていたい。」 これって,すごいことだ。 すごいことばだ。 恥ずかしながら私はこんなすごいことば,就職活動の頃に何の気なしに口先だけで吐いたことしかない。 閉じこもり気味の私はどちらかと言うと人間ぎらいの部類に入ると思うし。 好きな人や大切な人って勿論いるけど, それ以外の人に向けて幅広くアンテナを伸ばしてはいない。 好きな人や大切な人に向けても アンテナの感度をずるがしこく気まぐれに自分勝手にその都度調節しているような気さえする。 自分の嫌なところがたくさんあるように, 他人の嫌なところにも鼻が利きすぎてしまう。 なのにしいさんは言うんだ。 そして私はわかるんだ。 これは決して口先だけのことばじゃないって。 しいさん自身が言っていたように血のようなものってあるのかも知れない。 目に見えないけれど体もしくは心の奥深くにしっかり存在してる何か。 しいさんはこの道を進むことによって 自分の両親が進んで来たのとおんなじような道を歩むことになる。 まったくおんなじではないにしても根っこはおんなじだ。 それは人を育てるということ。 その昔,両親の仕事や共働きという状態に子供なりに思うことが山盛りあった自分の先にも そのような未来が広がっていくのが不思議だとも言っていた。 うちに関して言えば,姉である私は小学校卒業の時点からすでに おうちの道を大きくはずれて歩いていた。 これはもちろん親の方針でもあって,それに甘んじた私の現在はこんな状態だ。 これはこれで恵まれているし,今の自分を含めた自分まわりが結構好きだ。 それじゃあうちのおうちの道はと言うと・・・ 目下勉強中の4つ年下の弟がゆくゆくは継いでいく予定。 その話を聞いた時,私は正直驚いた。 4つ下の当時中学生か高校生の弟がそんな大それた「これから」を抱いているとは思わなかったし, 自分をもとに考えてみればみるほど,そんなことは信じられなかった。 親の無理強いなんじゃないかと疑ったこともあったぐらいだ。 なのに弟はしっかり地に足つけて歩いてる。 ふわふわした姉ちゃんとは大違いだ。 ちなみにしいさんとこは弟さんの方が遠く家を離れたところで のびのびと自分の好きな(趣味に通じた)仕事につき,暮らしているらしい。 私はしいさんの弟さんを知らないので, 彼が私とおんなじふわふわ人間だとは思いようがないのだけれど, うちとちょっと似てて,そして姉弟が反対なんだなぁなんてふっと思った。 わたしはところてんだったけれど, ところてんのように押し出されるか飛び出すかは選べるものかも知れないね。
今年の大雪にまつわるいくつかのできごと。 本文:『本日午後○時より○○○区の○○山中において, 「雪中の石仏撮影会」を開催いたします。 会員のみなさま,多数ご参加くださいますよう。 なお,遭難の危険も多分に考えられますので, 身辺を整えてのご出発をお勧めします。 服装につきましては, 「○○○冬の特別号」の綴じ込み付録 「おやじキャメラマンのナイスな冬服」を参考にしてください。 エスヲさん江 エスヲさんの撮る順番はエムヲがきーぷしておきますので, 安心してき‘お’つけておこしください。 エムヲ』 ・・・この方からのメールにはいつもトイレもしくは更衣室に駆け込まされる。
空気に触れてる枕や布団,私の鼻先がちぃんと冷たくて 昨夜はなかなか寝つけなかった。 表を走る車やバイクの不在。 妙にしぃんとしたあたりの静けさが寒さを一層際立たせているような気がして, 耳をすましさえすれば予報通りに降りだした雪が地面におちる音がきこえそうな気がして, 冬眠するえびのように体をできるところまで折りたたんで 頭のてっぺんから足の先まで毛布にもぐり込んだ。 気付いたときにはもういつもの起床時間。 電気毛布の上からかけていた水玉毛布は足元でとぐろを巻いており, 私はと言うと,だらしなくばんざいしていた。 ばんざぁい。 さむっ。 ****************************** それにしてもほんとによく降る。 一日中吹雪っぱなしだ。 頭上高く上の方じゃ雪の製造が間に合わず,大変なことになってそうな感じ。 ついつい,昔学習帳の裏表紙に書いてあった海のはなしと頭の中で繋がってしまう。 なんでも望んだものが出てくると言う道具を手に入れたずるがしこい男が 誰にも見つからないように沖まで船を漕ぎ出して そこで試しに「塩」と望んでみる。 望み通りに塩が次から次へと出っ放し。 ただし止め方を知らなかった男は その塩の重みに耐え切れなくなった船ごと深ぁく深ぁくに沈んでしまい, いまだに塩は止まらず海を塩っからくし続けているんだとさ。 ・・・というおはなし。 それと同じぐらいの勢いを感じる今日の雪。 職場の大きな窓から眺めていると 下へとおちていく雪と上へ舞い上がる雪とが 不思議な模様を描いているよう。 小さな頃のように嬉しくて嬉しくてもうどうしようもないっていう気持ちは もう戻っては来ないかもしれないけれど, 帰ろうか帰るまいか。 帰れるか帰れまいか。 などと異様な盛り上がりを見せる職場の雰囲気はちょっとそれに似てるような気がする。 いつまで降り続くんだろう,この雪は・・・。
以前に店頭で手に取ってみたものの, お財布と相談の末, もう片方の手に取ったまったく別の文庫本で自分をごまかし納得させた記憶ある そんな一冊の本。 ふと思い出してからというもの 街中の本屋さんをうろうろしてみるもなかなか再会が果たせず, とある友人のおすすめの(←じぃさんありがとね。)サイトで検索をかけてみた。 タイトルが微妙なためか,すんなりとは行かず, 思いつく限りのありとあらゆる鍵で何度も何度もしつこく検索をかけたら その執念に根負けしたかのように見覚えのある表紙の写真があらわれた。 うれしい。 どれぐらいぶりかしら。 ・・・見つかったはいいけど,オンライン・ショッピングとやらに不慣れな私はどうも決心がつかない。 しばし検索結果画面を呆然と眺める。 だって今まで購入したことがあるのは漢方のお薬ぐらいだ。 とりあえずどうしようどうしようと散歩に出掛けてみることに。 ぴうぴう吹きつける風に心は今にも飛んでっちゃいそうだ。 冷たい風が我が物顔で通り抜ける中肉中背のビルの谷間をとぼとぼと歩いて 初めて入ったキャフェの2階から通りを行く人たちを見下ろしてたら どうにもこうにもあの本が読んでみたいと私が言う。 何度か訊いてみてもやっぱりあの本が読んでみたいと私は言う。 (これ,いつも買い物をするときの自分の中のやりとり。癖ですね。) そう思った途端,残り半分ぐらいになったチャイの冷めるのが早いこと。 甘さは思いのほか咽喉にまとわりつく。 もぞもぞしてきた気持ちに抗うことなくぐびっと飲み干してそそくさとお店をあとにする。 注文しよう。 そうしよう。 結局もう一度いちから検索し直して無事ご購入。 早く届かないかな。 気持ち的には,かなりのこおどり。
知人の結婚二次会です。 というのも,メールでお誘いいただいたんですが,それが文字通り 「1月26日18:00より○○にて二次会やるから来てね。」 そんな具合の極めて簡素な案内でしたので,不慣れな私は分からないことだらけだったのでした。 どんな格好で行けばいいの? 会費制なの? だとしたらおいくらぐらい? お祝いはどうしたらいいんだろう? お金どれぐらい持ってたら大丈夫だろう? そしてそのお店はどこ? ・ ・ ・ かなりもんもんさんになってたのですが, しばらく考えないようにしておこうと ほったらかしにしているうちにあらもうこんなに目前。 本人(=知人。=新婦。)に疑問をぶつけてみようかと考えてはみたけれど, いろいろあってばたばたしてるらしいという噂も小耳にはさんでしまっている。 はて・・・。 わかっていることから推理するに・・・ 出欠席をとっていないと思われること,場所がレストランではないことから きっとひとりひとりにお料理が出るような集いではないだろう,と。 ちゅうわけで会費もそんなにお高くはないはずだろう,と。 それじゃぁ気持ちだけでもお祝いを用意しておこう,と。 そしてちょっとした開き直りも必要かな,と。 なんとかだいたいの場所を調べた上で どきどきしながら冷たい雨の降る歓楽街を小さな包みを抱えてずんずん進んで行くと・・・ あった,あった,ありました。 意外にも私が何度かご飯食べに来たことのあるお店の入ったビルでした。 で,実際の二次会はどうだったのかと言うと みんなが「ふらっとお祝いに来たよー。」といった感じのとても居心地の良い空間。 会費の一部を使っての新郎新婦へのお祝いのシャンパンをみんなで乾杯して飲んで。 そしてそしてなによりも,期待してた通り, 新郎新婦それぞれのバンドによる演奏がとってもよかった。 気持ちよさそうで,嬉しそうで,しあわせそうで。 夫婦でおんなじことして楽しめるのっていいですね。 うらやまし。 素敵な素敵な一日でした。 どうぞこれからも仲良くおしあわせに。
チャンネルを 勝手気ままにがちゃがちゃがちゃがちゃまわして ほんの一瞬 目の前に広がった光景は ともすれば とてもとても残酷で不愉快極まりないものかも知れない けれど 視野を広く持って ゆっくり時間をかけて眺めれば 世の中 ここにも あそこにも 小さくても 弱くても ふんわりとした優しい気持ちが 静かに静かに呼吸している
昨日湯船の中で思い出したので 今日の会議にはこれを着て行くことにした。 なのになのに・・・ 履いてみるとどうにもこうにもパンツのウエスト部分が苦しい。 えぇ,うすうす気付いてたんですけどね。 自分が最近幼児がえりしてること。 いっつも楽ぅな格好ばっかりしてるからね。 それにしても実際目の当たりにすると,と言うより体感すると, このショックはかなりのものです。 嘘でしょー・・・って呟きながらも嘘なわけないこと重々承知してる。 痩せる? お直し出しちゃう? あなたの答えはどっち?? ・ ・ ・ うぅぅぅん。お直し出しちゃう。 そんなわけで近々デパートに持って行きます。
話にはたくさん聞いていたけれど,実際に私は会ったことのない人たち。 出勤前の仕度をしていたら召集のメールが入ったのでとりあえず, 「今晩は外で食べてくるからー。」 と,家の人に伝えてから出てきた。 それにしても知らない人たちとご飯を食べるのなんてひさしぶりなので, 一体今夜は何を食べに行くべきか・・・とそんなことが仕事中の頭をいっぱいにしていた。 注:私の直接の友人の来広ではないので,私があれこれ頭を悩ます必要がないのは百も承知の上。 そんなわけで集合までに勝手にへとへとになってしまった。 職場の1Fロビィでいくつかの連絡メールを握り締めてしばし待ちぼうけ。 私の緊張もほど良くだれだれになってきた頃に今さんが嬉しそうに連れて現れた2人は 意外にも小柄で,今さんとおんなじようにやさしい話し方をする人たちだった。 行き先は案外すんなりと決まり,実は密かにあれこれ頭を悩ませていた私は思ったとおりの徒労に終わる。 (・・・もちろんいい考えなんて浮かんじゃいなかったけど。) 4人で並んでアーケードを抜けて 明かりの灯った並木道を通って お目当ての十字路のレストランへ。 暖かな店内に落ち着くとこれまたすんなり話は気持ちよく盛り上がる。 お酒もご飯もおいしかったし。 今さんが少し風邪気味で体調を崩していたのが唯一残念だったこと。 それにしてもこの人もほんとに恵まれてるなぁ,愛されてる人だなぁ,と思った。 私も今さんもこの街で生きてることによってつくづく実感できることだ。 普段離れていても変わらず一緒にまわりの空気を温められるということ。 ありがたいともだち。 ほんの束の間ではあったけれど,私もその輪に入れてもらえてしあわせだった。 ほんと言うと,自分の友達が恋しくなったけどね。 翌朝今さんの出勤とともに大阪に戻るという彼らに早く休んでもらおうと思っていたくせに 結局はお言葉に甘えて慣れない広島の道を郊外の私の家まで送ってもらってしまった。 夜のバイパスを心地よく揺られているとふと こんなふうにして二人で車の後ろに乗るのは初めてだと気付いて横を向いてはみたけれど, カフェで飲んだショコラ・オレに垂らしてあったお酒で酔っ払ったと言う 気持ちよさそうな今さんに教えるのはまた今度にしようと思った。
人が多いと思ったら,そうなんだ。今日は土曜日なんだ。 あの映画館は,いつぶりだっけか。 市内中心地から歩いてみることにした。 寄り道はちょうど中間地点あたりのカフェで。 窓際の席に座って思い出した。 そうそう。前に来たときは向かいの白神社に桜が咲いてた頃。 今日の席より2つ,3つ左よりの席だった。 今はすっかりコーヒーが飲めなくなっているし。 ぐるぐるぐるぐる回り廻る季節と一見おんなじように動いて見える私は, 実はぐるぐるぐるぐる回り廻っているのではなくて, 明らかに変化してるんだなぁと思った。なんとなく。 いや。 季節にしたってぐるぐるぐるぐる回り廻っているわけではないのかも知れない。 おんなじように後戻りのできない動きをしているんだろう。きっと。 おんなじ春は来ないし, おんなじ夏は来ない。 おんなじ秋は来なくて, おんなじ冬も来ない。 そういや去年だって勇み足のさくらがいたな,なんて思い出す。 去年の秋は一昨年の秋より遠くへ出掛け, 去年の冬は一昨年の冬より暖かだった。 今年の春は一体どんな風景が広がるんだろう。 やさしくあって欲しいと思う。 春も。 私も。 映画の話はまた今度。
しかも部長さんの席の真後ろの棚の上, テディ・ベアを思わせるような優しい色合いのイヤァ・マフ。 いや,確かにいでたち的には似合うだろうけど・・・が,しかし・・・。 と箒握ったままひとりでしばしふんがっふっふ。 結局ちりとり持ってごみを集めにあらわれた 男性職員さんのものであることが自己申告により判明。 すっきりしました。 それにしても結構可愛いくせに¥100で買えるとは。素晴らしい世の中だ。 予想はしていたものの,部長さんの持ち物でなかったのが残念。 はめたことあります?イヤァマフ。 ちっこい頃に毒々しい色+人気のアニメキャラのイヤァマフが羨ましくて羨ましくて。 きっとクラスの誰かが学校に持って来てたんだろな。 けどうちの親はそういうの(→キュウトなキャラクタァ系。)が大嫌いで買ってくれなかった。 んで,いやらしいチビエスはおばあちゃんにタァゲット変更+ロックして イヤァマフを持ってない自分がどんなにみじめだか熱弁をふるって うまぁい具合に入手しちゃったわけです。 あぁ,いやな子。 そのお店でのことなんですが, 忘れられない光景。衝撃の瞬間。 孫の安全を考えて,おばあちゃんはイヤァマフを試着した私に声をかけます。 「エスちゃん,聞こえる?」 私は答えます。 「聞こえない。」 ・ ・ ・ 「エスちゃん,ちゃんと聞こえてる?」 「聞こえないよ。」 ・ ・ ・ 「エスちゃん,聞こえてるでしょ?」 「聞こえない!」 ・ ・ ・ しばらくこんなやりとりが続いて,ふと店員さんがひとこと。 「あのぅ・・・音楽とかは聴こえないよ?」 ・ ・ ・ !!! えっ!そうなの? そうです。 私,イヤァマフとヘッドフォンておんなじものだと思ってたのです。 ならばもちろん何だか楽しげな音楽が聴けてなおかつ可愛いイヤァマフの方が断然素敵だろうと。 おそるべしお子様系勘違い。 勝手に勘違いしときながら,もうその後の落胆ぶりと言ったら! 喫茶店で大好きなシュガァ・クレェプを食べさせてもらっても悲しみは消えず。 そりゃ文字どおりの肩がっくし。 そんな出来事を思い出させてくれた今日の某氏のイヤァマフ。 ちょっと切ない夕暮れ時です。 あ。何だかんだ言って結局イヤァマフは買ってもらったんですけどね。
日記書くにも「2002」って入れちゃって 気付けばちょうど一年前の日記を書いたことになってしまい (ちゃんと毎日毎日更新してれば問題ないのだけれど。), 職場では「平成14年・・・」と書きかけては 「おわわわわぁぁぁぁ。」っと4を5に無理矢理かつ突然変異させる。 そんなのの繰り返しです。 昔は年が変わるのがどことなく楽しくて,ノートの右端に嬉しげに日付入れたりしてたのになぁ。 こんな風に人はひとつまたひとつと年を取るのが億劫になってくるんでしょうか。 とは言うものの, みなさん(←誰?)自分の写真ってよく眺めたりします? エスはしません。 けどね,しあわせなことにいまだ現在の自分の写真が一番好ましいです。 きっとあるときを境に,昔の自分の写真ばっかりを好んで見るようになるんだろね。 「あー。あの頃は楽しかった。」 とか 「こう見えても若い頃は結構いけてたんだぜ。」 とかそんな風にね。 それっていつ頃訪れるんだろう。 それって衝撃的な瞬間なんだろうか。 それとも「最近写真映り悪いなぁ・・・年のせいかしらん・・・。」みたいなのが 少しずつ少しずつ蓄積されていくんだろうか。 おー。 私はその瞬間(もしくはだいたいの頃)を感じてみたい。 忘れないように。 あー。 けどこういうのってだいたい忘れちゃって,気付いたら過ぎてんのね。 これ,いつものパタァン。 とりあえず 今のところは過去の写真見るのがまだ恥ずかしい頃。
はまった 見事にはまった 自己嫌悪の水たまり 抜け出そうとしてじたばたじたばたしようとすればするほど 私の両足を咥えた水たまりはより一層澱み 私は自分を見失う お気に入りの靴を汚すだけでは飽き足らず 汚い染みをひとつふたつみっつと ものすごい勢いでしっかりとつけてゆく どうしよう どうしよう 気休めのつもりでうずくまった浴槽で 思わず涙がとまらなくなる 冷えた足先にじんじんとあたる熱いお湯と 壁を伝う幾筋もの水滴に 涙を引っ張り出されるような 居場所を与えられているような 不思議な感覚 謝ろう 早くお風呂から出て謝ろう 一度ついてしまった染みは消えないかも知れないけれど 最悪の事態は避けられるはず
えぇがいに(←《広》いい具合に。いい感じに。の意。)タイマーが作動するようになってるんでしょうか? うちのお母さんはピッチを壊しました。 厳密に言うと,もう長いこと壊れてたんですが・・・ いっこ前に使ってたピッチを壊して (注:この人はいっこいっこ確実に壊して前へと進む。) カラーに機種変してまだ間もない頃, どんな風にいじったのかアンテナに重症を負わせました。 で,正しい対処法としてはまず修理に出すのでしょうけれど・・・ そこは彼女,自ら潔く撤去作業に乗り出し市販の携帯用アンテナを設置。 まわりの者が予想した通りのフラフラ,ユルユルな状態を創りだしました。 アンテナとして機能していたかどうかは今となっては謎のままですが, 通信中にぼんやり儚げに灯る青い光に満足はしていたようです。 そんな状態で年を越すかに思えた彼女のピッチですが, ついに自ら充電されることを拒否。 体内にわずかに残ったチカラで2003年を迎えました。 体を張っていろんな伝説を生み出してきたお母さんのピッチは今年ついに三代目へ。 確実に時代は流れております。 今はすっかり主流となった折りたたみ。 その新しく美しく今風な容姿に 今までややこしいからと言って敬遠していたメールのやりとりにも前向きなご様子。 大嫌いなぶ厚い説明書をめくりながら日々勉強しているようです。 人間,気分の切り替えひとつで変わるもんですね。 昨日はトゥインクル・ライトっていうのの色設定を変えてみたそうです。 家族からかかると青白く, それ以外だとオレンジ色に光るんだそうです。 (音も違うらしい。) それからもうひとつ。 待ち受けに大きい表示でしかもかわいい時計を設定したんだって言って 嬉しそうに見せてくれました。 (お父さんも私も1分間,ゼリーみたいにぷにぷにと数字が変わる瞬間まで待たされた。) 娘は驚いてますです。 これからはときどきメールを送りましょう。 パソコンではなくピッチにね。
仕事が始まってしまいました。 布団に入って暗がりをじぃぃっと見つめる 日曜の夜のあの一見非生産的ひととき・・・ (‘一見’としたのは,ごくたまにいい考えが浮かぶこともあるからです。) 何とも言えないしゅんとした気持ちになりますね。 私に関して言えば,もううんと昔っから。 ハッピィ・マンデイなわけがあるかい! とどれだけ心の中で叫んだことか。 このお休みはまさに日曜でもって終了。 ちゅうことは休み明け第一週はばっちり一週間あるということです。 はぁぁぁぁ〜。 へなへなへな。 膝ががくんとなって座り込んでしまいそう。 健康的に眠りにおちることでそんなひとときをおしまいにしてぐっすり。 目が覚めたのは勿論今朝の5:55。 ばっちりです。 仕事が始まるのを狙ったかのように一気に寒くなった気候を恨みながらも おとなしく出勤の準備に勤しみ肩をすぼめるようにして電停への道をやや内股で歩く。 だって寒いんだもん。 やっぱりボアボアのブゥツ履いてくればよかったなぁ・・・ (これがものすごいあったかい!もう何じゃこれ?ぐらいの感動を呼んだシロモノ。) と,ぶつぶつうつむき加減で雑草生える細き近道を行く。 一歩踏み出すごとに足の指が冷たく冷たくなっていく。 それでも行くのだ。 出勤だ。 あ,そういや新しい通勤のお供ができたんだった。 ポータブルMD。 今年になってようやく解禁した手袋を一旦はずして環境整備。 いい感じだ。 ちょっとほくほくしながら今日も長い長い踏み切り待ちをするのです。 ワガモノガオでのんびりのんびり通過する列車を見上げながら。 ふっと振り返ると うつむき加減の人びとに紛れて 何人かが左から右へとおんなじ顔の動かし方をしているのです。 列車の動きとおんなじ。 一瞬前の私の動きともおんなじ。 今日はざっと4人。 まずまずの出だし。
ししおどし風の竹筒からはつららが垂れ 昨夜ぽちゃりと落ちた葉は垂直に立ったまま眠りにつき 皆が動き出すのを待っている じっとじっと息をひそめて待っている 決して遅れをとらないように ぎりぎりのところまで息をひそめていながらも 大きな羊翔ける静寂の美しさにひとりほぅっとなる
奈良から 京都から 島から たのしい写真の添えられた文が 毎日毎日届いた5日間は 今日で終わり いつもいつも250文字にすっぽりまとめるのが苦手な私です 明日はたくさんたくさんたくさんのことをおしゃべりしよう
えっちらおっちら少しずつ手袋のかたちになっていって どうにかこうにかクリスマスまでには編みあがりました。 (飾りにつけた羊毛がうまいこと定着せず ちょくちょくメンテナンスが必要なようではあります。) 手袋が私の手を離れた暁には 次はモヘアのマフラァに取り掛かることにしようと心に決めてました。 シンプルなかたちに小さな穴がぽこぽこ並んだようなデザイン。 いかにも女の子っぽい感じが自分で編むにしては新鮮で。 これにしよう,これにしよう,って決めてたマフラァ。 選んだ毛糸は今まで使っていたものと比べてうんと細い毛糸。 モカっぽい色。 ものすごく鮮やかな緑色。 やわらかいうぐいす色。 3つの毛糸玉を手にとってあーでもないこーでもないといつものように悩んだ末に 選んだのはうぐいす色。 編み上がりを想像したとき,一番私らしいような気がしたから。 (ちょっと違う雰囲気にもかなり惹かれたのだけれど。) 勢いがついてた割りには年末のばたばたで手をつけることができず 今日になってようやく袋から出して しゅるしゅるしゅると毛糸を引っ張り出してみることにした。 1回目。 単純に編み図とにらめっこして編み進めるも, 途中の図の省略部分でわからなくなり潔くほどく。 2回目。 ゆるい編み方が気になりほどく。 3回目。 適度にきつく,慎重に編み進めるも,どこかで目を落としたらしく観念してほどく。 4回目。 ふと勘違いに気付き,これではいけないとふりだしに戻る。 ・ ・ ・ その後もろもろの理由で何度も何度もやりなおしをして ・ ・ ・ ようやくパターンの法則に気付き(遅っ!),図なしでも編めるようになる。 まだまだ先が長いのはわかっちゃいるけど,ここまで大変でした。 いや,自分の間違いに気付ける人, そっからうまく後戻りできる人なら問題ないんですよ。 いちいち全部ほどかなくっても間違ったらすぐ後戻りしてまたすぐ進めばいい。 それが私にはなかなか難しいことなのでね, 編んでる過程で無駄な時間を過ごすことも多々あるわけです。 何シーズンか編んでる上で心に決めたこと。 間違ったら放置しないこと。 変にごまかそうとかせこい考えに走らないこと。 面倒でも遠回りでも戻る勇気をもつこと。 ・・・とっても大袈裟? えぇ,編物のおはなしが続いてるんですよ。 私,根性とかそういうのに欠けてるって自覚,たんまりありますから。 甘い! ゆるい! せこい! ・・・これ以上続けると新年早々にしてぐんにゃりしてしまいそうなのでやめときます。 まぁ,今日のこの日記を読み返したら今年の抱負めいたことも ぢんわり感じられちゃったりするかも知れませんです。 ちょっと嫌だけどお得感漂う日記です。 そうそう。 話を戻しましょう。 編むほどく編むほどく・・・の繰り返しで 極度に疲労したモヘアは必要以上にモヘアな雰囲気を増し, 途中毛玉みたいなのもできちゃう始末。 あぁ,なんてぶきっちょなんだ。私は! なんて元も子もないことをきぃぃぃぃっとなりかけた頭で何度も思っては セルフ冷却装置を作動させるこれまた地道な作業。 いやぁぁぁぁ!!っとなりながらもやめられない編物。 毎年,毎年,罪なやつです。 ちょっとのってきてるのでまたしばし没頭します。 お正月のゆるりとした空気の中, 静な日記のつもりが案外動(極めて内的。)な日記に仕上がりましたね。 私,結構ふつふつしてます?
またひとつ新しい年のはじまりです。 昔は一般道を走っていたのに気付けば高速道路に乗っていた ・・・という具合で年々時間の流れが速くなっていってるような気がします。 いつかは新幹線や飛行機にも乗っちゃうんでしょうか。 さてさて,新年目が覚めてからあれこれしてる間に届くのが年賀状です。 どれぐらい書きました? どれぐらい届きました? 人によってはものすごい膨大な数をやりとりするのかも知れませんが, エスはおかげさまでいい感じに落ち着いてきてます。 基本的に手書きなのであんまりたくさんになると大変。 一枚一枚絵を描いて色つけて・・・という年もありましたが, 近年では,ぽんぽぽんっとハンコ方式を採用。 消しゴムを彫ってます。 ひとつ作ってしまえばあとはかなり楽ができます。 毎年おんなじ枚数買ってるお年玉つき年賀葉書は,これがまた毎年微妙に足りなくなります。 ・・・ので,毎年5枚ぐらいは, 画用紙を切っただけ風の普段使いの葉書を引っ張り出してきてはそれで対応する。 いっそのこと,お年玉つき年賀葉書じゃなくてこっちの方が雰囲気でてるよ ・・・とこれまた決まって思うのですが,まぁそこは天下のお年玉つき。 もしかするともしかしちゃうかも知れませんですしね。 (・・・私の出した葉書で実はいいもの当たったという人,いるんでしょうか。) お年玉つき年賀葉書の購入枚数をあと5枚ほど増やすのがここ数年にわたる新年の決意。 ついつい忘れてキリのいい枚数にしてしまっています。 そんな風にゆるい感じで過ごしておる次第です。 今年いただいた年賀状の中。 「はて?」と思って差出人を見て「ひやぁぁぁぁ!」っとびっくりした一枚があります。 小学生の頃のともだちが結婚してました。 写真見ても誰かわからんかったぁ。 (文金高島田のせいもあるのよ,間違いなく。) 私たちは小学校は違ってたものの,通ってた塾がおんなじで。 夕方のうっすら暗くなった空の下,自転車こいで橋のたもとでばいばいしてたのを思い出す。 その後数年間音信不通になったりしながらも, いつの間にやら年に一度の年賀状の交換は復活していたのでした。 おぉ,びっくりです。 旦那さんも九州男児系のなかなかのいい男さんでした。 こういう写真もらうとみんなすごい大人な感じがする。 実際は(旦那さんはわからないけど,彼女に関しては)おない年なのにね。 そんなことを思いながら今年も忘れないうちにアドレス帳の整理をしてみました。 引っ越した子は住所を新しいものにして。 結婚した子はもとの内容を大きく×して新しい名前で新たに書き直す。 これがまた新しい苗字が覚えられん。 どうしても旧姓が色濃く残る私の頭の中。 次に用があってアドレス帳開いてもなかなかおめあての人が出てこない。 仕方なくぱらぱらぱらぱら最初からめくっていくんですね。 というわけで結婚して「あ行」になる方,大歓迎! (・・・でも実際は今のところそんな人いない。) ちなみに今回のともだちは「た行」。 さて,それでは皆様素敵なお正月を。
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