また帰って来たロンドン日記
(めいぐわんしー台湾日記)

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2002年12月30日(月) 冬はやっぱり温泉@台北

思っていたよりも寒い台北の冬、やはり温泉なしには生き残れそうにない。家の風呂がシャワーだけで、バスタブがないというのが外の温泉に足を向けさせる最大の原因かもしれない。地中海沿いの南フランスに住んだときもそうだったけど、いわゆる「年中熱いと思われているところ」はちょっと疑ってかかったほうがいい。確かに夏はシャワーだけで問題なくやっていける。でも、なんだかんだ言っても、やっぱり「冬がある」土地ならば、冬は湯船につからないことには疲れがとれない。

ということで、昨日は市内の行義路温泉に行ってきた。ここはうちの学校のクラスメイトが紹介してくれたところ。経営者が日本人で清潔だという。

このクラスメートとは、おととい一緒に北投温泉の「瀧乃湯」に行ってきた。せっかくだから昨日行った行義路温泉の話をする前に「瀧乃湯」についても書いておこう。


北投温泉「瀧乃湯」
この温泉、北投では老舗らしく有名なので、一度入っておきたかった。日本風の外観だが、壁などもう少し手を入れてくれればなぁ、、、と思うようなつくり。

中はといえば、日本に昔よくあった温泉の公衆浴場といった感じで、雰囲気は悪くないのだが、やはり日本と違うのは「不潔」という点に尽きる(笑)。日本では、まず靴を脱がせてから更衣室で服を脱がせ、浴室に入ったあとは身体を洗ってから湯船に入ってもらうというプロセスが、浴場の形に反映されている。

しかし、ここ「瀧乃湯」もそうだったが、湯気が立っているお風呂にみんなが浸かっている真ん前まで靴を履いて入ってきて、その場で脱衣。さて身体を洗おうかと思うと、併設のシャワーは水。温泉のお湯を使って身体を洗おうにも十分なスペースがない。何より気になるのは、着替えをするところの足下の汚さ。むかし、うちの小学校のプールの更衣室がコンクリートの床で、清潔でなく好きじゃはなかったのを思いだす。ここはそこよりも段違いに汚い。せめて靴を入り口で脱がせて、風呂の真ん前でもいいから、着替えるところには簀板(すいた=簀の子)を置いてくれたらなぁ。そうしたら百倍は快適なのに。うーん。

あ、しかも泉質が硫黄泉で、思っていたよりも酸性が強かったらしく、顔のお肌が荒れてしまった。何ヶ所か赤くなって、結構ひりひりした。こういう強いお湯で顔を洗うものではない、、、。


行義路温泉「湯瀬」
さて、ところ変わって昨日の行義路温泉。「湯瀬」というところに行ってきた。天母のあたりからかなり車が多く、結構混雑している感じ。中に入ると、確かに清潔で日本ぽい。日本人も多く来ているから、日本人の要求をクリアしているということだろう。

ここのお湯は乳白色。お湯はさらりとしていて柔らかい感じがした。こじんまりとした露天風呂で、スチームサウナと水風呂、「熱帯雨林」という名の「強力打たせ」もついている(笑)。ここは建物からして日本風の木造建築で、風呂場も湯船から床からみんな木で出来ている。これが何と言っても温かいという感じを日本人に与える。

感想は何と言っても「きれい」という一言に尽きる。露天からの眺めも○。出来れば今度は、平日の午後に来てのんびりとマイペースにつかりたいという感じ。入浴料は200元。

ふーっ。いつもぽかぽかと暖かにしていたいよ。毎日でも温泉に入りたいと思う季節。近くに温泉はないので、学校のプールで泳いだ後の熱いシャワーで妥協。それでも泳いだ後はぽかぽかして気持ちがいい。


2002年12月28日(土) 「台北は全然寒くない!?」

「台北の冬は全然寒くないよ!!」

なんて一体誰が言ったのだろうか。だから、こと冬の寒さの感覚については「『内地人』の物言い」には気をつけないといけない。というのは、俺は7年間北海道に暮らしたせいで寒さの感覚が『北海道人』化しているからだ。

内地というのは「北海道と沖縄以外の日本」という意味で、北海道ではみんなこういう言い方をする。例えば北海道に遊びに行って、地元のご飯屋でおばちゃんと話をすると、

おば 「どっから来たの?」
旅行者「あ、東京です」
おば 「へぇ、内地からかい? 遠いところからよく来たね」
旅行者「内地???」

という具合になる(笑)。

内地人は北海道を寒いところだと思っているが、家の中は日本一暖かい。何と言っても北海道人は「暖房費をけちる」という感覚がない。だから、彼らが内地に行ってすごく寒い部屋で頑張っている内地人を見ると

「???」

と思ってしまう。なんといっても、北海道ではアイスの売り上げが夏より冬の方が多い(笑)らしい。

で、何が言いたかったかというと、台北の冬は「思ったより寒い」ということ。単純に俺が住んでいる場所が夏クソ熱くて、冬寒い屋上だからかもしれないのだが、ま、そこまで温かくはないということ。いちよう『冬』が来ると思っておいたほうがいい。

ついに、今日『暖房機』を買った。マイナスイオンがでるらしい(ホントか?)。この冬は出来るだけ毎日水泳して、軽〜く乗りきる予定。(笑)


2002年12月27日(金) 台湾一人暮らし

台湾に来てから4ヶ月以上がたった。中国語の学習は遅々として進まず、はなはだ上達したという実感にはほど遠いけれども、とにかくそれだけの月日が経った。

台北での住居は、最初は3人で部屋をシェアすると形式だったけど、ひと月半前に今の部屋に引越して、完全な一人暮らしとなった。

完全な一人暮らし、、、。
ま、さみしいはさみしいのだけど、意外にそこまででもない。といっても、やっぱりさみしいかな(爆)。ま、おれも基本的に大家族で育っているので、わいわいというのが好きなのだろう。台湾というところが日本人にとってほとんどストレスのない外国であるということも、かなり関係があるかもしれない。

雨の降る夜はエリックサティーを聴きながら、物思いにふける。

友達によると、来週いっぱいも雨になるという予報らしい。メランコリーな秋がいつまでも続くと思っていた台北。気がついたときにはもう長雨の降る冬になっていた。


2002年12月24日(火) 台北の「年末」

もう年末だというのに、台北というところはなんの変化も感じられない。「師走」という言葉は、、、全く別世界の言葉のようだ。イギリスやフランスでもクリスマスがあるせいか少し時の流れが違うのだが、台湾はやはり旧暦の正月が重要なのだろう。

ということで、気がつかないうちにクリスマスになり、もう少しすると2003年、中華民国92年、平成だと何年になるのかな?

こんなのんびりとした「年末」を過ごすのは初めて。

学校のオーストラリア人曰く、彼の地のクリスマスは真夏。プールサイドでバーベキューをしながらすごすとか、、、。南半球の正月もさぞかし違うことだろう。関係ないけど、南半球って渦巻きが逆になるらしい。そう考えてみると南半球って行ったことないなぁ。


2002年12月23日(月) 「美足コンテスト」そして、三等賞が当たった!!

なんということでしょう、先週末、我が師範大学国語教学中心の新年会兼クリスマス会があったのだけど、この中のくじ引きでなんと3等賞が当たってしまった!! こんな経験は今までで初めてだ。

実は当日「美腿比賽(美足コンテスト)」なるものに参加したために、ちょうど服を着替えていて、発表を聞き漏らしてのですよ。

その前に美足コンテストについて。最初は足は実物、上半身は影のみ見えるようにカーテンが下がっていた。もちろんこんな出し物はトリを飾るにふさわしい。コスタリカ人のウーゴに誘われるまま出たことを、かなり後悔したけれども、それも後の祭り。バックステージは参加する10人の男達の熱気でむんむん、、、。俺は早々と敗退が決定。最後はみんなで舞台に登場し団結心の強さをアピールしつつ『醜態』をさらしお開きに、、、。こんなグロテスクなものに参加した日本人やっぱりはおれ一人だった、、、。

で、くじ引きの話。会が終わって事務所の人達がみんな帰ってしまってから友達の一人が「三等当たってたよ!!」と言ってくれた。もう誰も人がいないので残念だけど、月曜日まで待つことに。

『132番さん、居ないなら他の人にしますよー』

とかなってたらどうしようと実は気が気ではなかった。それもこれも、こんなこと以前になかったからだ。

で、今日になってやっとその景品がなんだったのか知ることが出来たわけ。

1等はテレビだったらしい。2等はCDプレーヤー、4等は電子レンジ、5等は自転車。三等の俺は何がもらえたのかというと、


「電子辞書」!!


やったー。オックスフォード(中国語では「牛津」)の漢英・英漢・英英・プラス漢漢(中国語の国語辞典)、さらには百科事典までも入っているスグレモノ。話によると、3,4千元(日本円で1万2,3千円)ぐらいはするらしい。

師範大学の融通の聞かない事務所から、してやったり、授業費を返してもらったような気がして、うっひっひっひ、うれしいったらないよね。

今日は日本からも荷物が届いたりして、なんとも幸せな日だった。ほんと、うーん。


2002年12月22日(日) 陽明山で温泉フィーバー。

行ってきました!! 台北北部の陽明山(ヤンミンシャンyang2 ming2 shan1)の温泉! 山の中にいきなり巨大な駐車場が現れ、駐車場は超満員。馬槽(マーツァオma4 cao2)温泉と言う名前。中には巨大な食堂があって、そこでまずご飯を食べる。ぽたぽた雨漏りがしてきたりして、台湾らしくてご愛嬌。空心菜の炒め物、エビ料理と炒麺プラス「ニンニク鷄肉スープ」をたのむ。このスープがすごい。見た目はニンニクだらけ、200粒ぐらい入っているのではないだろうか? でも、においはほとんどなく、あっさりめな味。身体はぽかぽかと温まり、健康な感じ。準備万端いざ温泉へ。

おー、すごい!! まさに温泉天国。湯船につかると「我為了今天才活著」(この日のために生きて来た)と高らかに宣言。「はおしゅーふーおー(=あー気持ちいいー)」。ここの温泉何がすごいって、その大きさ。日本と比較しても、なかなか引けを取らない。って言うか、こんなとこなかなかないと思う。とにかく泉質がいい。しかも巨大。また今度もつれて行ってくださいまし。


2002年12月15日(日) 秋晴れ

今日の台北はさわやかな秋晴れ。熱くもなく寒くもなく、Tシャツ一枚で居てちょうどいい感じ。湿気もない。日曜日の午前は車も少なく、空気も少しいい気がする。

台北駅の近くの飯屋で、日本人(高知くん)と台湾人(新荘くん)の友達と昼ご飯を食べる。これが大はずれで、俺は水ギョウザと酸辣湯(スワンラータン)、友達二人は乾麺と湯麺をそれぞれたのんだのだけど、多分俺が台北に来てからいちばんまずいと思った代物。

「還可以」ハイクーイー(hai2 ke4 yi4)
=まあまあ

とはとてもいえない味なので、他にどういう表現があるかを聞いたら

「勉強可以」ミエンチアンクーイー(mian4 qiang4 ke4 yi4)
=何とか食える。

と言う表現があるらしい。店の人に通じたかはともかく、酸辣湯は味の素っぽい味で三口でギブアップ、、、。

高知は帰ってしまい新荘と二人になってしまった。アンニュイな日曜日の昼下がり、お天気は良し、台北駅の近くでお茶をすることに。この近辺は塾(「補習班」プーシーバンbu4 xi2 ban1)が多いことで有名。彼も高校時代はここに通って「大変だった」らしい。

台湾は、この新荘くんを含め、本当に日本語が上手な人が多い。彼も日本に一年(!!)留学したらしいが、それにしても、自分の中国語や英語の事を考えると、なんともお恥ずかしいかぎりだ。彼は日本留学時代「すごく」勉強したと言っているが、俺も「ちょっとは」勉強しなくてはという気になる。ましてや転入試験があるのだし、、、。

家に帰る。エゲレスの大学入試センターに相当するUCAS(ユーキャス)に転入の願書を送ってもらうように手配する。今はインターネット様々だ。ネット情報によると、台北にもブリティッシュ・カウンシル(通称ブリカン)があるらしい。ここでも願書を配付しているとのこと。その方が早いから火曜日に行ってみよう。それにしても昔会った札幌のブリカンの若造(エゲレス人)の態度は本当人ナメてたなぁ。当時は自分も若かったし、ま、今となっては彼も普通の失礼なイギリス人の一人に過ぎないという感じではあるが、、、。


2002年12月14日(土) それを逃してはいけない

僕は本当に長い間充電を続けている
この途方もない時間は
終わりさえないかのように感じられる
この手探りの暗がりの中から
本当の自然な光に包まれて
自由闊達に動くことができる日が必ず来る
それはわかっている

ただ、あまりにも長い歳月は
睡眠不足を伴って僕の心を弱くする
明けても暮れても
弱い者たちが
歩いても走っても
到底たどり着くことのない場所を
夢みては夢やぶれ
その日を、その夜を生き残っていく
ただ生きることだけを選ばされているように

また太陽がのぼる

太陽はどうでもいいことばかりを照らすのではない
身体が、頭が、そしてこころが
一つになることがこんなにも容易ではないと
彼らは教えてくれるのかもしれない

人は最後には同じところに戻ってくるのだろう
自分の場所へ
それがどんなに殺風景だとしても
自分であることを感じる瞬間
それを逃してはいけない










2002年12月13日(金) インターネットに再接続!

早いもので引越してから約一ヶ月、12月も半ばになってしまった。台湾は西暦の新年をあまり重要視してないので、なんか日本と違って年末の慌ただしさがない。彼らは旧正月を祝うのだそうだ。って事で、今年の旧正月は一月の終わりぐらいにあるらしい。

というか、毎日寒い。台湾の冬は寒い!!!

うちに家が屋上にあるせいかもしれない。友達の家とか、自分の住んでいる建物でも、下の階に降りるとエレベーターを待っているときに、本当に暖かく感じる。結局、携帯用コンロを暖房代わりに使うことに、、、。

なんか旧正月前後は2週間弱の休みになるらしい。みんな日本に帰るみたいだが、居留証の関係で帰れるのかな、、、。どうしよう。台北はこの間閑散とするそうだ。


倉田三平 |MAILHomePage

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