生きとし生けるもの |
いつ亡くなってもおかしくない人の看護は本当にいつも不十分さを感じる。セデーションをかけすぎる怖さなんておかしいかもしれないけれど、いつか本当に息が止まりそうって言う前に「すべきか否か。」
家族に選択権を与えすぎてもいけない、苦痛を与えてはならない。
「あれを行ったために死んだ」と言う気持ちを与えてはいけないからだ。
でも、「ずっと苦しめた」とも思わせたくない。
選択は私の手の中で葛藤を生む。
息を引き取るというのは終わりだけでない。これからが残されたものが左右される1番の始まりである。
今日も仕事を終え、満足に行かない自分の葛藤に悩まされるのである。
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2002年11月09日(土)
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