黒武日記
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 ぼくの正妻・・・制裁?果たせなかった悋気。
2006年05月29日(月)

 はい。コンニチワワ。
銀蔵のとこで先ほど「僕の正妻=ベートーヴェン」ってのに驚きモモの木山椒の木・・・。ホントにこんな事言っちゃうリアル男子がいたことが驚きですね。確かに。自分のことなのに言っちゃうのがすごいよ。そして、シンドラさんに殺されなかったのが心底不思議ですね。全く。
シンドラさんは自分がベトベンの正妻だと思ってるので違うアプローチできたベトベン=正妻はオッケーなんですかね・・・。どう考えても目上の相手に対して「僕の正妻」呼ばわりはどうなんでしょうかね。そして、ベトベン先生のリアクションはどんな感じだったのでしょうか・・・。激しく気になりますよ。でも、普通笑い飛ばしておしまいですよね。そんなキャラだったって時点でホルツは愛されてるなあ〜とも思っちゃうのですがね。かわいいから許すってやつですよ。コレ、シンドラが「あなたは私の正妻ですからね」とかほざいたら椅子が飛んで来るんじゃないですか。男ばかりでつるんでると、どうしてもそういう冗談がでてきちゃうんでしょうかね・・・。

 拙者は、西郷隆盛が山田顕義(市之充)(日大:国学院創立・司法卿・長州諸隊総裁・函館戦争にて五稜郭と落とした男でございます)にむかって「よか稚児」とか素面でいってて戦慄ものだと驚いた記憶がございます。
それこそ、椅子でも飛ばされてるんじゃないかと・・・。




 へ〜!!
2006年05月23日(火)

 こんにちわわ。
昨日夕方に携帯をみてみたら、普段こないくせに3人からメールがきていてびっくりしました。なにが気まずいって、その前日から翌日の夕方までテストのできないぶりにやさぐれてて全く気がつかなかったことでしょうか。
数年ぶりの人とかは流石にすぐにメールかえさないとソレきりになりそうでアワワ〜!!!とあせりました・・・。

 




 どうしよう
2006年05月22日(月)

 こんにちわわ・・・。黒武はもお〜就職活動しかないのか・・・と思ってがっかり気味です。自分が無為に過ごしてきた日々の清算ともなると・・・どれだけ涙呑むんだろうか・・・と思うとさらに現実逃避を続ける毎日です。昨日・・・試験だったんですが、あきらめました・・・。せいぜい10問くらいしか解けた気がしない・・・。もお、時間なんてギリギリっていうか足りてないしね・・・。その時点でだめじゃん。ポーランド人ってスラブ系?とか頭悩ませてしまってタイムロスとか、アメリカのレーガンから今のブッシュまでの政策なんて知りませんよってんだ。英語は皆本分すらよまず選択肢を見てシックスセンス(ようはあてずっぽう)ですよ・・・。
だめだ・・・。神様仏様!我にまぐれを!!って願うしか・・・。

もお、なにもして無かったですから・・・。今から就職できるところなんてあるんでしょうか?自分に出来ることがあるとは思えない。







 函館の女王様
2006年05月17日(水)

 はい。函館の女王様って名前のサイトを見つけたりして何だか笑っていいのやらなにやら・・・。いや、それでもいいと思ってるけどね?
ファンサイト?回るときなにが困るって、新撰組は名前が変わることなく函館までいってしまってるので、京都から函館まで網羅する形でサイトがズラー・・・・・と出てくることなんですよ。多いのは嬉しいんですが、その傾向が玉石混合というかなんというか・・・。夢小説とか多いのも特徴ですね・・・。あと、沖田が紅顔の美少年なのは笑いが止まらなくなるから見れないし・・・。でも、最近は美少年沖田よりアイタタ・・・・な土方さんを見かけるほうが多いような・・・。いや、尊敬しちゃうような面白いのにカッコいいとかそんあサイトも沢山あるんだけど・・・アイタターーーーーー!!!!と叫びたくなるようなサイトも沢山・・・盛りだくさん!!
ヒエラルキーの下にいるとは思えないのに、この扱いはナニ?
もお、今となってはいっそ耽美に走りたくなるような土方目撃談を書いた人達の証言が正しかったのか疑いたくなるほどだ・・・。いっそオニのままでいたほうが良かったのでは?写真が残ってしまった以上それ以上の情報はかえって妄想の虜になるものを増やしただけなんではないか?
京都の主要戦には全てといっていいほど参戦、その後転戦し、函館オールスターズの仲間入り・・・。この煌びやかな実戦経歴、軍神たるに十分。なのにね〜アイタタ〜・・・行く先々で男作ってるようなトシはどうなの?
潔癖にトシさんはそんなんじゃないわ!っていうより・・・あれがそんなタマに見えるか?ッて話ですよ。
といいたいのだが・・・・まわりも曲者ぞろいな上に、トシのキャラ?でいくとヘタレにも甘くてもいいかもvvなんて目の付けられ方もするわけで・・・北の母なわけで・・・・。かつてはオニなわけで・・・。
陸軍奉行「並」って・・・どこにいってもナンバー2なわけで・・・でも、影の元締めなわけで・・・。またもや女房役か・・・。


 大久保利通は、司馬先生に大変愛されておりまして、近年やっとこさ故郷鹿児島に墓だかたてられたそうで・・・というか裏返せば西郷と袂を分かつと同時に故郷とも離別したんでありまして〜・・・。いや、そんな大久保(一蔵)どんは歳三と同じ分類に司馬先生はされてたっぽいというか・・・。明治の三傑とトシを並べるなよという話ですが、司馬氏は男の美学として贔屓してるのはこの二人だろう。うん、納得!と思うのだが・・・それもこれも、良く似てると言うかね〜・・・活動とかは共通点なんぞ無い二人ですが、この男こそとおもってついて来た男より実務では有能だったという・・・そして周りにとっても必要だったという・・・。己を殺しまくって組織のために尽くしてるあいだにメキメキ力がついちゃったもんで、心では着いていきたいのに着いていく必要が無いという・・・。
ごめ・・・説明したいけど、どこからどういえばいいのやら・
いや、散文散文!!!読んでもらう事を前提にした書き物なんて拙者には無理無理アハハ!
一蔵どんと吉之助(西郷ね)ともなるとスケールでかいというか・・・別れも大悲劇っていうか・・・腐女子メガネかけようとかけまいと同じドリームが見えてくる気がするよ。西郷の死の一年後に一蔵どんは暗殺されるんだよ〜現場に駆けつけたの吉之助さの弟ってのも因縁だよ・・・!!
だめだ・・・・悲劇版ハーレクインロマンスにしか見えてこなくなる。
 ものすごい家が近所で鼻垂れてる頃からの知り合いってのがスゴイ・・・。吉之助さは子供の頃から超カリスマで、女所帯の病弱な男の子が一蔵どんだよ☆二人ともとっても貧乏だったけど頭だけはモリモリによかったからやがて藩政にもかかわっちゃうよ★具体的には良く分からない罪で(確か)3回も島流しにあっちゃう吉之助さを連れ戻すのも一蔵さだよ☆うわ〜超世話がやける!!行く先々でカリスマビームを振りまいて「皆死セ」とかいっても「チェストーーー!!!!」みんな怒らないよ。コレが他藩だったら言った人間がぼこ殴りにされちゃうよ!
アニキが西南戦争の首魁なのにしっかり政府側にのこってる弟従道が一蔵どんを思いやったりした日には「兄嫁を気遣う義理弟」というシュチュエーションに見えてくるから重症だよ。そんな一蔵どんヒストリーも暗殺で終了ってんだから・・・。胸震える人生としか言いようが無いよ〜・・・。
幕末のなにが面白いって・・・それぞれがドコからどう流れつくかにあるよなあ〜と・・・あ、人物ってみんなそれですよね・・・。

 在るサイトさんが坂本竜馬と中岡慎太郎を「悪童と神童」と呼んでいて・・・ステキだなあ〜と思いました。竜馬はあのとおり自由人で中岡は武士そのもの〜みたいな事をどっかでみたこともあるんだよね・・・。全く違うのにセットで語られるふたり。仲良かったと思いたい。いや、べつに、どこでも仲良しにされてますけど!!!竜馬暗殺の模様が後世に伝えられたのは中岡さんが二日ほど重体でいきてたからなんだが、切り込まれた直後医者を呼べだのなんだのしたのは竜馬だってもの泣けてくるエピソードですよ。自分は頭をやられたからダメだって慎太に言ったんだってさ・・・。死にそうなのに医者呼べ!とかてきぱきやったのは全部慎太のためか!!
とんだ誕生日だよ〜。そう、坂本さんはお誕生日になくなられたそうで・・・。誕生からなくなる日まで、物語のような人生だ・・・。
勝センセ、武市センセ、以蔵よりも対等な親友だったのが慎太だよね?
竜馬が行く!全巻をやはり読むべきか・・・。
あれ読むととりあえずお気に入りの志士に出会うハメになるらしいですね・・・。とりあえず皆かっこいいから・・・。


 あ・・・こんなことしてる場合じゃねえんだよ・・・。





 バトン・トワラー
2006年05月14日(日)

 はい、こんにちわわ。投げやりになる日々です。低きに流れる日々です。
でも、バトンが回ってきてるっぽいのでバトンゾーンで取ります!取ります!!
角が72代目らしいので、その続きで!

進化バトン(73代目)

ルール
*気に入らない質問を3つ削除して、新しい質問を3つ加えてください
*進化バトン(世代目)をカウントアップしてください

◆あなたにとっての3種の神器は?:メガネ・ティッシュ・ゴム・・・隔離生活してますから・・・。

◆人生で一度でいいから言ってみたいカッコいいセリフは?:
「我が人生に一片の悔い無し!!!」⇒もはや手遅れでござるよ・・・。

◆宝くじで3億当たりましたどうする?:
どうすることも出来ないだろう自分が悲しいですなあ・・・。

◆一番最近読んだ書籍・雑誌は?:直近は同人誌・・・なあたり、言うこともないなあ〜・・・。幕末はいいよ?くらいしか・・・。

◆一番最近見た映画は?:「夜になるまえに」(2000年米)キューバ革命に翻弄された小説家の半生?⇒かなしくなってくる映画なのに、ホモ満載ぶりに色々気が気じゃない映画なのではないでしょうか。ジョニー・デップが尻丸出しなんてのは序の口でしたよ・・・。

◆大きくなったら何になりたいと思っていましたか:保育園のときになりたいものを絵に描けと言われて、実はとくになりたいもの等無かったが、事を穏便に済ませるために「保母さん」を書いた。中学生のとき職業の絵を描いて来いと言われて、取材形式半分なりたい職業探しをかねたものであるという意図を無視。京○グループの広報誌の「バスの運転手」の写真を丸写しにする。父兄が学校に来る機会にあわせて掲示されたその絵を見た母が「あんた、バスの運転手になりたいの!?」と言ったのに、「なりたいわけ無かろう」と応えた。

◆好きなブランドは?:特にない。

◆好きなブランコは?:ふざけてスイマセン。ちなみに私は二人乗り派です。


ところで、このバトンどこに回せばいいのか・・・グリーンかイエロー・・・たのんます。


 此間・・・銀蔵に幕末人の平均身長は?と聞かれて。155センチくらい?160センチちょっとあればすらりとしてる方と応えましたが・・・。
ホント、幾つくらいだったのか?180センチもいるのに145センチも自己申告で辛うじてって人もいるのでなんともいえない・・・。
桂小五郎が175センチ
高杉晋作が150センチ
久坂玄瑞が180センチ
山田市ノ充145センチ
ってあるのを見かけたんですが、桂氏がとにかくカッコいい基準だとするのは間違いないとして、久坂は大男過ぎで相撲部屋からスカウトされるだろ、とか将棋版に女性を乗せてそれを更に担いで回せたときたらもはや人間なのかも疑わしいとか笑えるんですけど・・・高杉と山田はコレもまた当時でもオチビだったようなので〜・・・この人達参考になりませんよ・・・。
しかし、身長を書き出した人も笑えると思ってのことなんだろうな〜。
土方歳三は165センチくらいだったような〜・・・?168?
何か高からず低からず・・・特に誰も何もいってないので・・・大きくはないがすらりとしてるとか言われており・・・。でも、前後関係から読むと意外だなあ〜みたいな書き方なので・・・。やはりとくに大きくも小さくもないという事で・・・。平均よりちょっっと高いくらいだよなあ〜周りの反応が。近藤さんは髷一つぶんくらいトシより低い感じだったようよ?
目の高さが同じか・・・それもいいなあ〜・・・。
あわわ。ポワ〜ンとしてしまった・・・。
三谷さんはナニ考えて「土方は近藤に恋していた」とか言ったんでしょうかね?大河はたしかにそのまんま恋でしたが・・・。
本気か?本気でか?と問いつめたくなる。
子母沢・池波・司馬と大手(笑)は土方は近藤を傀儡にしてたとか、ひどいこと言ってて定説くさくなってましたが・・・そうじゃないと言ってた人たちもいたわけですよね。それが採用されてうれしいやらなんやら。
上記の三人にいえる共通点は「ロマンス」が書けないあたりだと思うんだよな。そんな思考回路に恋を理解しろってのが無理な話か・・・。近藤はあからさまに女好きなので二人が出来てたとか流石に私もいいませんが・・・ロマンス抜きでかたると動機がさっぱりわからないほど土方の近藤に対する甘さに説明がつかないというのもホントだよなあ〜と思うのよね。当事者たちにしかわからない利害を超えた行動をしてるというか・・・。そもそも近藤さんのどこがいいのか・・・スイマセン・・・私にはわかりませんよ〜。というか特に興味ないっていうか。いや、いろいろ話が残ってても近藤さんって会ってみないと良さがわからないタイプとしか・・・思えない。沖田だって近藤大好きだし・・・。沖田と土方がセットってより沖田⇒近藤←土方なんだよ。なんでそんなにモテるのか?近藤よ。先に並べた三先生方ですらそれらしい説明のつけようが無かった近藤のモテぶり・・・。ただな、土方の方が能力があったからな・・・なんか解せなくなるんだよ。しかも、組織に対して一途に身を粉にして働くあたり・・・近藤さんも頑張ってるのに土方みたいに絵にならないのよ!!あっわわわ!!ほんと、コマルヨ。でも、同時代人にはやはりウケがよさげな近藤さん・・・やはり会って見ないとわからない・・・。
あ〜・・・とにかく無償にむやみに好きだった「恋」と解釈したくなる。
色気なんざ無いの。ただ名前を呼ばれるだけで嬉しいの。
その関係に欲が生まれちゃう女とはこんな「恋」はできないってやつだと思うのよね。実は乙女チックな俳句描いてる彼だったら、そんな「恋」が大事だったかもなあ〜と思うのだよね。思想の一致とか二の次だよ・・・だkら新撰組は幕末にあってなんか異次元なんじゃないかと。でも、この異次元ぶり、佐幕倒幕どっちも見るようになって気がついたよ。異次元新撰組(なんのタイトルだ・・・)がナゼ古くから少女マンガに登場し、それも内容は政変についてあまり多くを語ることがないのか・・・あくまで、青春と人間関係に終始するのか・・・。彼らが下っ端だったからとか、そういう事ばかりでなく、結局さ〜上にいる近藤土方が行動を共にする理由ってのが政治思想が云々ってよりごくごく個人的動機が強く、自然さ、隊のありようがそれに現れてるってことなんじゃないのか。隊のありよう・・・ようは政治思想なりをそれなりにきちんと持っとくべきなんだよな・・・とりあえず表明しとくべきなんよね。山並みさんはそのへんはっきりさせたかったんじゃないのか。はっきりしてないから、隊が訳わかんない事しちゃうのが良くないぞ!とまっとうな危機感感じてたんじゃないのか。伊藤が来たときも勤皇思想が持ち込まれて、本来その思想の違いをはっきり打ち出して対抗すべきなのが、あのときの志士ってもんじゃないのかね。まあ、新撰組が志士じゃないとか細かいこというなー。でも、時流はそういう感じなのにだよ。そんなのお構いなしなのが新撰組だよ。興味ないんだよね・・・細かい思想論なんか。頭悪いとか(学は無かったかもしれないがね)そういうんじゃなくて、興味ないんじゃないのか。下手にちょっと頭がいいためにボロが出にくいが、理屈より感覚を基準にしてるのが新撰組なら・・・矛盾も生まれようってものさ。新撰組っていうか・・・土方?だってもお〜近藤さんとなにかしたかっただけなんじゃないのか?何かしたいとは思いつづけてたけど、近藤さんがいなかったらこんなふうにはしてないんじゃないのか?
すごい・・・乙女じゃないか・・・。
こりゃ男らしさムンムンの小説書く方々には理解しがたいよな・・・。
というか、ありのままを受け取れよ。
実際はモリモリにヤンキーなのが土方なんだからさ、ちょっと女々しいくらいなにさ!土方さんがしおらしいのなんて近藤さんに対してくらいのもんじゃん。まだ、これ以上理想の英雄でもさがしてるなら薩摩に行ってくださいってかんじ。アニキの国薩摩に行ってくださいってかんじ〜。


まあ、どうでもいいよね・・・。




 永遠の反骨精神
2006年05月12日(金)

 はい、こんにちわわ。日本史の勉強をしてたんですが明治初期あたりで、維新政府に対して反乱が起きてますよね〜。西南戦争なんて西郷ドンが首魁だもんね。いや、すごい。萩の乱は前原一誠、佐賀の乱は江藤新平だったかなあ・・・。西郷ドンにかかわらず、倒幕にかかわり新政府の重鎮になっておかしくない人達なのよね〜この乱の人達。なんていうか〜明治政府でおいしいオイシイ役職に就けなかったからキレたみたいにゆわれるときが在るけどさ〜・・・西郷どんはそもそも発起なんてする気なかったわけだし〜っていうかもお、命かけてバカ(ピュア?ともいう)と一緒にバカやって死んでくれたんじゃないか?いや、すいません良くわからないのにねえ・・・。というか弟は政府に居座ってるしね。大久保暗殺のときも真っ先に駆けつけてるしね。小さいこと考えてないよ。あ〜・・・悲しい。前原さんもいい人すぎて新政府のどろどろについていけなかったとしか思えないよ。いい人だから、黙ってられなくて・・・やったんだよなあ・・・。みたいな。江藤さんは良く知りませんが、司馬せんせの本で主役のがあったよ。いや、個人的には前原さんだけはかばってあげたい気がする。他はまあ・・・ごにょごにょ。そして、神風連の乱。名前からして神道まっしぐらですが、古神道の筋の人たちで自然崇拝みたいなもんですよ。多神教じゃんよ。まあ、でも筋金入りの尊攘派になるのかなあ。あ、まあ、そうだろうなあ。西洋かぶれな人とすれ違ったら塩をまいて身を清めたらしいから。そんでも、他の乱とちょっと違うのは文化が踏みにじられていくことへの危惧が動機にあるっぽいあたりか・・・文化人思想じゃありません?代表も宮司とかなんだよ・・・なんか泣けてくるよ。ほっときゃさ〜明治でそんなに困る立場ともおもえないんですけどねえ?でも、どうやら熊本藩ぐるみで幕末動乱期御所の警備に出かけたりするも文久二年の政変で七公卿落ちだかあって、随分長州に流れたらしいんだな〜過激派は・・・とはいえ身内、がんばって倒幕してみたら開国だとか抜かして外国人は入ってくるは卑屈な文明開化に熊本勢はぶちきれってことらしい・・・倒幕で友を失って、政府にも反乱分子だとかいわれてとっ捕まえられて死刑になるんですよ〜友が!こりゃ、だまってられませんよねえ〜・・・。負けるとわかっててやってるからなあ〜ホントすごいよ。
これぞ「ラストサムライ」な方々です。ラストサムライではすっかり仏教徒な面しかでてきませんでしたが、神社もでてたっけ?大戦のせいですっかり危険思想神道ですが・・・宗教は歪められるっての忘れないでほしいですよね。そもそも神道って信仰ではあっても宗教なのか?思想ってのならわかるがなあ。やっぱ宗教はヤバイよ。あ、スイマセン・・・でも否定じゃないよ?といって逃げるか。

 面白い漫画とかあるから見てみてね!なサイト。
http://www.shinpuren.com/
神風連ドットコムさん。
別に右○サイトじゃないよ!○翼サイトじゃ!!
たしか、るろうにケンシンのモデル?の河上彦斎が主人公の漫画を見れば、倒幕側からみた幕末がわかるよ!
なんでもいいけど、とにかく漫画が好き・・・。力が抜けたギャグセンスにはまるよ〜。




 え?金髪碧眼?
2006年05月03日(水)

 ちょっと!あのホルツが金髪碧眼?!!一年ほど前にシックスセンスの求めるままにホルツを金髪碧眼に塗ってしまったあの日を後悔していたのに・・・いまさら明かされる真実?
 まあ、いいいや。アンナちゃんに関してのシックセンスが働いたゆえの碧眼遺伝子の一端だと思うから。アンナ嬢は髪は栗色で碧眼です。はい。




 ボヘミアン
2006年05月02日(火)

 銀とこで紹介されてた「チェルニー」先生肖像に爆笑。
 なにより、その「髪型」に。だってもお、さ?なんであんなところで分けて貼り付けちゃったんだろうって不思議さだけど、不思議も何も、限りなく広い額をカムフラージュしてるって以外なにものでもなさそうな・・・生え際の延長線を無意識で目視上で結んでしまうような・・・ね、不自然な髪のなでつけ角度、最高だよ。どこか近未来的だよね。SFチックで更なる魅力が引き出されてますよ〜あの髪型。チェルを愛してる銀には申し訳ないけど絵のデザインとしては面白いものがありますよ〜。惜しむべきは服かなあ〜地味服だから奇をてらうことも流行最先端を行くわけでもないために今みてもそれほど奇妙じゃないんだよね。流行服こそが奇妙さを追求したら最高な衣装もないんじゃねえの?例えば、簾みたいな前髪どころか、熊手みたいになった90年代女性の前髪とか、顔グロ超えてゴン黒になってる女子とか、ズボンずり下げすぎて膝が腰になってるとか、肩パッド入れすぎでガン○ダムみたいになってる服とか最高ですよ!!(それにしても、服飾の歴史上では定期的に肩の辺りの布地が膨張した服が登場するのだろう?そしてやりすぎちゃってる人がいるのだろう?)いっそ古いっていうより周期的に繰り返される流行の共通点って、逃れられない選択肢の限界を感じるんだよね〜ニュアンスは変わっても、あくまでも他の時代それぞれにある要素との協調を図る上の調和装置としてのやくわり程度がニュアンス程度の違いでしかないという・・・内面の表層としての外面といっても、人間、手足の数やら体の多きさが大幅に変わるという事も無いのだからなあ〜と単純にそういう事もあるわけだけど、内面の表出がすくなからず外面に繋がると言うことに異存がないとして、その外面を選びうる内面は流行という同じ共通外面をもつことで、その共通性を示している。つまりは流行服とは、同時代に生きる人々の共通意識の存在を示すものであり時代を感受した人々の総意的(平均的)意識の表出が流行ファッションなるものであるのだなあ〜と思うのですよ。その中で、いわゆる「いきすぎ」てしまう人々ってのは、同時代を生きる時代の空気からズレてるのですよね。しかし流行を無視してるわけではなく「乗ってる」わけですから、あくまでも同時代、同時代の人々の意識の上に載りたいわけですな。普通の人(いきすぎない人)ってのは、溶け込めてるわけですよね〜目立たない(在る意味流行服を少し取り入れるぐらいが一番目立たないという事実があるよね)ということは協調できてるわけです。でも、「いきすぎてる」人はそれが出来てない。同時代、同時代の人々・・・社会との協調ができていないといえる。しかしながら、その社会(まあ、広く見てもいいし、友達付き合い、会社、団体とか・・・なんらかのカラー、共通目的・意識(親密な)に積極的に介入しようとしている。う〜ん。極端に寂しがりやなのか、いや、むしろ強い自己顕示欲を感じますよね。簡単にいうと流行ノリノリの服は概して網羅的で、周りに溶け込むことがむずかしいものではないはず・・・だが、本来目立たないデザインだったとしても、それを更に大幅に強調し(間違ってることが多い)飛躍させずにはいられずミニスカが流行れば尻が見えるギリギリまでスカートを上げずにいられない!そこには常識なんて介入できませんよ。内なる叫びですからね〜。
自己顕示欲がなにから引き出されるのか・・・と事を考えようとすると様々な理由があるだろうことは想像に難くないわけでね、だからなんだって話なわけですが。(この、やりすぎの一端として気になるのが、全く分野が違い流行などなさそうな「コック帽」なんですよね。あの、偉くなるほどに帽子の高さが高くなるというアレですよ。力を誇示するがごとくそびえる白い巨塔ですよ!!あれ・・・最高でどのくらいの高さの帽子をかぶった人がいたのか・・・また・・・今もいるのか・・・。三角巾なんてお粗末なものじゃなく、そびえるコック帽の面白さは語りつくせぬものがあるなあ)
 いや、ハッキリいうとだよ。地味服なチェルは社会と調和できる柔和さを持ちえていたと言う事もよかったと思うし、(や、当時の社会体制の善悪とかがいいたいんじゃなくて・・・多少人の中で生きるにしたら・・・その方がマシかなって)現在みても「ふ〜ん」と思うあたりに時代に乗りきれない、いや、どの時代に生まれてものノリノリになることが無かろうという、裏返せば・・・大げさにいえば普遍的な人柄ぶりを垣間見れたのも良かったな。と思うんですが・・・。いかんせん、あの頭ですよ。あれだけは、ゆゆしき事態ですよ。クルクル髪の多かったであろう人々が考え出しそうな髪形でもあるわけですが、それにしても「奇妙」というか「珍妙」というか・・・。何か特別なチェル以外の意識の介入すら感じられませんか?まあ、「描いた人の」といわれればソレまで、なんですが・・・。特に変容の激しい髪形という分野だけに見逃せませんよ。あれは「流行」なのか?なんでしょうか?しかし、気になってくるのは・・・どうして「服」に現れなかった「流行」が「髪」にのみ現れているのか?これは「服」と「髪」に流れる「流行」の「共通意識」が別別のものであるということを示しているとみたい!このチェルの「服」と「髪」は明らかに異なった流れのもとにあるとみていいだろう。その異なった流れとは何か?「服」・・・・の流れは彼自身が溶け込むことで、ある意味無視してるから、追求することも無かろう。だが、「髪」の方はどうだろう。彼はどういった選択であの髪形をすることに決めたのであろうか?考えずにはいられませんよ。そこで思い出されるのが第一印象です。どこか超越してしまったような未来的印象。それが奇妙さを感じさせもするのだが、それ以上にチェルが生きた時代から未来にある私にも何か感ぜずにはおれず・・・そして更なる未来までも届きそうな、何か超越した髪型。何を超越してしまったんだろう・・・正しくは何を超越したかったか?か。未来まで続きそうな・・・いや、多少の奇妙さを補って余りあるほどの普遍的なものの存在があるとしても良いのではないか?所詮人の手足が2本づつで頭が一つであるという事で繰り返し同じループを回る流行ファッションの(在る意味)限界のように?「超えてしまいたい」「普遍的なもの」・・・その思いとは?動機とは?私は、あの髪型に、越えてしまいたい普遍的なものを感じたにしても・・・「ドコ」にそうった特徴を、「ナニ」に特徴を見出したのか。それは、極初め見たままに無意識になされた「〜生え際の延長線を無意識で目視上で結んでしまうような・・・ね、不自然な髪のなでつけ角度、〜」という延長線を追うという事とその延長線を悟られまい、隠しおおそうというかの様に生え際を隠して横切る前髪にあった。そこまでして隠そうとする事実はもはや左右モミアゲから頭頂部へのつづく延長線の接点以外に無い。あの一見から見た以上にその接点が上へ上へ、奥へ奥へと延びてることを、もはや否めない。その横切る前髪の境界線から生え際の終着点までの面積を彼、チェルは否定していた・・・。チェルが「超えてしまいたい普遍的」ものとは「ハゲ」に立ちはだかる現実そのものだったといってよいだろうか。ハゲ自体かハゲという事実か、それがあの髪型の動機であったろう、あの「髪」の下に脈々と流れる「共通意識」とは、様々な差異はあっても共通する「ハゲ隠し」隊という意識に他ならないだろう。ハゲを隠すことで、どういった事を求めているのか・・・その先というものは、ハゲを隠すという行為をすることで「生えている」という進路の支流に戻ってしまい、それ以上の前進という選択がないことを意味している。多くの薄げの人々が各時代でさまざまに「ハゲ隠し」をしてきたことだろう。「髪は頭頂部に生えているものだ」という一定の価値観のもとでは、ハゲを隠したいという願望もまた時代を超えて変わらないということでもある。チェルがした髪型には時代を超えた「ハゲ隠し」隊という意識のもとになされた選択だった。チェルの服装は地味服であることで(あのスタイルを生み出した)社会に溶け込み、また、彼のアノ髪型も彼個人の意識でありながら時代を超えた同士達の意識という流れの上にあった。チェルは生きた時代にのめりこめないものの溶け込みながら一方では時代を異にする意識をも感受し体現せしめているのではないかと思うのだよ。
 しかし、本来チェルの素晴らしいところは、多く知られる肖像にあるように全くその広い額を隠そうともしないところだと思うのだ。「生えている」という流れを意識するあまり、生えているフリをすることで1歩下がって1歩戻るというような前進0歩といった構えでしかいられない人間であるよりも、それがたとえ逆の流れ「ハゲ(丸ッパゲ)」であってもその方向を真摯に向き進む姿こそとらわれない自由な姿ではあるまいか?銀による新発見の絵で妙に美麗な顔かたちでかかれようとも、従来認識していた肖像画の彼の方が私は好きだ。造作がどうのというよりも、そのエゴの具合によるものである。チェルらしからぬと感じるといえば、そういった部分でのことであろうか・・・。

 ブハハハ!真面目に読む人もいないだろうけど、ツッコミが一言では収まらなかったという事です。

 あ〜・・・今日は次元(ルパン三世)について言いたいことがあったのに、チェルのことになっちゃったよ。





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