Crstal Tear
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2005年12月26日(月) 今年最後の英会話

今日は今年最後の英会話。


うーむ今年は休む日もほとんどなく頑張った。



そして会話に繋がるよう予習&復習もした。



今日はクリスマスプレゼントを持っていった。



先生には、この前誕生日プレゼントで使い道のあるものをあげたので


クリスマスは、思いっきり使い道のない「何じゃこれ?」ってな物にした。


でもそれが何故か大好評で喜ばれた…あはっ以外だ。


やっぱりこういう系の方が喜ばれるのか…と納得もした。


奥さんには、本の中身がポスターカードになってる物をあげた。


良い言葉が可愛いイラストと共に癒してくれると思うのだけど…


そして私はDVDをプレゼントしてもらった。


その後は何時もどおり。


色々なお話をしたり、ちょっと勉強してみたりと。


勉強をして何を得るかなんて不明だけど


私はお話をしに行ってるようなもの。


先生を先生と呼ばない英会話教室だけど


そこがまたお気に入りだ。


奥さんと先生と3人で談笑出来るのもココだからだろう。


そう思うと、英会話は後から付いてくるようなオマケ。


私は、この親切なご夫婦に癒されに行ってるのだろう。


最後には、しっかりと挨拶をして帰ってまいりました。


来年も気を張らず行こうっと。


2005年12月25日(日) クリスマス

夕方まで部屋で独り過ごす今日



気分転換が出来るかとお風呂に入ってみるが・・・




気分転換のはずが…気分が悪くなってしまった。。




夕方から母を連れ出した。




ショッピングセンターで買い物…のはずが



家族の物を買うはめに



でも家に居るのも息苦しかったので別にいい。



母は自分の姉妹へおそろいのストラップを買った。



もちろんクリスマスプレゼントだ。



私も母のような仲のそこそこ良い姉妹で居つづけられるだろうか…



こんな姉を妹は…そんな事が頭を巡るも…



この後も色々あった…けど書くの疲れた。



まっこれは私の記録だろう。


読んでる人が居るのかすら不明だ。


皆カウンターとかチェックしてるのかな…


私何もしてないや…読んでる人いるのかな。


2005年12月24日(土) 疲れがたまり過ぎました。

イブですが



何でしょうか…この気持ち




1人で少し余分にお薬を飲み寝てますが



何でしょうか…この気持ち




疎外感が私をガンジガラメにしております。



そして私もカラに閉じこもろうともがいてます。




蓑虫のようにミノの中で眠りましょうか…










深夜になって母とメール&携帯電話で喧嘩





喧嘩も途中で母が放棄…益々独り




これが私の12月なのでしょうか…





おかしな12月になってしまいました。





今年1年頑張り過ぎたようです。




まっその頑張りに気づく人はいない…と思ったり。




2005年12月22日(木) マジで!!




















降り止まぬ雪







積もる雪







行けないじゃん…






こんな状態で行かないのは





絶対にマズイとは思うんだけども…




この中+こんな状態の私が1人でバスと地下鉄と徒歩で




無理だ…





発狂してしまう






あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ








あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ









ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあと叫んでいたい気分だ







頭が混乱し続けている。










ぐぅるぐぅるまわるぅ。。。


2005年12月19日(月) 発音大好きっこ

今日は英会話。

ぎりぎりまで行きたくない…行きたい…の繰り返し
挙句の果て、車で到着しても気分は凹んだまま。
それでも誕生日プレゼントも渡せてなくて
頼まれてたビデオも渡したかったので行く事にした。
家には恒例の大きなクリスマスツリーがありました。
家の中は可愛いクリスマス仕様になってました。
子供達のカードが飾ってあったりで可愛かったです。


唐突だけど私は英語の中でも発音する事が大好きだ。
時々NHKなどで、留学生のクラスの授業を放送しているが
きっと私はあの場所の授業にはついていけないだろう。
でも「何じゃこいつ留学までしてこの発音?」って思う奴がいる。
私からしたら英語が話せても、発音が下手だと何で?って思う。

中学の頃も「th」「R」「L」の発音が出来ても、
皆がしないから、しないってパターンがほとんどだった。
ありゃぁ日本人独特のものなんですかね。
本当は間違った発音してる方が恥ずかしいのに。

先生はいちを都会育ち?というか訛りが無い場所出身育ちなので
本人も発音に関しては大丈夫だと太鼓判です。
まぁイギリス訛りが好きな人とかはイギリス英語を勉強したり
留学も多いオーストラリアは、分かる人にはオーストラリア訛りが
分かる人らしいんですが…

いちを私はずーっと同じ先生に習ってるので
アメリカ英語の発音を習ってることになってるのだけど…
どうだろうねぇ…上手く発音できてるのかね。
でも色々な発音で教わるよりは、良い事なのかもね。
聞く事が出来るようになっても、
相手に自分の言葉が(発音のせいで)伝わらなかったら意味無いしね、
そー言えば中学の時も先生によって発音が違うなんて話しもあったし

そぅそぅホントマクドナルドの発音は難しい、
英語の発音は、ゆっくり発音して教えてもらって覚えられたけど
普通のスピードでそれが言えない…むっむっ難しい。



今日もは久々にやっぱり私にはココがベストだと改めて実感&シンミリ。
帰りには先生からのハグをいただき元気を貰ってきました。


2005年12月18日(日) 安いから

こんな時期になってから

NEWクリスマスツリー購入。

何故って?

50%OFFだったから(爆)


でも家の中は私のせいで


暗いモード全かい。




2005年12月14日(水) 思いっきりの独り言

すげぇムカツク


何なん!!!!


どいつもこいつもよぉ。


自分自身の思考ってなもんは無いのか!!!


自分の言葉って物がないのか…


私は有り過ぎて傷つけるらしいが。


もっともっともぉぉぉぉぉぉぉっと言いたいけど…


こんなにムキになったって自分が損するだけやのに…


馬鹿な私やわ。


それでもムカツクもんはムカツク


何をそんな事で伝えたいわけ!!


あぁぁぁ私も同じか…同じ穴の狢か。


情けないやねぇ。


あぁでもいいかげん分からんかなぁ…



2005年12月13日(火) くぅぅぅ胸につっかえてる

表現方法は自由なのだが


あぁぁぁぁぁ言いたい事が言えん!!


人それぞれの表現方法がある。


のだけど…だけども…わかるけどぉ…


あぁぁぁ違うでしょ…それは私が…


あぁぁ無理だ言えん。


胃炎(爆)寒過ぎる私。


って、もぅだってだって怒ってもイライラしても


無駄だもぉぉん、どーせさぁ。


そして朝っぱらからメール。


ご迷惑おかけしました(ペコリ)って見てるかな。






話しは変わって薬の量が増えたというより
以前の量に戻ったので吐き気がします。

1回の吐き止めでは効かなくなったので
2度吐き気止めを飲まなくては。

それとビタミン12も続けなければ。
これ3回飲んでないしなぁ…
顔の痙攣は確実にストレスやわ。

でもって首下から胸までの間の痛みは…謎
見てもらったけど謎…肋間神経痛ではないらしい。
しかもそこってあまり神経ないらしい…と医者は言った。
けどその時行ったの内科だったし(汗)


2005年12月12日(月) はちゃめちゃ

はちゃめちゃな1日だった。
それを乗り越えられなかった。

昨夜から痛みをうったえてたママの腰が悪化
朝には、歩くのに誰かの支えが必要なぐらいになった。
なので朝から父とごみ出しをして、洗濯をして
父と妹の朝ご飯を用意して、それからすぐに
早急に朝一でかかりつけの医者に私が付き添った。
そこの医者には母方親族ほぼ全員が一度はお世話になってる
医者なのだが、私は実が凄く会いたくない医者なのだ。
子供が同級生だったり、そこに以前勤めていたのが同級生だったり
私の事情をある程度知っていたりと、さまざまな理由からだ。
しかし仕方が無い…暇なのは私だけなのだから。
待合室に居る間、胃が痛かった。
そこに居るだけでもいっぱいいっぱいなのに、
他の患者さんが来始め、時間外治療のママの噂をひそひそ
そして医者が私の名前を呼ぶと益々ひそひそ話しが広がった。

帰ってくるとママの朝ご飯の用意をして
2階へ付き添って横になったと思った瞬間電話。

親戚のお父さんが亡くなったのだ。
それで、喪服を1着貸してくれないかとの事。
その後ママに報告&体を起こさせて、母の姉妹に電話。
あまり会った事がない方で、遠い所に住んでる方だったので
葬儀の参列は無理なのだが、お香典をするかしないか
するなら幾ら包めばよいかなどママは姉妹達と連絡。
その間に、私は箪笥にしまってあった喪服を
何着か出し、カバンを出し、いちを小物も出しておいた。
そしてお香典袋の名前を書く事をしなければいけなかった。
そうしてる間に、親戚が喪服を取りに来て急いで行った。

そうしてるともうお昼じゃないですか。
妹と二人でお昼の用意をして、母を起こしてきて
お昼ご飯を食べた後すぐに身支度をして買い物です。

本当は昨日、英会話の先生の誕生日プレゼントを
買いに行く予定だったのだが、ママの腰が痛くて無理だった。
なので今日は妹について来てもらってご飯の買い物と
プレゼントと、ママに頼まれた父の会社へのお歳暮を買いに行った。
それでなくてもバスは苦手中の苦手なのだが仕方が無いバスで行動。

ついて直ぐにプレゼントを探すのだが、ココ二ヶ月ほど悩んでも
何も良い贈り物が思い浮かばずって当たり前か…両親ほどの年齢の人に
何を渡せば喜ぶんだい?ユニークなものが好きだったりもするが…
ココ8年である程度決まりきった贈り物はしているので
それが益々私を悩ませた…うろうろしてる間に
妹に一足早いクリスマスプレゼントを買った…って本来の目的が…
二時間ほどたっても決まらず、一回休憩をとることに。
お茶タイムです、妹はケーキを頼んだけど
私はまだ胃が本調子ではなく飲み物だけをオーダー。
あぁぁ動きたくねぇ〜とか言いつつ、
先に父の会社へのお歳暮を済ませる事に。
決まっていた商品を買い、届けてもらう手続きをして終了。
その後買い物を…夕飯を何にするか妹と悩みに悩む。
買い物を終わる頃にはまた1時間が経っていた。
その後渋々プレゼントを決め、ラッピング待ちして
バスに乗る頃には6時前…半日の買い物かよっ!!!

帰ったらもちろん6時過ぎていたので、もう夕食にしたく。
まっ軽く準備だけをしておいて、後は妹にバトンタッチ、
私は英会話に行く準備を始めて、今日始めて自分の部屋で寝転ぶ。



ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ



はいご想像どおり疲れと寝不足により即寝しました。
何時もならこんな時ママがたたき起こしてくれるのですが
今日は誰もがいっぱいいっぱいで、私は寝たまま。
起きたら始まる時間を30分も超えていました。
電話して、無理だろうと思いつつ○時〜○時に変更は無理ですか?
と聞くものの「Sorry」の言葉とともに無理の返事って当たり前だけど。
その途端今日の私の頑張りは全て崩れました。
先週も休み、今週も…自分がムカツイタ。
理由なんて相手には関係の無い事だし、
悪いのは私、ちゃんと起きていて、
英会話に行けるようにしておけばよかったのだから。
気分は最低最悪…






2005年12月11日(日) 確かに私は疲れてる。

今の時点で何故かイライラ・…

はぁぁ…何だろイライラするわ。


疲れてる…確かに私は疲れてる。


些細な期待にも疲れる。

些細な悲しみにも疲れる。

些細な違いにも疲れる。


今日は朝起きた時から左頬が痙攣してる。

あぁ結構久々にキツイかも…ピクピクが止まらない。

私ってってか人って絶えず無理してるの?

体から空気(感情)がぬけなくて窒息しそう。














今したいことをしたい…けど…




















……寝るか……
























2005年12月10日(土) 体調不良

1日中頭がぼーっとしてます。

横になると直ぐ寝ちゃいます。

お昼に起きてご飯を食べ始めたら

凄い腹痛に襲われ久々に嘔吐…(汗)

急激な腹痛だとすぐ吐いちゃうのとくに問題無し

だたぐたぁぁっとしてますけど。

それからバタンと倒れるようにして少し仮眠

もちろん夜ご飯は食べれず

胃薬と、何時もの薬を飲んで横になる。

でも今日ビデオ返却日…だったので

かなり夜遅くになってから返しに行きました。

メールだの、書きこみだのしたかったのですが…

今日はお休みします。


2005年12月08日(木) ありがとうの言葉と共に。


まず最初に色々迷惑をかけてしまった人に
心から謝りたいと思います。
「ごめんなさい。それしか言えなくて…」

この1週間、私は私であって私ではなかったのです。
私は24時間のうち現実から逃れるために薬を飲み
毎日20時間以上を眠りの世界で生活していました。
起きている時間には何かをする気力もなく天井を見上げたり、
時には怒りに狂い、発狂し叫んだり、泣き喚いたりしてました。
冷静に居た時間はありませんでした。
怒っていました、泣いていました、
腹がたっていました、孤独を感じていました。

私は心と頭の思考や感情のバランスを
上手くとることが出来ません。
それはきっと分かる人には分かって
分からない人にはわからないものだと思います。

私は今でも「死」や「自分の存在意味」に関して悩みます。
生まれてくる時、それは運命かもしれないけど
自分から好んで生まれてくる事は出来ません。
ならばもし辛く耐えがたい人生に生み落とされたのなら
死ぬという時期を自らが決めるという選択があっても
良いのでないかと凄く悩み考えます。
それが私の「心」の本音です。

そして「頭」の中にある思考や考えの本音は、
「死」に関して自ら命を経つ「自殺」という選択は
決してしては、いけないことだという思いです。

この2つの考えが私の中で何時も戦います。
それは今なお戦っていて、答えは出ません。

そして最近の私は心の考えの方が大きく大きくなって
「死ぬ」ことを決めるのは自分であっても
いいのではないのかという事でした。
もちろんそれは私が、現在(今)から「逃げる」という
意味での選択で、私は自らの「死」を覚悟しました。

私は↑でも言った通り何時も「死」とは何かを考えますが、
「死」という言葉を簡単に使う事はしてきませんでした。
それにはそれだけ重い意味があると感じていたからです。
それでも最近の私は「死」を言葉にし、文字にしてきました。
「そんなの脅し文句だろ」…とか、「出来ない癖に」とか、
どんな風に思われても仕方が無いと思います。
それでも私を間近で見てくれていた母にはそれが
本当か嘘かどうかは分かってくれていると思います。
それぐらい目で見て判断できるほど、私は弱っていました。

そして顔を合わせなくても、私の存在がこの世にある事を
証明してくれている人にも、私の今の状態が本当か嘘かは
分かってもらえてると信じています。



今の私の状況を書きます。何故か凄く冷静です。
でも昨日の今日で「死」を考えなくなったわけでもありません。
昨日の今日で「自分の意味」を理解したわけでもありません。

ただ何が変わったのか…考えると
セラピスト(臨床心理士)さんとのカウンセリングで、
心と頭の考えの比重を変えてもらったのかもしれません。
「死」を大きく考えていた心を小さくして
「自らの死」を否定していた頭の部分を大きくしてもらった
そんなように考えているのですが…

昨日はちょうどクリニックへの通院日でした。
寝て起きたままの姿で、クリニックへ行きました。
話すつもりも、治療を続けるつもりもなく行きました。
何も持たずに、化粧もせずに、目深に帽子を被り。
患者さんも少なかったため、早々にカウンセリングでした。
何も話せないと話さないと黙っていました。
沈黙がどのくらいだったのかわかりません…
ただ臨床心理士さんは待っていました。
そして少しづつ質問されたり、答えたり、
初めてカウンセリングで泣きました。
何時か今まで苦しくても、悲しくても泣けなかったのに。
途中気分が悪くなったり、背中をさすってもらったり、
「疲れたね」「しんどかったね」「心休ませないとね」と
言いながら、私の背中をさすってくれました。
子供をあやすように…「馬鹿かお前は」と言われようと
私は必要としていた、温かい言葉、温かい気持ち、
温かい手、温かい目でした。

その中で話しは進みました。
何があったのか、そして今どうなっているのか。
そこから何をどう感じて、今の状況が続いているのか。

私が追い詰めらあれた問題に関しては
「背負い過ぎ」だといわれました。
それは色々な話しをしてきた今までカウンセリングでも
「私という人間」を見てきて感じていたよと言ってました。
私は自分自信で色んな事を「背負い過ぎ」だとそう言う事でした。

その他には、「怒られるかもしれなけど・・・」と言いながら
「死」という事に関しても、率直に私の考えと言い、質問しました。
そして丁寧に「私はこうなの」という
臨床心理士さんの考えを聞かせてくれました。
何時かそれも文章に出来たら…と思います。

そしてそこから「私自信の存在意味」を感じない、
分からないと言う私の話しから、人間の存在意味に関しての
話しに変わっていき、またそれも臨床心理士さんの考えを
丁寧に聞かせてくれました。

そして今の治療に関して「歪んでいる私の思考の根っこ」が
私には、「あなたの発言は歪んでいるから全てが間違ってるのよ」って
何時も誰からも言われているように思っている…と言いました。
以前にも、同じ話しをしていたのですが、納得できなかったので。
そしてその事に関しては「歪んでいる感情や思考は
間違っているのではない」と言われました。
ならなんのために私は、自分の発言や感情を
時には変えていかないといけないのか…と思うのです。
そしてまた質問をすると、「この治療は、
自分が楽に生きられる様に、楽に考えられる様に…」との事。
そう「歪む」という言葉を間違って私は考えて感じ取っていたのです。
ただ今回のこの話しだけで、私の心が納得した訳ではありません。
頭が納得したんだと思います。
そんな直ぐに全てを変えられるなら…って思いますよね。

何時もなら治療の主旨である「歪んだ思考の根っこ」の話しから
「ココでこう考えるから苦しくなるんじゃない?」とか
「こう考えれば楽になるんじゃない?」とかって話しや
アドバイス的な言葉は一切無かった、それがとても嬉しかった。
その些細なことへの心使いが楽にしてくれた。

他には…
昔にしたリストカットの話し、お金の話し、
気持ちの回避の話し、ポジティブの意味、
心の病気の人が必ず持つ悩みの話し、
家族1人1人に関する話し(父、母、妹、妹)の話し。
言葉の意味、感じ方、捕らえ方の話し…etc...
1つ1つを丁寧に一緒に話していきました。
本当は全てを詳しく、もっと上手く書きたいんだけど。
機会があれば徐々に書いていきたいと思った。
そして何時もの倍の時間を割いてくれました。

一番最後には「降参状態」でした。
何がどうなったのかわからないけど
「洗脳された」と言われるかもしれなけど
私の中では…
私が暗い空気が漂う中にポツーンと居たのを、
よいっしょよいっしょってわざわざ抱っこして、
少し明るさが漂うような場所に連れていって
もらったように思いました。

だから今「元気」とか「復活」とかではないのです。
昨日の今日でそんなに変化するはずもなく…
今でも自分の全てが分からず先も見えず、
困惑ばかりして、何処に向かえば良いのかも見えずにいます。


その後の診察では、今の状態をよく話し合い
カウンセリングの結果からも、今年1月頃に
減らした薬の量を増やす事になりました。
それが後戻りと思えば思えるし、
前へ進むためのと思えば思えるし
それこそどう捕らえるのか・…なんだと思います。

だた私はまだそこまで考える余裕もなく、
「心の充電をしなきゃ」という母や臨床心理士さん
お医者さんの言葉を強く意識して時間を過ごしています。

長い文章を最後まで読んでくれてありがとう。
心から感謝し、心から幸せを祈ります。


2005年12月02日(金) お前は変だ変だ変なんだよ。

私が変なのだろうか…


変だ…変だ…変だ…と


何処からともなく責められている。


もうダメだ…


今年初めてもうダメだと思った。


もう限界だと…


少し長く現実から逃げたかった。


今年2回目ぐらいの眠剤を飲んだ。


1回目あまり効かず追加した。


それでも普段より寝れなかった。


体に力がはいらない…


妹にも、父にも、会いたくない。


心が病んでる事をうっとおしく思う人には


家族でも近寄りたくたくない…


母とも距離を置くべきか…


独りで部屋に寝転んでいた…


1日泣いていた…寝てる以外は。


2005年12月01日(木) 本心とは。

母親の発言が私の気分を害した。


それが発端だった。



そして…



妹は私を嫌っていた。

妹は私を憎んでいた。

妹は私と他人になりたがっていた。

心に傷があるなんて妹には関係なかった。

痛烈な言葉と感じるのは私独りだった。

妹の本心をしった。



私はコテンパンにやられた。


ボコボコにやられた。


家族は私以外の4人で成立していた。


それでいい気がする。


私は家族に入っちゃいけないんだ。


私は…





















































死を考えた。




















ごめんなさい。


arika |MAIL

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