2010年07月20日(火) |
龍馬伝第二部を振り返る的長々メモ |
龍馬伝のいい場面を切り抜き編集していて、まあ桂小五郎は当然としても、他が見事に武市半平太と弥太郎関係だったのが自分でもうわあでした。というのも、武市や久坂といったいわゆる勝先生のいうところの小攘夷のメンツには、私はかなり距離を置いておったからです。歴史的役割は認めても評価はしねえぞ!みたいな。ただ嫌ってはなかったんですな。どちらも人格は尊敬できそうだし実際にいたら心酔しそうだとは思ってた。でも頑なに拒否してた。自分でも不思議だったんだけどよーく考えてみたら、武市さん最初に知ったの、「知ってるつもり!?」というテレビ番組の岡田以蔵の回だったなあと。
知ってるつもり?は後々「おまえこそ知ってるつもりか」と言うべき底の浅い番組だったんだけど、当時は真剣に受け取っちゃったのな。ちなみにその以蔵の回は「巷ではとってもかっこいいイメージですが、実は不細工で頭悪くて武市に心酔するあまり暴走しちゃっただけの人です」という趣旨でした。私はかっこいいイメージの以蔵など想像もつかんのですが(だって人斬りじゃん。るろ剣の剣心でも人斬り時代をかっこいいとは思わんぞ)、なんか武市への切なくもすれ違う思慕を感じて切なくなった記憶があります(おかげでこの大河の以蔵違和感ゼロ)。以蔵がそこまでして慕った武市さんだから器はともかく人格はすばらしかったんだろう、でも俺は距離を置かせてもらう!みたいなノリになったんだろうなと今更分析。若いなあ。
ま、そんなわけでわだかまりのあった武市さんですが、今回の大河ですっかりそんなのは消えて、素直に人物としてみることができました。ありがたいことです。やっぱり無用には嫌いたくはないですからのう。
思うのは、武内さんは標準的な人だったんだなあということ。生真面目のレベルはけた違いですが、土佐にこだわる所や身分に縛られている所、あと「多くの人間は見たいと思う現実しか見ない(ばーいユリウス=カエサル)」を見事に体現してる所が「器」の限界かなと思いますが、これをして彼を攻めるのは酷だと思ってます。現実を直視できて既存の枠にとらわれないという資質は、そう滅多にでてくるものじゃない。龍馬はADHD(大雑把に言えばいろんな意味で空気読めない性癖)だと言われてますが、根本的に改革者はADHD要素が必須なんだなと武市さんは反面的に教えてくれているような気がする。もっとも標準的な人物だからこそあれだけの人がついてきてくれたと思うし(ADHDの人が一般大衆を味方につけるのはすごい力量が必要だ)武市さんも太平の世でなら指導者として大成できたと思うのだが。
あと土佐勤王党の性質そのものが、武市さんは尊皇攘夷と信じて疑ってなくても実質は下士の下克上エネルギーに過ぎなかったのが、武市さんには不幸だったなと。武市さんに醒めた感性があってそれを承知で使いこなせればよかったんだけど、真面目すぎてそれができなかった。もっともそれができない人だから慕われたともいえ、単純に「こうだったらよかった」と言えないものだとしみじみします。
結果的に悲劇だった小攘夷ですが、「花神」にもあったように、こういった土俗根性的な攘夷精神こそ「日本人としての誇り」であり、結果としてどの列強にも支配されない独立国として明治維新を成し遂げたのは間違いありません。小攘夷を歴史的効果としてバカにできないのはそのためです。というか大攘夷を成し遂げた人の頭には常に小攘夷の末路があったよーな気がするよ・・・彼らの末路を無駄にしないぞ的な。歴史はヒューマンドラマですからね。
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